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弐拾弐:本当に強い人
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秦野高校の敵将・霜杉剣児は、待ち構える更科に対峙するため、ゆっくりと椅子から腰を上げた。
その様子を、YOMIにいる人物全員が息を呑んで見守る。
俺と更科がYOMIに入った時、秦野高校の不良達は各々好きな場所に散らばっていた。誰がどこに何人いるのか、それさえ把握するのに手間取るほどだった。
しかし、今は敵将である霜杉を除いた四十人の秦野高校の不良達が、YOMIの端の方に一か所に固まっていた。怒気を出していた秦野高校の人達は、今は大人しくなっており、ゲームの行く末を見守っている。
俺も、秦野高校の人達から視線を移し、真ん中を見た。
この風船割りゲームという名の喧嘩の終着点は、YOMIの中央に立つ更科と霜杉の二人に委ねられた。
今まで四十人もの人数を相手にして来た更科と、体力を温存するために座り続けていた霜杉は、真剣に向き合っていた。
誰も二人の間に口を挟むような真似は出来ない。それほどの緊張感が、二人の間に流れていた。永遠に続いてしまいそうな時間が、YOMIを支配している。傍観者である俺でさえ呼吸をするのを躊躇ってしまうほどだ。
しかし、現実はこの時間が留まり続けることはない。
「――さぁ、このゲームもあと一人……、あなただけで終わりよ。これ以上プライドをずたずたにされたくなければ、ここで降参することをオススメするわ」
更科が小さく息を吐き、言葉を紡いだ。
更科の口調は本気だ。秦野高校の不良が四十一人も集まって、たった一人の女子生徒に勝てなかったとなれば、男としての立場はなくなってしまう。加えて、更科と対峙している霜杉剣児という人物は、秦野高校の伝統を覆した名のある人間だ。
もし、霜杉が更科に負けたと噂が広まってしまえば、彼の立場は地に落ちてしまうだろう。
しかし、霜杉は何も答えずに、じっと更科のことを見つめているだけだった。霜杉の視線が、更科の頭からつま先まで、余すところなく更科の輪郭をなぞっていく。まるで更科茉莉という人間を値踏みするかのようだ。
更科は何も言わずに、その霜杉の視線に耐えていた。だが、微かに更科の肩が上下していく。遠く離れた俺でさえ、見て分かる。
更科は肩で息をするまでに疲れている。当然だ。今まで四十人という人数を、たった一人で相手にしていたのだ。軽くあしらっているように見えたとは言え、実際は相当の体力を消耗していたに違いない。
「――くくっ」
やがて、霜杉が笑い声を上げた。その声は小さく短かったが、この静かなYOMIという空間の中でははっきりと目立ってしまう。
「私、面白いこと言ったかしら?」
「いやぁ、悪い悪い。まさかこんな多勢に無勢と取れる状況で、お前に傷一つ与えるどころか、そのふざけた面すらも取ることの出来ないという現実を迎えるとは思わなくてな。この予想は、馬鹿馬鹿し過ぎて一番先に除外していたのだが……」
途中で霜杉は言葉を区切ると、周りを見渡す。霜杉と同じ秦野高校の人達が、申し訳なさそうに静かに俯いていた。
「こいつらが、ここまで役立たずとは思わなかった」
その言葉に、僅かに拳を握り締める者もいた。しかし、霜杉は彼らの反応に意を介することなく、更科に向き合い直す。一瞬だけ、霜杉は嫌らしく口角を上げる。
「それに比べて、お前は大した奴だな。気に入った」
霜杉の最後の一言を聞いた更科は、一度だけ肩を震わせた。当事者でない俺も、何故か身の毛がよだつほどの本能的恐怖を感じてしまう。心の中がざわめき、気分が悪い。実際向き合っている更科はどれほどの嫌悪感を抱いているだろうか。
そんな心境を察しているのか、警戒を解くように霜杉はゆっくりと一歩近づくと、
「どうだ? 俺と手を組まないか。俺とお前が手を組めば、天下を取ることだって目指せる」
真っ直ぐ更科に向かって手を伸ばした。
霜杉の言葉に、YOMI全体が騒然とする。まさかこの状況で、霜杉が敵である更科を味方に引き込もうとするとは誰も予想しなかった。
