エメラルドの空

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森を守る魔女

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昔々、あるところに、
ふたつの国がありました。

ひとつは、ラメルグレイ。ここは森に囲まれている国で、魔法使いがたくさん住んでいます。
その為、ラメルグレイは、魔法の国と呼ばれていました。

もうひとつは、エメラグレイ。ここにはたくさんの人が住んでおり、皆、魔法が使えません。
その為、エメラグレイは、平和の国と呼ばれていました。

なぜ平和の国かって?
それは、魔法という存在が、平和を脅かす物と言われているからです。

平和の国、エメラグレイの人々は、魔法を操る人間や生き物の存在するラメルグレイが、恐ろしくて仕方がありませんでした。
それも無理はありません。なぜなら、ラメルグレイの魔法使い達は、エメラグレイの人々が理解できないことを行ってしまうのですから。

ラメルグレイの魔法使い達は、エメラグレイの人々を仲良くしたいと思っていましたが、自分たちを過剰に恐れるエメラグレイの人々の姿を見て、仲良くすることを諦めました。

エメラグレイの人々は、魔法というものを、この世から無くしたいと思っていました。

エメラグレイに住む人々は力を持っていました。
それは、たくさんの人の数でした。

エメラグレイに住む人々は、平和の国の名の下に、平和を揺るがす存在とする魔法使い達を次々と捕まえました。

一人の魔法使いを、大勢で。

一匹の魔獣を、大勢で。

こうして、エメラグレイの人々は、ラメルグレイにはびこっていた魔法というほとんどの存在を、打ちのめしてしまいました。

エメラグレイに住む人々は、口を揃えて言いました。

「ああ、やっと、平和が訪れた」

「これでもう、安心だ」

ラメルグレイに残った一人は言いました。

「ああ……寂しいよう……」





森の中で一人、パンを食べる。
少女は暖かな木漏れ日の中、植物や精霊と会話をしながら、お昼ご飯を楽しんでいました。

少女の名前は、ロルノ。この森に住む、ラメルグレイの魔法使いです。
彼女はエメラグレイの人々から逃げ、ラメルグレイに住んでいた生き物たちに守られて生き延びた、寂しい魔法使いでした。
エメラグレイの人々は、魔法を纏った植物の存在は知りません。ましてや、精霊を目で確認することもできません。
そのため、ロルノは、ラメルグレイに唯一残った生き物たちである、植物と精霊たちと、会話することしか出来ませんでした。
たくさんの仲間達が居なくなってしまいましたが、ロルノは植物や精霊との会話で、寂しさを紛らわしていました。

「ねえ、花の精霊さん。私、エメラグレイの人たちから逃げるの、もう疲れちゃったわ」

ロルノは、傷でボロボロになった真っ黒のマントを見ながら、そう言いました。
すると、木漏れ日に紛れて、ふわふわと柔らかいの光が集まって、その場で一つになって、ロルノの周りを漂い始めました。彼女は、花の精霊です。光から、花の良い香りがしました。暖かな声が聞こえます。

「そんな。諦めちゃ駄目よ、ロルノちゃん。あなたは今まで、たくさんの人たちに守られてきたじゃない」

「そうだけれど……どうして、私なの?」

ロルノはわかりませんでした。どうしてそこまで自分のことを、命をかけてまで、皆が必死に守ってくれたのか。
それには理由がありました。

「キミは、この国を守る使命があるんだよ」

木漏れ日を作っていた、まだ若い木が、ロルノの背後からそう言いました。

彼の言う通り、ロルノはこのラメルグレイを守っていました。
何故ならロルノは、ラメルグレイで最も強い魔力を持っており、その上、悪いことには一切使わないという、優しい心の持ち主だったからです。
国を魔法で守るためには、優しい心と、強大な魔力をもった魔法使いにしか出来ないことでした。

でも、ロルノはまだ小さな女の子です。彼女を育てる存在が居なければ、彼女はただの、寂しい少女でした。
彼女の周りで生き残った仲間達は、人間の子供を育てることは出来ませんでした。植物たちは自ら動くことも出来ないし、精霊は魔法の使い方を知りません。

