ラジオの向こう

諏訪野 滋

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第九章 コンフェッション

涙あふれて

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 部屋を出ていく足音と、残された白倉さんの深いため息。めまいを覚えた私は、その場にしゃがみこんだ。はずみで指先に触れた金属製のカップが床に落ち、サイレンのようにけたたましい音を立てる。ふと見上げれば、そこには青ざめた表情の白倉さんが、食い入るように私を見ていた。

「あ、会長。終業式の挨拶、お疲れ様でした」

 私はへらっと笑いながら、洗面台の縁をつかんで立ち上がった。ふらつく頭を立て直すと、白倉さんへとピースサインを送ってみせる。心はともかく身体は大丈夫だと示したつもりだったが、彼女の表情は凍り付いたままだ。

「環季。あなた、ずっとそこにいたの」

「すいません、片付けにちょっと手間取っちゃって。もう少し要領がよければ、先に帰れたんですけれどね」

「……聞いていたのね、最初から全部」

 転がっていたカップを拾い上げながら、私は努めて軽い調子で言った。

「大丈夫ですよ、誰にも話したりしませんから。前にも言ったじゃないですか、あなたの書記は口が堅いんですよ。第一、私が噂話ができるような友達は、会長一人しかいませんしね」

 洗面台を手早く拭いた私は、あわただしくシャワー室から出ると、白倉さんに向けて冷蔵庫のドアを開けて見せた。

「参ったなあ。ほら、司くんったら、またケーキ食べ損ねちゃってますよ。急いで帰るなんて、やっぱり恥ずかしかったんでしょうね。せっかくのクリスマスケーキ、二人で食べます?」

 菓子箱を取り出そうとした私の手の動きをさえぎった白倉さんは、ためらいがちに口を開いた。

「あの、環季。ごめ……」

「謝ったりしないでください!」

 お願いだから、やめて。私、白倉さんのことを恨んだりなんかしてないよ。私がここまでこれたのは、全部あなたのおかげなんだから。ただ、世の中ってうまくいかないなあ、なんてちょっと寂しくなっただけで。世間知らずの私には、こんなどこにでもあるようなちょっとしたすれ違いが、ことさらオーバーに感じられるだけなんだろう。

「環季」

「誰も悪くないのに、どうして謝るんですか。みんな自分に嘘をつかなかっただけ、そうでしょう? それは間違ってない、間違いなんかじゃない」

 涙があふれるのも構わずに、私はこわばった笑顔を白倉さんに向けた。

「でもわがままを言えば、司くんとは、会長が付き合って欲しかったです。彼の相手が会長なら、私だってあきらめがついたのに」

 私は白倉さんの胸をどんと叩いた。私の理不尽な言い草をその身に受けながら、彼女はただ、されるがままに任せている。

「どうして司くんを振ったりなんかしたんですか? どうして」

「聞いていたのならわかるでしょう? 私にだって、好きな人はいるのよ」

「私、会長が好きだっていうその人が憎いです。その人がいなければ、会長は司くんと」

 白倉さんの顔に怒りがひらめいた。振り上げた私の手首をつかむと、彼女は私の身体をそのまま壁に押し付けた。背中に鈍い衝撃が伝わり、息が詰まる。

「馬鹿言わないで。あなたは金澤くんのためだと言い訳をして、自分の気持ちを殺してる。そんなの優しさでもなんでもない、ただの現実逃避よ」

「それじゃあ私、どうすればいいんですか。会長も誰かに片思いしているんですよね、どうやって解決すればいいんですか。いつものように教えてくださいよ」

「そんなの、私にだってわからないわよ! 解決なんか、何もしていない。環季、私が何でも知っているなんて思ったら大間違いだよ」

 そう言って白倉さんは、なおも抗おうとする私の身体を強く抱きしめた。

「それでも私は、環季にごめんって言うよ。それが今の私にできる精一杯だから」

 私は彼女の胸にうずもれたまま、声を上げて泣きじゃくった。私はいつからこんなに泣き虫になったのか。高三の一年間だけで、高二までの人生よりもはるかに多くの涙を流してきたに違いない。大切なものが一度に増えすぎて、私のキャパシティを越えた分がオーバーフローしているのだろう。そしてそのあふれ出したものすべてを、目の前の白倉さんが受け止めてくれている。
 ごめんなさい会長、いつも甘えてばかりの不甲斐ない書記で。でもあなたが悪いんですよ、だってこんなにいい匂いで私を包んでくれるんですから。



 やがて感情の嵐が過ぎてしまえば、その後には散乱したものを元に戻す作業が残されている。私はといえば、とにかく白倉さんの顔が見たくなった。恐る恐る顔を上げた私の鼻づらに、彼女がぐいっとハンカチを押し付ける。

「ほら、鼻水拭きなさいな。もう、私の制服にもつけちゃって」

「うう、すいません」

 彼女は苦笑しながら、子供をあやすように私の髪をなでた。

「環季。少し落ち着くために、現状を確認してみようか。あなたと私は、金澤くんとは事情が異なっている。私たち二人は彼とは違って、好きな相手にまだ告白できていないわけだからね」

「なんだか望みがあるような言い方ですけれど。まだ告白できていない、ではなくて、もう告白できなくなった、というのが正確なんじゃないですか?」

 司くんのことを独り占めしたい、彼に私だけを見てもらいたい。それが恋愛感情というものならば、失恋とは一方的な感情の押し付けに対する罰ということになるのだろう。しかし、司くんの特別な人になりたいという願いは果たして罪なのか。そうであれば、告白とは相手に許しを請うことなのか。それはまさに教会の告解室における懺悔ざんげにも似て、やはり外に吐き出さずにはいられない人間の本能なのだろう。

 だが問題を複雑にしているのは、司くんが好きになったのが白倉さんだった、というところだ。彼が白倉さんを好きになる気持ちも痛いほどわかるのだ、ほかならぬ私が彼女にべた惚れなのだから。司くんの相手のことを私が嫌いに思うか、少なくとも無関心であれば、ここまでの激情は起きなかったに違いない。

 それに加えて、もし白倉さんが、司くんだろうと他の誰かだろうと付き合うことになったとしたら、それに対しても受け入れがたい想いを自分が抱くであろうことは、想像に難くない。友達を取られる、などというと子供じみた嫉妬だと笑われるかもしれないが、それほどまでに私は、白倉さんと秘密を共有しているということを誇りにも支えにもしてきている。そんな状況で彼女が誰かと恋に落ちたりしたら、果たしてどうなるか。愛情より友情の方が優位だと思うほど、私は楽観主義者ではなかった。

 結局のところ、自分の欲望がブーメランとなって自分を苦しめているのだ。二人とも得たいと思って、二人とも失ってしまう。そんな予感と罪悪感におびえる私に、白倉さんはあくまでも優しく接してくれる。私はこんなにも自己中心的な奴なのに。

 彼女は身体を離すと、私の目を優しく覗き込んだ。

「環季は何か変なところで遠慮しているけれど、彼に告白できないなんて、そんなルールはないよ。金澤くんを観察していてわかった、彼には確かに見習うべき点がある。それは、言いたいことを言うのにためらわなくなったってこと。きっとそれは、あなたのおかげなんだろうけれどね」

「じゃあ、私は」

「金澤くんに告白することだね。そうしないと、環季は前に進めないよ」
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