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chapter.2 蠱毒
2-10 誓約
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セーラの訃報は朝、例の館内放送で齎された。
〝脱走〟だったらしい。夜中に研究所から抜け出そうとして発信機に感知され、爆弾が起動した。
私達の中のそれ〟は、許可無く研究所の敷地外に出ると自動的に爆発する仕掛けになっていたようだ。そんなことくらい、セーラだって分かっていただろう。それでも彼女は、逃げ出したくて堪らなかったのだ。
セーラの部屋は三階だった。彼女の数字の04号室は私の01号室の真上。私達が寝静まった深夜、人知れずベランダから翼を広げて、彼女は空へと飛び立った。
彼女の遺体は境界線のほんの少し先でバラバラな状態で発見された。爆発によるダメージの他、落下による衝撃も加わって文字通り原型を留めない酷い有様だったようだ。
その様子を、いつもの甲高いテノールは嫌がらせとしか思えない程具に喧伝した。
「立て続けにこんな悲しいことが起きるだなんて、遺憾です。誠に遺憾です」
奴の言う〝遺憾〟は、またも適合体の数が減ってしまったことに対してのものだろう。わざとらしい悲しみの表明に本来なら苛立ちを覚えるところだったが、あまりに衝撃的な話の内容で私は茫然とする他なかった。
最後に「二度とこんなことのないように願いますよ」と忠告を残し、放送は切れた。しんとした静けさが急速に廊下を包み込む。
「大丈夫? アイちゃん」
隣に立つツヴァイが気遣わしげに私に問い掛けた。アイちゃんではない。アインスだ。などと訂正するような余裕は今の私には到底無かった。
「……流石に、堪えるものがあるな」
気付けば、弱音を吐いていた。
「危惧していたのに、防げなかった。……守ると言ったのに」
例の事件から、セーラはやはり目に見えて不安定になっていた。敵ではなく仲間の手によって仲間の命が葬り去られたという事実が、彼女の心の均衡を脅かしていたのは言うまでもない。
それでも、私やツヴァイが彼女と話をし、宥める内に、一時は平静を取り戻したかのように見えた。これならきっと大丈夫だろうと、安堵していた矢先の出来事だったのだ。――彼女の訃報を聞くことになったのは。
大丈夫なんかじゃ、なかったのだ。
心の病は回復してきた頃が一番危ないのだと聞いたことがある。それなのに私はすっかり安心しきって、そこで目を離してしまった。
私の所為だ。そんな想いが、湧き上がってくる。
守ると誓っておいて、何も出来なかった。あの時と同じだ。両親のことも妹のことも、私はその場に居て何も出来なかった。
――何も出来ない。私には。
「アイちゃんの所為じゃない!」
鋭く放たれたツヴァイの言葉に、ハッとさせられた。深い紫の瞳が、真っ直ぐに私を見据える。
「アイちゃんは何も悪くない。アイちゃん、言ってくれたよね。一人で背負い込むなって。俺も同じことを言うよ」
――一人で背負おうとするな。私にも半分分けろ。お前は、独りじゃないんだからな。
以前に発した己の言が、脳内を巡る。
――ああ、そうだ。
辛いのは、ツヴァイだって同じな筈だ。彼は私以上にセーラの相談に親身に乗っていた。きっと今は私以上に自責の念に駆られていることだろう。
私が私を責めるのは、ツヴァイを責めるのと同義だ。
「そうだな……すまない」
弱気になっている場合じゃない。しっかりしなくては。
「分かってる。分かってはいるんだ……だが、慣れないものだな。仲間の死というものは」
髪を掻き上げて嘆息する私に、ツヴァイは言った。
「俺が居るよ」
ぴしりとした、強い決意を込めた声音で――。
「俺がアイちゃんの傍に居る。俺は、絶対に死んだりなんかしないから」
そう言い切る彼の気迫に、私は思わず圧倒された。
「……凄い自信だな」
「だって、アイちゃんが守ってくれるんでしょ?」
ふと真剣な表情から一転、悪戯げな笑みを浮かべてツヴァイは剽げてみせた。私は目をしばたたき、
「何だ、それ」
釣られて、笑みを漏らした。
きっと、彼なりの励ましのつもりなんだろう。思うと、胸に温かいものが広がった。
「お前が大人しく守られるだけのタマとも思えないが、そうだな……改めて、そう誓おう。お前が死ぬ時は、私が死ぬ時だ」
こいつだけは、死なせない。
これまでに救えなかった人々の分まで、今度こそ絶対に守り抜く。――その時、私は密かに自分にそう誓った。
それから、改めてセーラのことを想う。
黒い大きな蝙蝠の翼で、夜空を駆けた彼女のことを。
彼女の選択が、せめて絶望の末の自害などではなく、自由への希望を託した挑戦だったのだと……その心の裡が、少しでも安楽なものであることを願った。
セーラだけじゃない。ドライ、フュンフ、そして名も知らぬままだった鳶色髪のあの双子の兄弟も、犠牲になった大勢の者達の生命も、私達が背負って、闘おう。
残された私とツヴァイ、二人で――。
その後の私達は、只管に訓練に明け暮れた。時折はまた夜を共に過し、何をするでもなく傍に在り語らい、各々が独りでないことを確認して励まし合った。