「精霊さん達が、この森を守ってあげれば良いんじゃない?
植物さん達も、長い間この森に住んでいるのだから、私よりも詳しいはずよ」

花の精霊は、困った顔をしました。彼女の放つ光の中から、困ったような香りがしたからです。

「ロルノちゃんのためならそうしてあげたいけれど……私たちは魔法が使えないの。ごめんなさいね」

ロルノの後ろで、若い木も、呆れたように笑いました。木の葉をざわざわと鳴らしながら、笑ったのです。

「ボクたちも魔法は使えないし、なんて言ったって動けないからね。
ボクたち植物は、自然に身を任せることしか出来ないのさ」

そんな、花の精霊や木の言葉を聞いて、ロルノは肩を落として、ため息をつきました。
この森を守るのは、選ばれた人だけが、ただ森に住み続けるしかありません。
しかし仲間がいなくなったロルノにとってそれは、とても寂しく、怖いことでした。

でも、彼女には一人だけ、同じ魔法使いの友達がいました。

彼女が、エメラグレイにしか売っていないパンを、この森の中で食べられる理由。
それは、エメラグレイに住む魔法使いのおかげでした。

「ロルノ! 遊びに来たよ!」

「クラン!」

元気に森に入ってきた少年は、クラン。
彼はエメラグレイに売っているパンを買って、いつも森にいるロルノの元へ遊びに来る、ロルノの友達です。
彼もロルノと同じ魔法使いですが、彼はずっとエメラグレイで過ごしています。
何故なら、彼が、エメラグレイを守る魔法使いだからです。彼もロルノと同じように、優しい心と、強大な魔力をもった魔法使いでした。
ですが、その事を秘密にしながら、エメラグレイで過ごしています。
ロルノよりも危険な状態に居るのは、明らかでした。
それでもクランは、ロルノに心配させないように、いつも笑顔を絶やさずにいました。

「今日もパンを持ってきたよ。あと、チョコレートもあるよ!」

クランはいつもの様に、満面の笑顔で、両手に持ったカゴの中身をロルノに見せました。

「いつもありがとう、クラン。でも、いいの? エメラグレイに住んでいる人が森に来たら、怪しまれちゃうわ」

クランはロルノに心配させないようにしているつもりでも、ロルノはいつも、エメラグレイの人々のことを気にしていました。

「ロルノは心配性だなぁ。大丈夫だよ。今まで一度も見つかったことないんだから」



この世界には、国がふたつ。
そして、たくさんいた魔法使いも、二人だけしかいませんでした。





ある日、ロルノがいつもの様に森でお昼寝をしていると、突然バイオリンの音が聞こえてきました。
その音は迷いがなく、とても綺麗でした。

一体誰が奏でているのでしょうか。
植物達は楽器を弾くことは出来ませんし、精霊たちは楽器を弾いたとしても、こんなにハッキリした音は出せません。
かと言って、クランがバイオリンが弾けるなんて、聞いたこともありませんでした。

ロルノはこのバイオリンの音が気になって、音を頼りに、歩き始めました。

右の方……左の方……もっと左……

歩き進める毎に、音がどんどん近くに聞こえてきます。
しかし、ロルノが慎重に歩き過ぎたせいで、バイオリンの曲が終わってしまいました。
もう音は、全く聞こえません。

ロルノはがっかりして、ため息をついて、ボソリと呟きました。

「もっと聞いていたかったな……」

ロルノは諦めて、お昼寝していた場所に戻ろうとしました。

するとその時、後ろの方から、誰かの歩いてくる音がしました。
ハッとして振り返ると、そこには、ロルノと同じくらいの背丈の男の子がいました。

彼は、エメラグレイに住む男の子でした。

「なんだお前、俺のバイオリンが聞きたいのか?」

男の子は少し低い声で、不思議そうに聞きました。

「う、うん。とても綺麗な音だなと思って」

ロルノは男の子の腕を褒めたつもりでしたが、男の子は不服そうにしています。
何故なら、彼が褒められたのは、これが初めてのことだったからです。

彼はエメラグレイの名高いバイオリニストの一人息子でした。
毎日毎日練習ばかりで、同学年の友達と遊ぶことさえ許されませんでした。
今日も、誰もいない静かな森へ、一人で練習するために来たのでしょう。
彼の母親は特に厳しく、男の子はとても上手に弾けても、母親は一度も彼を褒めたことがありませんでした。

