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3-22 弱さという過ち
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「――丘の……下……?」
オレオルは言葉の意味をすぐに理解出来なかった。何とか少しでも情報を頭に叩き込もうと、コルドから聞いた言葉をそのまま口にするが、全くオレオルの腑に落ちることはない。
約束の丘なら、このコルドによる異変が起こるまで、ずっとオレオルはいた。その理由はもちろん、クレディを待つためだ。しかし、約束の丘にクレディが来ることはなかった。当然、丘を下った場所にもクレディの姿を確認することは出来なかった。
コルドは一体何を言っているのだろうか。
「そうだ、あの丘の地面に埋めたんだよ。昨日の陽が沈む前、あの女は生意気にも俺に向かってオレオルを自由にしろと言ってきやがった。しかも、全く物怖じしない毅然とした態度でな。今思い返すだけでもムカつくぜ……、まるで俺が誰なのか分かっていないような口ぶりだった。だから、制裁を加え、二度と俺に反抗出来ないようにしてやったのさ」
クレディがオレオルを置いて、一人丘から離れトリクルに戻った――、その足でクレディはコルドの元へ訪れていた。
――もうオレオルにひどいことをさせないで。
オレオルを思うクレディの瞳は清く澄んでいた。
――ねぇ、オレオルがどんな表情で笑うのか知ってる?
クレディは時折、コルドのことを憐れむような瞳で見つめた。
――あなたの傍にいても、オレオルは絶対に幸せになれないわ。
コルドの前で堂々と言葉を紡ぐクレディの瞳は一切揺れていなかった。
――だから、オレオルを自由に――。
そして、コルドはクレディの言葉を最後まで聞くことなく、手を掛けた。
「ククク、馬鹿だよな。わざわざ無駄な正義感をぶら下げて俺に盾突くことをしなければよかったものを」
オレオルはコルドの言葉を聞いても、動けずにいた。
クレディがコルドに殺されたという実感が湧かないのだ。昨日オレオルとクレディはいつものように丘の上で話し合っていた。
そして、約束したのだ。
――一緒に世界を回ろう、と。
あの時、空想を、夢を語るクレディの顔は、今でも鮮明に思い出せる。
まだオレオルの心の中では元気に笑っているというのに、本当に死んでしまったことが受け入れられなかった。
茫然と力なく立ち尽くすオレオルを見ると、コルドは獲物を掴み取る直前の獣のように口角を上げた。
「――まぁ、けど、丁度良かったかもな」
コルドは意味深に言葉を区切ると、
「どっちにしろ、いつかは処分しようと思っていた」
「――!」
その一言で、オレオルの中で完全に何かが切れる音がした。
オレオルは言葉を発することなく、全力でコルドに向かって走っていた。オレオルは握りすぎて血が流れる拳を、コルドに向かって思い切り振った。
しかし、その拳は――、
「――ッ」
無常にもコルドには届かなかった。
むしろ、コルドの手下の一人であるキースという男の攻撃を受け、オレオルは床に倒れ込んでしまう。
普段のオレオルならあり得ないことだったが、怒りで冷静に状況を判断できないオレオルには躱すことは出来なかった。そして、怒りに任せた一直線の攻撃など、いくらオレオルの攻撃だとはいえ、読まれて当然だった。
更に、状況は刻々と変わり、オレオルに頭を冷やす時間を与えない。
倒れたオレオルの動きを封じるために、四人の手下達がオレオルの四肢をそれぞれ押さえ込んだのだ。
「――ッ、離ッ、せ!」
