俺の知らない大和撫子

葉泉 大和

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拾伍:甘い理想論

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 目の前にいる更科は、信じられないと言いたげな表情を浮かべて、俺のことを見つめていた。

 俺は自分の推測が当たっていたことに、胸を撫で下ろした。

 更科と行き違いにならなくてよかった。
 更科が他人のことを気遣える奴で、よかった。

 地下へと続くYOMIの階段の前から離れると、俺は更科に一歩近寄った。俺が動いたことに気付いた更科は、俺の顔から視線を逸らした。まるで悪事を働く前に親に見つかってしまった子供のような表情を浮かべている。

 今まで見たことのない更科の顔に、俺は微かに口角を上げると、

「こんなことだろうと思ったよ。お前が気分悪くなるはずなんてないもんな」
「――なっ! 私だって風邪ぐらい引いたりするわよ!」

 更科は真っ直ぐに向き合って、意地を張ったように反論した。

 俺はいつもと変わらない更科に、今日初めて声を出して笑った。更科は恥ずかしさに耐えるように顔を赤らめている。秦野高校の不良がいるたまり場の前だというのに、まるで教室の中にいるかのように緊張感がない。

 しかし、それも束の間だけで、更科は落ち着きを取り戻すために息を吐くと、

「……悠陽。悪かったわね、私のせいであんたを巻き込んで。今、全てを解決してあげるから、そこで待ってて」

 真剣な表情と真剣な口調とをもって話す更科の行く道を、俺は右手を伸ばして止めた。

「いや、謝るのは俺の方だ。俺が不注意だったから、お前を追い込んでしまった」

 俺の言葉を聞くや否や、更科は呆れたように目を閉じた。見当違いの言葉に耳を傾けるつもりはない――、そう態度で言われた気がした。

「……はっ、何を――」
「――こんな事態に陥ったのは俺のせいだ。だから、俺はお前を止めに来た。俺なんかのために、その手を汚さないでくれ」

 途中で言葉を挟まれた更科は、言葉の意味を理解出来ないように、茫然と俺のことを見つめる。俺は真剣な表情で更科のことを見つめ返した。

 やがて、我に返った更科は、

「……ッ! 悠陽は何も知らないからそんなこと言えるのよ。あいつらを野放しにしたらどうなるか!」

 顔を真っ赤にして、声高らかに叫んだ。

 更科の言う通り、このまま秦野高校の連中を放置したら、奴らは癇癪を起して松城高校まで直接乗り込みに来るかもしれない。そうしたら、周りの無関係な生徒にまで影響が及んでしまうだろう。

 けれど、更科がその身を犠牲にして奴らの望み通りにすれば、解決する問題とは思えなかった。ここで争いを起こせば、きっと――いや、必ず大きくなって再び別の争いが生まれる。

 興奮して肩を上下させる更科は、苦痛に耐え忍ぶように歯を食いしばっていた。その大和撫子のように整った顔も、台無しになってしまっている。

 そんな更科の表情を見て、俺は改めて思う。

 更科にはいつも笑っていて欲しい。もう血祭まつりの時を、思い出すことさえしてほしくなかった。

 何も知らないで甘い事を語る俺は、現実を知らないで理想ばかりを語る理想論者かもしれない。

 それでも――。

「――それでも、暴力は暴力しか生まない。この連鎖を断ち切るために、誰かが妥協しなければいけないんだ。だったら、俺が我慢する」

 それが昨日から俺が感じていることだった。
 俺が殴られたのだって、一概に秦野高校の連中にだけ責任を押し付けることは出来ない。
 物事には何にでも原因があって、今回俺が殴られたきっかけも、理由があるにしても更科が秦野高校の連中に手を上げてしまったことが原因だ。

 誰だって仲間が傷つけられたら、腹が立つ。何とかして仇を討ってあげたい、そう思うのが当然だ。だから、秦野高校が報復にと取った行動を、無碍にすることは出来ない。

 それでも、同じことをしたら、同じことが返って来る。目には目を、歯には歯を、という言葉があるように。暴力には暴力を――、俺は文字通り肌に感じてしまった。

「分かってる! そんなの身をもって体験し続けた私が一番分かってる! どこかで見切りを付けないと、際限がないってことも! でも……でも、悠陽が傷つけられたのが許せないの!」

 更科は俯きながら、太ももの前で両拳をぎゅっと握り締めた。その目には、涙が浮かんでいる。あと一つ、何かのきっかけがあれば、誰にも止めることの出来ない洪水と化してしまいそうだった。

 ――更科は優しい奴だ。

 目の前で涙を溜める更科を見て、俺は改めて認識する。更科は自分で出した決断を捨ててまで、俺のことを助けようとしてくれる。目の前にいる更科から、そのことが痛いほど伝わって来る。

 けれど、残念ながら、更科の方法ではもうこの事態は収拾を付けることは出来ない。

 理不尽に解決しようとすれば、事態は悪化する。
 現に、秦野高校の連中が暴力という荒々しい理不尽な方法で解決しようとしたから、更なる喧騒が起ころうとしていた。争いでは、絶対に物事は解決しないのだ。

 なら、ただ我慢するだけで事態が解決するのかと言われたら、そうではない。
 何も解決されないまま、時間だけが過ぎ、心の不満はだんだんと積もり積もってゆく。そして、いつしかそれは決壊してしまう。まさに偽りの平和――、時限爆弾の隣にいることにも気付かないで談笑しながら時間を過ごすようなものだ。

 ならば、どうするのが正しいのか。

「――」

 俺は深く息を吸い、吐く。そして、この場に似つかない微笑みを浮かべた。

 これは、今まで不干渉を決めつけていた俺が、初めて選ぶ選択肢。だから、この先の未来がどうなるかは分からない。だけど、ここから少しずつでも変わっていこう、と思う。

 俺の大事な生活を守るために。更科の願っている生活を作るために。

 そのためなら、今まで避けて来たことにも、向き合うことが出来る。

 俺がどんな表情を浮かべているか、地面を見つめる更科には想像もつかないだろう。

「――一つだけ」

 優しく、ゆっくりと、一言一言大事にするように、話し始める。

 俺の言葉に、更科は顔を上げた。俺は更科を安心させるようにもう一度微笑むと、右手の人差し指を立てる。

「一つだけ、穏便に済む方法があるんだけど――、乗ってみない?」

 そう言うと、俺は左手にずっと持っていたビニール袋を取り出した。ビニール袋には、「秦野商店街のオモチャばこ ともべ商店」と書かれている。しかし、その中身が何なのかは、ビニール袋に色が付いているため、更科にはきっと分からない。
 キョトンとした顔を浮かべる更科に、俺は更に口角を上げた。
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