「どうしてお母様は嘘をつくの? こんなに迷いの無い音色、とても素敵よ」

「嘘なんかじゃないよ。俺が下手なだけだ」

彼は全く笑いませんでした。
バイオリンを、自ら好きでやっているようには思えません。

「バイオリンは、楽しい物じゃないの?」

ロルノはまた質問をしました。男の子の感情の無いような顔が、より一層暗くなりました。目つきも鋭く、眉間にシワがよっています。

「わからない。昔、母さんが楽しそうにバイオリンを弾いている姿を見て、俺も始めたのに……最近は、なんのためにここまで練習しているのか、わからなくなってきたんだ」

ロルノは彼のことを心配しました。このままだとまるで、バイオリンを弾く操り人形のようになってしまうのではないか、と思ったからです。
でも、彼女はその対策法がわかりませんでした。彼の母親に申し出る事も出来ません。そんなことをして、もし自分が魔女だとばれてしまったら……。

ロルノがそんなことを考えていると、男の子は思い出したように話し出しました。

「お前、こんな森に居て良いのか? 魔法使いに食べられちまうぞ」

そんな男の子の言った言葉に、ロルノはとても驚きました。
そう、エメラグレイには「魔法使いは人を食べてしまう」と言う噂まで流れていたのです。
しかし本当は、魔法使いはそんなことしません。魔法使いはただ、魔法という力を身に纏っているだけなのです。
ロルノはその事をいち早く伝えようと、焦り気味で返しました。

「魔法使いは、人なんか食べないわよ!」

「えっ?」

急に大きな声を出したロルノに、男の子はきょとんとしました。どうやら男の子は、ロルノの事を魔法使いでは無く、エメラグレイの人だと思っているようです。

「……! ……なんでもないわ。気にしないで」

ロルノは決まりが悪くなり、マントの傷をいじりながら俯きました。
その姿に、男の子は不思議そうにロルノを見つめ、そして顔を覗き込みました。
ロルノは顔を赤くして驚きましたが、それよりも驚くことを、男の子は言いました。

「……お前の目、よく見たら、すごく綺麗な色をしてるんだな」

「えっ?」

今度はロルノの方がきょとんとしてしまいました。
何故なら、ロルノは今まで一度も、そんなことを言われたことが無かったからです。

「綺麗な金色だ。宝石みたいだ。あっ、金なら、宝石では無いか。あはは」

「もう、ずるいわ。私は自分の目を自分で見ることが出来ないのに」

二人はいつの間にか、すっかり仲良くなっていました。

「そういえば、あなたはなんていう名なの? 私は、ロルノよ」

「ロルノ、か。不思議な響きだな。俺は、ゲアンだ」

バイオリンの音色が綺麗だと、初めて言われたゲアンと、
瞳の色が綺麗だと、初めて言われたロルノ。
二人はエメラグレイの人間と、ラメルグレイの魔法使い。
対を成す関係のはずなのに、二人はどこか、似ている所があるようです。


「また明日、ここに来るよ」

「本当? 楽しみ! またバイオリン、聞かせてね」

「ああ。ロルノも暗くなる前に、家に帰れよな」

「……ええ、そうね」

ゲアンは笑顔で手を振って、小走りで森を去っていきました。新しく出来た友達が嬉しくてたまらないのでしょう。
それに対して、つい先程までこちらも笑顔だったロルノは、今は少し引きつった笑顔で、ゲアンに手を振り返していました。

ロルノは、嘘をつく事が嫌いです。
嘘をつけば、誰かが必ずどこかで、傷付くからです。
でもロルノは、自分が魔法を使う魔女である事を秘密にしなければ、ロルノ自身が痛い目に会うことになってしまいます。

「この森が家だなんて、ゲアンには絶対に言えない。ましてや、私が魔法使いだなんて……」

ロルノはゲアンの姿がすっかり見えなくなった小道をぼうっと見つめながら、ひとつ、ため息をつきました。


それからゲアンは、次の日も、またその次の日も、ロルノに会うために森へ向かいました。

二人はたくさんの話をしていくに連れて、どんどん仲良くなりました。
お互いの好きなもの、嫌いなもの、好きな事、嫌いな事、ほとんどを分かり合えるようになりました。
……ひとつの秘密だけは、秘密のまま。

