18 / 45
第三章 パーティシペーション
名前で呼ばせてもらいます
しおりを挟む
すっかり冷めたお茶を入れ直そうと、私は立ち上がりかけた。と同時に、部屋の扉がからりと開かれる。
「あ」
噂をすればなんとやら、ニット帽をかぶった長身の男子生徒が、入り口で黙って私たちを眺めていた。やはり表情には乏しいけれど、初めて会った時のような私たちを拒絶する雰囲気については、影を潜めているように私には思えた。白倉さんは私の顔をちらりと見ると笑って立ち上がり、そんな彼に快活に声をかけた。
「お帰りなさい、金澤くん。待ちかねたわよ」
お帰り、と白倉さんは言った。金澤くんが中学で生徒会長の職を全うして後の、久しぶりの生徒会活動に戻ってきたことに対する「お帰りなさい」なのだろう。
白倉さんのなにげない挨拶に、金澤くんは一瞬言葉に詰まったように見えた。笑顔を絶やさない彼女を彼は探るように見ていたが、やがて帽子を脱ぐと軽く頭を下げた。
「白倉会長、お世話になります。それに」
金澤くんは顔を上げると、かたずをのんで見守っている私へと向き直った。
「八尋先輩、でしたね。金澤です。一年間ですが、よろしくお願いします」
おお、見事にカウンターパンチを食らってしまった。初対面であれだけの悪印象を与えておいてからの、この素直な挨拶。私の反応を意地悪く楽しんでいるのではないかとすら勘繰ってしまうほどに。
「あ、あの、八尋です。た、環季と、呼んでいただいて構いません」
どもるのも構わず、私は勢いのままに言った。お茶を飲みかけていた白倉さんが、むせてごほごほと咳をする。
「ちょっと。なにテンパってるのよ、八尋さん」
金澤くんも、さすがに困惑した表情だ。
「どうしたんですか、いきなり。まさか、先輩を名前で呼び捨てになんてできないですよ」
「じゃあ。た、環季先輩で結構です。その代わり、私も金澤くんのこと、つ、司くん、って呼ばせてもらいます」
「待ってください、八尋先輩。どうしてそんなにお互いの呼び方にこだわるんですか」
「そ、その方が。君のこと、少しでも知ることが出来そうな、気がするから」
白倉さんは一瞬ぽかんとしていたが、すぐに目を輝かせると、私と金澤くんを交互に見比べている。金澤くんは私の言葉の意図をはかりかねていたようではあったけれど、そのしどろもどろの押しについに折れたようだった。
「……別に構いませんよ。ただし、先輩から俺への敬語はやめてください。組織ですからそういうのは大切ですし、部外者に聞かれたら変に思われますから」
そして彼は小さくため息をつくと、きまりが悪そうにリュックを担ぎなおした。
「それじゃ俺、人待たせてるんで。お先に失礼します」
金澤くんは私たちに一言もはさませることなく、現れた時と同じように風のように部屋を後にした。二人きりになった生徒会室で、私と白倉さんは憮然として顔を見合わせる。
「え、もう行っちゃいましたよ。ちょっと会長、いいんですか」
「まったくせわしないわねえ、せっかく入れてあげたお茶も手つかずだし。せめて、ポテトチップスくらい食べていけばいいのに」
ぴしゃりと閉じられた扉を眺めながら、白倉さんはふくれっ面だ。
「あの、会長。司くんは一体、何をしに来たんですか」
「挨拶、でしょうね。まあ、彼にしては上出来かな。それよりも八尋さん」
「なんでしょうか」
白倉さんはふふんと笑うと、横目で私を見た。
「あなた、結構やるわね。君のことを知りたい、なんて男の子を下の名前で呼んじゃったりなんかして。はた目にも初々しくて、私の方が思わずときめいちゃったじゃない」
「い、いや。私、そんなつもりじゃ」
「金澤くん、格好いいもんね。ちょっと気になる?」
「誰がですか! 彼、今朝も女の子と一緒に通学してましたし。しかも、終業式の時に会った高森さんとはまた別の女の子ですよ。私、軽い人は嫌いです」
私の告げ口に、白倉さんは眉を上げた。
「ん。金澤くん、女の子と一緒に登校してきたの? どんな子?」
「眼鏡をかけた、スレンダーな感じの。ああ、そういえば左の足が少し不自由だったような」
白倉さんは顎に人差し指を当てて考えていたが、やがてなぜか満足そうに笑った。
「ふうん、そうか。さすがは金澤くん、やることはしっかりやってるじゃない」
「なんですか、それ」
