忠犬ポチは人並みの幸せを望んでる!

Lofn Pro

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【8】

しあわせな せかい-1

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 白い景色の中でポルトは一人佇んでいた。
 いつも着ていた生成りのシャツに簡素なズボン、豚の皮で出来た簡単な靴……。 
   とくに変わった装いでもない。

 そこは風もなく、土や草の臭いもない不思議な世界だった。
 例えるならこの世とは思えないような……いや、きっとそういうことなのだろう。その時・・・が来たのだと感じ、天上を仰ぎながら金色の瞳を閉じた。
 鼻から肺へとゆっくりと酸素を送り、吐き出す。

 自分は生きている間に何か出来ただろうか?
 この世界に一欠片でも何かを残せたのだろうか?
 一人でも誰かを幸せに出来たのだろうか?

 今更思い残しを見つけた所でどうすることもできないのに……。
 いや、消えてしまった方がマシだと考えていた頃に比べればずっと良いのかもしれない。
 きっと変えてくれたのは王子や出会った仲間達のおかげだろう。

 彼らと過ごした時間を脳裏で反芻し、時間の流れすら忘れかけた時だった。
 
 「ねぇ、なにしてるの?」

 真っ白な世界でふいに聞こえたのは子供の声。驚いて下を見ると、腰程の位置に赤毛の小さな子供の顔があり、生気に満ちたイエローグリーンの瞳がぱっちりとこちらを見上げていた。
 長い三編みを背で揺らしているが…男の子だろうか?性別はわからない。
 ただ、裾は擦り切れ、サイズもまるで合わない服を来ているその様は自分にも覚えがあり、同時にこの子供が何者なのかも察する。

 くいっとシャツを掴んだ細い腕には裂傷が覗き、ポルトは無言のまま目を細めた。
 これはレンガ作りで雇われた先の主人がつけたものだ。
 休憩などまともにとらせることもなく、何人もの子供が犬より酷い扱いを受けて結局埋められてしまった。気分で鞭を振るう奴で、賭け事に負けた時なんかは特に酷かった。
 あの時の子供達の仕事はレンガを作る事と、あの男の憂さ晴らしに命がけで付き合うことだった。

 同じ傷を持つ手が少年の腕と柔らかい髪を優しく撫でる。

「よく働いた印がついてる。我慢強く…頑張ったんだね」

 少年は大きく頷き、「こことねぇ、こことねぇ、ここにもあるよ」と所々歯の抜けた口で答えると、服の上からあちこち指を指した。
 ガジンに貰った傷薬は城に置いてきてしまった。周囲には薬になりそうな草は一本も生えておらず、ポルトは肩を落とす。

「ごめん、今なんの薬も持って無くて……。傷口は治っているみたいだけど、まだ痛む?」
「ううん、いたくない」
「……そう。良かった」

 膝を折って子供と目線を合わせる。
 こんなに明るい場所でゆっくり彼らの顔を見たことなんてあっただろうか?
 清潔な服に風呂に入ったかのような健やかな肌、血色の良い頬、何よりその笑顔に、心の片隅で安堵した。

「おいで」

 両手を広げると口からそんな言葉が出た。子供は一瞬驚いた顔を見せたが、すぐ抱きつくように首元に手を回すとぎゅうっと力を込めた。
 鼻先を寄せれば子供が持つ独特の匂いがする。その腕の細さに身体の小ささに、唇を噛みながらポルトも腕に力を入れた。

「……ごめん」
「?」

 少年の髪に鼻先を埋めながら、ポルトは顔を伏せる。

「お前を殺したのは私かもしれない……」
「――……」

 幾度となく繰り返されたあの場所…廃教会での記憶が仄暗く色を奪おうと降りてくる。

 国の境目にある廃教会にはどこからか集められた子供がいた。
 架空の父親を待ち続けた血の繋がらない兄妹達。床板の剥がれた土の上で眠り、目が覚めている時は兄姉に連れられ厳しい労働に従事した。
 捕虜よりも劣悪な環境の中、ろくに食事もとれない子供の体力など持つわけがなかった。
 一人、また一人と倒れ……、物心がつくようになる頃にはすでに埋葬場所にも困る程。

 動けない者を治療する設備も薬も知識も食べ物もあるわけがない。
 今かろうじて動けている者だって、明日にはどうなっているかわからない…そんな状況だった。
 極限なまでに限られた力で、道具で、出来ることがあるとすれば『全て』を終わらせてやることだけ。

 ある者は自らの意思で、ある者は他の兄妹に促されて……。
 幼き日の自分も例外では無い。この手は兵として剣を握る前から、神に選ばれた一族に近づくことなど許される身ではなかった。

 ――『……同じ穢れだ。お前があそこで何を屠り、誰を手に掛け続けてきたのか…王子主人は知っているのか?』

 あの日カールトンに耳打ちされた言葉は、霞んでいた過去をあられもなく蘇らせた。
 軽蔑されるのが怖くて、やっと得ることが出来た暖かい場所を失うのが怖くて、城の誰にも言うことは出来なかった。それは……自分が負い目を感じている証拠に違いない。
 何をどう言った所で償えるわけもないのに。

 現実から逃げるように出た言葉は「ごめん」という簡素なものだった。
 こんな小さな子供にすがるように、許しを請う。

「ごめん……。ごめん……。本当は…そんなことしなくなかった……」

 いつか大きな手が迎えに来てくれるのだと信じていた。
 みんなで手をつないで、陽に照らされた道を歩いていけるのだと信じていた。無知で非力で愚かで、気付いたときにはもう手の施しようがなくなっていた。

 ぎゅうと力の入る拳が少年の服に皺を作る。

「おれのときはべつのにいさまだった。しょうがないよ、ごはんなかったし……。へらせるくちはへらさないと。おれだってさんにんうめた」
「――……」
「ねえさまだって、もしおきれなくなったら……おれがやってたかもしれない」
「――――……」

 兄妹は互いを抱きしめながら、思い描いていた夢とはまるで違っていた現実を思い返した。
 特別じゃなくても良い、時々ご飯が無くても良いし、家だって粗末でいい。
 例えば守り合えるような誰かが側にいて、ご飯を一緒に食べる。
 時々昔を思い出しては笑って、新しい日を怯えずに迎えられるような……そんな日常で良かったのに。

 自分の手首程の太さしか無い小さな首を見て思う。
 こんな子なら尚更強くそれを望んでいたに違いない。
 目元に淡く熱が帯び始め、唇を噛んで堪える。

「かなしまないで。こっちはもうへいき。おれのふくをみて?きれいだろ?ねぇ、ねえさま。みんなあっちにいるよ」
「?」
「いっしょにいこうよ」
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