更科の実力を見極めるために、霜杉はずっと席に座ってゲームの行く末を見つめていた。そして、このゲームの中で、見事更科の力は霜杉に買われた――否、買われてしまったのだ。
「もし手を取ると言うのなら、天下を見せてやるだけじゃなく、今までの無礼も――」
「私、自分より出来ない男と付き合うつもりなんてないし、天下なんて興味ないわ」
更科は霜杉の提案に興味を抱いている素振りを見せることなく、ハッキリと断った。
あまりに毅然とする更科に、霜杉は一瞬に呆気に取られるが、すぐに立て直し、
「……ハハ、言ってくれるねぇ。少なくとも、今お前が共にしている後ろの男よりは俺は強いぜ?」
俺を指さして言った。
そして、霜杉の言葉にYOMI全体がどっと盛り上がる。
当然だ。秦野高校の頂点に立つ霜杉に比べたら、俺なんて路傍の石のような存在だ。実際、昨日だって俺は霜杉の前で抵抗することも出来ず、一発KOを喰らった。
俺は否定することなく、ただ事実を受け止める。
「ふふっ」
俺に背を向けている更科が、ふと笑みを零した。誹謗でもなく、馬鹿にするようでもなく、今この場に似つかない呆れたような笑い声に、霜杉は眉間に皺を寄せる。
「何がおかしい?」
「ごめんなさい、典型的な短絡思考で笑いを隠しきれなくて」
「あぁ?」
お面を被っているにも関わらず口元を隠す素振りを見せる更科に、霜杉は苛立ちを隠しきれない声を上げる。
霜杉が更科に注目していることを感じた更科は、砕けた様子も、ふざけた様子もなくし、真っ直ぐに向き合うと、
「自分より弱い人間を使って、自分を強く見せようとするなんて本当に可哀想な人達ね。相手が弱い人だろうと強い人だろうと、好きな人だろうと嫌いな人だろうと、自分とは無関係な人であろうと、変わらない心で接する人――、それが本当に強くて慕われる人間よ」
今までにない真剣な声音で語った。まるで更科自身が、身をもって体験したかのような、そんな力強い口調だ。その口調からは、更科が何を芯として生きているのか、もしくは生きようとしているのか、伝わって来る。
目の前の華奢な背中は、いつも俺と一緒に隣の席で授業を受けている同じ高校二年生のようには見えなかった。
霜杉は一瞬更科に呆気を取られているが、すぐに立て直し、
「……訂正だ。俺とお前は価値観が違いすぎるようだ。お前とは頼まれても付き合わねぇ」
「とても光栄だわ」
更科は優しく言葉を紡ぐ。お面の裏に隠れて分からないが、きっと微笑んでいるだろう、と思う。
しかし、すぐにそんなことを考える余裕はなくなり、再びゲームが始まる。
先に攻撃を仕掛けに行ったのは更科だった。霜杉に向かって低姿勢で走り込んでいる。霜杉も迎え撃とうと、大きく体を構えていた。その構えは風船を守ることなど一切考えていないようで、絶対に負けないという自信がそのまま表れているのだろう。
そんな霜杉の自信を打ち砕くように、更科は正面から風船を割りに行こうとする。
「おらァ!」
しかし、霜杉のつま先が更科のお面に向かって、襲い掛かった。お面の死角――真下からの攻撃だ。更科の顎に霜杉の蹴り上げを喰らってしまったら、いくら更科とはいえ只では済まないはずだ。
更科は霜杉が攻撃を仕掛けていることに気付いていないのか、まだ走り込んでいる。
霜杉の攻撃が当たるまで残り数センチ――、というところで、危機を察知した更科はギリギリのところで体を右にずらし、何とか髪だけを掠めるだけで回避した。しかし、無理な急展開をしてしまったため、更科の体は勢いよく転がる。
更科は地面に手をついて横転の勢いを殺すと、霜杉のことを視界に捉えようとする。すぐに反撃を仕掛けようとする姿勢は、さすがの一言だ。
俺は更科も風船も無事だったことに、一息吐く。
だが、そんな安堵も束の間だった。
「終わった気になってんのかァ!」
更科が地面に手をついてしゃがみ込んでいることを好機とし、霜杉は風船を目がけて――ではなく、更科の腹に向かって再度蹴り上げて来た。
更科は地面から手を離し、咄嗟に両腕を出してガードする。しかし、更科の予想よりも霜杉の攻撃が重かったのか、更科は耐えきることが出来ずに吹っ飛ばされてしまった。
