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【8】
【小話】ポルトとエルゼ
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濡れている髪が押し当てられたタオルの動きに合わせて縦横無尽に動き回る。
その後、手に軽く取り出された香油が優しくすりこまれていった。
「……貴女の髪がいつも跳ねてる理由がわかったわ。適当にナイフで切った結果、削ぐような感じになってしまったのね。毛先が細くなってるわ。全くもう…これからは心を入れ替えて身だしなみに気を使いなさい」
「は…はい……、恐れ入ります………」
「でもポルト様、髪質はとてもよろしゅうございますわ。お色も綺麗で……きっと伸ばしたら美しいロングヘアーになるんじゃないかしら?」
「あ…はい……、恐れ入ります……」
「短いと乾くのも早くていいわね。もう少ししたらコテを使いましょ。とりあえず巻かずに自然な感じで真っ直ぐに」
「かしこまりました、お嬢様」
「………恐れ入ります……」
指輪の力であちこち持っていかれた王子は、ポルトとの再会でテンションが上がったせいか今は力尽きて寝入っている。
その間、しばらく寝たきりだったポルトはエルゼに促されるまま沐浴をし、彼女の侍女に身だしなみを整えられていた。あるものの中から適当に見繕った服を着る…というのは今までと変わらないが、今回は屋台で売っていたの安物でも野党が持て余していた略奪品でもない。公爵令嬢によって見繕らわれた、そこそこ良い値のする上質品である。
何処が特に突出して良いかと言うと
(サイズがあってる……)
ポルトは指先で細いフリルの付いた袖をなぞった。
兵士の時に着ていたサーコートやシャツも男性向けの支給品だった。そもそも女性物の服を着ること自体稀なことだったので、まくる必要も革ベルトで止める必要も無い袖、しかもシミひとつない真っ白なそれは少し気恥ずかしさすら感じた。
髪を整えている間、ふと静かになったエルゼに気がついた。宙をみつめ思案してるようにも見えるが、城で見た時よりも少し表情が暗く見える。それに頬のあたりも痩せたように感じた。
「エルゼ様…、何かあったんですか?」
「!」
「その…いつもとご様子が………」
ポルトの言葉に少し驚いたように目を向ける。侍女が何かを伺うようにエルゼを見つめた後、何かを察し一度頭を下げて部屋を出ていった。
「……話そうかどうか迷っていたのだけど…きっとフォルカー様から聞くと思うから先に言っておくわ」
「は・はい……」
「婚約はなくなったわ」
「っ!」
「何驚いた顔をしているの?フォルカー様がここにいらっしゃったのだから、予想はつくでしょう?」
「そ・それは…そう…なんですけれど……。でも……」
「わたくし…きっぱりとフラれましたの。それどころか城への出入り禁止すら言われましたわ」
「え!?何故ですか…!?」
「………そう、貴女…知らないの。それならそれで良いわ……。全てはわたくしが蒔いた種。自分が悪いの。だから……仕方ないと思っているわ」
あの王子が女性相手にそんなことを言うなんて、今までの彼を思えば想像が出来ない。
一体何があったのだろうか。ポルトは問いかけて言葉を飲んだ。触れて良いのかどうかの判断はポルトには出来なかった。
「貴女が殺されるかもしれない…そう考えなかったわけじゃないわ。それでもわたくし……」
「――――……」
「ごめんなさい……っ…。生きてまた会えたら、わたくしの口からちゃんと謝りたかったの。本当に…本当にごめんなさい……!」
「エルゼ様……」
ポルトは首を振る。
「城を出てからも時々考えていたんです。『もしエルゼ様の案を飲んでいたら…』って」
「――――……」
「エルゼ様のお考えは間違っていません。きっと城にいる誰もがきっと貴女に賛同されたことでしょう。ファールンの将来を思えば、私一人の命なんて雨粒のようなものです。それ以前に、戦場でいつ散ってもおかしくない命だったのですから。たとえ雫ひとつでも悪いものなら拭った方が良い……私もそう思います。――だから……、だから城を出た」
「――――……」
「これから先は全て私の我侭です。それでも私は……あの人の側にいられる可能性にすがろうとしている……。こんな私こそ、本来は叱責されるべきなんです」
「その気持ちはわたくしにもわかるわ……。だって…わたくしも……一緒だもの……」
