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【7】
規律と感情
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カールトンの言ったとおり、指輪は無事に発見された。場所はある貴族の屋敷、それも寝室で首の無くなった死体の指にはめられていたそうだ。一滴の血痕すら残さず文字通り首だけが「消えて」いた。人間業だとは考えられず、実際それは人間のしたことではなかった。
横たわっていた屍はヨハン=アッペル=ダーナー公のもの。彼は何かの目的の為に指輪の力を使い、その代償として首を持って行かれたようだ。
老いを語るにはまだ早く、生まれ持った身体の弱さ、理不尽さを小言に混ぜて嘆くこともあった。
国王の右腕として長きに渡り支え続けてきた男の最期の願いは城中の人間が予想し、皆ほぼ同じ答えを出した。
もしも代償が他の部位だったなら…彼は皆の想像通りの望みを遂げられていたかもしれない。傍らで若い時のような笑みをたたえていたのかも……。
一方、息を引き取った夫の亡骸を見て布を裂くような悲鳴をあげたのは妻。慌てて息子クラウスを呼び、彼は手にはめられた指輪を見て言葉を失ったのだという。
詳細こそわからないままだったがやるべきことはひとつ。その足で指輪をウルリヒ王に返上したクラウスと妻は、真っ青な顔をしながら深々と頭を下げた。
もう二度と屋敷に戻ることはないだろう、そう覚悟した二人だったが亡き家族の遺体処理すら終わっていない二人に王は寛大だった。
事件の詳細はこれから調べることとし、まずは神の元へ旅立つ者の為になすべきことをせよ、と落ち着いた言葉で伝えた。
一番神経を高ぶらせていた指輪の事件が収まり、ウルリヒ王が安堵の溜息を落とすと、それにつられるように城内は徐々に落ち着きを取り戻していく。
そこで改めて行われたのは、ポルトにかけられた嫌疑の審議。
投獄中、何者かによって拉致されたと聞く少女は未だ見つかってはいない。胸の奥では、このまま消息を絶ってくれれば良いと祈っていた。
尋問中に答えた内容は書類にまとめられてはいる。それで十分だとばかりに、本人不在のまま審議を始めるように指示をした。
謁見の儀は王族側が指輪をはめた状態で行われる。王子も彼女に指輪を渡していないし、彼女も手にとることを拒んだ為その必要も無かったと証言した。
また、指輪を持っていたダーナー公と接触があったかどうかも調べられた。
妻や使用人の話によると、そもそも体調の思わしくない彼に面会できる人間自体そう多くはなかったが、確かに家族以外の面会者は数人いたそうだ。しかし、昔からの旧友ばかりでそこに王子の従者ポルトが現れたことは一度も無かったらしい。その事はずっと付き添って様態を見守っていた医師マルクスも証言している。
では、ポルトがダーナー公の従者のであるカールトンに近づいていた理由は?
ダーナー公への伝達を頼もうとしていたのだろうか?……その可能性も考えられたが、カールトンはポルトを清々しいほど毛嫌いしていた。城の人間に聞けば、二人の関係はポルトからの一方的なもので、カールトンがまともに顔を合わせることすら拒む程だったという証言ばかり……。伝達係が担えたとは思えない。
そもそもそんな役目、必要ならダーナー公本人が手配するだろう。
ポルトが指輪を盗み、彼まで届ける…その過程を説明できる者も証拠も無い。罪を立証するには不十分と判断された。
彼女に残されたのは身分詐称の罪だ。
先の大戦で兵として募集されたのは十五歳以上の健康な男子。女であるポルトの志願は明らかな違法行為であった。本人もそれを知った上での行為だと言っていた。