振り向いた彼女は、私の顔をいたずらっぽく覗き込んだ。
「いいこと教えてあげようか。金澤くんって、すごく真面目ないい子よ。私が保証する」
女の子をとっかえひっかえするような奴が真面目だなんて。たとえ白倉さんの保証付きであっても、こればかりは鵜呑みにするわけにはいかない。私は皿に残ったポテトチップスをまとめてかみ砕くと、帰り支度を始めた。とにかく新体制の生徒会はようやく始動したばかりである。まずは知ること、知ることだ。
同じくバックパックに荷物を詰めていた白倉さんが、思い出したように顔を上げた。
「そういえば、八尋さん。聴いてみたわよ」
「え、何をですか」
「決まってるじゃない、エルミタージュよ。石田さんってパーソナリティーの人、面白いわね。みやじーさんも、二人そろって頭いいし」
感動だ。やっぱり、ただの口約束じゃなかった。有言実行、白倉女史はやはり生徒会長の鑑である。
「そうなんですよ! 本当に聴いてくれたなんて、会長は最高です」
「やあね、おおげさな」
嬉しい。誰かとラジオについて楽しく会話ができるなんて、思ってもみなかった。
「それで会長。どのコーナーがお気に入りですか?」
ひょっとして、「恋の試し書き」のコーナーだったりして。白倉さんだって女の子なんだ、夢見る乙女であってもおかしくない。もしそうであれば、彼女と恋バナの一つでもしてみるのも一興かも。うーん、青春だなあ。
「それは、やっぱり」
「うんうん、やっぱり?」
「断トツで『ブリーフ・ブラジャーズ・ショー』のコーナーでしょ。あのタイトルって、往年の『プリーズ・ブラザーズ・ショー』のパロディだよね」
「え」
まさか。筋金入りのリスナーであるこの私ですら赤面する、あの下ネタのコーナーか?
「先週のネタ、八尋さん聞いた? すべての男は作詞・左曲家である、ですって! 石田さんが真面目な声で連呼するもんだから、もう、おっかしー。男の人ってみんな左に曲がってるのかしらね、あなた知ってる?」
そんなの、私が知るわけないだろうが。金澤くんがこの場にいなくて本当によかった。おなかを抱えた白倉さんは、思い出し笑いが止まらない様子だ。わからない、白倉さんのことが私にはさっぱりわからない。
「あの。年頃の女性の方には、『恋の試し書き』のコーナーなんて、いかがでしょうか」
「ん。それって、終わる直前の最後の奴? ごめん、その頃には私ってもう寝落ちしちゃってるんだよね。ああ、だから私はテストで八尋さんに勝てないのか。あなたを上回るためには、そこまで頑張って起きて聴くべきかなあ」
「……いえ、無理にとは申しません」
やはり白倉さんは、生徒会長の資質抜群だ。彼女に隠された天然の愛嬌ぶりは、私だけが知っている。
「あ」
噂をすればなんとやら、ニット帽をかぶった長身の男子生徒が、入り口で黙って私たちを眺めていた。やはり表情には乏しいけれど、初めて会った時のような私たちを拒絶する雰囲気については、影を潜めているように私には思えた。白倉さんは私の顔をちらりと見ると笑って立ち上がり、そんな彼に快活に声をかけた。
「お帰りなさい、金澤くん。待ちかねたわよ」
お帰り、と白倉さんは言った。金澤くんが中学で生徒会長の職を全うして後の、久しぶりの生徒会活動に戻ってきたことに対する「お帰りなさい」なのだろう。
白倉さんのなにげない挨拶に、金澤くんは一瞬言葉に詰まったように見えた。笑顔を絶やさない彼女を彼は探るように見ていたが、やがて帽子を脱ぐと軽く頭を下げた。
「白倉会長、お世話になります。それに」
金澤くんは顔を上げると、かたずをのんで見守っている私へと向き直った。
「八尋先輩、でしたね。金澤です。一年間ですが、よろしくお願いします」
おお、見事にカウンターパンチを食らってしまった。初対面であれだけの悪印象を与えておいてからの、この素直な挨拶。私の反応を意地悪く楽しんでいるのではないかとすら勘繰ってしまうほどに。
「あ、あの、八尋です。た、環季と、呼んでいただいて構いません」
どもるのも構わず、私は勢いのままに言った。お茶を飲みかけていた白倉さんが、むせてごほごほと咳をする。
「ちょっと。なにテンパってるのよ、八尋さん」
金澤くんも、さすがに困惑した表情だ。
