ラジオの向こう

諏訪野 滋

文字の大きさ
上 下
32 / 45
第七章 セパレーション

タイム・ゴーズ・バイ

しおりを挟む
「ああ、もう! 高二までは環季といい勝負してたのに、どうしてよ!」

 白倉さんは椅子に座るや否や、リュックの中から期末試験の成績表を取り出すと、それを周囲に盛大にぶちまけた。

「まあまあ、私はサブ教科の芸術が良かったから」

 なだめる私を彼女は涙目でにらみつける。

「それを言うなら、期末の点数には体育も含まれているんだから、私に超有利なはずじゃない。それがどう、ふたを開けてみれば頼みの数Ⅱですら環季に負けるなんて。あなた明日から、私につきっきりで勉強教えなさい!」

「いや、会長に教えることなんて本当に何もない。誤差ですよ、誤差」

「誤差でこんなに差がつく? あり得ないったら」

 白倉さんはばんばんと机をたたいて駄々をこね続ける。この負けん気の強さが彼女の原動力なのだろうけれど、それを向けられた方はたまったものではない。

「ほ、ほら、見てください会長。三位の人なんか、こんなに離れてますって」

「三位なんかどうでもいい! 私は上にしか興味ないんだから!」

 だめだ、取り付く島もない。仕方がない、こういう方法は教育に良くないとわかってはいるのだけど。

「会長、ここだけの話ですけれど。試験お疲れさま記念に、冷蔵庫にケーキがありますよー」

 机に突っ伏していた白倉さんの耳がぴくりと動いた。

「え、マジ?」

「駅前のファンテーヌってケーキ屋さん、知ってます? モンブランのデラックスな方、奮発して買っちゃいました。これを食べたら、休み明けの課題テストでまた私とファイトする元気が出ますか?」

 彼女はがばりと身を起こすと、背筋を伸ばして私に現物を所望した。

「出る、出るともさ! さあ、君の話すところのモンブランとやらを、早くこの私に見せてくれたまえ」

 なぜにイギリスの某名探偵口調なのかといぶかしがりながら、私は備え付けの冷蔵庫から白い箱を取り出した。

「これはさすがに良心の呵責かしゃくに耐え兼ねましたので、私の自腹です。心して味わってください」

「もう、あなたって本当にできる書記だわ。どれどれ……おお凄い! 山というか、もはや花だよね、これは。本物の栗も丸ごと乗っかってるし」

「えへへ、実は私も食べるの初めてで。それじゃ、紅茶も入れましょうかね」

 白倉さんの喜ぶ顔に満足しながら棚からティーカップを取り出す私の背中に、彼女の笑いを含んだ声が聞こえてきた。

「へえ、それにしても」

 どきりとして振り向いた私の目に、好奇の色をたたえた白倉さんの瞳が映る。

「な、なんですか」

「きっちり三人分あるじゃない。ちょっと二人の間の空気が変わったような気もするんだけれど。あなたたち、何かあった?」

 白倉さんが言うあなたたちとは、すなわち私と司くんに他ならない。私は顔のほてりを鎮めるために、カップをわざと乱暴に机に並べた。

「何かって、何ですか! 司くんも期末試験だったんですから、ね、ねぎらってあげて、当然ではないですか」

「むきになるところが怪しい」

 かちーん。元はと言えば、白倉さんが男の子と二人きりで仕事に行かせりしたからじゃないか。知らない人と一緒なんて、ハードルが高いから嫌だって言ったのに。それに司くんと二人になったことについては、まったくの事故だったんだから。
 私は唇を尖らせると、白倉さんの目の前にあるケーキの皿を下げ始めた。

「そんな勘繰りをされるくらいなら、モンブランなんてない方がよかったですね。あートラブルの元だわ、さっさと片付けようっと」

 白倉さんは慌てて自分のケーキを両腕で抱え込んだ。

「ちょ、冗談よ。ただ、役員同士が仲良くしてくれるなら、それに越したことはないなって思っただけ。ほら、機嫌直して一緒に食べよ?」

「まったくもう。機嫌を損ねていたのは、私じゃなくて会長の方じゃないですか」

 私はため息をつくと、彼女のケーキの横に熱い紅茶を注いだカップを添えた。

 司くんとメルアドの交換をしたあの日の一件以降、私たちの関係が変わったかといえば、別に何も変わらなかった。つっけんどんだったり、嫌味を言って私をからかったり、たまに笑ったり、いつもの司くんだった。私の方も、知らんふりをしたり、皮肉で返したり、紅茶を入れてあげたり。その変わらない毎日が、私には嬉しかった。思い出になんてさせない、思い出にならないくらい当たり前の日常を一緒に過ごしてやるんだ。

