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【4】
【前】いつか、その時が来ても。
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厚いカーテンを開き、窓から空を見上げる。雲に覆われているせいか星は見えない。毛先の跳ねがいつもより強いので、もしかしたら雨が降るかも……。
暖炉の方に目をやると、フォルカーと二匹の狼が楽しそうに遊んでた。
ただでさえ狼達と遊ぶ時間が減っていたのに、フォルカーが風邪を引いたおかげで顔を会わせる時間すら激減していた。不安そうな表情を見せ始めた二匹を、ポルトは部屋に連れてきたのだ。
蔦で作ったボールを投げては嬉しそうに持ってくるのはシーザー。カロンは胡座をかくフォルカーの膝にのし掛かるように前足と顎を乗せ、時々甘えるように頭をすり寄せては顔を舐めている。
二匹にとってフォルカーは優しい父親であり母親だ。久しぶりにゆっくりと過ごせるこの時間はご褒美とも言えるだろう。昼間寝過ぎたせいで、すっかり目が冴えてしまった彼にとっても良い遊び相手だ。
モリトール卿に怒られないように、狼達は濡れタオルで拭き充分にブラッシングをしてきた。部屋の前でローガンが興奮気味に顔を赤くしていたので、きっと大丈夫だろう。
ついでに、しっかりと自分の身体も洗ってきた。この前怒られたような変な臭いはしないと思うが、自分ではよくわからないし確かめて貰う相手もいない。
「……」
なんとなく手首を鼻先に近づけ、くんくんと嗅ぐ。……が、手首に巻いている革ベルトの臭いがするだけでそれ以外はよくわからない。
「何やってんだ、お前」
「いえ、なんでもありません!」
気合いを入れて、きりりっと表情を引き締める。それを見ていたフォルカーは半ば呆れ気味だ。
「変に元気だったり、嗅ぎ回ったり…どうせつまらんことでも思いついたんだろ?言えよ、ご主人様の命令だ」
「えっ?命令!?あ…その……変な臭いしてないかなって……。動物とか汗とか色々……」
「????」
事情を知らない彼は表情を歪める。説明をするにはなんとなく恥ずかしい。上手く言葉に出来ない口元がむにゃむにゃと落ち着かない。ここに来る前にアントン隊長に聞いてくれば良かった。
今までは似たような連中ばかりがたむろする宿舎での生活だったし、フォルカーにも何か言われたことはない。臭いなんて気にしたこともなかったのだが……。
「お前にも年相応の自覚が育ってきたってことか?ま、いいわ。茶、煎れてくれ」
「は・はい!殿下、お任せを!」
「暑苦しい……」
幸い今日は彼も狼にまみれている。この身体に何かの臭いが残っていても、近づかなければセーフだろう。
湯気の立つ紅茶を手際よくテーブルにセットし、そそくさと移動した。
怪しまれないように置物の位置を直してみたり、植物の葉を眺めてみたりしてみる。小さな小さな埃が丸い葉の上に乗っているのを見つけると、袖でそっと拭いた。
(姿勢良く…姿勢良く……)
顎を引き、ひとつ行動を起こすたびに「よし」と指さし確認をする。「お仕事真面目に頑張ります!」な感じは、まるで初心に戻ったようだ。確かにモリトール卿が言っていたように、最近気合いが足りなかったのかもしれない。殿下とじゃれすぎていたのが原因だろう。
この部屋にいる間は自分が盾となり彼を守る使命を持っている。従者として立派に勤めを果たさなければ。
そんなことを考えていた頭に何かが当たった。
振り返った瞬間見えたのは、ジャンプで空中を舞うシーザーの肉球。
「ワン!」
「へっ!?」
毛むくじゃらの大きな身体がポルトを押し倒す。植物の入っていた酒樽ごと一緒に倒れて尻餅をついた。一方、シーザーは俊敏に起きあがるとポルトの頭に当たった草ボールをくわえ、フォルカーの元へと走っていった。尻尾は嬉しそうに大きく揺れている。
「殿下……っ、何やってるんですか…!」
ワンバウンドもしていなかったボールは、明らかにこちらを狙って放られたものだ。
「へっへっへ、お前、ちゃんと片づけておけよ!後始末するのはテメーの役…… くしゅんっ!」
「!」
そのくしゃみを聞くやいなや、ポルトは長椅子にかけてあったケープを手に取り、慌てて駆け寄る。こんなに長い時間起きていたのは久しぶりだし、室内とは言え夜の空気で身体を冷やしてしまったのかもしれない。
「これ、お使い下さい。あと、お茶も……!持っているだけでも温まりますから」