役人達が方方へ使いを出して調査をしてみたが、確たる素性は不明のまま。
その間、アントン隊に所属する兵士達とその家族が集まり、彼女による先の大戦における軍への貢献を訴えた。厳しい状況の中、それでも半数以上の兵が帰還できたのは、彼女が隊のために食料調達を行っていたおかげだと。腹に物が入れば気力も出る。体力があれば病にも強くなる。多少の寒さにだって耐えられる。
隊の仲間は皆、彼女に感謝していると軍の役職者や担当官に声を上げた。女も土地を守る為に、敵がいればクワを振り上げ、石を投げ、家畜の糞尿や熱湯を敵にぶちまけることもある。
たまたま戦う場所が違っただけで、その志は国を守るためのもの。高潔なものであった、と。
「――フォルカーめ……」
この審議で自分以上に思い悩む人間はいないだろう。
任務の一環だったとはいえ、彼女は直接の命の恩人。恩を仇で返すような真似を国を代表する者として行って良いものか。それともあくまで感情を捨て、平等に、その罪だけに焦点を絞って判断をするべきか…ウルリヒ王は迷っていた。
ガジンの助手の時とは少々勝手が違う。彼女は神の意思にも等しい神聖具リガルティンに選ばれた娘。最高権力者である自分が唯一膝を折り頭を下げる対象が認めた娘……。やりづらい………。
ウルム大聖堂で聖神具の研究を続けている司教として、王家の一人としてクラウスに意見を求めてみた。すると「もしかしたらここに至るまでのことも、指輪の導きによる可能性もある」という返事が来た。確かに、未来を見通す力を持つこの指輪ならわからない話ではない。
一方、フォルカーとの婚約を控えているエルゼは、以前ポルトにフォルカーとの仲を取り持つように言い、彼女がその通りに行動したと話した。
エルゼは想い人フォルカーとの結婚をずっと夢見て、多くの淑女相手に熾烈な戦いをくり広げてきた。どす黒い人間関係の海を渡ってきた彼女には、地位なのか男なのか…相手が何を求めてフォルカーに近づいたのかが、なんとなくわかるのだという。一種の第六感…女の勘というやつだろう。そういえば妻シュテファーニアも時々野性的な直感を見せていた。
エルゼから見たポルトは力を持たないただの平民。もし王太子妃という地位や金品を狙うような者ならば、もう少し身なりや口調に主張が出るはずだと言う。
「あの子…ほんっとに馬鹿みたいに何も考えておりませんっ」と口元を愛らしくとがらせていた。
そういえば以前、重役に直接手紙を渡してはいけないという命令を出したことがあった。そのきっかけは、メイド達が王子にラブレターを渡していたことであり、その受付窓口役を担っていたのがあの従者だったと聞く。
ライバルになるかもしれない女達との仲を取り持っていたのなら、確かに王妃の地位欲しさにここへ忍び込んで来たというわけでは無さそうだ。
会議の資料の山に紛れるように重ねられた陳情書を前に、ウルリヒ王は「ふむ…」と顎髭に指の腹を滑らせる。
一通り目は通してある。冬の陽は淡く執務室を照らし、王はその中で静かな時間を過ごす。
(さて、どうしたものか……。ヨハンよ、お前ならどんな判断を下す……?)
指輪を盗んだ主犯がもし金銭目当ての犯行だったのならば、場内で他の盗難もあっただろう。しかしそんな連絡は入っていない。犯人は指輪の価値を知る者であり、ダーナー公はそれに該当する。
もし狙いが指輪の所有権ならば、現保持者である王の命を狙っていてもおかしくはない。
ダーナー公なら豊穣祭のスケジュールも、要人の立ち位置も警備状況も怪しまれることもなく調べられる。誰か一人を紛れ込ませることくらい難なく出来ただろう。
(私を殺し…指輪に何を問うつもりだったのだ?)