ロルノはいつの間にか、クランと会う回数よりも、ゲアンと会う回数の方が多くなっていました。
何故なのでしょう。今までは、森の仲間達となんてことの無い会話をして、クランに会って、美味しい食べ物を食べて、ゆっくり、月に見守られながら夜を過ごす……。それだけで、幸せを感じていのに。
ロルノはゲアンに会う日が楽しみで楽しみで、彼に会わない日があると、どんなに美味しい食べ物を食べたとしても、心がもやもやしたままなのです。ロルノの中では、魔法使いと人間という壁がある事すら、忘れかけていました。


それから数年が経ちました。
ゲアンは背がうんと伸び、前よりも凛々しい顔立ちになって、ロルノはふわふわの長い髪と、金色の瞳を飾る長いまつ毛が魅力的な、とても美しい女性になりました。
ゲアンはバイオリンの腕も相当なものになり、たくさんの可愛い女の子から声をかけられるようになりました。
しかしゲアンは、ロルノ以上に好きになれる女の子はいませんでした。


いつもと変わらない、木漏れ日の中。
この日は少し暑い日でした。
優しい風は木の葉を揺らし、そして、森に向かう一人の青年の汗を、乾かしていきます。

「ロルノ! 今日はお日様が張り切っているよ」

ゲアンは、笑顔でロルノに手を振ります。
彼はもう、子供の頃のような暗い表情はしません。まるで、北風から太陽になったようでした。

「ええ。木漏れ日がとても眩しいわ」

ロルノはゲアンに向かって優しく微笑んで、細い指先でそっと、木漏れ日を撫でました。
彼女は一切汗をかかず、今でも相変わらず、傷でボロボロになったマントを羽織っています。
それに対して、涼しそうな服を着たゲアンはふくれっ面をして、首にかかったタオルで顔の汗を拭きます。

「ロルノはいつも木陰の中だから、外の暑さを知らないんだな。そろそろ、出てみてもいいんじゃないか?
……あ、ロルノ、日に焼けるのが嫌なんだっけ」

「そーよ。外に出る話はしないって、何度も言ってるじゃない」

「あはは、ごめんごめん」

そんな会話をすると、ゲアンは座っていたロルノのそばに来て、隣に腰を下ろしました。
それから一つ、深呼吸をしました。ゲアンはいつも、森に来ると一度は必ず、深呼吸をします。ゲアンにとって、この森はとても落ち着くことが出来る場所だからです。

しばらくして、ゲアンはロルノの目を見ました。金色の美しい目が、輝いています。瞬きする度に大きく動く、長いまつげ。彼女はもう、子供ではありません。
ゲアンはそれに、見とれてしまいました。「なに、見つめているの?」とロルノが彼に話しかけると、彼はハッと我に返るのです。それから彼は照れくさくなって、誤魔化すようにはにかみ笑いをしました。

ゲアンがそのときに向けた顔の先には、ロルノの、細くて綺麗な手がありました。すると彼は、そっと、彼女の腕をすくい取りました。彼女は不思議そうな顔をしています。
彼はロルノの白い手の甲をしばらく見つめ、一度、視線を彼女の金色の目に移してから、少し微笑んだかと思うと、彼女の左手の薬指に、唇を、そっと落としました。

顔を赤く染めて驚くロルノに、ゲアンは今までにない程、真剣な表情をしました。
そして、深く息を吸って、とても優しい声で言いました。

「ロルノ。……俺と、結婚してくれないか」

「……えっ!?」

ロルノはさらに驚いて、金色の美しい目を、めいっぱい見開きました。
ゲアンはそんなロルノの目を真っ直ぐに見つめています。

ゲアンには見えていませんが、そこにいた若い木々や精霊達も、ゲアンの一言で、ロルノと一緒にとても驚いていました。木の葉をざわつかせたり、木漏れ日の中に紛れて、慌てふためいています。