「どうしたんですか、いきなり。まさか、先輩を名前で呼び捨てになんてできないですよ」
「じゃあ。た、環季先輩で結構です。その代わり、私も金澤くんのこと、つ、司くん、って呼ばせてもらいます」
「待ってください、八尋先輩。どうしてそんなにお互いの呼び方にこだわるんですか」
「そ、その方が。君のこと、少しでも知ることが出来そうな、気がするから」
白倉さんは一瞬ぽかんとしていたが、すぐに目を輝かせると、私と金澤くんを交互に見比べている。金澤くんは私の言葉の意図をはかりかねていたようではあったけれど、そのしどろもどろの押しについに折れたようだった。
「……別に構いませんよ。ただし、先輩から俺への敬語はやめてください。組織ですからそういうのは大切ですし、部外者に聞かれたら変に思われますから」
そして彼は小さくため息をつくと、きまりが悪そうにリュックを担ぎなおした。
「それじゃ俺、人待たせてるんで。お先に失礼します」
金澤くんは私たちに一言もはさませることなく、現れた時と同じように風のように部屋を後にした。二人きりになった生徒会室で、私と白倉さんは憮然として顔を見合わせる。
「え、もう行っちゃいましたよ。ちょっと会長、いいんですか」
「まったくせわしないわねえ、せっかく入れてあげたお茶も手つかずだし。せめて、ポテトチップスくらい食べていけばいいのに」
ぴしゃりと閉じられた扉を眺めながら、白倉さんはふくれっ面だ。
「あの、会長。司くんは一体、何をしに来たんですか」
「挨拶、でしょうね。まあ、彼にしては上出来かな。それよりも八尋さん」
「なんでしょうか」
白倉さんはふふんと笑うと、横目で私を見た。
「あなた、結構やるわね。君のことを知りたい、なんて男の子を下の名前で呼んじゃったりなんかして。はた目にも初々しくて、私の方が思わずときめいちゃったじゃない」
「い、いや。私、そんなつもりじゃ」
「金澤くん、格好いいもんね。ちょっと気になる?」
「誰がですか! 彼、今朝も女の子と一緒に通学してましたし。しかも、終業式の時に会った高森さんとはまた別の女の子ですよ。私、軽い人は嫌いです」
私の告げ口に、白倉さんは眉を上げた。
「ん。金澤くん、女の子と一緒に登校してきたの? どんな子?」
「眼鏡をかけた、スレンダーな感じの。ああ、そういえば左の足が少し不自由だったような」
白倉さんは顎に人差し指を当てて考えていたが、やがてなぜか満足そうに笑った。
「ふうん、そうか。さすがは金澤くん、やることはしっかりやってるじゃない」
「なんですか、それ」
振り向いた彼女は、私の顔をいたずらっぽく覗き込んだ。
「いいこと教えてあげようか。金澤くんって、すごく真面目ないい子よ。私が保証する」
女の子をとっかえひっかえするような奴が真面目だなんて。たとえ白倉さんの保証付きであっても、こればかりは鵜呑みにするわけにはいかない。私は皿に残ったポテトチップスをまとめてかみ砕くと、帰り支度を始めた。とにかく新体制の生徒会はようやく始動したばかりである。まずは知ること、知ることだ。
同じくバックパックに荷物を詰めていた白倉さんが、思い出したように顔を上げた。
「そういえば、八尋さん。聴いてみたわよ」
「え、何をですか」
「決まってるじゃない、エルミタージュよ。石田さんってパーソナリティーの人、面白いわね。みやじーさんも、二人そろって頭いいし」
感動だ。やっぱり、ただの口約束じゃなかった。有言実行、白倉女史はやはり生徒会長の鑑である。
「そうなんですよ! 本当に聴いてくれたなんて、会長は最高です」
「やあね、おおげさな」
嬉しい。誰かとラジオについて楽しく会話ができるなんて、思ってもみなかった。
「それで会長。どのコーナーがお気に入りですか?」
ひょっとして、「恋の試し書き」のコーナーだったりして。白倉さんだって女の子なんだ、夢見る乙女であってもおかしくない。もしそうであれば、彼女と恋バナの一つでもしてみるのも一興かも。うーん、青春だなあ。
「それは、やっぱり」
「うんうん、やっぱり?」
「断トツで『ブリーフ・ブラジャーズ・ショー』のコーナーでしょ。あのタイトルって、往年の『プリーズ・ブラザーズ・ショー』のパロディだよね」
「え」
まさか。筋金入りのリスナーであるこの私ですら赤面する、あの下ネタのコーナーか?
