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音楽活動やライブスタイルは、自分のやり方を貫き通す!
しおりを挟むTwitterやFacebookで、ライブはこういうふうにやるべきとか、音楽はこういうふうにやるべきみたいな投稿を見るたびに、正直僕は面倒くさいなって思う。
あくまで僕の個人的な考え方の問題だけど、音楽っていろんな文化の中でも、一番『自由』と『多様化』が受け入れられてきたものだと思うんですよね。
だから、現代でもいろんなジャンルの音楽に触れることができ、いろんなスタイルで唄う人達がいるわけです。
その恩恵を受けて、僕らは好きなアーティストと出会う事ができ、好きな音楽を聴くことができ、僕自身が音楽活動ができるようになったわけです。
それなのに、その恩恵を受けている人達が、『こうじゃなきゃいけない』みたいなものを言うのって、僕は変だなって思うんです。
僕らも、多様なものと自由を受け継ごうよって思うんです。
僕も、いろんな否定をされてきた人間です。
楽器が弾けなくて、オケ音源で唄うことに対して、カラオケだったら、わざわざライブ出ずに、カラオケ行けよって言われる事もあった。
でも、僕は敢えて歌一本にしてきた。
ギターはコードを指で押さえるところで、心が折れた。
ピアノは、片手でなら弾けたけど、右手と左手で違うところ押さえるのが無理ってなった。
僕は、靴紐が結べないレベルの超手先が不器用な人間。
普段の休日で履いてる靴は、マジックテープだし。
僕は、作業系が基本的に苦手で、超不器用。
子供の頃から、技術・家庭科は全然ダメだったし。
できないものはできない!
出来る事だけに全力を注ぐ。
できないものが中途半端にできても、歌も中途半端になってしまう。
だったら、唄うことに全力を注げる方がいい!
だから僕は、自分の出来る事に全力を注ぎたくて、歌一本にした。
その代わり、歌唱力を兼ね備えるボーカルじゃないといけないと思った。
声量もあって、実力派ボーカルじゃないといけないと思った。
そうじゃないと、歌一本にした意味がないから。
歌詞を見て唄うのも、いろいろ言われた。
一時期までは、僕も歌詞を見ずに唄ってました。
チャゲアスや徳永英明ばかり唄ってた時は、歌詞を見ずにステージで唄ってた。
特にチャゲアスは、実家にいる頃からたくさん聴いたし、自然に歌詞が記憶されていったんですよね。
覚えようと思ったんじゃなく、たくさん聴くうちに自然に覚えていった。
だから、歌詞見なくても唄えてた。
歌詞を見るようになったのは、みんなが知ってるような曲を唄うようになってから。
普段がチャゲアスばかり聴いてたので、他の曲の歌詞が覚えられないっていう。
僕はとにかく暗記が苦手という事もあり、学校のテスト勉強とかも、覚えるための勉強の仕方って、ダメだったんですよね。
だから、勉強しても、頭に残らないから、テストも良い点取れなかった。
社会は得意で、毎回80点台~90点台だったけど、僕は歴史とかの年表はダメだったんですよ。
僕が社会の点が良かったのは、テレビの影響が大きかったんです。
日本地理は、高校野球で身についた。
世界地理は、オリンピックで身についた。
紹介とかがあったからね。
歴史は、そういうテレビ番組もあったし。
公民は、政治家の討論番組とか、政治関連の番組は子供の頃から好きで見てた。
僕の学力って、学校の授業じゃなく、自分の好きなものに触れてる中で、自然に身についたんですよね。
そういう感覚だったから、大人になってからも、会社のテストはなかなか合格できなかった。
自分の中では、たくさん勉強したつもりでも、テストのための覚えるための勉強は、全然頭に入らなかった。
だから、歌詞も覚えられなかった。
全く覚えられないわけじゃないです。
僕自身が、歌詞見て唄った方がマシだなって感じることがあったんです。
歌詞を間違えるのは、まだいいんです。
歌詞が思い浮かんでるから。
歌詞を忘れてる時が、ヤバイんです。
何も思い浮かばなくて、頭真っ白になって、その曲に後悔が残るんです。
すると、その日のステージは、モヤモヤが残ったまま、スッキリしないまま終わってしまうんです。
スッキリしない終わり方が、一番嫌なんです。
モヤモヤが残るステージって、一番嫌なんです。
だから僕は、歌詞見てでも、思い切り最後まで全力で歌いきれる方がいいと思った。
しかも、ライブって唄うの一曲だけじゃないから。