エルゼの涙につられるように、ポルトのまつげが濡れる。
「本当に、女を振り回す嫌な男ですね」
「本当ね」
ポルトの言葉にエルゼがはにかむと、また一つ頬から大きな雫が落ちた。
エルゼの両手がポルトの指先を優しく握る。細い指は暖かく柔らかい。エルゼの額がポルトの額に触れると、エルゼが声を震わせた。
「あの方を…よろしくね」
「!」
「わたくしにはもう、あの方の側にいる資格がない。だからわたくしがして差し上げたかったことを貴女がしてあげて」
「エルゼ様……」
「わたくしも、あの男がわたくしを袖にしたことを後悔するくらい『良い女』になってみせますわ」
◇◇
「エルゼ様のこと、まだ怒っていらっしゃるんですか?」
「うん?」
「クラウス様からお聞きしました。一緒に来ているのに、貴方の所に来ないからおかしいなって思ってたんです」
「ったく、あの野郎。また余計なことを……」
ポルトはなんとも納得しずらい顔でじーっとフォルカーを見ている。
「家族と惚れた女を殺されそうになったんだ。俺はおかしなことなんてしちゃいねぇぞ。出禁だけで済んだんだからむしろ優しい方じゃねぇか。ってかよ?お前の脱獄だって見逃してやった。四大国の次期王だっつーのに、我ながらとんだ甘ちゃんだぜ」
「『ごめんなさい』って言われました」
「……」
「殿下のお気持ちもよくわかります。私もカールトン様がロイター様に激しい非難を受けた時、とても腹が立ちましたし、言い返しもしました。文句を言われた位でこれなんですから、陛下の…お父上の命が狙われたことを思えばそのお怒りも尤もなことだと……」
「じゃあ文句ねぇな?」
「文句はありません。でも……」
「なんだよ」
「陛下は今日も健やかでいらっしゃいますし、私も今ここにいます」
「それはたまたま運が良かったからじゃねぇのかよ。運が悪けりゃ誰かが欠けていたかもしれねぇんだぞ」
「大丈夫ですよ。時間は戻りません」
「!」
「良かったことも悪かったことも…もう変わらない。今こうして皆が元気でいるんですから、きっと良い道を選んだのだと私は思います」
「俺の頭、真っ白になってるんですけど!?」
「毛があるだけ良かったですね!」
「そっちかよっ」
喧嘩直前の猫が毛を逆立てて背中を丸めるように、二人はしばらく火花を散らす。
「侯爵令嬢というお立場なのに、ただの従者にすぎない私のために直接手を濡らしてこの髪を直して下さいました。恋敵であると知りながら、それでも牢から私が出られるように計らって下さろうとしていました。今の貴方なら指輪の力でご存知でしょう?『私が隠していたこと』なのですから」
「………まぁな」
「あのまま私が牢で死ぬのを待っていても良かったんです。……いえ、むしろそっちの方がエルゼ様にとっても安全な方法だったはず」
牢から出るだけじゃなく、その後の生活まで保障をするとまで言ってくれた。子供という代償はあったが、別の女性ならその案に乗っていたかもしれない。
「貴方への想いも…もう叶わないのだとちゃんと受け止めていらっしゃいます。二度とこんなことはなさらないでしょう。そもそもの動機が無くなってしまったのですから。……殿下のなさったこと、今のお気持ちに文句はありません。だから『許してあげて』とは言いません。でも……」
「……」
「これ以上、怒らないであげて」
ポルトはフォルカーの少し冷たい手を取り、温めるように胸の前で握る。
「みんな無事だったから……。エルゼ様も私にごめんなさいって…泣いていらっしゃったから……」
「――――……」
「もう怒らないであげて?ね?」
「……父親が殺されかけて、俺だって死にかけて、お前まで牢に入れられて……。散々城中かき回されて処罰を受けたのはダーナー公だけかよ。頭おっかしいんじゃねぇの?」
「……」
「……はぁ……。」
「!」
「まぁ…この髪は俺が自分で選んでやった結果だし、実行犯のカールトンなんて外でピンピンしてるしな……」
カールトンは今日も柵作りに精を出している。
今回の件、エルゼがしたと言えば鳥の知らせを合図に大聖堂に向かったこと、そして婚約を了承したこと位だ。ダーナー公はこの計画に関わる人間を出来るだけ最小限に、且つ、もしもの時には罰せられる人間が少ないようにしていたのだろう。
いっそダーナー派の貴族達を決起させた方が味方も多く、自身も動きやすかったろうに。
以前にように親しみを込めてエルゼを見ることはまだ出来ない。しかしポルトがこうして無事に戻り、心からの謝罪を口にした今、怒りは以前程のものではなくなっている。
