忠犬ポチは人並みの幸せを望んでる!

Lofn Pro

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【1】

獲物(あるじ)を追うはポチの使命。(★)

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 薄くまだらに広がる雲が月に照らされ、澄んだ濃紺の空気が静かな時間を包み込んでいた。
 三百年以上も前に建築されたというこの城も、同じ夜の闇に包まれている。秋咲きの薔薇に囲まれた中庭を通り過ぎると、細やかな彫刻の刻まれた柱を持つ出入り口が現れる。
 主を守るべく堅く閉ざされていた扉を少年は力を入れて押し開けた。
 二匹の大狼に導かれるように歩を早める。

 すでに夜勤の衛兵ですら瞼が重くなる時刻。しかし主人を求める少年の鼓動は、いつもよりも強く打っていた。

 彼は今頃……夜のとばりに身を隠し、美しい姫君をその腕に抱いているだろう。
 燭台の上で炎を揺らしていたロウソクは役目を終え、窓からは月の光が淡く差し込むだけ。姫君の艶やかな黒髪が真っ白なシーツの上に投げだされ、その柔らかい睫が、秋の収穫の時期を迎えた葡萄のような紫色の瞳が、目の前にいる彼だけを見つめる。そして彼も、もうすぐ他の男のものになってしまう彼女を決して離したりはしないだろう。

 ――――が、それは困る。

 今日一番の修羅場になるかもしれない。
 しかし、たじろいでいてはお国の一大事。
 なんとしても……

(取り押さえる……!!)

 従者の瞳に燃え上がる使命感という炎。
 刹那、黒狼シーザーが「ワンッ!」と一声鳴き、ある扉の前で止まった。
 木と鉄で作られた重厚な扉、その隙間に突っ込むように鼻先を押しつけると、何かを確信したかのようにクンクンと甘えるような声を出す。そして扉を前足でガリガリを掘るような仕草をした。隣にいた白毛のカロンも同じように鳴き始める。
 確信を得た従者は扉の前で一呼吸、そして扉を三回ノックした。

「夜分遅く失礼致します。ポルトです」

 室内には誰かがいる気配はする。しかし返事はない。
 ポルトはもう一度ノックしたが結果は同じ。

「テレーズ姫、失礼致します。我が主、フォルカー殿下をお迎えに参りました。……早くしないと、扉が爪痕で修復出来ないくらいに傷ついちゃいますよ」

 その言葉に反応するように、扉の奥からチッという小さな舌打ちが聞こえた。
 布のすれる音が近づきカチャリと扉が開く。

「あ……」
「シーザーにカロン……。そうか、お前達がこの五月蠅いのを連れてきたんだな……」

 思わず見上げると、扉の隙間から一人の青年が気だるそうに顔を出した。恐らくすでに「こと」は始まっていたのだろう、彼はかろうじて腰にショールを巻いているだけで、何も身につけてはいない。宝石にも似た赤い髪は襟足だけ少し長く首筋をなぞっている。程よくついた筋肉は、部屋の中にいる『彼女』をさぞ魅了したことであろう。

「うるさい奴で結構です。殿下、もうお仕事はいいですから部屋にお戻り下さい」
「うるっせーな……。ポチ、お前まわりから空気読めない奴って言われたことねぇ?」

 ドアの隙間から頭だけだしたフォルカーは、ベッドにいた時とは比べものにならないくらい淀んだ瞳で少年を見た。例えて言うなら、浜辺に打ち上げられ腐ってしまった魚。口調も王族とは思えないほど随分とぶっきらぼうだ。
 しかし、こちらの方が地の彼であると知っている少年は微塵も動じない。

「残念ながらそのようなことを言われたことはありません。むしろ、そういう空気を感じましたので、急いで馳せ参じたんです。あと、私は『ポチ』ではなく『ポルト』です」
「『ポルト=ツィックラー』、略して『ポチ』だろ。何を今更……」
「殿下、テレーズ姫はすでにご婚約済みです。一夜のお戯れのつもりでしたらすぐにお止めください。お戯れでなくとも、それはそれで問題になりますのですぐお止め下さい」
「婚約したのは知ってるよ。っつーか、その婚約者が俺より彼女を幸せにすると思ってんの?」
「少なくとも姫のご婚約者は『国一番の女好き』なんて不名誉な二つ名はお持ちではありません。」
「余ッ計ーなお世話だ。女嫌いな男なんて男じゃねえだろうが。第一な、見た目だけじゃわかんねえことだってあるんだよ。お前みたいな未発達のガキにゃわかんねえだろうが、男と女っていうのは色んな相性ってもんが……」
「見なくとも、このまま放っておけばアウルド様との間に確執が生まれることぐらいわかります。一人娘を弄ばれて喜ぶ父親がどこにおりましょうか」
「いやいやいや、わかんねーぞ?俺『殿下』だし?むしろあのヒゲ親父喜ぶに決まってるって。あわよくば、婚約相手を俺にしたいって思ってるかもしれねぇじゃねえか」
「ではその思惑通り、このまま姫を未来の妃殿下にするおつもりで?」
「…………」

 ゲスいです、殿下……という言葉は『ポチ』の立場上、ぐっと飲み込んだ。

「姫のお相手は殿下もご存じであるエディ様です。先月もご一緒にキツネ狩りに行かれた方ではありませんか。今まで何事もなく友好関係を保ってきたのに…寝取った相手と寝取られた相手になってしまったら、今後顔も合わせ辛くなりますよ?」
「俺は平気だね!」
「キツネの前に良心を獲ってきた方が良いみたいですね」

