6 / 154
1-05 一歩ずつ、確実に
しおりを挟む
暫くの間、クルムは目を閉じ続けていたが、ようやく客間に静寂が訪れた。食器たちによる悲劇も閉幕を迎えたようだ。大惨事であろう、悲劇の舞台となったキッチンを想像することは恐ろしくて出来ない。
ゆっくりとクルムは目を開く。
目を開けると、暗くなって鏡の役割を果たしている窓を通して、扉が開くのが見えた。その扉から、カップ二つと砂糖を載せたお盆を持ったリッカが顔を出した。
「お待たせしてごめんねー」
リッカはそう言いながら、お盆に載っているカップを机の上に置いた。高級な茶葉を使っているのだろうか、美しい景色を連想させる香りが鼻孔をくすぐる。
クルムは礼を言うと、カップの取っ手を片手で持ち、お茶を口に含めた。前にいるリッカも、両手でカップを持って、口に近づけている。
「美味しいですね」
「うん。初めてこのお茶飲んだけど、本当美味しいね。頑張って見つけた甲斐があったよ」
率直な感想が、クルムの口から溢れ出た。リッカもクルムの感想に同意したらしく、カップに入ったお茶を見つめながら、何度も頷いている。
「――ところで、リッカさんに聞きたいことがあるのですが、いいですか?」
「うん、いいよ。何でも聞いて」
お茶を飲みながら静かで落ち着いた時間を堪能すると、クルムはリッカに顔を向け、話を投げかけた。クルムが抱いている疑問に道しるべを示してくれるのは、おそらくリッカだけだろう。まだお茶を楽しみたいのか、クルムの言葉に反応するものの、リッカの視線はカップから外れなかった。
「では……リッカさんは本当に世界政府の人間ですか?」
「ゲホゲホ!」
クルムがそう言うと、予想だにしていなかった質問だったのか、リッカは咳を出しながらむせ始めた。その淡い緑の瞳からは、涙が零れ落ちている。
「けほっ……ふぅ。な、なんで、そういう質問が出てくるのかな……?」
リッカは咳をし終えると、手に持っていたカップを机に置き、空いた両手を太ももの上に乗せた。そして一度深呼吸をすると、リッカは平静を装ってクルムに質問を投げ返す。しかし、その言葉の速さは今までよりも速く、更にはリッカの目は泳ぎっぱなしで一か所に定まらない。
クルムの目から見ても、明らかに動揺しているのが分かるほどだった。
「理由は、その……服装が世界政府に所属している人の姿には見えないので……」
クルムは真向いに座っているリッカに目を向けた。
リッカが着ている服は、よくも悪くもリッカ・ヴェントという人間を表現している。
上は黄色を基調とした服で、首元には白の襟が付いてあり、下は風船を彷彿とさせるようなシルエットをしたカーキ色のズボンという服装で、リッカが真っ直ぐで、行動力のある人だということを思わせてくれる。リッカにとても似合っていた。――似合ってはいるが、リッカの立場を考えると、場違いな服で、一般人に間違われることもあるだろう。
リッカの服は、世界政府の人間が着るそれとは違うのだ。本来、世界政府として行動する場合は、白いコートを羽織ることが義務付けられている。そのコートを羽織ることにより、自らが世界政府の関連者だと示すためだ。実際、白いコートを見れば世界政府の人間だと、誰もが分かるようになっている。
しかし、目の前にいるリッカはその世界政府のコートを羽織っていない。
思い返すと、初めて会った時からそうだった。
クルムと会った時から、リッカは今までずっとこの格好だ。リッカがその正体を明かすまでは、クルムも正義感の強い女性くらいにしか思っていなかった。
「こ、この服装は、オリエンスに無難に溶け込むための作戦だよ? 世界政府に関する人だと悟られなくなかっただけだし、べ、別にこういう服装が好きなわけじゃないし……」
自分の服装が間違ってはいないと主張するように、リッカは両手を広げた。だが、肝心のリッカ本人は顔を真っ赤にしており、また、話す言葉も速くて舌が回っていなかった。
「そうだったんですね」
