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やりたくない事をやり続ける事の大切さを創価学会の活動の中で学んだ
しおりを挟むやりたくない事をやり続ける事の大切さを創価学会の活動の中で学んだ。
それとともに、やりたくない事をやり続ける事に時間を費やすのは、時間がもったいない事にも気付いた。
人のために時間を使うことも大事だろうけど、歳を重ねるごとに、自分のために時間を使う事が一番大事じゃないかと思うようになった。
①聖教新聞の配達。
僕は、2005年1月に東京で一人暮らし始めて、同年3月か4月あたりに、
日曜日だけ聖教新聞の配達を始めた。
平日配る人を正配と言い、日曜日だけ配る人を代配と言う。
やがて、日曜日だけじゃなく、土日の配達になった。
僕は、当時は土日休みの仕事ではなかったので、
土日が仕事の時は、朝に新聞配達をしてから、会社に出勤する事もあった。
また、正配の人が体調不良の時は、平日に配ることもあった。
聖教新聞の新聞配達は結構なプレッシャーで、配るのが遅かったり、
間違えて配ってたりすると、正配の人に連絡がいったりするので、
自分のせいで、正配の人に迷惑がかかるというプレッシャーの中で、
新聞配達をやってました。
そのプレッシャーのせいもあって、朝に勝てるようになった。
聖教新聞の配達が、朝に勝つきっかけになったのは確かです。
聖教新聞の配達は25歳~36歳までやってたので、11年間やりました。
もう、30代前半くらいには、新聞配達辞めたいと思ってたので、
辞めたい辞めたい、もういいだろうと思いながら、
11年間やり続けました。
②牙城会
牙城会とは、簡単に言うと会館の警備です。
年間スケジュールが決まっていて、決められた日に会館に着任する。
平日着任する時は、僕は仕事の有休をとっている。
牙城会は、福岡にいた頃に2度面接を受けていた。
2回とも面接の場でやりたくないと言い、2回とも面接で怒られた。
東京来てからも、牙城会の面接を受けて、あっさり牙城会になった。
牙城会になったのは2005年か2006年なので、今年か来年あたり15年になる。
信濃町の学会本部を担当する本部担当も、2年間やっていた。
プレッシャーが半端なくて、正直2年しか持たなかった。
ちょうど仕事のストレスで急性胃腸炎になってた時期とも重なり、
体調が最悪だったので、本部担当は体力的にもきつかった。
牙城会に関しては、班長という役職もついていて、
ほぼ情報伝達とかの事務的な役割を行なってます。
牙城会の目的は、信仰を持って会館の着任を通して、来館者に対する心遣いを学ぶことを通じ、社会人として成長することを目的としてます。
牙城会には、こういうものがあります。
【牙城会の永遠の3指針】
信念の人
努力の人
忍耐の人
【牙城会のテーマ】
厳護
常識
実践
【牙城会の実践5項】
一、唱題根本
一、絶対無事故
一、時間厳守
一、誠実な応対
一、正確な連絡
学会の会館警備を行う中で、これを実践できる人間になろうというもの。
会員さんが利用する会館なので、時間厳守は絶対。
会員さんと接したり、電話対応もあるので、誠実な応対が必要。
情報の伝達や引き継ぎなどもあるので、正確な連絡も必要。
会館に予定通り着任できないといけないので、
そこにちゃんと着任できるように、仕事も勝負しないといけない。
そこは使命感というか責任感というか。
信念の人、努力の人って、そういう事ですね。
時間厳守、誠実な応対、正確な連絡。
これは、絶対無事故には必要不可欠なもので、
仕事に通じる部分でもあります。
会館着任の中でこういう事を実践していきながら、
仕事でも社会でも、こういう事を実践していき、
社会人として模範になりなさいというわけです。
実際問題、この牙城会で培ってきたものが、仕事に活きてるのは確かです。
こんなの当たり前の事じゃないかと思うだろうけど、
社会は意外に当たり前の事が当たり前にできない人が多いのです。
ここまでは、まるで良いことのように書いてきましたが、