濃い蜂蜜色の瞳が不安そうに見つめている。白くて丸い額に唇を押し付けたまま、「心配すんな」と言葉を落とした。
その後、手に軽く取り出された香油が優しくすりこまれていった。
「……貴女の髪がいつも跳ねてる理由がわかったわ。適当にナイフで切った結果、削ぐような感じになってしまったのね。毛先が細くなってるわ。全くもう…これからは心を入れ替えて身だしなみに気を使いなさい」
「は…はい……、恐れ入ります………」
「でもポルト様、髪質はとてもよろしゅうございますわ。お色も綺麗で……きっと伸ばしたら美しいロングヘアーになるんじゃないかしら?」
「あ…はい……、恐れ入ります……」
「短いと乾くのも早くていいわね。もう少ししたらコテを使いましょ。とりあえず巻かずに自然な感じで真っ直ぐに」
「かしこまりました、お嬢様」
「………恐れ入ります……」
指輪の力であちこち持っていかれた王子は、ポルトとの再会でテンションが上がったせいか今は力尽きて寝入っている。
その間、しばらく寝たきりだったポルトはエルゼに促されるまま沐浴をし、彼女の侍女に身だしなみを整えられていた。あるものの中から適当に見繕った服を着る…というのは今までと変わらないが、今回は屋台で売っていたの安物でも野党が持て余していた略奪品でもない。公爵令嬢によって見繕らわれた、そこそこ良い値のする上質品である。
何処が特に突出して良いかと言うと
(サイズがあってる……)
ポルトは指先で細いフリルの付いた袖をなぞった。
兵士の時に着ていたサーコートやシャツも男性向けの支給品だった。そもそも女性物の服を着ること自体稀なことだったので、まくる必要も革ベルトで止める必要も無い袖、しかもシミひとつない真っ白なそれは少し気恥ずかしさすら感じた。
髪を整えている間、ふと静かになったエルゼに気がついた。宙をみつめ思案してるようにも見えるが、城で見た時よりも少し表情が暗く見える。それに頬のあたりも痩せたように感じた。
「エルゼ様…、何かあったんですか?」
「!」
「その…いつもとご様子が………」
ポルトの言葉に少し驚いたように目を向ける。侍女が何かを伺うようにエルゼを見つめた後、何かを察し一度頭を下げて部屋を出ていった。
「……話そうかどうか迷っていたのだけど…きっとフォルカー様から聞くと思うから先に言っておくわ」
「は・はい……」
「婚約はなくなったわ」
「っ!」
「何驚いた顔をしているの?フォルカー様がここにいらっしゃったのだから、予想はつくでしょう?」
「そ・それは…そう…なんですけれど……。でも……」
「わたくし…きっぱりとフラれましたの。それどころか城への出入り禁止すら言われましたわ」
「え!?何故ですか…!?」
「………そう、貴女…知らないの。それならそれで良いわ……。全てはわたくしが蒔いた種。自分が悪いの。だから……仕方ないと思っているわ」
あの王子が女性相手にそんなことを言うなんて、今までの彼を思えば想像が出来ない。
一体何があったのだろうか。ポルトは問いかけて言葉を飲んだ。触れて良いのかどうかの判断はポルトには出来なかった。
「貴女が殺されるかもしれない…そう考えなかったわけじゃないわ。それでもわたくし……」
「――――……」
「ごめんなさい……っ…。生きてまた会えたら、わたくしの口からちゃんと謝りたかったの。本当に…本当にごめんなさい……!」
「エルゼ様……」
ポルトは首を振る。
「城を出てからも時々考えていたんです。『もしエルゼ様の案を飲んでいたら…』って」
「――――……」
「エルゼ様のお考えは間違っていません。きっと城にいる誰もがきっと貴女に賛同されたことでしょう。ファールンの将来を思えば、私一人の命なんて雨粒のようなものです。それ以前に、戦場でいつ散ってもおかしくない命だったのですから。たとえ雫ひとつでも悪いものなら拭った方が良い……私もそう思います。――だから……、だから城を出た」
「――――……」
「これから先は全て私の我侭です。それでも私は……あの人の側にいられる可能性にすがろうとしている……。こんな私こそ、本来は叱責されるべきなんです」
「その気持ちはわたくしにもわかるわ……。だって…わたくしも……一緒だもの……」
エルゼの涙につられるように、ポルトのまつげが濡れる。
「本当に、女を振り回す嫌な男ですね」
「本当ね」
ポルトの言葉にエルゼがはにかむと、また一つ頬から大きな雫が落ちた。