ロルノは右手で口元を覆いながら、そっと瞼を閉じて、更に頬を赤く染め、俯きました。森林の色に包まれているおかげで、その赤が、とても目立ちます。

それから少し経って、ロルノが少しだけ震えた声で、ゲアンに言いました。

「私は……ここを離れられないのよ。結婚式も、できないじゃない……」

「構わないさ。……それなら、ここで式を挙げよう。それから、俺たち二人、ここでずっと暮らしていこうよ」

ゲアンは両手で、ロルノの左手を掴みました。ロルノはそっと、ゲアンの手の上に、右手を添えます。
お互いに、とても温かい手をしていました。

「ゲアン……。……私がどんな人でも、ずっと、愛してくれる……?」

「ああ……もちろん」

「どんなに人に嫌われようとも、私の事を、信じてくれる……?」

「大丈夫さ。……俺たち、ずっと一緒にいるだろう?
お前の好きな物や嫌いな物、可愛いところ、勇ましいところ、そして、誰よりも優しい心の持ち主だって事、俺は知ってるんだから」

「ゲアン……。愛しているわ……。ありがとう……」

ひとつの秘密を残したまま、深い緑の奥で今、
対を成す二人の唇が、触れ合ったのでした。



しかし、二人の幸せは、長く続くものではありませんでした。

魔法使いと人間の恋は、許されなかったのです。




「ねえ、最近全然、僕と会ってくれないじゃないか」

金色の冷たい目でそう言ったのは、エメラグレイを守る魔法使い、クランでした。
夜空を覆う厚い雲で月が見えなくなった、真っ暗な森に、クランがロルノに会いにやって来たのです。
ロルノはそんな彼を少し怖いと思いながらも、平静さを見せながら、ゆっくりと、クランに応えました。

「……私はこの森を出られないのよ」

いつも使う言葉です。ゲアンにも、何度だって言いました。
しかし、クランの目は更に冷たくなります。

「そういう事じゃない。僕は何度だって君に会いに来た。それなのに……森には、立ち入れない魔法がかかっていた。君の魔法だ。……何故、魔法をかけた」

そう。彼の言う通り、ロルノは森に魔法をかけていました。
ゲアンがロルノに会いに来ている、その時だけ……誰も、森に立ち入ることが出来ない魔法がかかっていたのです。
しかしこれは、ロルノがクランを嫌いになった訳ではありません。
エメラグレイの人々に存在を知られてはいけないクランと、魔法使いを恐れているゲアンを、決して会わせてはいけないと考えていたからです。

ロルノは正しい選択をしました。しかしそれが、クランの目には、良いように映らなかったようです。

「……私にも、一人になりたい時だってあるわ」

クランから目をそらしながら、ロルノはそう言いました。
こう言えば、クランも納得してくれると思ったのです。

しかし、そうはいきませんでした。

「いい加減にしてくれ!」

張り上げたその声が森に響いたとき、眠っていた森の精霊たちや植物たちは驚いて、目を覚ましてしまいました。
その起きた瞬間を感じ取ったロルノは、ぞくりと、嫌な気配を全身で感じ取りました。
森が、ざわめき始めます。

「そんなの、言い訳に過ぎないだろ。俺は知ってるんだ。
……お前、人間をここに連れてきているんだろ」

「……!」

ロルノは、目を見開きました。心臓が、嫌な音を立て始め、指先が震えます。

「どうして、それを……」

「俺に知られたくないことなんて、それくらいしか思い当たらないよ」

低い声のクランは、ロルノに歩み寄ります。
月明かりを背にした彼が、ロルノには恐ろしくて仕方ありませんでした。

あんなに、信頼していた友達だったのに。

「来ないで!」

ロルノは思わず、叫んでしまいました。そんな彼女の言葉に、クランはとても驚いています。
クランは戸惑いました。彼女を襲うつもりはなかったようです。

しかしその時、ざあっと、森全体が、怒りを持ち始めました。
森は、彼女の味方だったようです。

「……ロルノ!?」

森は、“彼”を呼びました。

「……ゲアン!?」

エメラグレイの人間、ゲアンです。

魔法を纏った植物たちが、森というひとつの存在になって、ひとつの魔法を使ったのです。
それは、人を呼び寄せる魔法。
きっと、ゲアンを使って、ロルノを守ろうとしたのでしょう。
普通、植物が魔法を使うことは難しいのですが、どうやら、森に居る植物たちの全員が同じ気持ちになったその時にだけ、ひとつの魔法が使えるようです。

