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chapter.2 蠱毒
2-9 折半
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風呂上がりにインターホンが鳴った。
おや? と思いつつ、タオルを引っ掛けながら壁の小型モニターを確認する。そこにはやはりツヴァイが立っていた。職員室に呼び出された生徒のように、俯いて断罪を待つような姿勢で。
いつもならそのまま玄関まで行って迎え入れるところだったが、今日はまだ着衣すらしていなかったので、珍しく通話機能で応答した。
「どうした」
ツヴァイが夜に訪ねてくることは、もう無いのだろうと思っていた。
彼は一度顔を上げようとしたが、すぐにまた下を向いてしまった。そうして、神妙に告げる。
「もう血は吸わないから、安心して。話だけでも、させて欲しいんだ」
随分と改まった様子に、私は内心首を傾げた。
「分かった。少し待て」
言い置いて、見繕いをする。身体を拭いてバスローブを羽織り、髪は適当にタオルドライで玄関へ向かった。扉を開いて対面を果たすも、ツヴァイはやはり俯いたままだ。一体、どうしたのだろう。
「話とは?」
私が訊ねると、ツヴァイは不安げに聞き返した。
「……怒ってる? 俺がしたこと」
予想外の質問だった。先刻の食堂での悲劇が思い起こされ、私は暫時言葉を失った。
私の沈黙を肯定と受け取ったのか、ツヴァイが一層萎れた様子で謝罪を口にする。
「ごめん……俺、アイちゃんの気持ちも確認せず、勝手に一人で突っ走って」
「いや」
別に怒ってはいない。あの場は私にも他にどうしようもなかった。
「……でも、そうだな。私は、お前に無理をして欲しくはない」
仲間の命という十字架は、背負うには潰れてしまいかねない程に重いものだろう。――だから。
「一人で背負おうとするな。私にも半分分けろ。お前は、独りじゃないんだからな」
今度はツヴァイが黙す番だった。ハッとしたように動きを止めて、その後掠れた声でぽつりと零す。
「でも俺、もう……」
言いかけて、途中で思い直したように、
「ううん……そうだね。分かった、そうするよ」
ツヴァイはそう答えた。何だか要領を得ない調子だ。心配になるが、それ以上言及するのも憚られ、私は話題を変えた。
「能力、もう覚醒してたんだな」
ツヴァイの吸血鬼としての固有能力のことだ。当人からは聞いたことがなかったが、私やフュンフに起きたあの現象は、それとしか思えない。
ツヴァイは、バツが悪そうに苦笑した。
「うん……隠してて、ごめんね。嫌われるんじゃないかと思ったから、言えなかった」
「嫌う?」
これまた思いがけない言葉が出てきた。
「だって、嫌でしょ? 〝催眠〟なんて。そんな能力を持った奴となんて、もう目を見て話してくれなくなるんじゃないかと思って……」
そんなことを考えていたのか。もしかして、それで先程から目を合わせようとしなかったのか。
私はそっと息を吐き、問い掛けた。
「お前は私を貶める目的で能力を使ったりはしないだろう?」
「勿論! それだけは絶対に」
「ならば、問題は無い」
私がキッパリと言い切ると、ツヴァイは驚いたように顔を上げ、おそらく無意識に私の方を見た。
「……怖くはないの?」
「ずっと一緒に居た相手を、今更怖がる奴が居るか?」
それを証明するように、私は真っ直ぐにツヴァイの目を見つめ返す。宝玉のような紫水晶の瞳。
初めて見た時その美しさに惹かれ、諦観と悲哀を孕んだ儚さに目が離せなくなった。あの時横顔に浮かんでいた憂いの理由は未だ知れないが、私はこの人に笑って欲しいと思ったのだ。
ツヴァイが微笑う。花が綻ぶように、ふわりと柔らかく。
「……ありがとう」
それは、とても綺麗な笑顔だった。
◆◇◆
「それじゃあ、俺……戻るね」
話の終わりに、ツヴァイが暇を告げた。
「泊まっていかないのか?」
「避難する理由がもう、無いしね」
ツヴァイの笑みが曇る。脳裏にドライの顔が過ぎった。その無慈悲な最期の有様も。
