忠犬ポチは人並みの幸せを望んでる!

Lofn Pro

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【7】

空白を埋めるように

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 人の子は母親の腹に十月十日宿った後、外の世界へ産まれるのだという。
 暗闇から出て初めて見た光の眩しさ、空気の匂い、腹を通さず直接聞こえた音、自分以外の肌の感触……、そして何より喉から出た産声という音にどれだけの驚きを感じたのだろうか。

 父親となる宿屋の主人と医者の到着を待たず、女は出産の時を迎えることになってしまった。
 寝室には女とポルトが残り、カールトンは部屋のすぐ外で待っているように言われた。
 女は医者からもしもの時の対処法を聞いていて、また他の女の出産にも立ち会った経験もあったせいか、陣痛に耐えながらもポルトに指示を出すことが出来たし、またポルトも懸命にそれに応えた。

 わかりやすい一大事を目の前にして、男であるカールトンには何一つ出来ることがない。聞こえるのは苦痛にまみれた女の悲鳴やうめき声、そして語彙力のないポルトの必死な応援だ。

 カールトンはふと疑問に思う。
 子が産まれるというのは、嬉しかったり楽しかったり…幸せに溢れているものではなかったのか?
 何故かざわざわと揺れる胸に押されて時折部屋の中を覗いてはいたが、女の姿を見る限りそれ・・は神の祝福からはかけ離れた地獄でしか無かった。
 こんな冬の夜に顔を真っ赤にして汗にまみれている。よく見れば顔の所々が内出血していた。さっきまでは無かったそれは、女が力んで出来たものだと察する。
 出産で命を落とす母体は少なくないと聞くが……まぁ納得だ。

 止むことのないうめき声は段々と逼迫感を帯びてくる。ジリジリと焦げ付くような時間が続き、女が突然獣のように叫んだ。そして、それがふっと止んだ瞬間…感じた。
 この世界に新しい命が生まれ落ちた。
 少し間をおいてあがった元気な産声はこれまでの緊張と苦痛の全てを払い、その場にいた全員に安堵のため息をつかせた。

「――……」

 カールトンはいつの間にか女の呼吸に合わせて、自分がぐっと息を止めていたことにも気がついた。
 そっと部屋を覗けば赤子はポルトに取り上げられ、女の胸の上に置かれている。それ・・はまだ乾いていないふにゃふにゃの生き物で顔は真っ赤。人間というよりは動物に例えた方がいいかもしれない。
 それでも、「あぁ……、やっと会えたわね、お疲れ様ぁ……っ」と女は初めて抱く我が子に目元を潤ませ、二人の姿を見ながらポルトも「おめれとうごじゃいますぅぅうう……!うぐぐぅん……っ!」とぐしゃぐしゃに泣いていた。

(早く洗ってやれ)

 肩の力が抜けたカールトンが壁に背を寄りかからせた。
 一息ついて気持ちが落ち着いたのか、妹の珍しい姿にも気がつく。その姿をもう一度確認しようと身体を起こした時だった。外へと通じる出入り口の扉が、突然音を立てて開いた。反射的に動くカールトンの身体。
 抜いたナイフの切っ先を正体不明の来客の首元へピタリとつけた時、ゴクリと喉を鳴らせた男が慌てて声を上げた。

「おおおおおおいっっ!俺だ!マルコだ!この店の主人だよ!!兄ちゃん、落ち着いてくれ!!医者を連れてきたっ」
「――……」

 「また間違えた」、とは言わずにおく。同じ失敗は起こさないよう寸止めをしたのだから。
 戦いを終えたばかりで身体が反応してしまうのは仕方がない。……そういうことにしておこう。
 主人の後ろには青い顔をした初老の男が小さく肩を震わせている。これが医者か。処置する手まで震えないように剣を収めた。

「妻は…!?」
「中だ。もう産まれている」
「!!」

 その言葉に主人の表情が花でも咲いたかのように変わった。息をする間もなく部屋へ飛び込むと、「うぁわああ……っ!」と熱のある声を上げながら妻へと駆け寄り、命がけで出産に挑んだ彼女を讃えながら新しい家族に目を細めた。

「――――……」

 同じ空間であの感情を共有するにはストレスが掛かりすぎる。胃もたれがしそうだ。
 後のことは彼らに任せ、カールトンは外の空気を吸いに出ることにした。

 空は澄んだように晴れていた。しかしその下では、前夜の襲撃を生き残った者達が寝ずの対応を強いられている。
 目立った火は消されたようだが所々で炭の中に小さな火種がくすぶっていて、白い煙はそこら中で上がっている。宿屋の中は穏やかな空気が流れているだろうが、昨日村で起きた騒ぎが収まったわけではない。
 人々は壊れた家屋を行き交い、忙しそうに走り回る。村の周りを取り囲んでいた柵は所々丸太が倒されて隙間が空いており、そこから外の世界が垣間見えた。