あの不自由な身体を思えば、彼が何を思いつめていても不思議ではない。でも、一言相談してくれたら協力できたこともあったかもしれないのに。
自分の紅茶に毒が仕込まれていた日のことを思い出した。
ダーナー公が誤ってそれを口にしたと思っていたが……
(――――……。結局お前は悪者にはなりきれなかったということか)
口元が思わずるゆるむ。彼らしい、そう思った瞬間、彼にはもう二度と会えない事実に襲われ、胸の痛みに小さく奥歯を噛んだ。
王子の従者ポルトも、恐らくこの事件に関しては無関係だろう。仕事には非常に真面目だったと聞くが、あのダーナーが雇い入れるには力不足にも見えた。
そして誰にも知られず紛れ込んでいた女を、そうと知らず身近に雇い入れた息子には、ただただため息しか出ない。
ファールン王家の好色な血は自分にも覚えがある。しかし息子のそれは明らかに自分を上回る。もしかしたら、女の入隊を裏で進めたのも彼ではないかと疑うほどだ。
身分にそぐわず城の深部まで入り込んだ彼女を、本来ならば厳しい処罰を与えるべきなのだろう。しかし……。
王は自身の従者であるフォンラントとも、夜中まで話し込んだ。
そして数日後、詳細を調べず人事を行ったフォルカーが謹慎をすることを条件に、ポルト=ツィックラーは従者解任に加え、不名誉除隊という処罰が下されたのだった。
横たわっていた屍はヨハン=アッペル=ダーナー公のもの。彼は何かの目的の為に指輪の力を使い、その代償として首を持って行かれたようだ。
老いを語るにはまだ早く、生まれ持った身体の弱さ、理不尽さを小言に混ぜて嘆くこともあった。
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もしも代償が他の部位だったなら…彼は皆の想像通りの望みを遂げられていたかもしれない。傍らで若い時のような笑みをたたえていたのかも……。
一方、息を引き取った夫の亡骸を見て布を裂くような悲鳴をあげたのは妻。慌てて息子クラウスを呼び、彼は手にはめられた指輪を見て言葉を失ったのだという。
詳細こそわからないままだったがやるべきことはひとつ。その足で指輪をウルリヒ王に返上したクラウスと妻は、真っ青な顔をしながら深々と頭を下げた。
もう二度と屋敷に戻ることはないだろう、そう覚悟した二人だったが亡き家族の遺体処理すら終わっていない二人に王は寛大だった。
事件の詳細はこれから調べることとし、まずは神の元へ旅立つ者の為になすべきことをせよ、と落ち着いた言葉で伝えた。
一番神経を高ぶらせていた指輪の事件が収まり、ウルリヒ王が安堵の溜息を落とすと、それにつられるように城内は徐々に落ち着きを取り戻していく。
そこで改めて行われたのは、ポルトにかけられた嫌疑の審議。
投獄中、何者かによって拉致されたと聞く少女は未だ見つかってはいない。胸の奥では、このまま消息を絶ってくれれば良いと祈っていた。
尋問中に答えた内容は書類にまとめられてはいる。それで十分だとばかりに、本人不在のまま審議を始めるように指示をした。
謁見の儀は王族側が指輪をはめた状態で行われる。王子も彼女に指輪を渡していないし、彼女も手にとることを拒んだ為その必要も無かったと証言した。
また、指輪を持っていたダーナー公と接触があったかどうかも調べられた。
妻や使用人の話によると、そもそも体調の思わしくない彼に面会できる人間自体そう多くはなかったが、確かに家族以外の面会者は数人いたそうだ。しかし、昔からの旧友ばかりでそこに王子の従者ポルトが現れたことは一度も無かったらしい。その事はずっと付き添って様態を見守っていた医師マルクスも証言している。
では、ポルトがダーナー公の従者のであるカールトンに近づいていた理由は?
ダーナー公への伝達を頼もうとしていたのだろうか?……その可能性も考えられたが、カールトンはポルトを清々しいほど毛嫌いしていた。城の人間に聞けば、二人の関係はポルトからの一方的なもので、カールトンがまともに顔を合わせることすら拒む程だったという証言ばかり……。伝達係が担えたとは思えない。
そもそもそんな役目、必要ならダーナー公本人が手配するだろう。
ポルトが指輪を盗み、彼まで届ける…その過程を説明できる者も証拠も無い。罪を立証するには不十分と判断された。
彼女に残されたのは身分詐称の罪だ。
先の大戦で兵として募集されたのは十五歳以上の健康な男子。女であるポルトの志願は明らかな違法行為であった。本人もそれを知った上での行為だと言っていた。
役人達が方方へ使いを出して調査をしてみたが、確たる素性は不明のまま。
その間、アントン隊に所属する兵士達とその家族が集まり、彼女による先の大戦における軍への貢献を訴えた。厳しい状況の中、それでも半数以上の兵が帰還できたのは、彼女が隊のために食料調達を行っていたおかげだと。腹に物が入れば気力も出る。体力があれば病にも強くなる。多少の寒さにだって耐えられる。