「わ、分かってもらえて何よりだよ! それだけが理由?」
納得したクルムの姿を見て、リッカの表情はパァッと華やいだ。その変化はクルムでも分かってしまうほどに、明らかだった。その声も紛れもなく弾んでいる。
だが、それも束の間だった。
「あとは……えっと、先ほどの姿を見てしまうと、ちょっと心許ないというか……」
申し訳なそうに紡ぐクルムの言葉が、心に少し余裕を取り戻したリッカに更なる追い打ちをかける。
それにより、リッカは肩をビクッと震わせた。
クルムはリッカの姿を思い浮かべる。
思い浮かぶその姿は、キッチンでの出来事の時だ。実際には見ていないけれど、リッカがその場所で何をしていたのかを想像するのは簡単だった。
また、クルムの想像が現実だと裏付ける証拠が目の前にある。
先ほど両手を広げていた時、リッカの手に何か所かに包帯が巻かれているのが視界に留まった。それは、普通の人ならば繰り広げられることのなかったキッチンの惨劇での傷を治療するためのものだろう。
世間一般における世界政府の構成員の認識は、真面目で、有能で、何事もそつなくこなすというものである。
だが、クルムの前にいる世界政府の人間――リッカ・ヴェントはどうだろうか。クルムの知るリッカの姿は、世界政府の人間とは少しかけ離れてしまっている。いや、かなりかけ離れてしまっているのだ。
リッカ・ヴェントという人物は、物凄く不器用な人間だった。
「だ、だって、オリエンスの拠点に来たのは今日が初めてだもん。お茶の場所が分からなくて、手間取っても仕方ないよ……ね? あはは」
乾いたリッカの笑いだけが、客間に響く。クルムは何も反応を示さず、リッカに鋭い視線を向け続けていた。客間を占める空気は徐々に冷たくなってゆく。
笑い声が小さくなってくると、リッカの顔は隠すように下に向けられていった。
「は、はは、は……」
リッカの笑い、否、自嘲が終わると同時に、その場は完全に凍り付く。この客間にリッカが入って来て以来、初めての静寂が訪れた。
完全に下を向ききっているリッカの表情が、どのようなものになっているかは窺い知れない。クルムの位置から分かることは、リッカはズボンをぎゅっと握っており、手に力が入っているのか、握ったところにはしわが出来ているということだった。また、若干だが、体全体が小刻みに震えている。
「あ、あの……リッカさん?」
クルムは目の前で震えるリッカが心配になり、声を掛けた。
その言葉がきっかけとなったのか、リッカの震え方は勢いを増した。まるで、何かが爆発する前触れのようだった。
そして、その予想は――
「だぁぁ! そんなこと言われなくても分かってるもん! 世界政府に所属されて日が浅いんだから、正直、私だって自分があの世界政府の一員だって感覚まだないよ!」
当たった。
リッカはついに平静を装うのを止め、感情のままに叫びながら立ち上がった。クルムの視線に耐えられなくなったのか、はたまた図星を突かれたからなのか、とにかく初めて見る姿だった。
リッカの勢いが増してくるごとに、客間の空気は熱くなっていく。
「リ、リッカさん、落ち着い――」
計算違いの出来事に、クルムは額に汗を垂らしながら、リッカを落ち着かせるために言葉を掛けようとした。
しかし、リッカの気は治まらないまま、「でも、ほら!」とクルムの言葉を遮り、自分の懐から取り出したものを見せつける。急な動きで、クルムは一瞬戸惑ったが、リッカの手にあるものを凝視した。その手の中には、目に新しい世界政府の証明書があった。
「こっちの証明書だと、ちゃんと制服着てるでしょ!」
写真の中のリッカは、確かに世界政府の白いコートを着ていた。けれど、先ほどリッカ自身も言った通り、まだ入ったばかりだと分かるほど制服に着られているように感じられた。
だが、クルムはリッカの勢いに押され、思ったことを発する余裕はなかった。
「どう!? これで信じる気になった?」