まだ煎れて間もない紅茶は白い湯気をゆっくりとあげていて、フォルカーは両手でそれを受け取った。
彼のように元気な人が苦痛で顔を歪めている姿は、側で見ている自分も息苦しさを感じてしまう。
「あー、平気平気。今カロンの毛が鼻に入っただけだから」
「ふー、やれやれ」とこぼしながら、フォルカーは紅茶を口にした。
「それを飲み終わったらベッドに戻りましょう?やっぱり夜の空気は身体に障ります。シーザー達は小屋に戻して来ますから、どうぞゆっくりお休み下さい」
心配するポルトの右頬に骨張った指先が触れる。ツンツンと二三度つつくと、痛そうに一瞬金目を細めた。
「これ何?前までこんなの無かったぞ」
そこはモリトール卿に喝を入れられた痕。フォルカーは、暖炉の火で出来たかすかな影に気がついた。
ポルトは気まずそうに目線を逸らしながら「猪を運ぶ時に、ドアにぶつかってしまって…」とこぼす。
ストレスの捌け口を見つけたかのように手を挙げる男達は何人も見てきたが、モリトール卿はそれとは違う。もしあんな熱血の塊のような彼が本気を出したなら、手の甲ではなく拳そのものをぶつけてきただろう。傷だってこんなものでは済まなかったはずだ。
「お前のその変なやる気と関係あるのか?」
「変…ですか?」
「モリトールが何かしたとかな」
まるで見透かしたかのような言葉に、慌てて首を振る。素直に答えたらモリトール卿が蹴っ飛ばされてしまう。
「きっとおかしかったのは今までの私です」
真面目に仕事をして怪しまれる、そもそもそれがおかしい。
「最近…殿下と出かけるようになってからは特に……。あ・甘えてしまうような…ことばかりしちゃって……。もっと私がちゃんとしていれば良かったんです」
「!」
「陛下が襲われた時だってそうです。結局犯人には逃げられるし、城内にはずっと緊張が続いてる。一生懸命働いていただけだったガジン様の助手まで捕まってしまって……。あの人…『お前のせいだ』って言ってました。全てを肯定するわけじゃないけど…彼の言葉は間違ってもいない。私に力があれば起こらなかった問題です。もっと力があれば……もっとちゃんとしていれば……、殿下が倒れることもなかった。私が…全部防げたはずなのに……」
拳を握り締めるポルト。
さっきまでのやる気に満ちた瞳はどこへ行ってしまったのか、視線は陽が沈むように床へと落ちた。
暖炉の方に目をやると、フォルカーと二匹の狼が楽しそうに遊んでた。
ただでさえ狼達と遊ぶ時間が減っていたのに、フォルカーが風邪を引いたおかげで顔を会わせる時間すら激減していた。不安そうな表情を見せ始めた二匹を、ポルトは部屋に連れてきたのだ。
蔦で作ったボールを投げては嬉しそうに持ってくるのはシーザー。カロンは胡座をかくフォルカーの膝にのし掛かるように前足と顎を乗せ、時々甘えるように頭をすり寄せては顔を舐めている。
二匹にとってフォルカーは優しい父親であり母親だ。久しぶりにゆっくりと過ごせるこの時間はご褒美とも言えるだろう。昼間寝過ぎたせいで、すっかり目が冴えてしまった彼にとっても良い遊び相手だ。
モリトール卿に怒られないように、狼達は濡れタオルで拭き充分にブラッシングをしてきた。部屋の前でローガンが興奮気味に顔を赤くしていたので、きっと大丈夫だろう。
ついでに、しっかりと自分の身体も洗ってきた。この前怒られたような変な臭いはしないと思うが、自分ではよくわからないし確かめて貰う相手もいない。
「……」
なんとなく手首を鼻先に近づけ、くんくんと嗅ぐ。……が、手首に巻いている革ベルトの臭いがするだけでそれ以外はよくわからない。
「何やってんだ、お前」
「いえ、なんでもありません!」
気合いを入れて、きりりっと表情を引き締める。それを見ていたフォルカーは半ば呆れ気味だ。
「変に元気だったり、嗅ぎ回ったり…どうせつまらんことでも思いついたんだろ?言えよ、ご主人様の命令だ」
「えっ?命令!?あ…その……変な臭いしてないかなって……。動物とか汗とか色々……」
「????」
事情を知らない彼は表情を歪める。説明をするにはなんとなく恥ずかしい。上手く言葉に出来ない口元がむにゃむにゃと落ち着かない。ここに来る前にアントン隊長に聞いてくれば良かった。
今までは似たような連中ばかりがたむろする宿舎での生活だったし、フォルカーにも何か言われたことはない。臭いなんて気にしたこともなかったのだが……。
「お前にも年相応の自覚が育ってきたってことか?ま、いいわ。茶、煎れてくれ」
「は・はい!殿下、お任せを!」
「暑苦しい……」
幸い今日は彼も狼にまみれている。この身体に何かの臭いが残っていても、近づかなければセーフだろう。
湯気の立つ紅茶を手際よくテーブルにセットし、そそくさと移動した。
怪しまれないように置物の位置を直してみたり、植物の葉を眺めてみたりしてみる。小さな小さな埃が丸い葉の上に乗っているのを見つけると、袖でそっと拭いた。
(姿勢良く…姿勢良く……)
顎を引き、ひとつ行動を起こすたびに「よし」と指さし確認をする。「お仕事真面目に頑張ります!」な感じは、まるで初心に戻ったようだ。確かにモリトール卿が言っていたように、最近気合いが足りなかったのかもしれない。殿下とじゃれすぎていたのが原因だろう。
この部屋にいる間は自分が盾となり彼を守る使命を持っている。従者として立派に勤めを果たさなければ。
そんなことを考えていた頭に何かが当たった。
振り返った瞬間見えたのは、ジャンプで空中を舞うシーザーの肉球。
「ワン!」
「へっ!?」
毛むくじゃらの大きな身体がポルトを押し倒す。植物の入っていた酒樽ごと一緒に倒れて尻餅をついた。一方、シーザーは俊敏に起きあがるとポルトの頭に当たった草ボールをくわえ、フォルカーの元へと走っていった。尻尾は嬉しそうに大きく揺れている。
「殿下……っ、何やってるんですか…!」
ワンバウンドもしていなかったボールは、明らかにこちらを狙って放られたものだ。
「へっへっへ、お前、ちゃんと片づけておけよ!後始末するのはテメーの役…… くしゅんっ!」
「!」
そのくしゃみを聞くやいなや、ポルトは長椅子にかけてあったケープを手に取り、慌てて駆け寄る。こんなに長い時間起きていたのは久しぶりだし、室内とは言え夜の空気で身体を冷やしてしまったのかもしれない。
「これ、お使い下さい。あと、お茶も……!持っているだけでも温まりますから」
まだ煎れて間もない紅茶は白い湯気をゆっくりとあげていて、フォルカーは両手でそれを受け取った。
彼のように元気な人が苦痛で顔を歪めている姿は、側で見ている自分も息苦しさを感じてしまう。
「あー、平気平気。今カロンの毛が鼻に入っただけだから」
「ふー、やれやれ」とこぼしながら、フォルカーは紅茶を口にした。
「それを飲み終わったらベッドに戻りましょう?やっぱり夜の空気は身体に障ります。シーザー達は小屋に戻して来ますから、どうぞゆっくりお休み下さい」
心配するポルトの右頬に骨張った指先が触れる。ツンツンと二三度つつくと、痛そうに一瞬金目を細めた。
「これ何?前までこんなの無かったぞ」
そこはモリトール卿に喝を入れられた痕。フォルカーは、暖炉の火で出来たかすかな影に気がついた。
ポルトは気まずそうに目線を逸らしながら「猪を運ぶ時に、ドアにぶつかってしまって…」とこぼす。
ストレスの捌け口を見つけたかのように手を挙げる男達は何人も見てきたが、モリトール卿はそれとは違う。もしあんな熱血の塊のような彼が本気を出したなら、手の甲ではなく拳そのものをぶつけてきただろう。傷だってこんなものでは済まなかったはずだ。
「お前のその変なやる気と関係あるのか?」
「変…ですか?」
「モリトールが何かしたとかな」
まるで見透かしたかのような言葉に、慌てて首を振る。素直に答えたらモリトール卿が蹴っ飛ばされてしまう。
「きっとおかしかったのは今までの私です」
真面目に仕事をして怪しまれる、そもそもそれがおかしい。
「最近…殿下と出かけるようになってからは特に……。あ・甘えてしまうような…ことばかりしちゃって……。もっと私がちゃんとしていれば良かったんです」
「!」
「陛下が襲われた時だってそうです。結局犯人には逃げられるし、城内にはずっと緊張が続いてる。一生懸命働いていただけだったガジン様の助手まで捕まってしまって……。あの人…『お前のせいだ』って言ってました。全てを肯定するわけじゃないけど…彼の言葉は間違ってもいない。私に力があれば起こらなかった問題です。もっと力があれば……もっとちゃんとしていれば……、殿下が倒れることもなかった。私が…全部防げたはずなのに……」
拳を握り締めるポルト。
さっきまでのやる気に満ちた瞳はどこへ行ってしまったのか、視線は陽が沈むように床へと落ちた。
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