隊の仲間は皆、彼女に感謝していると軍の役職者や担当官に声を上げた。女も土地を守る為に、敵がいればクワを振り上げ、石を投げ、家畜の糞尿や熱湯を敵にぶちまけることもある。
たまたま戦う場所が違っただけで、その志は国を守るためのもの。高潔なものであった、と。
「――フォルカーめ……」
この審議で自分以上に思い悩む人間はいないだろう。
任務の一環だったとはいえ、彼女は直接の命の恩人。恩を仇で返すような真似を国を代表する者として行って良いものか。それともあくまで感情を捨て、平等に、その罪だけに焦点を絞って判断をするべきか…ウルリヒ王は迷っていた。
ガジンの助手の時とは少々勝手が違う。彼女は神の意思にも等しい神聖具リガルティンに選ばれた娘。最高権力者である自分が唯一膝を折り頭を下げる対象が認めた娘……。やりづらい………。
ウルム大聖堂で聖神具の研究を続けている司教として、王家の一人としてクラウスに意見を求めてみた。すると「もしかしたらここに至るまでのことも、指輪の導きによる可能性もある」という返事が来た。確かに、未来を見通す力を持つこの指輪ならわからない話ではない。
一方、フォルカーとの婚約を控えているエルゼは、以前ポルトにフォルカーとの仲を取り持つように言い、彼女がその通りに行動したと話した。
エルゼは想い人フォルカーとの結婚をずっと夢見て、多くの淑女相手に熾烈な戦いをくり広げてきた。どす黒い人間関係の海を渡ってきた彼女には、地位なのか男なのか…相手が何を求めてフォルカーに近づいたのかが、なんとなくわかるのだという。一種の第六感…女の勘というやつだろう。そういえば妻シュテファーニアも時々野性的な直感を見せていた。
エルゼから見たポルトは力を持たないただの平民。もし王太子妃という地位や金品を狙うような者ならば、もう少し身なりや口調に主張が出るはずだと言う。
「あの子…ほんっとに馬鹿みたいに何も考えておりませんっ」と口元を愛らしくとがらせていた。
そういえば以前、重役に直接手紙を渡してはいけないという命令を出したことがあった。そのきっかけは、メイド達が王子にラブレターを渡していたことであり、その受付窓口役を担っていたのがあの従者だったと聞く。
ライバルになるかもしれない女達との仲を取り持っていたのなら、確かに王妃の地位欲しさにここへ忍び込んで来たというわけでは無さそうだ。
会議の資料の山に紛れるように重ねられた陳情書を前に、ウルリヒ王は「ふむ…」と顎髭に指の腹を滑らせる。
一通り目は通してある。冬の陽は淡く執務室を照らし、王はその中で静かな時間を過ごす。
(さて、どうしたものか……。ヨハンよ、お前ならどんな判断を下す……?)
指輪を盗んだ主犯がもし金銭目当ての犯行だったのならば、場内で他の盗難もあっただろう。しかしそんな連絡は入っていない。犯人は指輪の価値を知る者であり、ダーナー公はそれに該当する。
もし狙いが指輪の所有権ならば、現保持者である王の命を狙っていてもおかしくはない。
ダーナー公なら豊穣祭のスケジュールも、要人の立ち位置も警備状況も怪しまれることもなく調べられる。誰か一人を紛れ込ませることくらい難なく出来ただろう。
(私を殺し…指輪に何を問うつもりだったのだ?)
あの不自由な身体を思えば、彼が何を思いつめていても不思議ではない。でも、一言相談してくれたら協力できたこともあったかもしれないのに。
自分の紅茶に毒が仕込まれていた日のことを思い出した。
ダーナー公が誤ってそれを口にしたと思っていたが……
(――――……。結局お前は悪者にはなりきれなかったということか)
口元が思わずるゆるむ。彼らしい、そう思った瞬間、彼にはもう二度と会えない事実に襲われ、胸の痛みに小さく奥歯を噛んだ。
王子の従者ポルトも、恐らくこの事件に関しては無関係だろう。仕事には非常に真面目だったと聞くが、あのダーナーが雇い入れるには力不足にも見えた。
そして誰にも知られず紛れ込んでいた女を、そうと知らず身近に雇い入れた息子には、ただただため息しか出ない。
ファールン王家の好色な血は自分にも覚えがある。しかし息子のそれは明らかに自分を上回る。もしかしたら、女の入隊を裏で進めたのも彼ではないかと疑うほどだ。
身分にそぐわず城の深部まで入り込んだ彼女を、本来ならば厳しい処罰を与えるべきなのだろう。しかし……。
王は自身の従者であるフォンラントとも、夜中まで話し込んだ。
そして数日後、詳細を調べず人事を行ったフォルカーが謹慎をすることを条件に、ポルト=ツィックラーは従者解任に加え、不名誉除隊という処罰が下されたのだった。
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