英雄の弾丸

葉泉 大和

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3-04 無意識の悪意

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 先ほど何者かに攫われそうになっていたディアナという女の子を母親の無事に帰した後、クルムとシンクは道の真ん中から離れ、今度こそ腰を落ち着かせていた。

「あー、もやもやする!」

 しかし、シンクの心は落ち着くことはなく、むしろ荒立っていた。先ほどのやり場のない怒りを、言葉にすることで発散しているようだ。

「なんなんだ、さっきの女は! せっかく子供を助けてやったのに礼の一つくらい言えねーのか! なぁ、クルムもそう思うだろ?」

 同意を求めるように、シンクはクルムの方を向いた。しかし、クルムはいつもと変わらない穏やかな表情だった。むしろ、その顔は達成感に満ち溢れていた。

 その表情を見たシンクは一層やり切れない思いが溢れ出し、

「笑ってんじゃねー! クルムはそのままでいいのか? ちゃんと分かってもらえてねーんだぞ!」
「いいんですよ、それで誰かの笑顔を取り戻せるなら」

 興奮して語気を強くするシンクに、クルムは真っ直ぐにオーヴの大通りを見据えながら言った。

 そのクルムの声に、シンクは二の句を継ぐことが出来なかった。シンクから見えるクルムの横顔は、いつものように優しかった。
 静かになったシンクに向き直ると、クルムは真剣な表情を見せる。シンクは一瞬怯んでしまった。しかし、それでもクルムの表情は変わらない。

「シンク、僕は誰かにお礼を言われたくて、褒められたくて、この仕事をやってるんじゃありません。誰かの力になるために、僕は世界を旅しているんです」

 クルムがシンクに掛けた言葉は、子供に対して話すものではなく、一人の人間として対等に向き合っているからこそ言える言葉だった。

 クルムはいつもそうだ。幼いからといって、絶対に見くびることはしない。その人の個性を尊重して、接する。

 そのことがシンクにも伝わって来るから、

「……。それにしてもさ。この町、クルムに対して態度悪くねーか? クルム、実はこの町でなんかしたんじゃねーの?」

 居たたまれない思いを抱えながら、シンクは率直に頭に思い浮かんでいることを言葉にした。
 クルムはシンクの言葉に困ったような笑みを浮かべた。

「いえ、僕はこの町に来るのは初めてです。こうなってる原因は恐らく――」

 しかし、クルムは話の途中で言葉を区切った。クルムの表情は真剣そのもので、こうなっている原因に目星がついているのだろう。

「……おそらく?」

 シンクはクルムの話の続きが気になって、クルムが区切った言葉を反芻することで先を促した。
 クルムとシンクの視線がぶつかる。

 クルムはゆっくりと頷くと、口を開き――、

「クルム!」

 その時だった。
 クルムの名を呼ぶ声が、オーヴ中に届き渡るような声量で響いた。

 その声に、クルムとシンクは話を止めた。声の聞こえた方向を向くと、そこにはリッカがいた。世界政府のオーヴ支部から戻ってきたリッカの表情は、遠目からでも分かるほど青ざめていた。
 クルムとシンクはリッカだけに走らせることをせず、自分たちもリッカに走り寄る。

「リッカさん、どうでしたか?」
「……」

 クルムの問いに、リッカからの返事はなかった。乱れる呼吸を整えるためか、それとも震える手を治めるためか、胸の前で両手を強く重ねている。そして、若草色の双眸は、クルムを捉えることはない。
 今までに見たことのない姿だった。

「リッカさん?」
「……っ」

 再びクルムが名前を呼ぶことで、ようやく反応らしい反応がリッカに表れた。しかし、リッカの瞳はまだ忙しなく動き、一点に留まることはない。

 リッカは俯き、決意を籠めるように深く息を吐くと、

「クルム、あの、ね」

 ようやく唇を動かしたリッカの声は、震えていた。何をどう説明すべきか、迷っているようだ。

「あの、実は」
「ゆっくり落ち着いてからで大丈夫ですよ」
「……え?」

 クルムの言葉に、リッカの口から間の抜けた声が漏れ出した。

 リッカは自分が何を言われたのか理解出来ず、顔を上げた。クルムの温かな眼差しがリッカに注がれている。

「リッカさんの様子を見ていたら、何か良くないことがあったのだなと想像出来ます。僕は何があったとしても大丈夫ですから、リッカさんの心に整理がついたら話してください」