 白倉さんはモンブランをフォークの先でちょいちょいとつつきながら、ぼそりとつぶやく。

「ところでさ、環季」

「なんですか」

「あなたの第一志望って、やっぱり九州帝大の医学部?」

 生徒会に入って三か月になるけれど、白倉さんと進路の話をしたのはこれが初めてだった。高三という私たちの立場を考えれば信じがたいことかもしれないが、お互いにその話題にあまり興味がなかったからなのか、あるいはなんとなく避けていたからなのか。

「まあ、そうですね」

「なるほど。あなたのお父様も、確かそうだったよね」

「さすがのリサーチですね。でも、父が卒業した大学だからというわけではなく、単に家から一番近い国立だから、というのが理由ですが」

 私はわざと的外れな答えを返した。面接試験で志望理由を聞かれて、家から近いからです、なんて答えたら、それこそ一発で落とされるに違いない。だが、ほかの答えはすぐには思いつきそうにもなかった。そして白倉さんは、やはりその先を聞いてきた。

「お医者さん、なりたい?」

「なりたいかと言われれば、よくわかりません。というか、なりたいものなんて今まであったのかな? ただ、私が身近で見たことがある職業がそれしかなくて」

「そっか」

 紅茶をかき混ぜる白倉さんは、どこか浮かない表情だ。こういう彼女は珍しい。あるいは、私の答えが期待外れだったせいなのかもしれない。それはそうだ、こんなふわふわした考えが彼女の参考になるわけがない。本当に私は役立たずだ。

「駄目ですよね、こういうのって。もっと、病気の人を助けたい、なんてきちんとした動機があればいいんですけれど。あれもできない、これもできないって言い訳ばかりしている私に、そんな資格があるのかな」

 白倉さんは紅茶に口をつけると、立ち昇る湯気越しに優しいまなざしを向けた。

「ううん。環季、お医者さんに向いていると思うよ」

「どこがですか。コミュニケーション能力には乏しいし、感情のコントロールがうまくないし。人の気持ちだって、やっぱりよくわからないし」

「だからいいんじゃない。あなたって、いつも一生懸命。悩んで、迷って、それでも少しでも相手とわかり合いたいって思ってる。あなたは人を信じることができるし、人に信頼される素質があるわ。それって、何よりも重要なことじゃない?」

 嬉しい。嬉しいんだけれど、白倉さんの言葉はあまりにも自分の認識とギャップがありすぎて。もっといい自分になりたいとは思っているけれど、何をどうしたらいいのだろう。

「やっぱりわかりません、自分では」

「早い話、そのままでいいってことだよ」

 白倉さんはさらりと言うと、モンブランとの格闘を再開した。人の心をさんざんかき乱しておきながら、おいしそうにケーキを頬張る彼女が小憎らしくなって、私も同じ質問を彼女にしてみる。

「で、会長はどうするんですか? 進路」

 取るに足らない世間話でもするように、彼女はぼんやりとした口調で答えた。

「どうしよっか。環季、決めてくれない?」

「何、冗談言ってるんですか。受験まであと半年なんですよ」

「冗談なんかじゃないわよ、本当に迷ってる。決まってるのは理系の学部ってことだけ」

 白倉さんは弱々しく笑った。これも、いつもの彼女にはないことだった。

「あの、ご両親はなんと?」

「やりたいことがないのなら、どの学部でもいいからとりあえず東京帝大に行っとけって。それなら就職でも留学でも選択枝が広いから、なんてうちの親は言ってるけれどね」

「まあ、合格できる実力があるのなら、間違いないのは東京帝大か九州帝大の医学部ですよね。うちの学校のトップレベルは、決まってどちらかですから」

「ふん。成績で進路を選ぶって、私には不純な動機に思えるけれどな。でも、学生が最高、なんて言ったら怒られるわよね。あー、一生ずっと生徒会長やっていたい」

 退屈に飽きたように、白倉さんは大きな伸びをした。その瞳も仕草もやはり猫そっくりである。こういう無防備な姿の彼女を独り占めできて、なんだかみんなに申し訳ない気分だ。

