ラジオの向こう

諏訪野 滋

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第八章 サマーバケーション

夏と言えば海、彼女が海と言ったら海

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「おい、姉貴。いい加減に起きろったら」

 汗で額に貼りついた前髪を払いながら、私はうっすらと目を開いた。この気温ならまだ遅くない時刻のはずだと、じんじんと痛む頭でぼんやりと考える。部屋の入り口に目を向けるとドアが少し開いていて、その隙間から弟のいらだった声が響いてくる。

「ん。ああ、陸。また勝手に私の部屋のぞいて、駄目だって言ったでしょ」

「ちぇっ、誰が好き好んで開けるかよ。まったく、ラジオ聞いてるか寝てるかで、いくら呼んだって返事もしねえし。それでいて文句ばっかり言うなよな」

「余計なお世話。夏休みなのに、なんで起こすのよ」

「俺が知るかよ、白倉先輩に直接聞けばいいじゃん」

 は? この話の流れで、どうして白倉さんが出てくる。私はベッドの上にがばりと起き上がると、寝ぼけた顔を慌ててこすった。

「もしかして、また会長がうちに来てるの?」

「ああ、今は玄関で母さんと絶賛談笑中だぜ。二人の声、聞こえるだろ?」

 時計を見ると、まだ八時を少し回ったくらいだ。私は着の身着のままで階段を駆け下りると、廊下の角から恐る恐る顔を出した。土間口で白倉さんと笑いあっていた母が、私の足音に気付くと振り返って手招きをする。

「あら、やっと起きたのね。莉子ちゃんが遊びのお誘いに来てくれたわよ」

 莉子ちゃん、ときたか。わが母ながら、初対面の生徒会長に対して実になれなれしい。そして当の白倉さんはといえばまんざらでもない様子で、上品な仕草で私に片手を振ったりなどしている。

「おはよう、環季。ちょうど、お母様にご挨拶させていただいたところよ」

 終業式の日にあんなことがあったのに、彼女の様子はいつもと変りなく見えた。いつまでも隠れているのがばかばかしくなって、私も手を振り返しながら、ぎこちない笑いと共に母の隣に立つ。わが校きっての有名人である白倉さんの訪問に舞い上がっているのだろう、母の饒舌じょうぜつぶりはとどまるところを知らない。

「莉子ちゃん、いつも話は聞いてるわよ。生徒会で環季が、あなたの足を引っ張ってない?」

「いえ、環季さんにはいつも助けてもらっています。受験生なのに生徒会に参加していただいて、ご両親には大変ご心配をおかけしますが」

 白倉さんもやはり大したもので、その受け答えも実に如才じょさいがない。さすが生まれながらの生徒会長にしてカリスマの権化、保護者受けも抜群である。

「とんでもない。受験なんて、莉子ちゃんが友達になってくれたことに比べれば些細なことだわ。これからもお願いするわね」

「お任せください。大切な娘さんは、この白倉が責任をもってお預かり致します」

 彼女は一体どういう立ち位置なのかと頭を抱えながら、私は白倉さんに質問してみる。

「あの、会長。今日はどういったご用件で?」

「あら、お母様の話を聞いてなかったの? 遊びに誘いに来たのよ。夏休みももう一週間過ぎたんだし、あなたなら夏休みの課題なんてとっくに終わっているでしょう?」

「それはそうですが」

「じゃあ一日くらい付き合ってくれても、何の問題もないわよね。よし、決まり!」

「別にいいですけれど、どこに行くんですか」

「夏に行くところ、それはもう海に決まってるじゃない。さあ、急いで着替えてきて。泳ごうってわけじゃないから、水着はどうでもいいわよ」

 決まっているのか。というか、私の意志に関係なく、すべてが彼女の既定路線であるように思えて仕方がないのだけれど。それにしても、私の妄想通りに白倉さんと二人きりで海にいけるなんて。そして彼女がその提案を私にしてくるということは、ひょっとすると。