オレオルは獣のように暴れ、拘束から抜け出そうとするが、その努力は無駄だった。力一杯振り払おうとしているのに、何故かいつものような力は出せず、無様に抑え込まれるだけだった。
そんな抑え込まれるオレオルに向かって、コルドが一歩一歩と近付いて来た。コルドが歩く度、靴と床がぶつかる音が心地よく響き渡る。
コルドはオレオルの目の前まで来ると、しゃがみ込み、
「ああ、可哀想なオレオル。あの女に出会わなければ、こんな苦しみを味わうことなんてなかったのに……」
「――ッ、コルドォォ!」
オレオルは目の前にいる敵に飛びかかろうとするも、四肢を押さえつけられているせいで動くことさえも叶わない。
オレオルがもがき苦しむ様を、コルドはニヤニヤと笑って見つめていた。まるで檻に閉じ込められた猛獣を、安全圏から見ているような余裕がある。
「なぜだァ! お前ッはァ! 何ッのためにィ!」
体が動かないオレオルは、せめて口だけは動かし続けた。
しかし、その声は苦しみに満ち溢れていた。聞いている方が、苦しく、いたたまれなくなってしまう。声に姿かたちがあるのなら、きっと血の涙を流していることだろう。
それでも、オレオルは構うことなく声を荒げ続ける。
「クレディも! トリクルも! なぜ、ここまでする必要がァ……ッ!」
「仕方ないだろう。全てはオレオル――、お前のためなんだから」
その言葉に、オレオルの世界は動きを止めた。息も、音も、視界も、オレオルから消えていく。
まるで世界の流れに、一人置いて行かれているような――、そんな感覚だった。
衝撃から抜け出せないオレオルは、震える喉を何とか抑えながら、
「……俺……の……ため……?」
ようやく言葉を紡ぐことが出来た。
今のトリクルの悲惨な現状は――、そしてクレディが殺されたということは、全て自分のためにやってくれたというのか。
――違う。俺のため、じゃない。
自分で問いかけながら、答えを聞くまでもなくオレオルは自分の頭で否定していた。
――俺のせいで、この町は……、クレディは……。
四肢を拘束されながらも、オレオルは弱々しく拳を握った。
オレオルの問いに、コルドはうっすらと微笑んだ。それは、今までのような狂笑ではなく、慈愛に満ち溢れた表情だった。
そして、オレオルの前で自らの膝を床に着けると、
「そうだ、オレオル。俺はな、お前には誰よりも強くなって欲しいと願っている。それが、俺なりの親心ってものだ。けど、この町の全ては、お前にとってただの足枷にしかならない。分かるか? だから、お前を弱くする足枷は全部壊すんだ。俺はお前のためなら、心を鬼にでもする」
自分の胸に手を当てながら、優しく語りかけた。
――違う。俺のため、なんかじゃ絶対ない。全てはお前自身のためだ。
結局、コルドの目的はただ一つだった。
オレオルという道具を利用して、コルド・ブリガンという人間を栄えようとさせたのだ。
しかし、クレディというコルドにとっての異分子に、オレオルが関わってしまったことによって、オレオルは自我を持ち始め、弱くなった。
だから、再びオレオルをかつてのような孤高の存在に戻すことを決めた。
そのためだけに、クレディやトリクルを壊し、更にはオレオルの心さえも砕いたのだ。
コルドの目論見通り、己の愚かさに絶望したオレオルは、いつものような他を圧倒する力を出せないまま、力なく項垂れた。
コルドはオレオルの姿を見て再び優しく微笑みかけると、オレオルから離れ、
「さぁ、これでお前を弱くする物は全部消えた! お前は俺の下で世界を手に入れるんだ!」
火の海に包まれるトリクルを見下ろしながら、大声を上げて笑った。
そんなコルドの高笑いを聞きながら、オレオルは自らの過ちを思う。