「ふふ、会長は変わってますね。私も会長は会長しか考えられないですけれど、そうも言っていられない時が来ますよね」

 もちろん浪人なんかごめんだけれど、でも、いつまでも受験が終わらなければいいのに。そんなことを考える自分は、やはり白倉さんに甘えているのだろうな。部屋の外に出たくない病が再発して、生徒会から出たくない病にランクアップしているのかもしれない。そんな私の横顔を見ていた彼女は、背もたれをぎしりときしませて天井を見上げた。

「でも、そうねえ。どうしても卒業しなきゃなんないっていうのなら、環季と一緒のところに行こうかな」

「え。会長も医学部に?」

「医学部はともかくとして。友達と一緒の学校に行きたいって、立派な理由にならない?」

 正気か、この人。大学だぞ、小学校じゃないんだぞ。

「そんな安易な。私、会長の人生を狂わせたくありませんよ」

「いいじゃない、自分で決めるんだから。どんな進路でも選べるようにと思って、私は勉強を頑張ってきたわけだし」

「その結果が私ですか。もっと自分を大切にしてくださいよ」

 私は頭を振ってため息をついた。私をからかって面白がるのは、彼女の悪い癖だ。そんな白倉さんは何を考えているのか、にこにこと笑っている。

「まあ出願は統一テストが終わってからだし、ぎりぎりまで考えておくかな」

 まったく、変な冗談ばかり言って。まあこれほどの余裕でいられるのも、どんな大学でも選べる優等生の強みというやつか。

「みんな受験でぴりぴりしてきてますから、誰かに聞かれでもしたら嫌味だって睨まれますよ。頭がいいっていうのも考えものですね」

「環季、あなたには言われたくないんだけれど。あ、成績のことを思い出したら、また納得いかなくなってきた。ちぇっ、モンブランで忘れてやる」

 どうして私のことになると、こうも子供っぽいのか。私は苦笑しながら、彼女のカップに紅茶を注ぎなおした。

「どうぞ、ゆっくり召し上がってくださいな」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。

矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。 女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。 取って付けたようなバレンタインネタあり。 カクヨムでも同内容で公開しています。

旧・革命(『文芸部』シリーズ)

Aoi
ライト文芸
「マシロは私が殺したんだ。」マシロの元バンドメンバー苅谷緑はこの言葉を残してライブハウスを去っていった。マシロ自殺の真相を知るため、ヒマリたち文芸部は大阪に向かう。マシロが残した『最期のメッセージ』とは? 『透明少女』の続編。『文芸部』シリーズ第2弾!

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

問い・その極悪令嬢は本当に有罪だったのか。

風和ふわ
ファンタジー
三日前、とある女子生徒が通称「極悪令嬢」のアース・クリスタに毒殺されようとした。 噂によると、極悪令嬢アースはその女生徒の美貌と才能を妬んで毒殺を企んだらしい。 そこで、極悪令嬢を退学させるか否か、生徒会で決定することになった。 生徒会のほぼ全員が極悪令嬢の有罪を疑わなかった。しかし── 「ちょっといいかな。これらの証拠にはどれも矛盾があるように見えるんだけど」 一人だけ。生徒会長のウラヌスだけが、そう主張した。 そこで生徒会は改めて証拠を見直し、今回の毒殺事件についてウラヌスを中心として話し合っていく──。

【完結】大江戸くんの恋物語

るしあん@猫部
ライト文芸
両親が なくなり僕は 両親の葬式の時に 初めて会った 祖母の所に 世話になる 事に……… そこで 僕は 彼女達に会った これは 僕と彼女達の物語だ るしあん 四作目の物語です。

日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~

海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。 そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。 そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

夏服と雨と君の席

神楽耶 夏輝
ライト文芸
葉山シンジは時々悪い夢を見る。 大切な人が亡くなる夢だ。 両親、親友はその夢の通りに亡くなった。 高2の初夏の事。 大好きな彼女が学校で血を流して死んでいる夢を見る。 なんとしても彼女を守りたい。 しかし、予知夢だなんて彼女はきっと笑って信じてくれないだろう。 シンジが取るべき行動は、一つだった。

処理中です...