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【8】

止んだ音

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「あぁあぁぁのクソ親父がぁあぁああ――――――ッッッッ!!!!」

 激しい音を立てながら椅子が床に叩きつけられた。ちなみにファールンでも三本の指に入るという職人が仕上げた家具で、出すところに出せば鍵をかけて保管される程の価値がある。他にも「手の届く場所にあった」という理由だけで、貴族でも手が出ない程の調度品が次から次へと無価値な瓦礫へと変わっていく。
 
 以前もこうして暴れたせいだろうか、扉の前に護衛という名の見張り番を置かれたフォルカーは、自室で半ば謹慎のような状態に置かれていた。
 以前は部屋にさえいれば女性を呼ぶことも多少は大目に見られたが、今はそれも「手引きの可能性がある」と禁じられてしまった。
 当然ながら隣の物置部屋から廊下に出る扉にも衛兵がいる。ふふんと得意げに「大聖堂へ行く時に使った緊急避難用の通路があるんだぜ」と壁の継ぎ目に手を掛けてみたら、反対側から鍵を掛けられていた。流石この部屋の元主元王子である。なんて用意周到な……。

(こうしている間にも…あいつはどんどん遠くに……手の届かねえ所に行っちまう……っ)

 今やポルトの敵はファールン王家。逃げるなら国外への出奔を目指すはず。不用意に他国へ兵を出せば領土侵犯だと国際問題になってしまう。クラウスが言ったように追いかけるなら国内にいる間が勝負だろう。
 しかし現状況では兵どころか己の身すら自由に動かすことは出来ない。
 
 苛立ちを抑えきれず部屋の中をうろついていると、次第に空には星々が輝き始めた。
 夕食を運んできた使用人(男)が室内の荒れ具合に身を強張らせながらも、ひきつり気味な笑顔を作る。
 並べられた料理は父が気を使ったのか息子自分の好物ばかりが出てきた。この時期には珍しい干していない肉を塩と香草でよく揉みこんでこんがりと焼いたものや、蒸した野菜、色の違う三種類の豆とソーセージを炒めて煮込んだ湯気の立つスープ。焼いた鮭の上には溶けたチーズがトロリと乗せられ、芳醇な匂いを漂わせた。真っ白なものと、レーズンとクルミを練りこんだ二種類のパン、柔らかいバターが一山。その隣には、銀で縁取られルビーで装飾された豪華なゴブレットがあり、中には五種類のスパイスが漬け込まれた赤ワインがなたっぷりと注がれている。
 これらが並べられたテーブルを見て、誰が謹慎者の食事だと思うだろうか。

 一脚だけ残った椅子を乱暴に引き寄せて座る。
 気遣いのされた豪華な食事を前にしても、胸につっかえたモヤモヤが重くて食欲は起きない。……というか、謹慎をさせた人間に好物を出すなんて、所々で父王はおちゃめな面を出す。母と出会う前は他人にそれほど興味を示さない男だったと従者フォンラントから聞いたことがあるが、きっとこの辺は母に影響されたのかもしれない。
 テーブルに残る料理を見ながら、きっと数週間前ならあの阿呆従者がソワソワしながらこちらをチラ見していたことだろうと想像した。

 ため息交じりに窓の向こうの空を見る。すでに月が白く登っていた。

(前だったら…ポチと遊んでた時間だったのに……)

 頬付をつきながらフォークでニ三度野菜をつつく。
 最初の頃はまだ女だと知らなかった。新しい弟が出来たようでつい苛めたくなって、からかい半分、わざと汚した鎧を深夜まで磨かせてみた。翌日、寝坊をすることはなかったが、目の下に出来たクマが酷くて大笑いしてやった。

 その次は得意のボードゲームで自分が飽きるまでこてんぱんにやっつけてみた。勿論罰ゲーム付き。
 負けが増えるごとに顔にインクで落書きをしていったが、最後は焦げついたパンのようになったので、「これでクマは目立たなくなったな!」と大笑いしてやった。

 食べ物に強い関心を持っていることを知って、目の前で最高級の葡萄パンを見せびらかしながら食べたこともある。
 いつもは表情乏しいあいつがあまりに羨ましそうに見つめるので、小さく切ったものを与えてみた。眉間にこれでもかとシワを入れ、泣きそうな顔になりながら「美味しいですねぇっ」と食べていた。
 考えてみれば庶民は普段小麦ではなくライ麦で出来た黒いパンを食べている。それも保存がきくように固く焼き上げたものだ。白く柔らかなパン…それも中にドライフルーツが入っているものなど、夢のような食べ物だろう。
 好奇心からとはいえ、そんなものを庶民に与えるなんて……。たまには自分だって良いことをするんだぜ、なんて陶酔しながら。
 後日、犬小屋の道具置き場に隠されていた葡萄パン(注:凄く硬くなってる)を見つけた。
 それが彼女の少ない給金を集めてやっと買ったものであり、少しずつ舐めるように味わいながら食べているものだと知ったとき、「越冬中のリスか!」とツッコミながらも激しい罪悪感に襲われたこともあった。

(確かに…王妃なんてガラじゃねえかもしれねえけど……)

 良くてマスコットキャラクターとか??小柄だし、似合いそうだ。
 床にはさっきまで椅子だった木材が散らばっている。食事はそのままに比較的大きい木片を拾い集めると、暇つぶしとばかりに暖炉のそばに座って火に投げ入れた。

(……アイツ、ちゃんと食ってんのかな?)