認識が甘かった。オレオルの心を完全に捕らえるために、コルドはクレディのことを利用してくるだろうと考えていた。だから、クレディの命は、少なくともオレオルがコルドの前に向き合うまでは無事だろうと踏んでいた。
けれど、実際は違っていた。
コルドはオレオルの心を一切の躊躇もなく砕くために、クレディの命を奪った。また、クレディの命だけでなく、オレオルの故郷となったトリクルも壊した。
そして、もぬけの殻となったオレオルを、コルドは再び自分の道具にしようと企んだ。
コルドの狙いは正しかった。
オレオルはクレディの死に、自分の想像以上に衝撃を受けていた。心も、体も、動かない。
「さぁ、立て! オレオル! 誰も俺達に逆らえないことを見せつけに行くぞ! 世界は俺のモノだ!」
コルドの声が頭上から降り注がれる。
いつの間にか、コルドの手下達はオレオルから離れていた。もうオレオルを拘束する物はない。けれども、オレオルは全く動くことが出来なかった。
オレオルの心を満たしているのは、後悔だった。
確かにオレオルは強かった。オレオルと戦えば、ほとんどの者はオレオルに手を触れられないまま終わる。まさに鬼人の如き強さだった。
しかし、オレオルは自分自身に勝てるほど強くなかった。
クレディに頼らず、自分自身でコルド・ブリガンとの関係に終止符を打てていれば、今のような悲劇は生まれなかったかもしれない。
――全部……、俺が弱いから……。
地に倒れ込んでいるオレオルは、拳を握り締めた。
――強く、……なりてぇ。
この時、オレオルは自分自身を否定し、ただ強さだけを求めた。
もしも誰の束縛も受けることのないほど強かったならば、クレディは死ななかった。いや、そもそも、オレオルは孤高に生きることを選び、クレディの運命に関わることはなかったはずだ。
全ては、オレオルの弱さが招いた結果――、そのようにオレオルは自分自身を責めていた。
手に余る強さを持つオレオルという人間には、自分の腕で解決する方法しか今も昔も知らなかったのだ。
だから、ただただ強くなることを願うように、拳を強く強く握り締めた。
――なぜ強さを求める?
そんなオレオルの切実な願い求めに応えるように、ふと誰かの声が頭の中に響いた。重く、老練で、まるで審判台の上に立っているような威厳のある強い声、その一方で心を惹き付ける甘い声だった。
――守るためだ。
突然響いた謎の声に、オレオルは全く動じることなく応えた。
オレオルは頭の中の問いかけに、自らを鼓舞するように更に拳を握る力を強くした。
――誰も俺のモノに手を出そうなんて考えられないくらいに、強くなって、全てを守る。だから。
だから、誰も近寄らせない強さを持てるなら、悪魔にでも身を渡そう。
――なら、私が力を貸してやろう。
その言葉の直後だった。
今まで不思議なほど力が入らなかったオレオルの体に、沸々と力が湧き出した。オレオルが生きてきた中で、一度も感じたことのないエネルギーがオレオルを包み込んでいる。
その力を確かめるように、オレオルは立ち上がった。
「ふっ、ようやく立ったか」
コルドは背中にオレオルが立ち上がる気配を感じ、ふっと唇を綻ばせた。
口角を上げるコルドの頭の中には、もはや自身がオレオルを使って世界を掌握する姿しか描かれていなかった。それほどまでにオレオルの力は強烈なのだ。
「さぁ! ここからお前は世界最強の――」
「――なってやるよ、お前が言う世界最強とやらに」
「ッ! ようやく分かってくれたか、オレオ――ッ!?」
歓喜に満ちたコルドが振り返った先には、今まで見知ったオレオルという人間はいなかった。そこにいたのは、禍々しい気に包まれ、見る者全てに恐怖を与える悪なる存在――とでも表現すべきだろうか。