正直、新聞配達も牙城会も、やりたくなくて続けてきたものです。
確かに、新聞配達も牙城会も、今の自分の基盤になってるものです。
この基盤があるから、社会で仕事で信頼を得られてるのは確かです。
だからといって、やりたくない事をやり続ける事が、
果たして本当に良い事なのかどうか。
自分がここまで成長できたのは、新聞配達のおかげ、牙城会のおかげ。
もし、そうだとしても、じゃあ他の人も僕と同じ事をやった方がいいのか。
それは、僕には分からないし、やった方がいいとは断言できないです。
自分にとっては必要だったかもしれないけど、人にとっても必要かどうかは、
その人にしか分からない事なので、自分が決める事でもない。
やりたい人がやればいい。
やりたくない人はやらなきゃいい。
それは自分で決める事であり、人がいろいろ言う事じゃない。
その人の人生は、その人が決めればいい。
ただ、僕は一つ思う事があります。
僕が創価学会の中でバリバリの活動家だった時は、
新聞配達も牙城会の着任も、そこまで苦痛じゃなかった。
なぜなら、使命感があり、やる気があったから。
そういう意味では、自分との戦いではなかった。
創価学会の活動をしなくなってから、会合に出なくなってから、
新聞配達をやったり、牙城会の着任をする方が、
自分との戦いだったと思う。
やりたくてやってることは、戦いんじゃないんです。
やりたくなくてやってる方が、戦いなんです。
そういう意味では、僕は活動しなくなってからの方が戦ってる。
でも、僕はその戦いは、必要のない戦いだと思っている。
苦痛を感じながらやると、必ず辞めたくなるし、続けられなくなるから。
物事を持続させるには、苦痛というものはあっちゃいけないものなんです。
だから僕は、やりたくない事をやり続ける事が正しいとは思わない。
最後に、正確な連絡と絶対無事故って、切っても切り離せない関係だと思う。
特にマスコミを見てると、とても情報発信のプロフェッショナルとは思えないほど、一般人の素人と変わらないほど、情報発信があまりに雑すぎる。
なぜ、正確な連絡が必要なのか?
正しい情報を伝達しないと、人々が混乱して事故が起きるからです。
間違った情報を伝える事で、人々が間違った対応をして事故が起きるからです。
これは、マスコミに限らず、どの仕事にも共通して言えると思う。
情報の整理をする事、正しい情報を伝える事は仕事の基本です。
正しい情報を伝える。
何が正しいのか情報を整理したうえで伝える。
情報を伝えるスピードは確かに大事だけど、正しい情報である事が大前提。
情報を伝える事は、早ければいいというものではない。
なぜ、そこまでの対応が必要なのか。
正しい情報を伝達しないと、人々が混乱して事故が起きるからです。
間違った情報を伝える事で、人々が間違った対応をして事故が起きるからです。
つまり、情報というのはそれくらい重い責任が付きまとうんです。
少なくとも僕は仕事で、情報の伝達によって、人の行動や判断が変わる事を、
たくさん経験してきたので、情報というものに対しては慎重に扱います。
ところがマスコミは、正しい情報かどうかも確認せず、
情報の整理すらせず、見切り発車的に雑な情報の伝え方をして、
自分達が情報発信のプロフェッショナルじゃないといけないという自覚もなく、
仕事の基本中の基本である、自分の仕事に責任を持つこともせず、
そんな仕事のやり方で、世の中を振り回してるのだから、とても厄介です。
こんなマスコミに、人々が振り回されるのは、とても愚かです。
マスコミを信用しちゃいけないと、多くの人に知って欲しいし、
マスコミの情報は、全て疑って欲しいと思うくらいです。
もう、マスコミの情報なんて見なくてもいいくらい。
今は、専門家とか、知識人の言ってる事を、自分で調べられる時代なので、
マスコミの情報じゃなく、そういった専門分野の人達の情報を調べにいって欲しいです。
マスコミによって、人々の生活が、人々の人生がめちゃくちゃにされる事を、
僕は危惧している。
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