――ドライ。
ワガママで破天荒で色々と困った奴ではあったが、それでも彼の物怖じしない明るさに救われる時もあった。決して、嫌いにはなれなかった。
改めて喪失感がじわり、心に滲む。白い布に薄墨を垂らしたように、それはきっと、当分消えてくれそうにはない。
フュンフだって、そうだ。あまり話したことがなかったが、こちらからもっと積極的に関わりを持つようにしていたら、何かが変わっていたのではないか。
そう思ったところで、今更遅い。亡くした命は、もう取り戻せない。
「じゃあ……おやすみ、アイちゃん」
そう言って、ツヴァイが身を翻す。どこか危うげなその背中を、私は反射的に呼び止めていた。
「待て」
意表を衝かれた様子で、ツヴァイが振り返る。
そうだ。こいつは今日、仲間を手に掛けてしまったばかりなのだ。平気な訳がないだろう。一人になった途端、その重責に耐えかねて早まった行動を取らないとも限らない。
「今夜は帰らせたくない。ここに居ろ」
私がそう告げると、ツヴァイは固まった。暫くの間瞬きすらせずに石のように硬直していたが、やがて両手で顔を覆うと、ゆっくりと深く長い息を吐き出した。
「……アイちゃんってさ、前から思ってたけど、天然だよね」
「は?」
何だって?
「誰にでもそういうこと言っちゃダメだよ? 勘違いされちゃうよ」
「どういう意味だ?」
「ああ、うん、何でもない。そのままの君でいて」
「? 何だそれは」
意味が分からん。
しかしツヴァイはそれ以上はもう答えずに、「それじゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しま~す」などと、いつもの緩い口調で言いながら扉を潜った。
とりあえず、今のところは大丈夫そうか。
心配と言えばセーラもそうだが、女性である彼女とはまさか一緒に寝ようなどと誘う訳にもいかない。
怖がりで繊細な人だ。今回の件も、きっと酷く心を痛めているに違いない。今後、しっかりとケアをしてやる必要があるだろう。
しかし、事態は更に最悪な結末へと向かう。――一月後、セーラが死んだ。
おや? と思いつつ、タオルを引っ掛けながら壁の小型モニターを確認する。そこにはやはりツヴァイが立っていた。職員室に呼び出された生徒のように、俯いて断罪を待つような姿勢で。
いつもならそのまま玄関まで行って迎え入れるところだったが、今日はまだ着衣すらしていなかったので、珍しく通話機能で応答した。
「どうした」
ツヴァイが夜に訪ねてくることは、もう無いのだろうと思っていた。
彼は一度顔を上げようとしたが、すぐにまた下を向いてしまった。そうして、神妙に告げる。
「もう血は吸わないから、安心して。話だけでも、させて欲しいんだ」
随分と改まった様子に、私は内心首を傾げた。
「分かった。少し待て」
言い置いて、見繕いをする。身体を拭いてバスローブを羽織り、髪は適当にタオルドライで玄関へ向かった。扉を開いて対面を果たすも、ツヴァイはやはり俯いたままだ。一体、どうしたのだろう。
「話とは?」
私が訊ねると、ツヴァイは不安げに聞き返した。
「……怒ってる? 俺がしたこと」
予想外の質問だった。先刻の食堂での悲劇が思い起こされ、私は暫時言葉を失った。
私の沈黙を肯定と受け取ったのか、ツヴァイが一層萎れた様子で謝罪を口にする。
「ごめん……俺、アイちゃんの気持ちも確認せず、勝手に一人で突っ走って」
「いや」
別に怒ってはいない。あの場は私にも他にどうしようもなかった。
「……でも、そうだな。私は、お前に無理をして欲しくはない」
仲間の命という十字架は、背負うには潰れてしまいかねない程に重いものだろう。――だから。
「一人で背負おうとするな。私にも半分分けろ。お前は、独りじゃないんだからな」
今度はツヴァイが黙す番だった。ハッとしたように動きを止めて、その後掠れた声でぽつりと零す。
「でも俺、もう……」
言いかけて、途中で思い直したように、
「ううん……そうだね。分かった、そうするよ」