一曲だけだったら、その曲だけに集中すればいいから、覚えられなくもない。
でも、5曲前後唄うわけです。
それプラスMCで喋る事とかも、考えておくわけです。
あとは、ギリギリまでちゃんと覚えられてたのに、本番のステージに立った時に忘れたり、MCで喋ってる間に、歌詞が飛んじゃったりとか。
MCも歌詞も、本当にちゃんと覚えてやろうとすると、不器用な僕は頭がごちゃごちゃになって、訳分からなくなるんですよ。
僕は、そんな頭良くないから、余計にダメになる。
僕は特に、いろんな事を考えちゃう人間なので、複数の事を考えると、だいたい全部ダメになる。
しかも、毎回違う曲唄うから、歌い続ける中で歌詞を覚える感じにならなくて。
毎回同じ曲を唄うと、飽きられると嫌だなって思うから、飽きられないようにするために、基本違う曲を唄うようにしてるわけです。
たまに、以前唄った曲を唄ったりもするけど、全く同じセットリストにする事は、基本的にないので。
だから、僕は思うんです。
ステージに立つと、いろんな事を言われ、人の基準にしてるものに、自分が当てはまらない時に、僕のスタイルを否定されても、その人は僕のことを知らないから、そういう人の言う事は聞き流そうと。
僕が、聞く耳を持っていい意見って、自分のことをよく知ってくれてる人の意見か、自分にとって都合の良い意見だけでいいと思うんです。
それくらい割り切った方がいいと思う。
特に今は、いろんな情報が簡単に入ってきちゃうから、自分を基準にしてないと、頭おかしくなっちゃう。
他人の価値観とか、他人の基準で、いろいろ意見されても、正直面倒くさいですよ。
これは、音楽活動だけじゃない。
自分の生活、自分の人生、自分の生き方においてもそうです。
自分が好きでやってる事は、自分の好きなやり方、自分のやりたいようにやるからこそ、好きでいられるんですよ。
自分の好きな事でも、他人の価値観を基準にされると、好きでいられなくなるんです。
だから僕は、ステージに立つ人、音楽活動をやってる人は、自分の好きなやり方、自分のやりたいやり方を貫いた方がいいと。
途中で、自分で何かを感じて、何かに気付いたなら、自分のタイミングで、変えればいいと思うんです。
自分の事情は他人は知らないから、自分の事情を知らない人間に何か言われても、自分だけにしか分からない事があるって、自分を貫いた方がいいと思う。
特に音楽は、個性が大事だから。
もし、嫌なツイート見た時に、反省するのだとしたら、ダメだったところを考えるよりも、ダメだったところをかき消すくらいの、良いインパクトが与えられなかった事を、反省した方がいいと思う。
良いインパクトが強いと、小さなミスって正直そんなに残らないんですよ。
良いインパクトが弱いから、ダメな部分が目立っちゃうので。
だから僕は、自分のできる事、自分の得意な事を伸ばした方がいいって思っちゃうんですよ。
音楽やってる人とか、音楽に詳しい人って、完璧を求めるじゃないですか?
完璧じゃないといけないと思っちゃうじゃないですか?
でも、完璧な人とか一流の人よりも、何かが足りない人の方が、実は人に勇気を与えることができるんですよ。
完璧な人とか一流の人って、あの人は特別だからとか、あの人だからできてるって思われちゃうんです。
遠くに見られちゃうんです。
何か足りない人、何かが欠けてる人の方が、あの人ができてるんなら、自分もできるんじゃないか?あのやり方なら自分もできるんじゃないか?自分もやってみようかな?ってなりやすいわけです。
それって、自分の存在によって、人を動かしてるってことなんです。
それが、人に勇気を与えてるってことになるわけです。
当然、自分のレベルアップ・自分を成長させる事は、必要だとは思うんです。
だけど、それは人に言われてじゃなく、自分で感じて、自分で気付いて、やれるようになった方がいいです。
自分でやり始めた事なら、なおさら!
昔、よく言われたことがあります。
『君にしか救えない人がいる!』
『君にしか勇気づけられない人がいる!』
『君だからこそ与えられる勇気がある!』
『君にしかできない笑顔の与え方がある!』
これは、きっと全ての人に共通して言える事だと思う。
自分にできる事。
自分ならできる事。
自分がやりたい事。
自分のやりたいやり方。
自分のやりたいスタイル。
これは、誰かに何を否定されても、ブレてはいけないと思う。
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