ラジオの向こう

諏訪野 滋

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第三章 パーティシペーション

名前で呼ばせてもらいます

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 すっかり冷めたお茶を入れ直そうと、私は立ち上がりかけた。と同時に、部屋の扉がからりと開かれる。

「あ」

 噂をすればなんとやら、ニット帽をかぶった長身の男子生徒が、入り口で黙って私たちを眺めていた。やはり表情には乏しいけれど、初めて会った時のような私たちを拒絶する雰囲気については、影を潜めているように私には思えた。白倉さんは私の顔をちらりと見ると笑って立ち上がり、そんな彼に快活に声をかけた。

「お帰りなさい、金澤くん。待ちかねたわよ」

 お帰り、と白倉さんは言った。金澤くんが中学で生徒会長の職を全うして後の、久しぶりの生徒会活動に戻ってきたことに対する「お帰りなさい」なのだろう。
 白倉さんのなにげない挨拶に、金澤くんは一瞬言葉に詰まったように見えた。笑顔を絶やさない彼女を彼は探るように見ていたが、やがて帽子を脱ぐと軽く頭を下げた。

「白倉会長、お世話になります。それに」

 金澤くんは顔を上げると、かたずをのんで見守っている私へと向き直った。

「八尋先輩、でしたね。金澤です。一年間ですが、よろしくお願いします」

 おお、見事にカウンターパンチを食らってしまった。初対面であれだけの悪印象を与えておいてからの、この素直な挨拶。私の反応を意地悪く楽しんでいるのではないかとすら勘繰かんぐってしまうほどに。

「あ、あの、八尋です。た、環季と、呼んでいただいて構いません」

 どもるのも構わず、私は勢いのままに言った。お茶を飲みかけていた白倉さんが、むせてごほごほと咳をする。

「ちょっと。なにテンパってるのよ、八尋さん」

 金澤くんも、さすがに困惑した表情だ。

「どうしたんですか、いきなり。まさか、先輩を名前で呼び捨てになんてできないですよ」

「じゃあ。た、環季先輩で結構です。その代わり、私も金澤くんのこと、つ、司くん、って呼ばせてもらいます」

「待ってください、八尋先輩。どうしてそんなにお互いの呼び方にこだわるんですか」

「そ、その方が。君のこと、少しでも知ることが出来そうな、気がするから」

 白倉さんは一瞬ぽかんとしていたが、すぐに目を輝かせると、私と金澤くんを交互に見比べている。金澤くんは私の言葉の意図をはかりかねていたようではあったけれど、そのしどろもどろの押しについに折れたようだった。

「……別に構いませんよ。ただし、先輩から俺への敬語はやめてください。組織ですからそういうのは大切ですし、部外者に聞かれたら変に思われますから」

 そして彼は小さくため息をつくと、きまりが悪そうにリュックを担ぎなおした。

「それじゃ俺、人待たせてるんで。お先に失礼します」

 金澤くんは私たちに一言もはさませることなく、現れた時と同じように風のように部屋を後にした。二人きりになった生徒会室で、私と白倉さんは憮然ぶぜんとして顔を見合わせる。

「え、もう行っちゃいましたよ。ちょっと会長、いいんですか」

「まったくせわしないわねえ、せっかく入れてあげたお茶も手つかずだし。せめて、ポテトチップスくらい食べていけばいいのに」

 ぴしゃりと閉じられた扉を眺めながら、白倉さんはふくれっ面だ。

「あの、会長。司くんは一体、何をしに来たんですか」

「挨拶、でしょうね。まあ、彼にしては上出来かな。それよりも八尋さん」

「なんでしょうか」

 白倉さんはふふんと笑うと、横目で私を見た。

「あなた、結構やるわね。君のことを知りたい、なんて男の子を下の名前で呼んじゃったりなんかして。はた目にも初々しくて、私の方が思わずときめいちゃったじゃない」

「い、いや。私、そんなつもりじゃ」

「金澤くん、格好いいもんね。ちょっと気になる?」

「誰がですか! 彼、今朝も女の子と一緒に通学してましたし。しかも、終業式の時に会った高森さんとはまた別の女の子ですよ。私、軽い人は嫌いです」

 私の告げ口に、白倉さんは眉を上げた。

「ん。金澤くん、女の子と一緒に登校してきたの? どんな子?」

「眼鏡をかけた、スレンダーな感じの。ああ、そういえば左の足が少し不自由だったような」

 白倉さんは顎に人差し指を当てて考えていたが、やがてなぜか満足そうに笑った。

「ふうん、そうか。さすがは金澤くん、やることはしっかりやってるじゃない」

「なんですか、それ」

 振り向いた彼女は、私の顔をいたずらっぽく覗き込んだ。

「いいこと教えてあげようか。金澤くんって、すごく真面目ないい子よ。私が保証する」

 女の子をとっかえひっかえするような奴が真面目だなんて。たとえ白倉さんの保証付きであっても、こればかりは鵜呑みにするわけにはいかない。私は皿に残ったポテトチップスをまとめてかみ砕くと、帰り支度を始めた。とにかく新体制の生徒会はようやく始動したばかりである。まずは知ること、知ることだ。

 同じくバックパックに荷物を詰めていた白倉さんが、思い出したように顔を上げた。

「そういえば、八尋さん。聴いてみたわよ」

「え、何をですか」

「決まってるじゃない、エルミタージュよ。石田さんってパーソナリティーの人、面白いわね。みやじーさんも、二人そろって頭いいし」

 感動だ。やっぱり、ただの口約束じゃなかった。有言実行、白倉女史はやはり生徒会長のかがみである。

「そうなんですよ! 本当に聴いてくれたなんて、会長は最高です」

「やあね、おおげさな」

 嬉しい。誰かとラジオについて楽しく会話ができるなんて、思ってもみなかった。

「それで会長。どのコーナーがお気に入りですか?」

 ひょっとして、「恋の試し書き」のコーナーだったりして。白倉さんだって女の子なんだ、夢見る乙女であってもおかしくない。もしそうであれば、彼女と恋バナの一つでもしてみるのも一興かも。うーん、青春だなあ。

「それは、やっぱり」

「うんうん、やっぱり?」

「断トツで『ブリーフ・ブラジャーズ・ショー』のコーナーでしょ。あのタイトルって、往年の『プリーズ・ブラザーズ・ショー』のパロディだよね」

「え」

 まさか。筋金入りのリスナーであるこの私ですら赤面する、あの下ネタのコーナーか?

「先週のネタ、八尋さん聞いた? すべての男は作詞・きょく家である、ですって! 石田さんが真面目な声で連呼するもんだから、もう、おっかしー。男の人ってみんな左に曲がってるのかしらね、あなた知ってる?」

 そんなの、私が知るわけないだろうが。金澤くんがこの場にいなくて本当によかった。おなかを抱えた白倉さんは、思い出し笑いが止まらない様子だ。わからない、白倉さんのことが私にはさっぱりわからない。

「あの。年頃の女性の方には、『恋の試し書き』のコーナーなんて、いかがでしょうか」

「ん。それって、終わる直前の最後の奴? ごめん、その頃には私ってもう寝落ちしちゃってるんだよね。ああ、だから私はテストで八尋さんに勝てないのか。あなたを上回るためには、そこまで頑張って起きて聴くべきかなあ」

「……いえ、無理にとは申しません」

 やはり白倉さんは、生徒会長の資質抜群だ。彼女に隠された天然の愛嬌ぶりは、私だけが知っている。
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