「ほら。この前ラジオで、ゲストの方が出演したときの二択のコーナー、環季は聞いた? あなたは山派、それとも海派、というやつ。私は断然海、私が海と言ったら海。そこのところ環季、異論はないよね?」

 やっぱりあの時のラジオか。うーん、嬉しい。白倉さんは私と違って忙しいだろうに、貴重な時間を捻出ねんしゅつしてまでラジオを聴いてくれているんだなあ。万が一にもあり得ないけれど、彼女の成績が落ちたりなんかしたら、エルミタージュを教えてしまった私は責任を感じてしまう。

「そのコーナーなら、もちろん私も聞きましたよ。奇遇ですね、私も海派なんです」

「本当? 環季と同じなんてベリーグッド。というわけでお母様、今日一日環季さんをお借りしてもよろしいですか?」

「もちろんよ、どこへでも連れて行って」

 少し離れたところから成り行きを見ていた陸が、白倉さんの気を引こうとしたのか、話に割り込んでくる。

「いいなあ、姉さんは。俺も白倉先輩と海、行きたいな」

 白倉さんはにやにやしながら 弟の鼻先を軽く小突いた。

「あら、陸くんには可愛い彼女さんがいるでしょ。ごめんね、私、二股って嫌いなの」

「え、陸、彼女いんの⁉」

 私と母が同時に発した驚きの声をよそに、白倉さんは独り言のようにさらりと続ける。

「あの子、明るいスポーツ少女って感じでいいよねえ。同じC組の、えーと、あり」

 陸は両手で慌てて白倉さんをさえぎると、必死に弁解を試みた。

「ちょ、先輩、誤解ですって。あの子とは、部活でちょくちょく話しているだけで」

「ふーん。陸くんって、手をつなぐのが友情の証なんだ。変わってるわね、私も真似してみようかな」

「マジでやめてください……」

 馬鹿な奴め、白倉さんに情報を握られたが最後だ。やりすぎたと思ったのだろう、彼女はぺろりと舌を出した。

「ふふ。君が年上のお姉さんをからかったりするから、思わず反撃しちゃった。大丈夫よ、環季。陸くんの彼女さんは、佐藤鈴木高橋でいえば佐藤だから」

「何です、それ」

「数の多い苗字の順でグレードを表現してみたのだけれど、ぴんとこなかったかしら」

 へえ、田中が入っていないのが意外過ぎる。というか、どういう例えだ。

「別の表現をすれば、徳仁礼信義智における大徳ね」

「冠位十二階ですか、いよいよ分かりにくくなりましたね」

「もう、別にいいじゃない。それくらい陸くんの彼女さんはいい子だってことよ。だからお二人ともご心配なく」

 母は黙って私達をにこにこと見ている。ほかでもない白倉さんが太鼓判を押したからでもあろうし、そうでなくても、母はいつだって自分の子供たちを信頼してくれている。

「なんだか要領を得ないですけれど、とりあえず私も姉として安心しました。どうしたのよ陸、あんたやけにおとなしいじゃない」

 顔を赤らめて黙っている弟をつつきながら、我知らず口元がほころぶ。白倉さんの冗談はいつも、落ち込んでいる私を元気にしてくれる。

「おっと。早く準備してきなさいよ、環季。電車で福岡の市内まで行くわよ」

 まあ、海へ行くと言われた時点でそれは予想していた。内陸のここから海へ行くには、有明海を除けば福岡市へ出るのが一番近いのである。

「分かりました。大した服は持っていませんから、着替えで会長にお時間は取らせません。五分で支度してきます」

 自分が私服なんかいらないって言ったんじゃない、私が買ってあげてないみたいで恥かいちゃう、などとぶつぶつと文句を言う母をしり目に、私は自分の部屋に戻りかける。

「ゆっくり待っててあげるから、髪くらいはきちんとしてきなさいよ。寝起きのあなたも悪くはないけれどね」

 白倉さんにそう言われて、私は露出度の高い自分の姿に目を向けた。まあ今更恥ずかしがる仲でもあるまい、私は彼女のバスタオル姿まで知っているのだから。
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