確実に言えることは、オレオルの皮を被った別の何か、ということだ。
「――」
コルドを始め、この場にいる全ての者が言葉を発することが出来なかった。息一つすることさえ、出来なかった。
その中で唯一動くもの――、
「誰も俺を利用しようなんていう考えが浮かぶことのないくらい、最強になってやるよ! たった一人でなァ!」
そう高らかに叫ぶと、オレオルは重心を落とし、コルドに向かって走り出した。
「手始めにお前から潰してやる! コルド・ブリガン!」
「――ッ、お、お前達! 何をボーっと見ている! 早くこいつを潰せ!」
躊躇なく命を刈りに来るオレオルに、我を取り戻したコルドは手下達に命令を下した。
「お、オォォオォオオォ!」
切羽詰まったコルドの命令に、手下達も声を荒げることで闘志を湧き起こし、己が主君を守ろうと奮迅した。
しかし、その結果は火を見るよりも明らかなものだった。
***
「――はっ」
目の前に赤が広がる。
「――ハハッ」
その赤を見ていると、どうしようもなく満たされて、世界が不鮮明にぼやけ出す。
「ハハハ!」
そして、そのままオレオルという存在も消えていく。
――そんな感覚が、オレオルの中を強く激しく襲っていた。
もはやオレオルは何のために拳を振るっているのか、分からなくなっていた。これが強さを得るために払った代償というものだろうか。いや、違う。強さに理由なんて必要ない。元々オレオルは誰にも手が届かないほどの強さを求めていた。その強さが、これだ。
今、オレオルはコルドの手下達延べ百数人を相手にしているが、かすり傷一つ負っていない。仮にオレオルの体に赤い血が付いていたとしても、それはすべて相手の返り血だ。
オレオルは本能に身を任せ、ニヤリと笑う。
そうだ。今、己を満たすのは、ただ恍惚とした感情だ。
人を、物を、全てを壊すことに喜びを感じている。
拳を一振りすれば、十人は軽くまとめて打ちのめすことが出来る。
最初は溢れ過ぎる力に違和感を覚えていたが、今ではもはや自分の体の一部のようにさえ感じられる。
――もう誰も俺を止めることは出来ない!
この力があれば、オレオルは世界で一番強くなることも不可能なことではなかった。
オレオルは新しく得た力を試すように、嬉々と戦場を駆け回る。
そんな地獄絵図のような状況の中、ただ一人、地獄からこっそりと抜け出す人物がいた。
オレオルは言葉の意味をすぐに理解出来なかった。何とか少しでも情報を頭に叩き込もうと、コルドから聞いた言葉をそのまま口にするが、全くオレオルの腑に落ちることはない。
約束の丘なら、このコルドによる異変が起こるまで、ずっとオレオルはいた。その理由はもちろん、クレディを待つためだ。しかし、約束の丘にクレディが来ることはなかった。当然、丘を下った場所にもクレディの姿を確認することは出来なかった。
コルドは一体何を言っているのだろうか。
「そうだ、あの丘の地面に埋めたんだよ。昨日の陽が沈む前、あの女は生意気にも俺に向かってオレオルを自由にしろと言ってきやがった。しかも、全く物怖じしない毅然とした態度でな。今思い返すだけでもムカつくぜ……、まるで俺が誰なのか分かっていないような口ぶりだった。だから、制裁を加え、二度と俺に反抗出来ないようにしてやったのさ」
クレディがオレオルを置いて、一人丘から離れトリクルに戻った――、その足でクレディはコルドの元へ訪れていた。
――もうオレオルにひどいことをさせないで。
オレオルを思うクレディの瞳は清く澄んでいた。
――ねぇ、オレオルがどんな表情で笑うのか知ってる?
