忠犬ポチは人並みの幸せを望んでる!

Lofn Pro

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指輪が見せた世界-9

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 フォルカーを飲み込んだ黒い嵐は今も彼を離そうとしない。
 そして彼もその場から抜け出すことを拒み、心と身体と魂の痛みと軋みに耐えていた。
 
 魂が駆け巡る渦を、少し離れた場所から二人の女が見守っている。
 女は跪くように座っていたポルトの元へ近づくと手を伸ばした。

『どうだ?若きリガルティア。あれはお前の夫に相応しいか?』
「――……」

 ポルトの周りからは影消えていた。応えるように女の手を取ると少しよろめきながらもゆっくりと立ち上がる。声を発することもなく、金色の瞳がフォルカーと兄妹らの姿をじっと見つめた。その横顔からは、心情を推測することもできない。
 その様を女は目を細めて楽しそうに眺めた。片手を口元に添えながらクックックと口角を上げる。

『稀有な運命を背負ったものだ。生ける殉教者のようだな』

 強い風には塵が含まれているのだろうか、視界は薄暗く決して良いとは言えない。ただ風が暴れるごうごうという音を聞きながら、『その時』が終わるのを待っていた。

 時間の概念が曖昧なまま、どれ程の時間を過ごしただろうか。
 フォルカーを取り囲んでいた影は次第に薄くなり風も弱まり始め、サーコートの裾をめくり上げる力も無くなるほどすっかり収まった。

 影から形を成したのだろう子供達が数十人の塊を作っていた。その中心で、フォルカーが背を丸め片膝をついて大きく息をしている。

『……終わったか』

 女は白いドレスの裾を軽く地面にこすらせながら歩くと、子供たちが静かに道を作る。
 数多の死を目の当たりにし、この青年はどこまで正気を保てているのだろうか。
 いっそ壊れてしまえば世界は彼にもう少し優しくなるのかもしれない。少なくとも王族の責務はずっと軽いものになるだろう、女はふとそう思った。

 視界に入って来た影に気がついたフォルカーが顔を上げた。
 目の前にはどこの国のものかもわからない、しかし美しい装飾を持つ仮面をつけた女が見下ろしていた。

『その様子だと、とりあえずはまともなままのようだな。しぶとさは父親譲りか、フォルカー』

 白く細い指が目元を覆う仮面を外す。
 それは軽い金属音を二三度立てると小さな花びらになって宙に消える。
 エメラルドの瞳が見開いたのは、何処かへと消えた仮面のせいではない。
 
「は・母…上……?」
『うん』
 
 忘れるはずもないその面影。数多の美姫を見てきたフォルカーでさえ、彼女と同じ髪と瞳を持つ女性を見たことがない。
 白銀のまつげに囲まれた深い深い蒼い瞳がゆっくりと微笑む。薄紅色の頬、そして紅が引かれていると思うほど色付く口唇。風に流れる白銀の髪は水のように真っ直ぐで絡まることすら知らないようだ。

 ファールン王妃シュテファーニア。

 三度の婚約をしたが婚約者のうち二人は不幸な死を迎え、一人は心を壊した。しかし、その後も富と美貌で名のある諸侯の心を奪い続けた女性。身を滅ぼした者、滅ぼされた者は数えきれない。
 ――『傾国のリガルティア』。
 死神ともたとえられた彼女は、まことしやかにそう呼ばれた。

『……きれぃ……』

 澄んだ空気の中に花開く白百合のような姿に目を奪われた子供の一人が思わずこぼす。
 頭に置かれた白い手が優しく二、三度撫でると、小さな歯を見せながら少女は嬉しそうに笑った。

 
『ポルト、よく見ておけ』

 女は両手をゆっくりと胸の前に出す。そして一度だけパンと手の平を鳴らした。響きが空気を揺らした瞬間、フォルカーの回りにいた数十人という子供たちが、真っ白な花びらに姿を変える。

「な……!?」

 驚いたフォルカーが思わず周囲を見回したが、幼子は誰一人残ってはいない。
 母親に抱かれた赤子があやされるように、右へ左へとゆらりゆらりと揺れながら花びらが宙を漂っている。

『身体を直接拾ってやることはできないが……、今は空の器でしかない。あとは自然に習い土へ還そう』

 ふぅっと息を吹く。すると周囲にも風が生まれた。さっきまでとは違う春の訪れのような暖かい風だ。

『また、おいで』

 視界いっぱいに花びらを巻き上げながら、空へ向かって高く高く舞っていく。
 それに釣られるようにポルトも顔を上げた。

 金色の瞳に映ったのは青く遠く澄んだ空。
 視界いっぱいに広がる花びら彼等を懐に抱いてもまだ余りある広さで大地を包んでいた。
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