リッカがそう言い終わると、客間の熱気は冷めていった。今、この場所で聞こえる音は、興奮したリッカが肩を上下に揺らしながら呼吸する音だけだ。
自分の言いたいことを言い終わったのか、リッカはこれ以上言葉を続けることはなかった。手に持っている証明書をクルムに突きつけたまま、動かないでいる。
クルムは、ひとまずリッカが話を聞ける状態になったのを確認すると、小さく口角を上げた。
「はい、信じています。さっきの話は全部冗談ですから」
微笑んだまま、クルムは真っ直ぐに告げる。リッカはその言葉を聞いて、ホッと一息を吐いた。憑き物が落ちたように、表情も明るくなっている。
「分かればいいの……って、冗談!?」
リッカは腕を組みながらクルムの話を吟味していたが、途中でリッカの動きは鈍くなり止まった。そして、何かに思い当たったのと同時に、反射的に声を上げた。クルムの言葉――特に、その最後の一言がおかしなことに気付いたのだろう。
反応の遅れたリッカを、クルムは子供を見るような愛しむ目で見ていた。
「僕は、リッカさんが世界政府の人間じゃないと本当に疑っているわけではありません。……確かに、気になってはいましたけど」
キッチンでのリッカの姿を想像して、クルムはクスッと笑った。ただ笑う理由は、それだけではない。リッカのような人が世界政府に所属していると思うと、純粋に口から笑みがこぼれた。
クルムが言った言葉は半分本当でもあり、半分嘘でもある。
お茶を出すだけなのに大惨事を生んでしまう不器用さでも、世界政府に入れるのか気になったのは事実だ。
しかし、リッカが世界政府の人間かどうかを疑っているのではなく、正直な話、クルムにとってリッカの立場が何であろうと関係はなかった。クルムが着目している点は、リッカ・ヴェントという女性の人間性にあるからだ。
看板を背負っている時は取るべき行動を取れるが、その看板を下ろした時には正しい行動が出来ないというのはよくある話だ。
けれど、リッカは世界政府だということをクルムに明かしていない状況の中でも、誰かのためになろうとする姿勢――世界政府が取るべき姿勢を取っており、その姿でクルムにも接していた。黒い首輪をした少年を追おうとした時も、リッカは最後までクルムのことを案じていた。
リッカには、先天的か後天的かは分からないが、人によくするという体質が身に沁みているのだった。
――当の本人は、そこまでは意識していないかもしれないが。
ともあれ、リッカのそういうところを、クルム・アーレントも見習わなければと思っている点だ。
「……君、意外といい性格してるね」
そんなクルムの言葉をお茶目の一面として受け取ったリッカは、クルムの思いを分からないまま椅子に座った。頬杖をついたリッカの表情は、ふてくされているようだった。しかし、その表情からは真の嫌悪感は出ていない。もし、本当に嫌悪を抱いているのなら、この客間からリッカが出るか、もしくは、この客間からクルムを追い出していることだろう。
その証拠に、「まぁ、嫌いじゃないけど」と小さく呟くのをクルムは聞き逃さなかった。
「それで、そろそろ本題に入らせてもらいたいのですが……」
「うん。話をずらしたのは、クルムだけどね」
真面目な表情で新たに話題を作ったクルムに、リッカは真面目な声色でクルムの言葉を訂正する。
一瞬の沈黙があったが、すぐに、どちらともなく二人は笑った。
「では、改めて。リッカさん。この町で何が起こっているのか、もしよければ教えてください」
クルムは呼吸を整えると、本当に聞きたかった質問をようやくリッカに投げかけた。
そのクルムの質問に対し、リッカは一度目を瞑った。今までと違った、真剣な空気が流れる。その空気に、クルムも無意識のうちに喉を鳴らした。
「……分かった。もう感づいているかもしれないけど、現在はシエル・クヴントの再臨者と名乗る者がこの町を牛耳っているの」
開いたその目は毅然としており、そこにいるのはやはり世界政府のリッカ・ヴェントだった。
ゆっくりとクルムは目を開く。