更科が壊れたゲーム機に打ち付けられたことで、鈍く、嫌な音がYOMIに響いた。
秦野高校の敵将・霜杉剣児は、待ち構える更科に対峙するため、ゆっくりと椅子から腰を上げた。
その様子を、YOMIにいる人物全員が息を呑んで見守る。
俺と更科がYOMIに入った時、秦野高校の不良達は各々好きな場所に散らばっていた。誰がどこに何人いるのか、それさえ把握するのに手間取るほどだった。
しかし、今は敵将である霜杉を除いた四十人の秦野高校の不良達が、YOMIの端の方に一か所に固まっていた。怒気を出していた秦野高校の人達は、今は大人しくなっており、ゲームの行く末を見守っている。
俺も、秦野高校の人達から視線を移し、真ん中を見た。
この風船割りゲームという名の喧嘩の終着点は、YOMIの中央に立つ更科と霜杉の二人に委ねられた。
今まで四十人もの人数を相手にして来た更科と、体力を温存するために座り続けていた霜杉は、真剣に向き合っていた。
誰も二人の間に口を挟むような真似は出来ない。それほどの緊張感が、二人の間に流れていた。永遠に続いてしまいそうな時間が、YOMIを支配している。傍観者である俺でさえ呼吸をするのを躊躇ってしまうほどだ。
しかし、現実はこの時間が留まり続けることはない。
「――さぁ、このゲームもあと一人……、あなただけで終わりよ。これ以上プライドをずたずたにされたくなければ、ここで降参することをオススメするわ」
更科が小さく息を吐き、言葉を紡いだ。
更科の口調は本気だ。秦野高校の不良が四十一人も集まって、たった一人の女子生徒に勝てなかったとなれば、男としての立場はなくなってしまう。加えて、更科と対峙している霜杉剣児という人物は、秦野高校の伝統を覆した名のある人間だ。
もし、霜杉が更科に負けたと噂が広まってしまえば、彼の立場は地に落ちてしまうだろう。
しかし、霜杉は何も答えずに、じっと更科のことを見つめているだけだった。霜杉の視線が、更科の頭からつま先まで、余すところなく更科の輪郭をなぞっていく。まるで更科茉莉という人間を値踏みするかのようだ。
更科は何も言わずに、その霜杉の視線に耐えていた。だが、微かに更科の肩が上下していく。遠く離れた俺でさえ、見て分かる。
更科は肩で息をするまでに疲れている。当然だ。今まで四十人という人数を、たった一人で相手にしていたのだ。軽くあしらっているように見えたとは言え、実際は相当の体力を消耗していたに違いない。
「――くくっ」
やがて、霜杉が笑い声を上げた。その声は小さく短かったが、この静かなYOMIという空間の中でははっきりと目立ってしまう。
「私、面白いこと言ったかしら?」
「いやぁ、悪い悪い。まさかこんな多勢に無勢と取れる状況で、お前に傷一つ与えるどころか、そのふざけた面すらも取ることの出来ないという現実を迎えるとは思わなくてな。この予想は、馬鹿馬鹿し過ぎて一番先に除外していたのだが……」
途中で霜杉は言葉を区切ると、周りを見渡す。霜杉と同じ秦野高校の人達が、申し訳なさそうに静かに俯いていた。
「こいつらが、ここまで役立たずとは思わなかった」
その言葉に、僅かに拳を握り締める者もいた。しかし、霜杉は彼らの反応に意を介することなく、更科に向き合い直す。一瞬だけ、霜杉は嫌らしく口角を上げる。
「それに比べて、お前は大した奴だな。気に入った」
霜杉の最後の一言を聞いた更科は、一度だけ肩を震わせた。当事者でない俺も、何故か身の毛がよだつほどの本能的恐怖を感じてしまう。心の中がざわめき、気分が悪い。実際向き合っている更科はどれほどの嫌悪感を抱いているだろうか。
そんな心境を察しているのか、警戒を解くように霜杉はゆっくりと一歩近づくと、
「どうだ? 俺と手を組まないか。俺とお前が手を組めば、天下を取ることだって目指せる」
真っ直ぐ更科に向かって手を伸ばした。
霜杉の言葉に、YOMI全体が騒然とする。まさかこの状況で、霜杉が敵である更科を味方に引き込もうとするとは誰も予想しなかった。
更科の実力を見極めるために、霜杉はずっと席に座ってゲームの行く末を見つめていた。そして、このゲームの中で、見事更科の力は霜杉に買われた――否、買われてしまったのだ。