 髪は櫛でとかしているだろうか?不愛想なカールトンに意地悪されていないだろうか?……というか、必要以上に仲良くなっていないだろうか?いつかの妄想みたいに肩寄せ合って焚火にあたったりなんてしていたら……そう思った瞬間、沸き起こったイラつきに一際大きな木片をガコッと暖炉に投げつけた。彼女の性癖にあの男が引っかかっていないことを祈る。

 ゆらゆらと揺れる炎、初めて彼女が自分のベッドから目覚めた時も燃えていた。柔らかく淡い光は彼女の白くて細い肢体を彫刻のように見せた。
 育ちきれなかった身体を、刻まれた傷を、彼女は隠したがっていた。
 ……当たり前だ、女なのだから。馬鹿な女だ。

(今更……この俺が気にするとでも思ってんのかよ……)

 今まで星の数ほど女を相手にしてきた。中には理由を聞けないような傷を持った者も少なくは無かったが、それを嫌悪したことはない。
 今ならその傷のある場所全てにキスマークをつけてやるのに。「心配しなくても全部まとめて引き受ける」、そう言ってやれる。証明だってしてやれるのに。
 この気持ちを少しでも伝えられたなら……あの悲しい鈴の音を止めてやることが出来るかもしれない。
 しかしそれは不可能であり、儚い願いで終わるしかなかった。

 気がつけば手頃なサイズの木片は全て燃やしてしまったようだ。
 炎を見つめることにも飽きて、仕方なくベッドに身体を横たえた。

(クラウス…上手いことやってっかな?)
 
 父王と揉めれば動けなくなる、その可能性は十分に予想していた。だから彼に色々面倒なことを頼んだ。彼女を迎えるための大切な準備を急いで終わらせなければいけない。彼女が安心してこの場所に、この腕の中に帰って来られるように。

「……阿呆ポチ……。俺様に…どれだけ心配かけさせやがる……」

 こんなに自分を振り回した女を他に知らない。
 逃げた女がまだ自分を想っているんじゃないかだなんて……。諦めの悪い心が都合のいい解釈にすがっているだけかもしれない。ストーカーと言われても仕方がない。


 それでも。
 それでも、あの手をもう一度捕まえたい。

 柔らかい髪に鼻先を埋めたい。どれだけ暴れて逃げ回ったとしても、首根っことっ捕まえて散々ほっぺた揉みまくって、抱きしめて、抱きしめて、抱きしめて……もう離したくない。
 また暴言を吐かれるかもしれないが、もう一度会って本当の気持ちを知りたい。

(向こうは一方的に知らせるくせに、こっちのことは伝わらないだなんて…ほんとズルイよな……)

 瞼の裏には今まで日常の一部になっていた頃の彼女の姿。面影を追いかけたまま、次第に睡魔が訪れる。
 まどろみの中、遠くなる意識のどこかでかすかにまた鈴の音が聞こえた。最初は小さい音だったが、次第に大きくなり間隔も狭まる。

(……?……)
 
 すぐに変化に気がついた。確かめるようにじっと耳を澄ます。
 ……そう、いつもなら静かに転がすような澄んだ音。しかし今は無骨に振り回している……そんな音色だ。
 嫌な胸騒ぎがして思わず起きあがった。

「……ポチ……?」

 次第に音は大きくなり、濁っていく。
 そして硬質な壁に叩きつけるような金属音に変わり、「パンッ」と破裂音を一度大きな音を立てると……今までの騒音が嘘のように静かになった。

「―――…ッ……!!!」

 気がつけば身体が動いていた。激しくドアノッカーを引っ張るが、やはり動かない。
 扉の向こうから衛兵が「どうかされましたかっ?」と心配そうに声をかけてきたので、「うるせぇ!出せ!殺すぞ!末代まで祟るぞ!!」と思いつく最大限の言葉で頼んでみたが聞き入れられなかった。

 この鈴の音は、指輪の花嫁リガルティアが死の原因となるものに出会ったときに鳴る…そう伝えられている。それが…こんな風に鳴り止むなんて……。最悪の結末を考えるなという方が無理だろう。
 全身に嫌な汗が流れる。不安で動悸がする。全身の血液が引いていくかのようだ。

 とっさに窓を開くと地上までの高さを見て生唾を飲む。
 窓からの出入りは初めてではない。追いかけてきた従者から逃げるため、忍び込んだ姫君達の部屋の窓から飛び出したことは何度かある。しかし客間は全て二階、もしくは一階。ウルム大聖堂に比べれば低い建築とはいえ、自室のある四階ともなると命を落とすのに十分な高さだ。
 ……ただ、ここは一度あの阿呆が狼会いたさに抜け出している。

(あ…アイツに出来て、俺様が出来ねぇワケが…ねぇッ!!)

 部屋に戻ると、布という布を剣で裂き一本のロープにする。中には何処かの領主から献上されたローブもあったが、今は長さと頑丈さ以外興味はない。

(ポチ……!!ご主人様が行くまで踏ん張れよ……!!)

 布の端をベッドの足にくくりつける。
 そして腕に抱えきれないほどのロープの束を抱え込むと、窓の外に向かって一気に放り投げた。
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