目を開けると、暗くなって鏡の役割を果たしている窓を通して、扉が開くのが見えた。その扉から、カップ二つと砂糖を載せたお盆を持ったリッカが顔を出した。
「お待たせしてごめんねー」
リッカはそう言いながら、お盆に載っているカップを机の上に置いた。高級な茶葉を使っているのだろうか、美しい景色を連想させる香りが鼻孔をくすぐる。
クルムは礼を言うと、カップの取っ手を片手で持ち、お茶を口に含めた。前にいるリッカも、両手でカップを持って、口に近づけている。
「美味しいですね」
「うん。初めてこのお茶飲んだけど、本当美味しいね。頑張って見つけた甲斐があったよ」
率直な感想が、クルムの口から溢れ出た。リッカもクルムの感想に同意したらしく、カップに入ったお茶を見つめながら、何度も頷いている。
「――ところで、リッカさんに聞きたいことがあるのですが、いいですか?」
「うん、いいよ。何でも聞いて」
お茶を飲みながら静かで落ち着いた時間を堪能すると、クルムはリッカに顔を向け、話を投げかけた。クルムが抱いている疑問に道しるべを示してくれるのは、おそらくリッカだけだろう。まだお茶を楽しみたいのか、クルムの言葉に反応するものの、リッカの視線はカップから外れなかった。
「では……リッカさんは本当に世界政府の人間ですか?」
「ゲホゲホ!」
クルムがそう言うと、予想だにしていなかった質問だったのか、リッカは咳を出しながらむせ始めた。その淡い緑の瞳からは、涙が零れ落ちている。
「けほっ……ふぅ。な、なんで、そういう質問が出てくるのかな……?」
リッカは咳をし終えると、手に持っていたカップを机に置き、空いた両手を太ももの上に乗せた。そして一度深呼吸をすると、リッカは平静を装ってクルムに質問を投げ返す。しかし、その言葉の速さは今までよりも速く、更にはリッカの目は泳ぎっぱなしで一か所に定まらない。
クルムの目から見ても、明らかに動揺しているのが分かるほどだった。
「理由は、その……服装が世界政府に所属している人の姿には見えないので……」
クルムは真向いに座っているリッカに目を向けた。
リッカが着ている服は、よくも悪くもリッカ・ヴェントという人間を表現している。
上は黄色を基調とした服で、首元には白の襟が付いてあり、下は風船を彷彿とさせるようなシルエットをしたカーキ色のズボンという服装で、リッカが真っ直ぐで、行動力のある人だということを思わせてくれる。リッカにとても似合っていた。――似合ってはいるが、リッカの立場を考えると、場違いな服で、一般人に間違われることもあるだろう。
リッカの服は、世界政府の人間が着るそれとは違うのだ。本来、世界政府として行動する場合は、白いコートを羽織ることが義務付けられている。そのコートを羽織ることにより、自らが世界政府の関連者だと示すためだ。実際、白いコートを見れば世界政府の人間だと、誰もが分かるようになっている。
しかし、目の前にいるリッカはその世界政府のコートを羽織っていない。
思い返すと、初めて会った時からそうだった。
クルムと会った時から、リッカは今までずっとこの格好だ。リッカがその正体を明かすまでは、クルムも正義感の強い女性くらいにしか思っていなかった。
「こ、この服装は、オリエンスに無難に溶け込むための作戦だよ? 世界政府に関する人だと悟られなくなかっただけだし、べ、別にこういう服装が好きなわけじゃないし……」
自分の服装が間違ってはいないと主張するように、リッカは両手を広げた。だが、肝心のリッカ本人は顔を真っ赤にしており、また、話す言葉も速くて舌が回っていなかった。
「そうだったんですね」
「わ、分かってもらえて何よりだよ! それだけが理由?」
納得したクルムの姿を見て、リッカの表情はパァッと華やいだ。その変化はクルムでも分かってしまうほどに、明らかだった。その声も紛れもなく弾んでいる。
だが、それも束の間だった。
「あとは……えっと、先ほどの姿を見てしまうと、ちょっと心許ないというか……」
申し訳なそうに紡ぐクルムの言葉が、心に少し余裕を取り戻したリッカに更なる追い打ちをかける。
それにより、リッカは肩をビクッと震わせた。
クルムはリッカの姿を思い浮かべる。
思い浮かぶその姿は、キッチンでの出来事の時だ。実際には見ていないけれど、リッカがその場所で何をしていたのかを想像するのは簡単だった。
また、クルムの想像が現実だと裏付ける証拠が目の前にある。
先ほど両手を広げていた時、リッカの手に何か所かに包帯が巻かれているのが視界に留まった。それは、普通の人ならば繰り広げられることのなかったキッチンの惨劇での傷を治療するためのものだろう。
世間一般における世界政府の構成員の認識は、真面目で、有能で、何事もそつなくこなすというものである。
だが、クルムの前にいる世界政府の人間――リッカ・ヴェントはどうだろうか。クルムの知るリッカの姿は、世界政府の人間とは少しかけ離れてしまっている。いや、かなりかけ離れてしまっているのだ。
リッカ・ヴェントという人物は、物凄く不器用な人間だった。
「だ、だって、オリエンスの拠点に来たのは今日が初めてだもん。お茶の場所が分からなくて、手間取っても仕方ないよ……ね? あはは」
乾いたリッカの笑いだけが、客間に響く。クルムは何も反応を示さず、リッカに鋭い視線を向け続けていた。客間を占める空気は徐々に冷たくなってゆく。
笑い声が小さくなってくると、リッカの顔は隠すように下に向けられていった。
「は、はは、は……」
リッカの笑い、否、自嘲が終わると同時に、その場は完全に凍り付く。この客間にリッカが入って来て以来、初めての静寂が訪れた。
完全に下を向ききっているリッカの表情が、どのようなものになっているかは窺い知れない。クルムの位置から分かることは、リッカはズボンをぎゅっと握っており、手に力が入っているのか、握ったところにはしわが出来ているということだった。また、若干だが、体全体が小刻みに震えている。
「あ、あの……リッカさん?」
クルムは目の前で震えるリッカが心配になり、声を掛けた。
その言葉がきっかけとなったのか、リッカの震え方は勢いを増した。まるで、何かが爆発する前触れのようだった。
そして、その予想は――
「だぁぁ! そんなこと言われなくても分かってるもん! 世界政府に所属されて日が浅いんだから、正直、私だって自分があの世界政府の一員だって感覚まだないよ!」
当たった。
リッカはついに平静を装うのを止め、感情のままに叫びながら立ち上がった。クルムの視線に耐えられなくなったのか、はたまた図星を突かれたからなのか、とにかく初めて見る姿だった。
リッカの勢いが増してくるごとに、客間の空気は熱くなっていく。
「リ、リッカさん、落ち着い――」
計算違いの出来事に、クルムは額に汗を垂らしながら、リッカを落ち着かせるために言葉を掛けようとした。
しかし、リッカの気は治まらないまま、「でも、ほら!」とクルムの言葉を遮り、自分の懐から取り出したものを見せつける。急な動きで、クルムは一瞬戸惑ったが、リッカの手にあるものを凝視した。その手の中には、目に新しい世界政府の証明書があった。
「こっちの証明書だと、ちゃんと制服着てるでしょ!」
写真の中のリッカは、確かに世界政府の白いコートを着ていた。けれど、先ほどリッカ自身も言った通り、まだ入ったばかりだと分かるほど制服に着られているように感じられた。
だが、クルムはリッカの勢いに押され、思ったことを発する余裕はなかった。
「どう!? これで信じる気になった?」
リッカがそう言い終わると、客間の熱気は冷めていった。今、この場所で聞こえる音は、興奮したリッカが肩を上下に揺らしながら呼吸する音だけだ。
自分の言いたいことを言い終わったのか、リッカはこれ以上言葉を続けることはなかった。手に持っている証明書をクルムに突きつけたまま、動かないでいる。
クルムは、ひとまずリッカが話を聞ける状態になったのを確認すると、小さく口角を上げた。