「先週のネタ、八尋さん聞いた? すべての男は作詞・左曲家である、ですって! 石田さんが真面目な声で連呼するもんだから、もう、おっかしー。男の人ってみんな左に曲がってるのかしらね、あなた知ってる?」
そんなの、私が知るわけないだろうが。金澤くんがこの場にいなくて本当によかった。おなかを抱えた白倉さんは、思い出し笑いが止まらない様子だ。わからない、白倉さんのことが私にはさっぱりわからない。
「あの。年頃の女性の方には、『恋の試し書き』のコーナーなんて、いかがでしょうか」
「ん。それって、終わる直前の最後の奴? ごめん、その頃には私ってもう寝落ちしちゃってるんだよね。ああ、だから私はテストで八尋さんに勝てないのか。あなたを上回るためには、そこまで頑張って起きて聴くべきかなあ」
「……いえ、無理にとは申しません」
やはり白倉さんは、生徒会長の資質抜群だ。彼女に隠された天然の愛嬌ぶりは、私だけが知っている。
76
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
旧・革命(『文芸部』シリーズ)
Aoi
ライト文芸
「マシロは私が殺したんだ。」マシロの元バンドメンバー苅谷緑はこの言葉を残してライブハウスを去っていった。マシロ自殺の真相を知るため、ヒマリたち文芸部は大阪に向かう。マシロが残した『最期のメッセージ』とは?
『透明少女』の続編。『文芸部』シリーズ第2弾!
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。
問い・その極悪令嬢は本当に有罪だったのか。
風和ふわ
ファンタジー
三日前、とある女子生徒が通称「極悪令嬢」のアース・クリスタに毒殺されようとした。
噂によると、極悪令嬢アースはその女生徒の美貌と才能を妬んで毒殺を企んだらしい。
そこで、極悪令嬢を退学させるか否か、生徒会で決定することになった。
生徒会のほぼ全員が極悪令嬢の有罪を疑わなかった。しかし──
「ちょっといいかな。これらの証拠にはどれも矛盾があるように見えるんだけど」
一人だけ。生徒会長のウラヌスだけが、そう主張した。
そこで生徒会は改めて証拠を見直し、今回の毒殺事件についてウラヌスを中心として話し合っていく──。
もう一度『初めまして』から始めよう
シェリンカ
ライト文芸
『黄昏刻の夢うてな』ep.0 WAKANA
母の再婚を機に、長年会っていなかった父と暮らすと決めた和奏(わかな)
しかし芸術家で田舎暮らしの父は、かなり変わった人物で……
新しい生活に不安を覚えていたところ、とある『不思議な場所』の話を聞く
興味本位に向かった場所で、『椿(つばき)』という同い年の少女と出会い、ようやくその土地での暮らしに慣れ始めるが、実は彼女は……
ごく平凡を自負する少女――和奏が、自分自身と家族を見つめ直す、少し不思議な成長物語
日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~
海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。
そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。
そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
夏服と雨と君の席
神楽耶 夏輝
ライト文芸
葉山シンジは時々悪い夢を見る。
大切な人が亡くなる夢だ。
両親、親友はその夢の通りに亡くなった。
高2の初夏の事。
大好きな彼女が学校で血を流して死んでいる夢を見る。
なんとしても彼女を守りたい。
しかし、予知夢だなんて彼女はきっと笑って信じてくれないだろう。
シンジが取るべき行動は、一つだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる