ラジオの向こう

諏訪野 滋

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第四章 ディスコミュニケーション

初めての友達

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 彼の言葉だけを残して閉じられた扉を見つめながら、腕を組んだ白倉さんがため息をついた。

「まったく。下級生が上級生に紅茶を毎日準備しろなんて、図々しいんだから。甘えるなって言ってやったらよかったのに、八尋さん」

 私は悲しい気持ちのままで、やはり扉を見ていた。

「もっと甘えろって、言ってやりたかったです」

 白倉さんはさじを投げたように両手を上げて、天井を仰ぎ見た。

「もう。あなたって私の前では満点なのに、どうして本人には言えないのかなあ。こういうのもやっぱり、内弁慶っていうのかしらね」

 私は鈍い頭痛を感じて、額に手を当てて目を閉じた。後悔の念だけが胸を焼く。

「駄目です、私。なんであんなこと、司くんに言っちゃったんだろう。会長も私のこと、嫌いになりましたよね」

「そんなわけないでしょ」

「私は、私が嫌いです。自分が他の人にいい影響を与えているとは、とても思えません。こんなことなら」

 真っ暗闇の向こうから、白倉さんの抑揚のない声が聞こえる。

「一人でいる方が、良かった?」

 私は、力なく首を振った。

「わかりません。でも、こんなはずじゃなかった」

 突然私は、顔を左右から挟まれる感触を感じた。驚いて目を開けると、私の両頬に手のひらを押しあてた白倉さんが、怒った目で私を見ている。

「言っとくけれどね。私はわがままで強欲だから、あなたを引っ張り出してごめんなさい、なんて謝ったりなんかしないわよ」

 彼女はそのまま私の両頬をつねる。冗談ではなく、本当に痛い。

「八尋さんの都合なんて、私の知ったことじゃない。あなたが必要だからここに呼んだ、ただそれだけ。どう、なんか文句ある?」

 それだけ強くつねってたら文句を言おうにも出来ないでしょうに、との私の心の抗議は今の彼女には通じそうにない。白倉さんは顔を赤くしながら、さらにまくしたてた。

「自分のことをうじうじと考えるくらいなら、私だけを見てろ。私のいう事だけをきいて、生徒会の仕事に集中してろ。どう、出来るよね!」

 涙目でうなずく私を見て、白倉さんはようやく指の力を緩めた。

「あー、興奮しすぎて過呼吸になりそう。私にここまで怒鳴らせたんだ、まったく大した才能だわ、あなた」

「びっくり、しました」

「え、何?」

「会長も、怒るんですね」

「この馬鹿、あったり前でしょうが! 私を何だと思ってるのよ!」

「上司、だと思っていました。けれど」

「けれど?」

「友達だと、思ってもいいですか?」

 こんな私のことで、心の底から怒ってくれる人がいる。拒絶でも無視でもなく。白倉さんは策士なんかじゃなかった、私に対してはとんでもなく不器用な人だった。損得を抜きにして正面から向き合ってくれる人を表すための言葉を、私はこれ以外には知らない。
 白倉さんは戻りかけていた顔を再び赤くして、硬直している。やがて彼女は咳ばらいを一つすると、窓の外を見ながらぶっきらぼうに答えた。

「ま、まあ。金澤くんだけじゃなくて、私にもあなたのことを環季って呼ばせてくれるのなら、友達になってあげてもいいわよ。もちろん公私混同はよくないから、二人きりの時だけにしておくけれど」

 明らかに照れている白倉さんがあまりに可愛らしくて、私は思わず笑ってしまった。それを見た彼女は、悔しそうにじたばたと悶える。

「なによ、八尋さん。本当にあなた、泣いたり笑ったり情緒不安定な人ね。嫌なら別にいいわよ、私はあくまで鬼上司の立場を貫くまでだから」

 私はお辞儀をして、笑いながら涙ぐんでいる自分の顔を彼女から隠した。うれし泣きというのは確かに情緒不安定だけれど、それは決して矛盾してはいない。

「とんでもない、ぜひ環季とよんでください。じゃあこれからは、そういうことで。よろしくお願いします、会長」

「え、あなたは私に対してそのままなの? 呼び方も、敬語も?」

「いいんです。友達を尊敬するのって、おかしいですか?」

「た、環季がそれでいいなら構わないけれど。でも私だって、あなたのこと尊敬してるわよ」

 さっそく私を下の名前で呼んでみた白倉さんは、まんざらでもなさそうだ。

「ありがとうございます。その言葉だけで、私は自分が嫌いじゃなくなります」

 白倉さんみたいな人が友達になってくれたんだ、私もきっと捨てたものじゃないはず。彼女にふさわしい奴になるんだ。自信を持て、八尋環季。

 腕を組みながら優しい瞳で私を見ていた白倉さんが、ずいっと身を乗り出した。

「それじゃあ、環季。友達になったしるしに、一ついいこと教えてあげようか」

「え、何でしょう」

「実は私ね、ずっと友達がいなかったんだ。だから環季が、私の初めての友達」

 白倉さんのそれは、私自身の言葉だった。小中と孤立を深めた挙句にこの学校に転入してきても状況が一向に好転せず、つい先日まで部屋に引きこもっていたラジオ少女の私と、全校生徒の七割以上の圧倒的な支持を得て生徒会長になった彼女。その二人の共通項が「友達がいない」というのは、全くなんの冗談だろう。
 けれど同時に、私は白倉さんの言わんとすることが、なんとなく分かる気がした。風のように颯爽さっそうと歩いている彼女は、いつも独りだった。誰も周囲にはべらせることなく、不可視のバリアを常にまとって。白倉さんはすべての生徒に対して、平等に距離を置いていた。

 勘の良い彼女は、押し黙っている私に努めて明るく手を振った。

「ドント・ウォーリー、別に不思議なことじゃないでしょ。顔が広いのと友達がいるのは、まったく別のことだから。あなたのご想像の通り、高二で生徒会長になると決めた時から、私は誰か特定の人と深くかかわることを避けて来たわ。さっきの金澤くんとの話じゃないけれど、そうなることで自分も友人も公平な立場でいられなくなるって思ったから」

「そんな。生徒会長って、そうまでして真剣にやるものなんですか? 友達がいなかった私が言うのもなんですが、高校生活の貴重な友人関係を犠牲にしてまで」

「私は真剣よ。そして生徒会長というのは、それだけの代償を払うに値する仕事だと思ってるわ」

 私は白倉さんの覚悟に圧倒されていた。彼女の孤独と引き換えに、拾われ救われてきた多くの生徒たちがいるに違いない。誰一人としてそれに気付くこともなく。白倉さんは決して祭り上げられたヒロインなんかじゃない、独りぼっちのヒーローなんだ。
 それなのに今になって、私を初めての友達として認めてくれるのだという。なぜだろう。高校生活が終盤に差し掛かり、急に人恋しさがつのったからなのか。私とのことは、単なる思い出作りなのか。
 絶対にそうじゃない。私は自分に置き換えて考えてみる。寂しさを埋めてくれるなら誰でもよかった、なんてあり得ない。友達が欲しいときにたまたま彼女がいたわけじゃない、彼女がそこにいたから友達になりたくなったんだ。
 私は哀願するように白倉さんを見た。彼女じゃなきゃだめなんだ、と白倉さんも私のことをそう思ってくれていたら、とても嬉しい。もっともそんなこと、恥ずかしくてとても口に出せたもんじゃないけれど。

 彼女から目線をそらさずに頑張っている私に、白倉さんが近寄ってきて耳打ちした。

「だから生徒会の手前、私とあなたが友達であることは、二人だけの秘密。正直私は、環季と友達になったことをみんなに自慢したい。けれど、そこはぐっと我慢するわ。あなたもそれでいい?」

「私、秘密は大好きです。それが会長との間でなら、特に」

 私と親しくなったから自分が堕落だらくしたなんて、白倉さんには絶対に思わせない。彼女を支えて、彼女の理想を追求していくんだ。今や白倉さんは、私だけのヒーローでもあるのだから。
 白倉さんは再び照れたように笑うと、ふわりと私をハグした。彼女って、何気にボディタッチが多い。ああ、やっぱりいい匂いだなあ。

「よし。お互いに元気になったところで、今日は解散。あと、環季と金澤くんとのことだけれど」

 白倉さんの表情は、いつもの会長のそれに戻っている。司くんの名前を聞いた私の胸の奥が、ちくりと痛んだ。

「大切なのは、とにかく話してみること。今日みたいに失敗したっていいのよ、後で後悔するよりはずっとね」

「怖いんです。私、人の気持ちが本当にわからない」

「彼、あなたのこと絶対に嫌いじゃないわよ。毎日紅茶を飲みに来る、って言ってたでしょ。あれってそういうサインじゃない、鈍感ねえ」

 そう言って笑う白倉さんに、私はむくれて見せた。

「毎日来るって、当たり前じゃないですか。司くんも生徒会の役員なんですから」

「はは、そりゃそうね。とにかく当たって砕けろの精神よ。がんばれ、悩める乙女」

 なんでそんな「恋の試し書き」みたいなアドバイスをするんだ。白倉さんは司くんのことで私を茶化すが、好き嫌いなんて次元ではなく、とにかくまずは関係を修復しなければならないのだ。
 恨めしそうな私の背にバックパックを無理やりに背負わせると、白倉さんは私のお尻をぱんと叩いて、生徒会室の外へと押し出した。
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