「はい、信じています。さっきの話は全部冗談ですから」
微笑んだまま、クルムは真っ直ぐに告げる。リッカはその言葉を聞いて、ホッと一息を吐いた。憑き物が落ちたように、表情も明るくなっている。
「分かればいいの……って、冗談!?」
リッカは腕を組みながらクルムの話を吟味していたが、途中でリッカの動きは鈍くなり止まった。そして、何かに思い当たったのと同時に、反射的に声を上げた。クルムの言葉――特に、その最後の一言がおかしなことに気付いたのだろう。
反応の遅れたリッカを、クルムは子供を見るような愛しむ目で見ていた。
「僕は、リッカさんが世界政府の人間じゃないと本当に疑っているわけではありません。……確かに、気になってはいましたけど」
キッチンでのリッカの姿を想像して、クルムはクスッと笑った。ただ笑う理由は、それだけではない。リッカのような人が世界政府に所属していると思うと、純粋に口から笑みがこぼれた。
クルムが言った言葉は半分本当でもあり、半分嘘でもある。
お茶を出すだけなのに大惨事を生んでしまう不器用さでも、世界政府に入れるのか気になったのは事実だ。
しかし、リッカが世界政府の人間かどうかを疑っているのではなく、正直な話、クルムにとってリッカの立場が何であろうと関係はなかった。クルムが着目している点は、リッカ・ヴェントという女性の人間性にあるからだ。
看板を背負っている時は取るべき行動を取れるが、その看板を下ろした時には正しい行動が出来ないというのはよくある話だ。
けれど、リッカは世界政府だということをクルムに明かしていない状況の中でも、誰かのためになろうとする姿勢――世界政府が取るべき姿勢を取っており、その姿でクルムにも接していた。黒い首輪をした少年を追おうとした時も、リッカは最後までクルムのことを案じていた。
リッカには、先天的か後天的かは分からないが、人によくするという体質が身に沁みているのだった。
――当の本人は、そこまでは意識していないかもしれないが。
ともあれ、リッカのそういうところを、クルム・アーレントも見習わなければと思っている点だ。
「……君、意外といい性格してるね」
そんなクルムの言葉をお茶目の一面として受け取ったリッカは、クルムの思いを分からないまま椅子に座った。頬杖をついたリッカの表情は、ふてくされているようだった。しかし、その表情からは真の嫌悪感は出ていない。もし、本当に嫌悪を抱いているのなら、この客間からリッカが出るか、もしくは、この客間からクルムを追い出していることだろう。
その証拠に、「まぁ、嫌いじゃないけど」と小さく呟くのをクルムは聞き逃さなかった。
「それで、そろそろ本題に入らせてもらいたいのですが……」
「うん。話をずらしたのは、クルムだけどね」
真面目な表情で新たに話題を作ったクルムに、リッカは真面目な声色でクルムの言葉を訂正する。
一瞬の沈黙があったが、すぐに、どちらともなく二人は笑った。
「では、改めて。リッカさん。この町で何が起こっているのか、もしよければ教えてください」
クルムは呼吸を整えると、本当に聞きたかった質問をようやくリッカに投げかけた。
そのクルムの質問に対し、リッカは一度目を瞑った。今までと違った、真剣な空気が流れる。その空気に、クルムも無意識のうちに喉を鳴らした。
「……分かった。もう感づいているかもしれないけど、現在はシエル・クヴントの再臨者と名乗る者がこの町を牛耳っているの」
開いたその目は毅然としており、そこにいるのはやはり世界政府のリッカ・ヴェントだった。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
ファンタジー
ファンタジー大賞に応募中です。 ぜひ投票お願いします
ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
ツイッター始めました→ゼクト @VEUu26CiB0OpjtL