突然森に現れたゲアンを見たロルノは、とても驚いていました。
無理もありません。植物が魔法を使う事なんて滅多にありませんし、彼が夜の森に、わざわざ来ることは無かったのですから。

クランは、ゲアン人間の姿を目にした瞬間、目つきが変わりました。
それは、恐怖でも、怒りでもない……。
感情の見えない、殺意で出来た目でした。
クランは、自分の存在を、エメラグレイの人間に知られてはいけないのです。
見られてしまっては仕方が無いと、人間である彼を、殺してしまおうと考えたのでしょう。

ロルノはそんなクランの目つきにいち早く気付いて、ゲアンの元へ駆けつけました。ゲアンはクラン魔法使いが居ることに、まだ気付いていません。

「ゲアン……ッ!!」



ドスッ



鈍い音が、森に重く響きます。

ゲアンがクランの存在に気付いた時にはもう、ロルノが目の前で倒れていました。
命の助かった彼は目を見開き、息を呑みました。
そしてもう一人、息を呑んだ、魔法使い。

「ロルノ……どうして」

倒れた彼女と同じ色の瞳を持った男は、ひどく動揺して、手に持っていたナイフを落としました。
落ちたナイフは月の光に照らされ、ナイフの先に付いた、鮮やかな赤を目立たせました。

「彼は……私の…………大切な……人」

ロルノは息も絶え絶えに、必死で伝えました。その声は、泣いているようにも聞こえました。
そんな声を聞いたゲアンは、怒りに震えました。

「魔法使いめ……よくも……よくも、俺のロルノを……!!」

ゲアンはすぐに、首に提げていた小さな笛を取り出し、思い切り強く吹きました。
とても不快な音です。彼の奏でるバイオリンとは、雲泥の差といえる程です。
その笛の音が森に響き渡った瞬間、また別の音が、遠くの方から、こちらに向かって来るように響き始めました。

それは……人の、走ってくる音。
大勢の、人の音。

「……!!」

クランは魔法を使う間もなく、一気に人に囲まれ、捕まってしまいました。
笛の音を聞きつけたエメラグレイの人々が、森へやってきたのです。

エメラグレイの人々は、今までにたくさんの魔法使いを打ちのめしても、まだ、魔法使いを警戒していました。もし魔法使いを見つけたら、国が作った、決まった音の出る笛を鳴らし、他の人間達に知らせようと、計画立てていました。
そしてその音を聞いた人間達は、そこに居る魔法使いを捕まえる為に、音を頼りに、その場所へと集まるのです。
大勢の、人の力で。

クランが捕まえられても、次々とエメラグレイの住人達が集まってきます。
これが、魔法の国ラメルグレイを破壊した、平和の国エメラグレイの力なのです。

「でかしたぞ、ゲアン。これは国から褒美がたんと貰えるだろうな。ガッハッハ!」

そんな一人の男の言葉に、ゲアンも誇らしそうにしました。そして、側で倒れていたロルノを運んで欲しいと、集まった仲間達にそう言おうとした時、ゲアンは足元を見て、言葉を失いました。

さっきまでそこに居たはずのロルノが、いないのです。
まるで最初から居なかったかのように、血の付いたナイフさえも、そこにはありませんでした。
気を利かせた誰かが、運んでくれたのでしょうか。しかし仲間達の方を見ても、運ばれている様子は見えません。
呆然とするゲアンの事もお構いなしに、エメラグレイの人々は上機嫌に、我が国へと帰っていきました。
自分たちの捕まえた魔法使いが、自分たちの愛する国を守っていたとは知らずに。



「……ロルノちゃん! ああ、良かった。やっと目を覚ましたわ。彼、エメラグレイに帰っちゃったわよ」

ロルノの耳元で囁くのは、花の精霊。
彼女は木の枝に支えられ、葉の上で横たわっていました。
夜はとても深くなっていました。クランが連れて行かれた時から、だいぶ時間が経っているようです。

「彼ってば、少しくらい探したって良いのに。ねえ? それに、クランも手荒なことするわよね。ハァ、男ってほんと……。
……あ、傷は大丈夫? もう痛くない? ロルノちゃん」

「ふふ……大丈夫よ。だいぶ、良くなったわ。
あなたたちが魔法で、私を癒やしてくれていたのね。ありがとう……」

そう。彼女の言う通り、植物たちは森全体のわずかな魔法の力を使って、ロルノの傷を癒やしていました。
彼らは魔法使いではないため、すぐにロルノを元気にさせることは出来ませんでしたが、長い時間をかけて、ようやく、ロルノを起き上がらせることが出来ました。

そしてロルノは、一度落ち着いて、夜空を見上げながら、深呼吸をしました。
静かに、一粒の涙が、頬を流れます。

潤んだ金色の瞳が求める先は、魔法使いを捕らえて、誇らしそうにする彼ではなく、
森で会う度に、とても嬉しそうに、無邪気に笑う、そんな彼でした。


「貴方は……魔法を恐れる、人間。
そして私は……魔法を使う、恐ろしい魔女……。

貴方が私を、魔女だと知ったら。

貴方は、その笛を鳴らして……私のことを、殺すのね」


大勢の、人の力で。


ロルノは急に、ゲアンが怖くなりました。
たとえ、愛おしい恋人だとしても、彼は、魔法使いの消滅を願う、一人の人間なのです。

それでもロルノは、ゲアンのことを嫌いにはなれませんでした。
あの優しい笑顔を、愛を誓い合ったあの日を、忘れることが出来ないからです。


ロルノは決心しました。
魔法使いを恐れる人間である彼に、本当のことを伝えるのです。

彼が真実を知ったら、ロルノはもう、愛されないかもしれません。それどころか、先程のクランのように、大勢の人に連れ去られ、殺されてしまうかもしれません。
それでも、ロルノは彼を愛していました。
彼に嘘をつき続けるのは、もうやめようと、そう思ったのです。

ロルノの中では、少しだけ、希望を抱いている事がありました。

それは、ゲアンがロルノの正体を知ったとしても、今までと変わらず、愛してくれる事。
そして、それがきっかけになって、エメラグレイの人々が、魔法を好きになってくれたら……と。

そんな絵空事のような期待を胸に、ロルノはひとつ、深呼吸をしました。
愛おしい彼が、森にやってくる度に、よくやっていた事です。彼の仕草を真似るように心を落ち着かせた後、ロルノは涙を袖で拭って、眠りにつきました。


そして、次の日。この日は、とても良い天気でした。
青い空には雲ひとつ無いようですが、木の葉に遮られた森では、いつもの晴れた日と何ら変わらないような暖かさでした。
こんな日は、いつものように森へやってくるゲアンと、何気ない話を交わすのが、ロルノにとっての当たり前でした。

しかし、今日は違います。ゲアンが森に来るのも、いつもより早い時間帯でした。

「……ロルノ!!」

ゲアンは走って来たのか、肩で息をしていました。
とても苦しそうな顔をしていましたが、ロルノの姿を見て、安堵の息を漏らしました。

「良かった……無事で……。
守れなくてごめん……俺は、ロルノを傷つけてしまった……」

「ううん、いいの。ゲアンが無事なら、それで」

ロルノがいつものように優しく笑うと、ゲアンは彼女の元へ駆け寄って、彼女の身体を思い切り抱きしめました。
ゲアンは、とても温かい身体をしていました。

そしてゲアンは腕を緩めたかと思うと、ロルノの両肩を掴んで、真剣な表情で言いました。

「この森はまだ危険だ。昨晩みたいに、この森にまだ残っている魔法使いに、襲われてしまうかもしれない。
エメラグレイに避難しよう。ロルノ。……君に生きていて欲しいんだ」

必死でそう伝えるゲアンを目にして、ロルノの金色の目から、涙が溢れそうになりました。
それでもぐっと堪えて、いつもの言葉を口にします。

「私は……この森を、出られないの……」

「うん……確かに、君がこの森を愛していることはわかってる。理由は、知らないけど……でも、俺にもわかるよ。この森で深呼吸をすると、心が落ち着いて……」

「違うの!」

ロルノは大きな声を出して、ゲアンの言葉を遮りました。ゲアンはいつもと雰囲気が違う彼女に、戸惑っています。
ロルノは、精一杯に、震えた声で言いました。

「ごめんなさい……貴方を騙すつもりはなかったの。でも、ずっと嘘をついてきた……。それも、自分のためだけに……。

ゲアン……実はね……私、

この森に住む、最後の魔法使いなの……」

ロルノの口から放たれる言葉に、ゲアンは絶句しました。
まさか自分の愛おしい恋人が、あのおぞましい、魔法使いだったなんて。

ロルノは涙を流しながら、ゲアンの首に提げた笛を手に取りました。

「私は……あなたたちにとって、恐ろしい存在……この世界で、生きてはいけない存在なのよね。

私……一度でも、貴方に愛されて……嬉しかった。

ありがとう……ゲアン。愛してるわ……。

さようなら……」

そう言って、ロルノはそっと、笛を口元に寄せました。

「待って!」

その瞬間、ゲアンは即座に、首に提げるための紐を引きちぎって、笛を投げ飛ばしました。
突然の出来事に、ロルノは唖然としています。

「さようならなんて、そんなこと、言わないでくれよ……!
どうして……寂しいじゃないか、そんなの……」

ゲアンは大粒の涙を流して、強く、ロルノを抱きしめました。
そんなゲアンの行動に、ロルノは一つ目の淡い期待を寄せました。

「ゲアン……私のことが、怖くないの……?」

しかし、ゲアンの口から出た言葉は、ロルノの期待していた物とは少し違いました。

「……怖いよ。……物凄く」

「……」

「だって君は、その力を使えば、俺の事を簡単に殺すことだって出来るんだろう……?
それに、俺の家族や仲間は、みんな、君のことを恐れている……
魔法使いの消滅世界の平和を望んで、魔法に怯えながら生きているんだ……。

でも……不思議だね……君を抱きしめたくて仕方が無い。
君が愛おしいんだ……。どんなに君が、恐ろしい力を持っていると知っていても……。

……俺は、君が人を傷つけるような魔女じゃない事を知っているから……なのかもね」

ゲアンは涙を流しながら、笑いました。ロルノもつられて、自然と、笑顔になります。

ロルノ魔法を悪用しない魔女しか、この世に魔法使いが残っていないのなら、大丈夫だね。エメラグレイの皆に、君の優しさを知って貰えれば、魔法を恐れなくなるに違いない。本当の、平和が訪れるはずさ」

「そう……かな。そんな幸せな世界が、本当に来るのかなあ……」

「ああ。二人で、本当の『平和の国』を作っていこう。大丈夫さ。二人なら、きっと、出来るはずさ」

「うふふ……楽しみね……」

二人は幸せそうに笑いながら、長い時間、ずっと話し込みました。
そしてゲアンの帰る時間となり、いつものように、一日の別れを告げました。

明日から、二人の『本当の平和の国』を作る計画が始まるのです。
ロルノはわくわくして、夜が深くなり月が輝き始めても、眠気さえ忘れて、魔法を認めてくれるエメラグレイの人達の姿を想像していました。





しかし。



「……?」



森がざわめき始めます。


「何……? どうして、森が……」




その時でした。

ロルノの身体が、瞬く間にエメラルド色の水晶に包まれます。
その水晶には、とても強力な魔法を纏っていました。

それは……封印の魔法。
クランの魔法でした。

「何故……ロルノだけが、生きるんだ。俺だって……魔法を、悪用した事なんて、無かったのに……!」

クランの金色だった目は、濁った色をしていました。
エメラグレイを守っていた彼は、生まれて初めて、悪いことに魔法を使ったのです。
彼はエメラグレイの人達に捕らえられましたが、魔法を悪用してエメラグレイから逃げ出し、ロルノの力と時間を封印したのです。
この魔法は、強大な魔力を持った魔法使いにしか出来ません。
それも……自分の持つ魔力の、全てを使って。

クランは自身の魔力を使い切ってしまい、そのまま、身を滅ぼしてしまいました。


この世界には、魔法使いが、二人。

一つの命は、もう一つの命の時間を、永久に止めてしまいました。




「ロルノ……今頃、わくわくして眠れないんだろうなぁ」

一人の青年は、魔法を認めてくれるエメラグレイの人達の姿を想像しながら、ロルノとのこれからの未来を楽しみにしていました。

彼女が、もう永遠に動けないということも、知らずに。
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