そうして、ここに来てから一年が経つ頃には、遂に我々の実戦投入が決定されたのだった。
〝脱走〟だったらしい。夜中に研究所から抜け出そうとして発信機に感知され、爆弾が起動した。
私達の中のそれ〟は、許可無く研究所の敷地外に出ると自動的に爆発する仕掛けになっていたようだ。そんなことくらい、セーラだって分かっていただろう。それでも彼女は、逃げ出したくて堪らなかったのだ。
セーラの部屋は三階だった。彼女の数字の04号室は私の01号室の真上。私達が寝静まった深夜、人知れずベランダから翼を広げて、彼女は空へと飛び立った。
彼女の遺体は境界線のほんの少し先でバラバラな状態で発見された。爆発によるダメージの他、落下による衝撃も加わって文字通り原型を留めない酷い有様だったようだ。
その様子を、いつもの甲高いテノールは嫌がらせとしか思えない程具に喧伝した。
「立て続けにこんな悲しいことが起きるだなんて、遺憾です。誠に遺憾です」
奴の言う〝遺憾〟は、またも適合体の数が減ってしまったことに対してのものだろう。わざとらしい悲しみの表明に本来なら苛立ちを覚えるところだったが、あまりに衝撃的な話の内容で私は茫然とする他なかった。
最後に「二度とこんなことのないように願いますよ」と忠告を残し、放送は切れた。しんとした静けさが急速に廊下を包み込む。
「大丈夫? アイちゃん」
隣に立つツヴァイが気遣わしげに私に問い掛けた。アイちゃんではない。アインスだ。などと訂正するような余裕は今の私には到底無かった。
「……流石に、堪えるものがあるな」
気付けば、弱音を吐いていた。
「危惧していたのに、防げなかった。……守ると言ったのに」
例の事件から、セーラはやはり目に見えて不安定になっていた。敵ではなく仲間の手によって仲間の命が葬り去られたという事実が、彼女の心の均衡を脅かしていたのは言うまでもない。
それでも、私やツヴァイが彼女と話をし、宥める内に、一時は平静を取り戻したかのように見えた。これならきっと大丈夫だろうと、安堵していた矢先の出来事だったのだ。――彼女の訃報を聞くことになったのは。
大丈夫なんかじゃ、なかったのだ。
心の病は回復してきた頃が一番危ないのだと聞いたことがある。それなのに私はすっかり安心しきって、そこで目を離してしまった。
私の所為だ。そんな想いが、湧き上がってくる。
守ると誓っておいて、何も出来なかった。あの時と同じだ。両親のことも妹のことも、私はその場に居て何も出来なかった。
――何も出来ない。私には。
「アイちゃんの所為じゃない!」
鋭く放たれたツヴァイの言葉に、ハッとさせられた。深い紫の瞳が、真っ直ぐに私を見据える。
「アイちゃんは何も悪くない。アイちゃん、言ってくれたよね。一人で背負い込むなって。俺も同じことを言うよ」
――一人で背負おうとするな。私にも半分分けろ。お前は、独りじゃないんだからな。
以前に発した己の言が、脳内を巡る。
――ああ、そうだ。
辛いのは、ツヴァイだって同じな筈だ。彼は私以上にセーラの相談に親身に乗っていた。きっと今は私以上に自責の念に駆られていることだろう。
私が私を責めるのは、ツヴァイを責めるのと同義だ。
「そうだな……すまない」
弱気になっている場合じゃない。しっかりしなくては。
「分かってる。分かってはいるんだ……だが、慣れないものだな。仲間の死というものは」
髪を掻き上げて嘆息する私に、ツヴァイは言った。
「俺が居るよ」
ぴしりとした、強い決意を込めた声音で――。
「俺がアイちゃんの傍に居る。俺は、絶対に死んだりなんかしないから」
そう言い切る彼の気迫に、私は思わず圧倒された。
「……凄い自信だな」
「だって、アイちゃんが守ってくれるんでしょ?」
ふと真剣な表情から一転、悪戯げな笑みを浮かべてツヴァイは剽げてみせた。私は目をしばたたき、
「何だ、それ」
釣られて、笑みを漏らした。
きっと、彼なりの励ましのつもりなんだろう。思うと、胸に温かいものが広がった。
「お前が大人しく守られるだけのタマとも思えないが、そうだな……改めて、そう誓おう。お前が死ぬ時は、私が死ぬ時だ」
こいつだけは、死なせない。
これまでに救えなかった人々の分まで、今度こそ絶対に守り抜く。――その時、私は密かに自分にそう誓った。
それから、改めてセーラのことを想う。
黒い大きな蝙蝠の翼で、夜空を駆けた彼女のことを。
彼女の選択が、せめて絶望の末の自害などではなく、自由への希望を託した挑戦だったのだと……その心の裡が、少しでも安楽なものであることを願った。
セーラだけじゃない。ドライ、フュンフ、そして名も知らぬままだった鳶色髪のあの双子の兄弟も、犠牲になった大勢の者達の生命も、私達が背負って、闘おう。
残された私とツヴァイ、二人で――。
その後の私達は、只管に訓練に明け暮れた。時折はまた夜を共に過し、何をするでもなく傍に在り語らい、各々が独りでないことを確認して励まし合った。
そうして、ここに来てから一年が経つ頃には、遂に我々の実戦投入が決定されたのだった。
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