クレディは時折、コルドのことを憐れむような瞳で見つめた。
――あなたの傍にいても、オレオルは絶対に幸せになれないわ。
コルドの前で堂々と言葉を紡ぐクレディの瞳は一切揺れていなかった。
――だから、オレオルを自由に――。
そして、コルドはクレディの言葉を最後まで聞くことなく、手を掛けた。
「ククク、馬鹿だよな。わざわざ無駄な正義感をぶら下げて俺に盾突くことをしなければよかったものを」
オレオルはコルドの言葉を聞いても、動けずにいた。
クレディがコルドに殺されたという実感が湧かないのだ。昨日オレオルとクレディはいつものように丘の上で話し合っていた。
そして、約束したのだ。
――一緒に世界を回ろう、と。
あの時、空想を、夢を語るクレディの顔は、今でも鮮明に思い出せる。
まだオレオルの心の中では元気に笑っているというのに、本当に死んでしまったことが受け入れられなかった。
茫然と力なく立ち尽くすオレオルを見ると、コルドは獲物を掴み取る直前の獣のように口角を上げた。
「――まぁ、けど、丁度良かったかもな」
コルドは意味深に言葉を区切ると、
「どっちにしろ、いつかは処分しようと思っていた」
「――!」
その一言で、オレオルの中で完全に何かが切れる音がした。
オレオルは言葉を発することなく、全力でコルドに向かって走っていた。オレオルは握りすぎて血が流れる拳を、コルドに向かって思い切り振った。
しかし、その拳は――、
「――ッ」
無常にもコルドには届かなかった。
むしろ、コルドの手下の一人であるキースという男の攻撃を受け、オレオルは床に倒れ込んでしまう。
普段のオレオルならあり得ないことだったが、怒りで冷静に状況を判断できないオレオルには躱すことは出来なかった。そして、怒りに任せた一直線の攻撃など、いくらオレオルの攻撃だとはいえ、読まれて当然だった。
更に、状況は刻々と変わり、オレオルに頭を冷やす時間を与えない。
倒れたオレオルの動きを封じるために、四人の手下達がオレオルの四肢をそれぞれ押さえ込んだのだ。
「――ッ、離ッ、せ!」
オレオルは獣のように暴れ、拘束から抜け出そうとするが、その努力は無駄だった。力一杯振り払おうとしているのに、何故かいつものような力は出せず、無様に抑え込まれるだけだった。
そんな抑え込まれるオレオルに向かって、コルドが一歩一歩と近付いて来た。コルドが歩く度、靴と床がぶつかる音が心地よく響き渡る。
コルドはオレオルの目の前まで来ると、しゃがみ込み、
「ああ、可哀想なオレオル。あの女に出会わなければ、こんな苦しみを味わうことなんてなかったのに……」
「――ッ、コルドォォ!」
オレオルは目の前にいる敵に飛びかかろうとするも、四肢を押さえつけられているせいで動くことさえも叶わない。
オレオルがもがき苦しむ様を、コルドはニヤニヤと笑って見つめていた。まるで檻に閉じ込められた猛獣を、安全圏から見ているような余裕がある。
「なぜだァ! お前ッはァ! 何ッのためにィ!」
体が動かないオレオルは、せめて口だけは動かし続けた。
しかし、その声は苦しみに満ち溢れていた。聞いている方が、苦しく、いたたまれなくなってしまう。声に姿かたちがあるのなら、きっと血の涙を流していることだろう。
それでも、オレオルは構うことなく声を荒げ続ける。
「クレディも! トリクルも! なぜ、ここまでする必要がァ……ッ!」
「仕方ないだろう。全てはオレオル――、お前のためなんだから」
その言葉に、オレオルの世界は動きを止めた。息も、音も、視界も、オレオルから消えていく。
まるで世界の流れに、一人置いて行かれているような――、そんな感覚だった。
衝撃から抜け出せないオレオルは、震える喉を何とか抑えながら、
「……俺……の……ため……?」
ようやく言葉を紡ぐことが出来た。
今のトリクルの悲惨な現状は――、そしてクレディが殺されたということは、全て自分のためにやってくれたというのか。
――違う。俺のため、じゃない。
自分で問いかけながら、答えを聞くまでもなくオレオルは自分の頭で否定していた。
――俺のせいで、この町は……、クレディは……。
四肢を拘束されながらも、オレオルは弱々しく拳を握った。
オレオルの問いに、コルドはうっすらと微笑んだ。それは、今までのような狂笑ではなく、慈愛に満ち溢れた表情だった。
そして、オレオルの前で自らの膝を床に着けると、
「そうだ、オレオル。俺はな、お前には誰よりも強くなって欲しいと願っている。それが、俺なりの親心ってものだ。けど、この町の全ては、お前にとってただの足枷にしかならない。分かるか? だから、お前を弱くする足枷は全部壊すんだ。俺はお前のためなら、心を鬼にでもする」
自分の胸に手を当てながら、優しく語りかけた。
――違う。俺のため、なんかじゃ絶対ない。全てはお前自身のためだ。
結局、コルドの目的はただ一つだった。
オレオルという道具を利用して、コルド・ブリガンという人間を栄えようとさせたのだ。
しかし、クレディというコルドにとっての異分子に、オレオルが関わってしまったことによって、オレオルは自我を持ち始め、弱くなった。
だから、再びオレオルをかつてのような孤高の存在に戻すことを決めた。
そのためだけに、クレディやトリクルを壊し、更にはオレオルの心さえも砕いたのだ。
コルドの目論見通り、己の愚かさに絶望したオレオルは、いつものような他を圧倒する力を出せないまま、力なく項垂れた。
コルドはオレオルの姿を見て再び優しく微笑みかけると、オレオルから離れ、
「さぁ、これでお前を弱くする物は全部消えた! お前は俺の下で世界を手に入れるんだ!」
火の海に包まれるトリクルを見下ろしながら、大声を上げて笑った。
そんなコルドの高笑いを聞きながら、オレオルは自らの過ちを思う。
認識が甘かった。オレオルの心を完全に捕らえるために、コルドはクレディのことを利用してくるだろうと考えていた。だから、クレディの命は、少なくともオレオルがコルドの前に向き合うまでは無事だろうと踏んでいた。
けれど、実際は違っていた。
コルドはオレオルの心を一切の躊躇もなく砕くために、クレディの命を奪った。また、クレディの命だけでなく、オレオルの故郷となったトリクルも壊した。
そして、もぬけの殻となったオレオルを、コルドは再び自分の道具にしようと企んだ。
コルドの狙いは正しかった。
オレオルはクレディの死に、自分の想像以上に衝撃を受けていた。心も、体も、動かない。
「さぁ、立て! オレオル! 誰も俺達に逆らえないことを見せつけに行くぞ! 世界は俺のモノだ!」
コルドの声が頭上から降り注がれる。
いつの間にか、コルドの手下達はオレオルから離れていた。もうオレオルを拘束する物はない。けれども、オレオルは全く動くことが出来なかった。
オレオルの心を満たしているのは、後悔だった。
確かにオレオルは強かった。オレオルと戦えば、ほとんどの者はオレオルに手を触れられないまま終わる。まさに鬼人の如き強さだった。
しかし、オレオルは自分自身に勝てるほど強くなかった。
クレディに頼らず、自分自身でコルド・ブリガンとの関係に終止符を打てていれば、今のような悲劇は生まれなかったかもしれない。
――全部……、俺が弱いから……。
地に倒れ込んでいるオレオルは、拳を握り締めた。
――強く、……なりてぇ。
この時、オレオルは自分自身を否定し、ただ強さだけを求めた。
もしも誰の束縛も受けることのないほど強かったならば、クレディは死ななかった。いや、そもそも、オレオルは孤高に生きることを選び、クレディの運命に関わることはなかったはずだ。
全ては、オレオルの弱さが招いた結果――、そのようにオレオルは自分自身を責めていた。
手に余る強さを持つオレオルという人間には、自分の腕で解決する方法しか今も昔も知らなかったのだ。
だから、ただただ強くなることを願うように、拳を強く強く握り締めた。
――なぜ強さを求める?
そんなオレオルの切実な願い求めに応えるように、ふと誰かの声が頭の中に響いた。重く、老練で、まるで審判台の上に立っているような威厳のある強い声、その一方で心を惹き付ける甘い声だった。
――守るためだ。
突然響いた謎の声に、オレオルは全く動じることなく応えた。
オレオルは頭の中の問いかけに、自らを鼓舞するように更に拳を握る力を強くした。
――誰も俺のモノに手を出そうなんて考えられないくらいに、強くなって、全てを守る。だから。
だから、誰も近寄らせない強さを持てるなら、悪魔にでも身を渡そう。
――なら、私が力を貸してやろう。
その言葉の直後だった。
今まで不思議なほど力が入らなかったオレオルの体に、沸々と力が湧き出した。オレオルが生きてきた中で、一度も感じたことのないエネルギーがオレオルを包み込んでいる。
その力を確かめるように、オレオルは立ち上がった。
「ふっ、ようやく立ったか」
コルドは背中にオレオルが立ち上がる気配を感じ、ふっと唇を綻ばせた。
口角を上げるコルドの頭の中には、もはや自身がオレオルを使って世界を掌握する姿しか描かれていなかった。それほどまでにオレオルの力は強烈なのだ。
「さぁ! ここからお前は世界最強の――」
「――なってやるよ、お前が言う世界最強とやらに」
「ッ! ようやく分かってくれたか、オレオ――ッ!?」
歓喜に満ちたコルドが振り返った先には、今まで見知ったオレオルという人間はいなかった。そこにいたのは、禍々しい気に包まれ、見る者全てに恐怖を与える悪なる存在――とでも表現すべきだろうか。
確実に言えることは、オレオルの皮を被った別の何か、ということだ。
「――」
コルドを始め、この場にいる全ての者が言葉を発することが出来なかった。息一つすることさえ、出来なかった。
その中で唯一動くもの――、
「誰も俺を利用しようなんていう考えが浮かぶことのないくらい、最強になってやるよ! たった一人でなァ!」
そう高らかに叫ぶと、オレオルは重心を落とし、コルドに向かって走り出した。
「手始めにお前から潰してやる! コルド・ブリガン!」
「――ッ、お、お前達! 何をボーっと見ている! 早くこいつを潰せ!」
躊躇なく命を刈りに来るオレオルに、我を取り戻したコルドは手下達に命令を下した。
「お、オォォオォオオォ!」
切羽詰まったコルドの命令に、手下達も声を荒げることで闘志を湧き起こし、己が主君を守ろうと奮迅した。
しかし、その結果は火を見るよりも明らかなものだった。
***
「――はっ」
目の前に赤が広がる。
「――ハハッ」
その赤を見ていると、どうしようもなく満たされて、世界が不鮮明にぼやけ出す。
「ハハハ!」
そして、そのままオレオルという存在も消えていく。
――そんな感覚が、オレオルの中を強く激しく襲っていた。
もはやオレオルは何のために拳を振るっているのか、分からなくなっていた。これが強さを得るために払った代償というものだろうか。いや、違う。強さに理由なんて必要ない。元々オレオルは誰にも手が届かないほどの強さを求めていた。その強さが、これだ。
今、オレオルはコルドの手下達延べ百数人を相手にしているが、かすり傷一つ負っていない。仮にオレオルの体に赤い血が付いていたとしても、それはすべて相手の返り血だ。
オレオルは本能に身を任せ、ニヤリと笑う。
そうだ。今、己を満たすのは、ただ恍惚とした感情だ。
人を、物を、全てを壊すことに喜びを感じている。
拳を一振りすれば、十人は軽くまとめて打ちのめすことが出来る。
最初は溢れ過ぎる力に違和感を覚えていたが、今ではもはや自分の体の一部のようにさえ感じられる。
――もう誰も俺を止めることは出来ない!
この力があれば、オレオルは世界で一番強くなることも不可能なことではなかった。
オレオルは新しく得た力を試すように、嬉々と戦場を駆け回る。
そんな地獄絵図のような状況の中、ただ一人、地獄からこっそりと抜け出す人物がいた。
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カスタム王国の伯爵令嬢ことアリシアは、慕っていた侯爵令息のランドールに婚約破棄を言い渡された
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「なに、他に好きな女性ができただけだ。お前は少し固過ぎたようだ、私の隣にはふさわしくない」
悲しみに暮れたアリシアは、兄に婚約が破棄されたことを告げる
それを聞いたアリシアの腹違いの兄であり、現国王の息子トランス王子殿下は怒りを露わにした。
腹違いお兄様の復讐……アリシアはそこにイケない感情が芽生えつつあったのだ。
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