 従者の忠告にも聞く耳は持たない。フォルカーはふんと胸を張る。

「なんとでも言え。俺は諦めたりはしねぇぞ」
「奇遇ですね、私もです」
「こりゃ根比べだな、はっはっはっは」
「軍人の忍耐力、こんな所で試されるとは思いませんでした。はっはっはっは」

 目が全く笑っていない二人が笑っているような声だけを出す。
 しばしにらみ合い火花を散らしていたが、鉄壁のような金色の瞳に最後はフォルカーの視線が泳ぎ始めた。
 ……従者の言っていることは至極正論だということはわかっている。
 それに、このまま無理矢理扉を閉めて姫君との情事を続けたとしても、ノック音のラッシュが再び始まることだろう。

「………」
「…………」

 ルビーレッドの髪がガクンと下がり、カロンがその頬を舐めた。温かい感触は主を慰めているかのようだ。

「……ということで、殿下。姫にお休みのご挨拶を。私はお待ちしておりますので」
「……お前、この埋め合わせは必ずさせるからな」

 促されたフォルカーはしぶしぶ室内へと戻る。

 ポルトは深いため息をひとつつき、しばらく扉の前で主を待った。
 しかし彼が出てくる気配はない。ふいにカロンがこちらを見上げ、鼻を鳴らすと廊下を駆けだした。

「――――――しまった……!!」

 白狼の後を追いかけ、先ほど通ってきた中庭へと出る。
 見上げると二人がいた部屋の窓が開いていて、一本のロープがプラリと垂れ下がっていた。

「逃がすかっ!!」

 風に乗る匂いを頼りに、カロンは大好きな主を求めて風になる。その方向から、ポルトは彼がどこを目指しているのかを考えた。
 衛兵が立っているような場所では騒ぎになる。かといって、あまり城から離れては明日の公務に支障が出るだろう。それに屋外でこの寒空の下、たいした防寒着も着ないで朝を迎えられる根性も彼は持っていない。

(狼小屋か!!)

 城の近くには王族の人間の為に設けられた森がある。
 人が滅多に通らない獣道を一気に駆け下り、背丈ほどの雑草を手で押し分けながら進むと、目の前に一件の家屋が現れた。ちょっとした金持ちの家にも見えるが、これがフォルカーが愛狼達に与えた居住スペースである。

(殿下は……!?)

 身体についた木の葉を払いつつ周囲を見回すと、入り口近くで黒い影がざっと走り去るのが見えた。

「殿下ッ!!」
「お前しつこいぞ!!」

 軽装ながらもとりあえず服を着ているフォルカーは、一目散にその場を走り去る。
 あの馬鹿真面目従者に捕まり、監視下におかれては今度こそ抜け出すことは出来ないだろう。自慢の脚力を見せつけるかのように一気に従者との間を広げていく。

(バーカ!俺様をどうこうしようなんて、お前には十年早いんだよ!)

 ふと口元に笑みが浮かんだ時だった。

「ワンワンワンッッ!!」

 主を見つけた白狼カロンが茂みの中から飛び出してきた。追いかけっこをしているとでも思ったのだろうか、真っ白な尻尾をぶんぶんと振りながら『私も混ぜて!』とでもいうように飛びかかってきた。

「悪ィな、カロン!また明日だ!」

 狼を避けるように進行方向を変える。刹那、すぐ横を何かが飛ぶように通り過ぎた。月に照らされ銀色に光るそれは一瞬魚にも見えたが……

「ッッ!?」

 地を蹴ったはずの足に強い衝撃。
 足は上がらず、走ってきた勢いそのまま身体が横転し土が目前に迫る。痛みを覚悟し目を閉じた瞬間、今度は腕が引っ張られた。逆方向に加わった強い力に、思わず首の骨が鳴りそうになる。くんっと息を飲んで身を任せると、今度は胸下に軸のようなものが現れ、なんとかこの男を倒すまいとしっかりと抱き留めた。

「――――殿下……っ!」

 フォルカーは視線を胸下に向けると、自分にしがみついている金色の頭。そして同じように丸い金色の瞳から強い視線が向けられていた。

「……お前……俺を兎用の罠にハメたな……?」

 気がつくと右足には蔦で作られた輪がかかっている。先には木の枝で作られた簡素な仕掛け、そして小さなナイフが突き刺さっていた。
 恐らく先ほど魚に見えたのはこのナイフで、従者が後ろから投げ仕掛けを動かしたのだろう。

「俺が怪我でもしたらどーするつもりだったんだ、この野郎っっ!」
「だからこうして身体を支えているじゃないですかっ。こっちだって、シーザー達のご飯用の罠を犠牲にしてるんですからねっ!」

 主、それも王族の直系に怪我をさせたとなればこの身に何が起こってもおかしくはない。それはポルト自身よくわかっているので、追いかけつつも細心の注意を払ってる(出来る範囲で)。

「そもそも、殿下が大人しく部屋に戻られたらこんなことには……!」
「だってお前、父上に俺を売る気だっただろ!俺の従者のくせに父上の言うことを聞くなんて、序列おかしいんじゃねぇの!?そんなに俺の美貌を貴族連中に晒したいのか!?言っておくが、俺は男には全ッ然興味ねぇからな!覚えておけ!!」
「だったら尚更、野放しにして善良な婦女子を危険に晒すよりは、諸侯のいらっしゃる公務にしっかり出席されるほうが、世のため人のためということになりますね。あまり夜遅くまで遊んでいては明日が大変です。さ、お部屋に戻りましょう!」
「やーだ!!やだったらやーだっっ!!」
「だーめ!!だめったらだーめっっ!!」

 しばらく二人で押し問答を続けたが、ポルトは軍人上がりのド根性を発揮。
 決して譲ろうとはしなかった。
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