エルゼの両手がポルトの指先を優しく握る。細い指は暖かく柔らかい。エルゼの額がポルトの額に触れると、エルゼが声を震わせた。
「あの方を…よろしくね」
「!」
「わたくしにはもう、あの方の側にいる資格がない。だからわたくしがして差し上げたかったことを貴女がしてあげて」
「エルゼ様……」
「わたくしも、あの男がわたくしを袖にしたことを後悔するくらい『良い女』になってみせますわ」
◇◇
「エルゼ様のこと、まだ怒っていらっしゃるんですか?」
「うん?」
「クラウス様からお聞きしました。一緒に来ているのに、貴方の所に来ないからおかしいなって思ってたんです」
「ったく、あの野郎。また余計なことを……」
ポルトはなんとも納得しずらい顔でじーっとフォルカーを見ている。
「家族と惚れた女を殺されそうになったんだ。俺はおかしなことなんてしちゃいねぇぞ。出禁だけで済んだんだからむしろ優しい方じゃねぇか。ってかよ?お前の脱獄だって見逃してやった。四大国の次期王だっつーのに、我ながらとんだ甘ちゃんだぜ」
「『ごめんなさい』って言われました」
「……」
「殿下のお気持ちもよくわかります。私もカールトン様がロイター様に激しい非難を受けた時、とても腹が立ちましたし、言い返しもしました。文句を言われた位でこれなんですから、陛下の…お父上の命が狙われたことを思えばそのお怒りも尤もなことだと……」
「じゃあ文句ねぇな?」
「文句はありません。でも……」
「なんだよ」
「陛下は今日も健やかでいらっしゃいますし、私も今ここにいます」
「それはたまたま運が良かったからじゃねぇのかよ。運が悪けりゃ誰かが欠けていたかもしれねぇんだぞ」
「大丈夫ですよ。時間は戻りません」
「!」
「良かったことも悪かったことも…もう変わらない。今こうして皆が元気でいるんですから、きっと良い道を選んだのだと私は思います」
「俺の頭、真っ白になってるんですけど!?」
「毛があるだけ良かったですね!」
「そっちかよっ」
喧嘩直前の猫が毛を逆立てて背中を丸めるように、二人はしばらく火花を散らす。
「侯爵令嬢というお立場なのに、ただの従者にすぎない私のために直接手を濡らしてこの髪を直して下さいました。恋敵であると知りながら、それでも牢から私が出られるように計らって下さろうとしていました。今の貴方なら指輪の力でご存知でしょう?『私が隠していたこと』なのですから」
「………まぁな」
「あのまま私が牢で死ぬのを待っていても良かったんです。……いえ、むしろそっちの方がエルゼ様にとっても安全な方法だったはず」
牢から出るだけじゃなく、その後の生活まで保障をするとまで言ってくれた。子供という代償はあったが、別の女性ならその案に乗っていたかもしれない。
「貴方への想いも…もう叶わないのだとちゃんと受け止めていらっしゃいます。二度とこんなことはなさらないでしょう。そもそもの動機が無くなってしまったのですから。……殿下のなさったこと、今のお気持ちに文句はありません。だから『許してあげて』とは言いません。でも……」
「……」
「これ以上、怒らないであげて」
ポルトはフォルカーの少し冷たい手を取り、温めるように胸の前で握る。
「みんな無事だったから……。エルゼ様も私にごめんなさいって…泣いていらっしゃったから……」
「――――……」
「もう怒らないであげて?ね?」
「……父親が殺されかけて、俺だって死にかけて、お前まで牢に入れられて……。散々城中かき回されて処罰を受けたのはダーナー公だけかよ。頭おっかしいんじゃねぇの?」
「……」
「……はぁ……。」
「!」
「まぁ…この髪は俺が自分で選んでやった結果だし、実行犯のカールトンなんて外でピンピンしてるしな……」
カールトンは今日も柵作りに精を出している。
今回の件、エルゼがしたと言えば鳥の知らせを合図に大聖堂に向かったこと、そして婚約を了承したこと位だ。ダーナー公はこの計画に関わる人間を出来るだけ最小限に、且つ、もしもの時には罰せられる人間が少ないようにしていたのだろう。
いっそダーナー派の貴族達を決起させた方が味方も多く、自身も動きやすかったろうに。
以前にように親しみを込めてエルゼを見ることはまだ出来ない。しかしポルトがこうして無事に戻り、心からの謝罪を口にした今、怒りは以前程のものではなくなっている。
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