「もし手を取ると言うのなら、天下を見せてやるだけじゃなく、今までの無礼も――」
「私、自分より出来ない男と付き合うつもりなんてないし、天下なんて興味ないわ」
更科は霜杉の提案に興味を抱いている素振りを見せることなく、ハッキリと断った。
あまりに毅然とする更科に、霜杉は一瞬に呆気に取られるが、すぐに立て直し、
「……ハハ、言ってくれるねぇ。少なくとも、今お前が共にしている後ろの男よりは俺は強いぜ?」
俺を指さして言った。
そして、霜杉の言葉にYOMI全体がどっと盛り上がる。
当然だ。秦野高校の頂点に立つ霜杉に比べたら、俺なんて路傍の石のような存在だ。実際、昨日だって俺は霜杉の前で抵抗することも出来ず、一発KOを喰らった。
俺は否定することなく、ただ事実を受け止める。
「ふふっ」
俺に背を向けている更科が、ふと笑みを零した。誹謗でもなく、馬鹿にするようでもなく、今この場に似つかない呆れたような笑い声に、霜杉は眉間に皺を寄せる。
「何がおかしい?」
「ごめんなさい、典型的な短絡思考で笑いを隠しきれなくて」
「あぁ?」
お面を被っているにも関わらず口元を隠す素振りを見せる更科に、霜杉は苛立ちを隠しきれない声を上げる。
霜杉が更科に注目していることを感じた更科は、砕けた様子も、ふざけた様子もなくし、真っ直ぐに向き合うと、
「自分より弱い人間を使って、自分を強く見せようとするなんて本当に可哀想な人達ね。相手が弱い人だろうと強い人だろうと、好きな人だろうと嫌いな人だろうと、自分とは無関係な人であろうと、変わらない心で接する人――、それが本当に強くて慕われる人間よ」
今までにない真剣な声音で語った。まるで更科自身が、身をもって体験したかのような、そんな力強い口調だ。その口調からは、更科が何を芯として生きているのか、もしくは生きようとしているのか、伝わって来る。
目の前の華奢な背中は、いつも俺と一緒に隣の席で授業を受けている同じ高校二年生のようには見えなかった。
霜杉は一瞬更科に呆気を取られているが、すぐに立て直し、
「……訂正だ。俺とお前は価値観が違いすぎるようだ。お前とは頼まれても付き合わねぇ」
「とても光栄だわ」
更科は優しく言葉を紡ぐ。お面の裏に隠れて分からないが、きっと微笑んでいるだろう、と思う。
しかし、すぐにそんなことを考える余裕はなくなり、再びゲームが始まる。
先に攻撃を仕掛けに行ったのは更科だった。霜杉に向かって低姿勢で走り込んでいる。霜杉も迎え撃とうと、大きく体を構えていた。その構えは風船を守ることなど一切考えていないようで、絶対に負けないという自信がそのまま表れているのだろう。
そんな霜杉の自信を打ち砕くように、更科は正面から風船を割りに行こうとする。
「おらァ!」
しかし、霜杉のつま先が更科のお面に向かって、襲い掛かった。お面の死角――真下からの攻撃だ。更科の顎に霜杉の蹴り上げを喰らってしまったら、いくら更科とはいえ只では済まないはずだ。
更科は霜杉が攻撃を仕掛けていることに気付いていないのか、まだ走り込んでいる。
霜杉の攻撃が当たるまで残り数センチ――、というところで、危機を察知した更科はギリギリのところで体を右にずらし、何とか髪だけを掠めるだけで回避した。しかし、無理な急展開をしてしまったため、更科の体は勢いよく転がる。
更科は地面に手をついて横転の勢いを殺すと、霜杉のことを視界に捉えようとする。すぐに反撃を仕掛けようとする姿勢は、さすがの一言だ。
俺は更科も風船も無事だったことに、一息吐く。
だが、そんな安堵も束の間だった。
「終わった気になってんのかァ!」
更科が地面に手をついてしゃがみ込んでいることを好機とし、霜杉は風船を目がけて――ではなく、更科の腹に向かって再度蹴り上げて来た。
更科は地面から手を離し、咄嗟に両腕を出してガードする。しかし、更科の予想よりも霜杉の攻撃が重かったのか、更科は耐えきることが出来ずに吹っ飛ばされてしまった。
更科が壊れたゲーム機に打ち付けられたことで、鈍く、嫌な音がYOMIに響いた。
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