 いつも通りに笑みを浮かべるクルムに、リッカは息を詰まらせた。

 クルム・アーレントという人物は、自分の状況が悪くなっていることを自覚しながらも、他者を思いやることの出来る優しい心の持ち主だ。

 リッカはクルムの過去を知らないが、今まで旅をして来た少ない時間の中で、クルムがいつも人のことを気にかけていたのを目の当たりにした。それは、一朝一夕で出来ることではないし、クルムが昔からそのように生きたという証だろう。
 そんな優しいクルムの心を抉るような風評が、この町を――否、この世界を覆い始めていることを、先ほど訪れたオーヴ支部でリッカは知ってしまった。

 もし人当たりが厳しくなった理由を私が伝えたら、クルムはどれほど傷付くだろうか――、そのように考えるとリッカはなかなか口を開くことが出来なかった。

 しかし、この風評はもうリッカなどには止める術がないほどに世界に対して歯牙を向けている。ここで黙っていたって、いつか最悪の形でクルムの耳に入ってしまうだろう。

 この風評は、他の人の口から聞かせたくない。

 リッカはそう思い、決心するように右手を力強く握り締めると、真っ直ぐにクルムを見つめ、

「二日前のヴェルルでのあの一件があってから、クルムの立場がかなり悪くなっている」

 はっきりと隠すことなく断言した。

「立場……? どういうことだよ!?」

 リッカの言葉に驚きの声を上げるシンクに対して、クルムは顔色一つ変えず、まさに冷静そのものだった。
 リッカは言葉を詰まらせながら、どこから説明すべきか迷うように、自らの後頭部に触れた。

「えっと、その――」
「恐らくきっかけは、僕がシエル教団によって行なわれていた巡回のハイライトを邪魔して、あの場所に立ってしまったことでしょう」

 クルムはリッカに助け舟を出すように、落ち着いた声音で推測を口にする。

 オーヴの前に訪れた町ヴェルルでは、ダオレイス史上で最も有名な人物である英雄シエル・クヴントを絶対視し、その伝統を守り継ぐ使命を担っているシエル教団の巡回が行なわれていた。英雄を待ち望むダオレイスにとってあまりにも重要な行事であるこの巡回を、クルムは仕方がなかったとはいえ、一度台無しにしてしまった。

 それがアドウェナ社という新聞屋にいいように記事にされた。既に罪人という肩書を背負ってしまっているクルムは、英雄に仇成す者――否、ダオレイスという世界そのものに仇成す者として、更に世間から恐れられるようになった。

 アドウェナ社が作り上げた記事はある事ない事が適当にでっちあげられているものだった。ただ人の興味を惹くためだけの、乱雑とした文字。当人の意志や事情は無視されており、人を人とも思わない内容。知っている人が読めば、何とひどい話だと思うだろう。
 しかし、その影響がヴェルルに近い町オーヴで露骨に表れ、クルムは町全体から排斥されてしまった。

 リッカはクルムの言葉に、小さく頷き、同意する。

「そんなの、クルムは知らずにあの場所に立っちまったんだから、仕方ないだろ!?」
「世間にはクルムの事情なんて関係ない。あの場所に立って巡回を邪魔したという記事が、少なくともグリーネ大国には広まってしまっていて――、人々はそういう目でクルムのことを見るようになる」

 シンクは拳を握りながら、オーヴで起こった一連の出来事を思い出した。

 確かに、クルムに対するオーヴの人たちの接し方は異常だった。皆、なるべくクルムと関わりを持たないようにし、誤って接してしまったとしても恐怖心と敵意をむき出しにする。

 クルムを残虐な罪人として見れば、その接し方は正しいだろう。けれど、オーヴの人は先入観をもってクルムを見てしまっているだけで、実際にクルムと接したわけではない。
 本当のクルム・アーレントは、誰よりも優しくて正義感を持った人間だ。

 その事実を分かってもらえないことが、シンクにはもどかしく感じられた。

 怒りに震えるシンクに、リッカは一瞥すると、

「それと悪い状況がこのオーヴでは重なっていて……」

 クルムに視線を向けた。クルムは口を挟むことなく、一度だけ小さく頷いた。どんな事実が待ち受けようとも、クルムは受け入れる覚悟がある。
 言葉はなくとも、リッカはしっかりとクルムの意図を受け取った。

「どうやら、このオーヴでは、ここ数日で人が攫われる事件が相次いで起こっているようなの」
「人が……攫われる……?」

 シンクが反芻した言葉に、リッカは「うん」と声を漏らしながら、頷いた。

「私も詳しいことは分からないんだけど、オーヴ支部の方でも手を煩わせているみたいで。……、いや、そもそもこの町に滞在する世界政府の人は一人だから、事件の方まで対応出来ていないんだと思う」

 見ての通り、オーヴという町は住む人も少なく、大きな事件が起こるということはそうそうない。だから、各町に滞在している世界政府の人員も、この町に割り当てられているのはたった一人――アレイナ・リーナスという温和な性格をした女性だけだった。

 人が攫われる事象が頻発しているということは、この町にとって予想だにしなかった事件なのだ。

「人攫いが起こっているのと、クルムがどう関係してくるんだ?」

 シンクは自身の中で芽生えた純粋な疑問を口に出す。

「つまり、ね。この町の人は、正体不明な人攫いの姿を、目に見える形で現れた罪人クルムに映し出しているの。そうすれば、いくらか恐怖心は減るでしょ?」
「……ッ!」

 リッカの言葉に衝撃を受けたシンクは、一人クルムとリッカから離れ、歩き出そうとしていた。

「どこに行くつもりなの?」
「この町の奴らに話してくる。そんなくだらない理由で、クルムを傷つけてもいい理由にはならねーだろ」
「シンク。気持ちは嬉しいですが、そこまでしなくても大丈夫ですよ」

 クルムの声に、シンクは足を止めた。そして、

「じゃあ、どうす――!」

 振り返りざまに荒げた言葉は、最後まで発されることなく、シンクの喉奥で留まった。

 被害者本人であるはずのクルムは、いつもと変わらない姿で立っていた。

「僕は誤解されることには慣れています。それに、強引に解こうとすると、余計に絡まるものです。そこに時間を割くよりも、僕たちにはすべきことがあります」

 クルムはリッカとシンクを順に見た。

 人助けを生業とするクルムがこれから取ろうとする言動を、リッカもシンクも読めている。ならば、今は本人の意図を汲んで、クルムの誤解を解くことよりも人が攫われるという恐ろしい事件を止める方が先だ。

 しかし、問題は解決するための糸口だ。今のままでは、明かりも持たずに先の見えない暗い洞窟へと潜り込むような、無謀な行動にしかならない。

 そこでシンクは思い出したように、ハッと息を呑んだ。

「……まさか、さっきのあの女」
「ええ、ディアナさんを攫おうとしていた人物が関係しているはずです。その男の人にもう一度会うことができれば、あるいは……」

 クルムの目は、力強く前を見据えていた。

「え、ちょっと待って。もしかしてクルム達、人攫いの一味にもう会ってるの……?」

 クルムとシンクがお互い先を見据えようとしている中、一人状況についていけないリッカは頭を押さえながら、二人に問いかけた。

 リッカがオーヴ支部に行っている間、問題を起こさず静かに待っているよう、クルムとシンクに念を押していたはずだ。
 それがどうして、人攫いの現場に鉢合わせることになるというのか。

「ああ。俺はその現場にはいなかったけど、クルムが丁度立ち会わせて、女の子を助けたんだ」

 そんなリッカの心配をよそに、自信満々に、あたかも手柄を得たと言い張りたいような笑顔を向けている。
 リッカはため息を吐きたくなったが、肯定的に受け止めようと思い、余計な口を挟むことはしなかった。
 暗闇の中で一筋の光明が差し込んだのだ。それに、クルムとシンクには何事もなかったのだから、良しとしよう。

「でも、そのあとの彼の足取りは分かっておらず……」

 そして、シンクの後を引き継いで、クルムが説明をした。

 せっかくの情報だったが、再び振り出しに戻ってしまった。件の人物を見失ってからだいぶ時間が経っている。今頃オーヴには――少なくとも、クルム達が容易に探せるような場所にはいないだろう。
 今回クルムが人攫いを途中で阻止したことで、彼らはますます人に見つからないよう、忍んで行動をするだろう。そのような条件で見つけることは簡単ではない。手詰まりだ。

 しかし、それでも――、

「それでも、まずは人攫いの一派とも思われる男の人を探して、事情を聴くしかありません」

 クルムは正面を見据えて、力強く言い切った。段取りの悪い地道な策だとしても、困っているオーヴの人達を助けるために、クルムはただ無闇に時間を過ごすことを選ばなかった。

 リッカとシンクも、クルムの意見に同意する。

「なら、まずは――」
「君たち、ちょっといいか?」

 これから取る具体的な行動を話し合おうとした直後だった。

 クルム達の背後から、耳に重くのしかかるような渋い男の声が聞こえた。その突然の声に、クルム達は振り返る。
 そこにいたのは、その声とは裏腹に、見た目は若い青年だった。

 青年は武装しているが、田舎のオーヴということもあり、本格的な装備ではなかった。左胸部――すなわち心臓を守るための、必要最低限な防具を纏っていた。そして、彼の手に収められる武器――長い柄の先に申し訳程度についた銀色の刃物は、戦闘をこなすには分が悪く、おそらく護身用だろう。
 青年の恰好から、平時、争いとは無縁な生活をオーヴでは送れていたということが読み取れる。この装備も急ごしらえで用意したものに違いない。

 クルム達が目の前にいる青年を確認するように、青年もクルム達のことを値踏みするように見つめていた。

 やがて、クルム達のことを見定め終わったのか、青年は溜め息を吐くと、刃のついていない柄の部分で地面を叩いた。まるで、この場を仕切るような行動だ。

 青年の振る舞いに、クルム達は身構えた。
 今やクルムの評判は英雄に仇成す罪人として見られている。目の前にいる青年が、いきなりクルムのことを問い詰め、捕らえようとしても不思議ではない――むしろ、あり得ることだ。

「町の大通りで人々の恐怖を煽るような話をするのはやめてもらおうか」

 しかし、青年が発した言葉はクルム達が想像していたものとは違った。
 
 言葉を失うクルム達に、自分の放った言葉が理解されていないと思ったのか、青年はやれやれと言いたいように再び溜め息を吐くと、

「今この町の人達は、一連の事件のせいで、不安な心境に陥ってしまっている。だから、人攫いとか、そのような単語を道端で使うのはやめてくれ」
「すみませんでした」

 高圧的な態度で話す青年に、クルムはいつものように丁寧な仕草で接する。

 クルムの態度が予想外だったのか、青年は一瞬たじろいだが、

「私について来い」

 すぐに業務をこなすような口調で淡々と言うと、クルム達に背を向け、先を歩き出した。

「……嫌だと言ったら?」

 どこか別の場所に連れて行こうとする青年の真意を計りかねて、リッカは問いかける。その声には警戒心が隠すことなく込められていた。

 リッカの質問に青年は足を止める。

 そして、青年は一度だけ侮蔑するように短く息を吐くと、

「断るのならば、今すぐにでもこの町から出て行ってもらおう」

 青年は冷たく重い声で断言した。

 その声に、そして青年の冷めた目に、クルム達は息を呑んだ。青年に只ならぬ雰囲気を感じ取ったのだ。
 しかし、次の瞬間、青年は狙い通りと言いたいように口角を上げると、

「――なに、付いてきてもらえるならば、悪いようにはしない。むしろ、君たちが欲しがっている情報を与えると約束しよう」

 早口で言い終えて、再び歩き始めた。

 質問をしたリッカは、先を歩く青年の背中を訝しむように見つめた。

 青年の意図は分からない。何をしたいのか、何をさせたいのか、その全てが一切不明だ。いきなり現れて、名前も知らない人物の後についていくのは、いささか不安だ。

 しかし、

「迷っていても、仕方ありません。一度、彼について行ってみましょう」
「え、ちょ、クルムっ!」

 時間が惜しいと言いたいように、クルムはリッカの言葉を聞かずに青年の後を追った。

「まぁ、クルムがじっとしているなんて考えられないよな」
「……そうね。しょうがない、私たちも早く後を追いましょう」

 リッカとシンクも、クルムに置いて行かれないように、迷いを捨てて歩き出した。
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