召還社畜と魔法の豪邸
紫 十的
ファンタジー
魔法仕掛けの古い豪邸に残された6歳の少女「ノア」
そこに次々と召喚される男の人、女の人。ところが、誰もかれもがノアをそっちのけで言い争うばかり。
もしかしたら怒られるかもと、絶望するノア。
でも、最後に喚ばれた人は、他の人たちとはちょっぴり違う人でした。
魔法も知らず、力もちでもない、シャチクとかいう人。
その人は、言い争いをたったの一言で鎮めたり、いじわるな領主から沢山のお土産をもらってきたりと大活躍。
どうしてそうなるのかノアには不思議でたまりません。
でも、それは、次々起こる不思議で幸せな出来事の始まりに過ぎなかったのでした。
※ プロローグの女の子が幸せになる話です
※ 『小説家になろう』様にも「召還社畜と魔法の豪邸 ~召喚されたおかげでデスマーチから逃れたので家主の少女とのんびり暮らす予定です~」というタイトルで投稿しています。
料理をしていたらいつの間にか歩くマジックアイテムになっていた
藤岡 フジオ
ファンタジー
遥か未来の地球。地球型惑星の植民地化が進む中、地球外知的生命体が見つかるには至らなかった。
しかしある日突然、一人の科学者が知的生命体の住む惑星を見つけて地球に衝撃が走る。
惑星は発見した科学者の名をとって惑星ヒジリと名付けられた。知的生命体の文明レベルは低く、剣や魔法のファンタジー世界。
未知の食材を見つけたい料理人の卵、道 帯雄(ミチ オビオ)は運良く(運悪く?)惑星ヒジリへと飛ばされ、相棒のポンコツ女騎士と共に戦いと料理の旅が始まる。
唯一平民の悪役令嬢は吸血鬼な従者がお気に入りなのである。
彩世幻夜
ファンタジー
※ 2019年ファンタジー小説大賞 148 位! 読者の皆様、ありがとうございました!
裕福な商家の生まれながら身分は平民の悪役令嬢に転生したアンリが、ユニークスキル「クリエイト」を駆使してシナリオ改変に挑む、恋と冒険から始まる成り上がりの物語。
※2019年10月23日 完結
偽物の侯爵子息は平民落ちのうえに国外追放を言い渡されたので自由に生きる。え?帰ってきてくれ?それは無理というもの
つくも茄子
ファンタジー
サビオ・パッツィーニは、魔術師の家系である名門侯爵家の次男に生まれながら魔力鑑定で『魔力無し』の判定を受けてしまう。魔力がない代わりにずば抜けて優れた頭脳を持つサビオに家族は温かく見守っていた。そんなある日、サビオが侯爵家の人間でない事が判明した。妖精の取り換えっ子だと神官は告げる。本物は家族によく似た天使のような美少年。こうしてサビオは「王家と侯爵家を謀った罪人」として国外追放されてしまった。
隣国でギルド登録したサビオは「黒曜」というギルド名で第二の人生を歩んでいく。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
冷たかった夫が別人のように豹変した
京佳
恋愛
常に無表情で表情を崩さない事で有名な公爵子息ジョゼフと政略結婚で結ばれた妻ケイティ。義務的に初夜を終わらせたジョゼフはその後ケイティに触れる事は無くなった。自分に無関心なジョゼフとの結婚生活に寂しさと不満を感じながらも簡単に離縁出来ないしがらみにケイティは全てを諦めていた。そんなある時、公爵家の裏庭に弱った雄猫が迷い込みケイティはその猫を保護して飼うことにした。
ざまぁ。ゆるゆる設定
ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い
平山和人
ファンタジー
侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。
ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。
かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる