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第六章 フラストレーション
圧迫面接
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そのお店は、駅にほど近いショッピングモールの一角にあった。昼食どきでもあり店の外までそこそこの列ができていたが、待ち人の多くが男女のカップルであることに私はどぎまぎしてしまう。司くんは眉をひそめると、私に小さく耳打ちした。
「予約してないんで、少し待つことになりそうですが。どこか別の店にします?」
そんな気遣いは無用なのに、と私は笑って首を横に振った。ただ空腹を満たすだけならば、ドラッグストアで栄養バーでも買えばいい。店に向かうのも順番を待つのも、こうして司くんと他愛のない会話をするのも、それらはすべて食事という一連のイベントに含まれているのだ。
「ううん。最初に思い付いたお店が、今の司くんの気分なんだよ。そういうのって、大事にした方がいいんじゃないかな」
司くんは目をしばたたかせると、取り出しかけた携帯をポケットに戻した。
「環季先輩、今まで僕が持っていたイメージと少し違いますね。時間を無駄にしたくないからここはパス、なんて言いそうな、もっとロジカルな人かと思ってました」
「頑固、という意味ではそうかもね」
「さすが。狂犬の異名は伊達じゃないな」
「もう、なによそれ」
私たちは後から来たいくつかの組に先を譲ってから、二階にある角の席へと案内された。司くんが、高所からの景色を私にも見て欲しい、とこだわったからだ。
運ばれてきた明太子パスタを口に運びながら、私たちは開放的な窓ごしに外を眺める。
「この店に来たら、できるだけ二階席で食べたいなって。ほら、駅前の広場やロータリーなんかが下に見えて、美味しさが増すっていうか。どうせ料金が一緒なんだから、っていうのは、ちょっとけちくさいですかね」
初めてのお店だから比較のしようもないけれど、確かに増しているのだろう。しかし私にとっては、景色だけがその要因ではなかった。彼が一緒にいてくれること、外の世界とつながっていることが、高二まで文字通り無味乾燥だった私の食事を、こうして本来の味というものに引き戻してくれている。母には申し訳ないと思う、彼女の料理が娘への愛情に満ちているのは十分にわかっていたから。ただ私の方に、それを味わえるだけの感受性が欠落していたのだ。
「連れて来てくれてありがとう、司くん。私、こんなに美味しいパスタ食べたことない」
「そうですか。そう言っていただけると、俺も嬉しいですが」
司くんは本心から喜んでいるように見えた。しかし私には、彼のその言葉にある種のうらやましさすら含まれているような気がして戸惑う。果たしてそんなことがあり得るのだろうか。司くんの目にもこの世界が、以前の私と同じようにモノクロに映っているなどということが。
「司くん。君はこのパスタ、美味しい?」
「もちろんですよ、環季先輩。どうしてですか」
「私、生徒会に入ってからの三か月で、見るもの聞くものすべてが新鮮なの。会長とおしゃべりしている生徒会室での時間は最高だし」
私は自分のパスタを、また一口と噛み締めた。
「こうして君と食べるパスタも最高」
司くんはフォークの動きを止めて、黙って私を見ている。
「それで、君はどう? 私と食べるパスタって」
この前喧嘩した時と同じように、彼はやはり慎重に言葉を選んでいるように見えた。私が司くんの心に近づこうとするのを敏感に察した、彼なりの防御反応なのかもしれない。
「独りで食べるよりも、ずっと美味しいです」
「それ、ほかの女の子にも言ってるんでしょ」
「そうですね」
違います、なんて言わないのが司くんのいいところだ。
「独りでいるのが嫌だから、誰でもいいからそばにいてほしいってこと?」
「極論、そういうことになりますか」
私はなぜか腹が立たなかった。独りでいるよりは私といる方がまし、とは言ってくれているんだ。これ以上、何を望む?
「独りは嫌いっていうけれど、君のそれは私のとはちょっと違うみたいね。独りぼっちっていうの、私は別に怖くはなかった。それは私が自分で選んだことだったからね。だけど、君は独りでいることを怖がってる。それはどうして?」
司くんはグラスに注がれたサイダーの泡がはじけるのをじっと見ていたが、やがてぎこちない笑いを浮かべた。
「考えすぎですよ、別に大した理由なんてありません。女の子がそばにいるって楽しいじゃないですか。いや、別に女の子じゃなくても、友達と馬鹿やったっていいし。ただの暇つぶしです」
「じゃあ、生徒会に入ったのも単なる暇つぶしなの? 会長と一緒にいるのも」
私はまだ半分ほども残っているパスタの皿を、机の端へと押しやった。
「私のことも」
いけない。これはもはや会話じゃない、私からの一方的な圧迫面接になってしまっている。けれど私は、自分の言葉を止めることがどうしても出来ない。
「暇つぶしっていう司くんの言葉、正確じゃないよね。何かを忘れたいための代替、なんじゃないの?」
司くんは、鋭い目つきで私を探るように見た。
「何かって、なんです」
「失恋とか」
司くんは一瞬驚いたようだったが、やがて声を押し殺して笑い始めた。
「まったく、何を言い出すかと思ったら。先輩に嘘は言えませんから正直に話しますけれど、俺、振られたことは一度もないですよ。振ったことはありますけれどね」
あれ、これは結構自信があったのだけれど。昔の彼女さんを忘れるために、別の女の子と遊ぶ。ありがちな話だと思ったのだが、私の見当違いだったのか。それでも私は、司くんのことを単なる軽い奴だとはどうしても思えないし、むしろそうであったならどんなにいいだろう、とまで考えてしまっている。しかしもはや、これ以上打つ手は私には何もなかった。
「そうなんだ。変なこと言って、ごめん」
「付け加えて言うなら、俺、今まで一度も女の子と付き合ったことないですし。つまり、告白したことないってことです。面倒じゃないですか、束縛したりされたりなんて。相手の子も、きっとそうだと思うんですが」
それはそれで、結構問題があると思うのだけれど。それとも、異性が二人きりで遊ぶという事に抵抗感を持つ私の方が、古いステレオタイプに囚われた時代遅れの人間なのだろうか。しかしいずれにしても、男女間に友情が成立するのかという命題に対しては、恋愛経験などまったくなく、かつ同性との友情ですらごく最近経験したばかりのこの私が語れるはずもない。今度白倉さんに会ったら、ぜひ彼女の意見を聞いてみたいものだ。そういえば、白倉さん自身には恋愛経験があるのだろうか? いつか、彼女と恋バナの一つも語れる日が来るのだろうか。
「へえ、君が女の子と交際したことがないなんて、とっても意外。まさか男の子としか付き合ったことがない、とかいう落ちじゃないでしょうね」
危険な方向へと進みかけていた会話をごまかすために、私はつまらない冗談を放つことでひとまず難を逃れようと試みた。そんな空気を読んでくれたのだろう、司くんも私のそれに同調してくる。
「もしそうだったら、それって落ちになりますかね。環季先輩には刺激が強すぎるのでは?」
「うそ。ひょっとして、司くんって」
おどけて身を引いた私に、彼は苦笑を返した。
「はは、もちろん冗談ですよ。誰とも付き合ったことがない、に訂正させてもらいましょうか。まあ、何の自慢にもなりませんがね」
不器用な私に合わせてくれる彼の優しさにひそかに感謝しつつ、私は精一杯の嫌味を言った。
「いいえ、立派な自慢になるわよ。なんたって、高二まで引きこもってたこの私と同じなんだから。これって、かなり不名誉なことだよね」
憮然とした表情の司くんを見て、私はくっくと笑った。
「予約してないんで、少し待つことになりそうですが。どこか別の店にします?」
そんな気遣いは無用なのに、と私は笑って首を横に振った。ただ空腹を満たすだけならば、ドラッグストアで栄養バーでも買えばいい。店に向かうのも順番を待つのも、こうして司くんと他愛のない会話をするのも、それらはすべて食事という一連のイベントに含まれているのだ。
「ううん。最初に思い付いたお店が、今の司くんの気分なんだよ。そういうのって、大事にした方がいいんじゃないかな」
司くんは目をしばたたかせると、取り出しかけた携帯をポケットに戻した。
「環季先輩、今まで僕が持っていたイメージと少し違いますね。時間を無駄にしたくないからここはパス、なんて言いそうな、もっとロジカルな人かと思ってました」
「頑固、という意味ではそうかもね」
「さすが。狂犬の異名は伊達じゃないな」
「もう、なによそれ」
私たちは後から来たいくつかの組に先を譲ってから、二階にある角の席へと案内された。司くんが、高所からの景色を私にも見て欲しい、とこだわったからだ。
運ばれてきた明太子パスタを口に運びながら、私たちは開放的な窓ごしに外を眺める。
「この店に来たら、できるだけ二階席で食べたいなって。ほら、駅前の広場やロータリーなんかが下に見えて、美味しさが増すっていうか。どうせ料金が一緒なんだから、っていうのは、ちょっとけちくさいですかね」
初めてのお店だから比較のしようもないけれど、確かに増しているのだろう。しかし私にとっては、景色だけがその要因ではなかった。彼が一緒にいてくれること、外の世界とつながっていることが、高二まで文字通り無味乾燥だった私の食事を、こうして本来の味というものに引き戻してくれている。母には申し訳ないと思う、彼女の料理が娘への愛情に満ちているのは十分にわかっていたから。ただ私の方に、それを味わえるだけの感受性が欠落していたのだ。
「連れて来てくれてありがとう、司くん。私、こんなに美味しいパスタ食べたことない」
「そうですか。そう言っていただけると、俺も嬉しいですが」
司くんは本心から喜んでいるように見えた。しかし私には、彼のその言葉にある種のうらやましさすら含まれているような気がして戸惑う。果たしてそんなことがあり得るのだろうか。司くんの目にもこの世界が、以前の私と同じようにモノクロに映っているなどということが。
「司くん。君はこのパスタ、美味しい?」
「もちろんですよ、環季先輩。どうしてですか」
「私、生徒会に入ってからの三か月で、見るもの聞くものすべてが新鮮なの。会長とおしゃべりしている生徒会室での時間は最高だし」
私は自分のパスタを、また一口と噛み締めた。
「こうして君と食べるパスタも最高」
司くんはフォークの動きを止めて、黙って私を見ている。
「それで、君はどう? 私と食べるパスタって」
この前喧嘩した時と同じように、彼はやはり慎重に言葉を選んでいるように見えた。私が司くんの心に近づこうとするのを敏感に察した、彼なりの防御反応なのかもしれない。
「独りで食べるよりも、ずっと美味しいです」
「それ、ほかの女の子にも言ってるんでしょ」
「そうですね」
違います、なんて言わないのが司くんのいいところだ。
「独りでいるのが嫌だから、誰でもいいからそばにいてほしいってこと?」
「極論、そういうことになりますか」
私はなぜか腹が立たなかった。独りでいるよりは私といる方がまし、とは言ってくれているんだ。これ以上、何を望む?
「独りは嫌いっていうけれど、君のそれは私のとはちょっと違うみたいね。独りぼっちっていうの、私は別に怖くはなかった。それは私が自分で選んだことだったからね。だけど、君は独りでいることを怖がってる。それはどうして?」
司くんはグラスに注がれたサイダーの泡がはじけるのをじっと見ていたが、やがてぎこちない笑いを浮かべた。
「考えすぎですよ、別に大した理由なんてありません。女の子がそばにいるって楽しいじゃないですか。いや、別に女の子じゃなくても、友達と馬鹿やったっていいし。ただの暇つぶしです」
「じゃあ、生徒会に入ったのも単なる暇つぶしなの? 会長と一緒にいるのも」
私はまだ半分ほども残っているパスタの皿を、机の端へと押しやった。
「私のことも」
いけない。これはもはや会話じゃない、私からの一方的な圧迫面接になってしまっている。けれど私は、自分の言葉を止めることがどうしても出来ない。
「暇つぶしっていう司くんの言葉、正確じゃないよね。何かを忘れたいための代替、なんじゃないの?」
司くんは、鋭い目つきで私を探るように見た。
「何かって、なんです」
「失恋とか」
司くんは一瞬驚いたようだったが、やがて声を押し殺して笑い始めた。
「まったく、何を言い出すかと思ったら。先輩に嘘は言えませんから正直に話しますけれど、俺、振られたことは一度もないですよ。振ったことはありますけれどね」
あれ、これは結構自信があったのだけれど。昔の彼女さんを忘れるために、別の女の子と遊ぶ。ありがちな話だと思ったのだが、私の見当違いだったのか。それでも私は、司くんのことを単なる軽い奴だとはどうしても思えないし、むしろそうであったならどんなにいいだろう、とまで考えてしまっている。しかしもはや、これ以上打つ手は私には何もなかった。
「そうなんだ。変なこと言って、ごめん」
「付け加えて言うなら、俺、今まで一度も女の子と付き合ったことないですし。つまり、告白したことないってことです。面倒じゃないですか、束縛したりされたりなんて。相手の子も、きっとそうだと思うんですが」
それはそれで、結構問題があると思うのだけれど。それとも、異性が二人きりで遊ぶという事に抵抗感を持つ私の方が、古いステレオタイプに囚われた時代遅れの人間なのだろうか。しかしいずれにしても、男女間に友情が成立するのかという命題に対しては、恋愛経験などまったくなく、かつ同性との友情ですらごく最近経験したばかりのこの私が語れるはずもない。今度白倉さんに会ったら、ぜひ彼女の意見を聞いてみたいものだ。そういえば、白倉さん自身には恋愛経験があるのだろうか? いつか、彼女と恋バナの一つも語れる日が来るのだろうか。
「へえ、君が女の子と交際したことがないなんて、とっても意外。まさか男の子としか付き合ったことがない、とかいう落ちじゃないでしょうね」
危険な方向へと進みかけていた会話をごまかすために、私はつまらない冗談を放つことでひとまず難を逃れようと試みた。そんな空気を読んでくれたのだろう、司くんも私のそれに同調してくる。
「もしそうだったら、それって落ちになりますかね。環季先輩には刺激が強すぎるのでは?」
「うそ。ひょっとして、司くんって」
おどけて身を引いた私に、彼は苦笑を返した。
「はは、もちろん冗談ですよ。誰とも付き合ったことがない、に訂正させてもらいましょうか。まあ、何の自慢にもなりませんがね」
不器用な私に合わせてくれる彼の優しさにひそかに感謝しつつ、私は精一杯の嫌味を言った。
「いいえ、立派な自慢になるわよ。なんたって、高二まで引きこもってたこの私と同じなんだから。これって、かなり不名誉なことだよね」
憮然とした表情の司くんを見て、私はくっくと笑った。
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