ツヴァイはそう答えた。何だか要領を得ない調子だ。心配になるが、それ以上言及するのも憚られ、私は話題を変えた。
「能力、もう覚醒してたんだな」
ツヴァイの吸血鬼としての固有能力のことだ。当人からは聞いたことがなかったが、私やフュンフに起きたあの現象は、それとしか思えない。
ツヴァイは、バツが悪そうに苦笑した。
「うん……隠してて、ごめんね。嫌われるんじゃないかと思ったから、言えなかった」
「嫌う?」
これまた思いがけない言葉が出てきた。
「だって、嫌でしょ? 〝催眠〟なんて。そんな能力を持った奴となんて、もう目を見て話してくれなくなるんじゃないかと思って……」
そんなことを考えていたのか。もしかして、それで先程から目を合わせようとしなかったのか。
私はそっと息を吐き、問い掛けた。
「お前は私を貶める目的で能力を使ったりはしないだろう?」
「勿論! それだけは絶対に」
「ならば、問題は無い」
私がキッパリと言い切ると、ツヴァイは驚いたように顔を上げ、おそらく無意識に私の方を見た。
「……怖くはないの?」
「ずっと一緒に居た相手を、今更怖がる奴が居るか?」
それを証明するように、私は真っ直ぐにツヴァイの目を見つめ返す。宝玉のような紫水晶の瞳。
初めて見た時その美しさに惹かれ、諦観と悲哀を孕んだ儚さに目が離せなくなった。あの時横顔に浮かんでいた憂いの理由は未だ知れないが、私はこの人に笑って欲しいと思ったのだ。
ツヴァイが微笑う。花が綻ぶように、ふわりと柔らかく。
「……ありがとう」
それは、とても綺麗な笑顔だった。
◆◇◆
「それじゃあ、俺……戻るね」
話の終わりに、ツヴァイが暇を告げた。
「泊まっていかないのか?」
「避難する理由がもう、無いしね」
ツヴァイの笑みが曇る。脳裏にドライの顔が過ぎった。その無慈悲な最期の有様も。
――ドライ。
ワガママで破天荒で色々と困った奴ではあったが、それでも彼の物怖じしない明るさに救われる時もあった。決して、嫌いにはなれなかった。
改めて喪失感がじわり、心に滲む。白い布に薄墨を垂らしたように、それはきっと、当分消えてくれそうにはない。
フュンフだって、そうだ。あまり話したことがなかったが、こちらからもっと積極的に関わりを持つようにしていたら、何かが変わっていたのではないか。
そう思ったところで、今更遅い。亡くした命は、もう取り戻せない。
「じゃあ……おやすみ、アイちゃん」
そう言って、ツヴァイが身を翻す。どこか危うげなその背中を、私は反射的に呼び止めていた。
「待て」
意表を衝かれた様子で、ツヴァイが振り返る。
そうだ。こいつは今日、仲間を手に掛けてしまったばかりなのだ。平気な訳がないだろう。一人になった途端、その重責に耐えかねて早まった行動を取らないとも限らない。
「今夜は帰らせたくない。ここに居ろ」
私がそう告げると、ツヴァイは固まった。暫くの間瞬きすらせずに石のように硬直していたが、やがて両手で顔を覆うと、ゆっくりと深く長い息を吐き出した。
「……アイちゃんってさ、前から思ってたけど、天然だよね」
「は?」
何だって?
「誰にでもそういうこと言っちゃダメだよ? 勘違いされちゃうよ」
「どういう意味だ?」
「ああ、うん、何でもない。そのままの君でいて」
「? 何だそれは」
意味が分からん。
しかしツヴァイはそれ以上はもう答えずに、「それじゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しま~す」などと、いつもの緩い口調で言いながら扉を潜った。
とりあえず、今のところは大丈夫そうか。
心配と言えばセーラもそうだが、女性である彼女とはまさか一緒に寝ようなどと誘う訳にもいかない。
怖がりで繊細な人だ。今回の件も、きっと酷く心を痛めているに違いない。今後、しっかりとケアをしてやる必要があるだろう。
しかし、事態は更に最悪な結末へと向かう。――一月後、セーラが死んだ。
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