 死者の埋葬もある。この村が元の姿を取り戻すまでは、かなりの時間を要することだろう。
 ……きっとその姿を見ることはないのだろうけれど。
 カールトンが夜の帳が消え白み始めた空を見上げる。

 大切な者を亡くし、二度と会うことが出来ない名を呼ぶ涙混じりの声。同時に、新しく生まれた命が温かい両親の腕の中で産声を上げている。
 似て非なる声は耳元で合わさりなんだか腹の底に沁みるようだった。

 微かに姿を表した太陽の光で地上は金色に輝き、それは高く高く真っ直ぐ、雲の上まで差している。
 雲の輪郭を浮かび上がらせる朝焼けの陰影は、薄い黄色と紫色を清水で混ぜ合わせたような淡い色合いで、死を迎えた者にも生を迎えたものにも優しく寄り添うように見えた。――……今の自分には少し…明るすぎるようにも感じるが。

「兄様」
「!」

 ふと姿を消したカールトンに気がついたのだろう、探しに来たポルトが金色の朝日に目を細めた。身体を伸ばしながら白い息を弾ませ、軽い深呼吸をする。

「夜からずっと…お疲れ様でした。元気な男の子でしたね。奥様は今お休みになられた所で、今ご主人とお医者様でお子さんを見ていらっしゃいます」
「――……」

 ポルトの目はまだ赤く腫れている。きっとこの冷たい風が癒やすだろう。

「びっくり…しちゃいましたね。私、こんなこと初めてで。兄様は?」
「――……あればもう少し要領よく動いてる」
「流石に兄様もこういうのは初めてだったんですね」

 積もった雪の表面を風がピゥッと走り、表面を舞い上げる。小さな小さな氷の粒は朝日に反射してダイヤモンドのようにキラキラと輝いた。

「今更ですけど、人って…ああやって生まれてくるんですね……っ。いつも逆の場面に立ち会っているので、全然わかりませんでした……っ」
「――……」

 むしろ数時間前に命を奪ってきたばかり。なのに朝には誕生の場に立ち会っているなんて……。運命の神様はなんておかしなシナリオを用意したのだろうか。
 そんな皮肉を口先ににじませたが、それでも陽に照らされたポルトの表情はいつにもまして穏やかだった。「ちょっと思ったんです」そう前置くとさらに言葉を続ける。

「――……。例えどんな国に生まれても、人は人であることは変わらなくて……。馬小屋で生まれても目玉が飛び出るほど豪華なベッドの上で生まれても、同じ過程を経てこの世界に来ていることは変わらなくて……」

 何が言いたい、そういう様にカールトンが青い瞳を動かとポルトが小さく肩を上げた。

「わ・私達もああやって生まれて来たんだなって。そう思うと胸がぎゅっとして……。母様もこうやって私達を産んでくれたんだなって思うと…嬉しいと言うか…恥ずかしいと言うか……。身体がぽわっと温かくなるような気がして。そんなこと…考えたことありますか??」

 頬を淡く紅色に染めて呟くポルト。その姿を見る視線は冷ややかだ。

「お前が見たのはあくまで部分的なものだ。母親の腹に宿った瞬間お荷物だと言われ、薬で無理やり堕ろされる赤ん坊もいれば、生まれた直後に川に流される奴もいる」
「でも、私も兄様もずっと母親のお腹の中にいたことは確かな事実だし……っ」
「その間、甘ったるい機嫌取りの言葉をかけられたとでも思うのか?俺は膨らんだ腹を殴りながら『これ・・さえなければ』と泣き叫ぶ女だって見ている」
「っ……」
「……。自分の居場所を錯覚したようだな。相変わらず愚かな妹だ」

 わざわざこんなこと言わずともわかっているはずなのに……、堪えるように下唇を噛む妹の姿には欠片の同情も持てない。
 あの赤毛の王子が浸からせていたぬるま湯は、思っていたよりもずっと深く…脳の中までふやかしていたらしい。

 もう城は遥か遠くになった。そろそろ本格的に夢から覚めてもいいものなのに。……ただ、今ここで言い合うつもりもない。
 自分達はまだ旅の最中であり、昨日は野盗との戦闘の後で何故か出産の立ち会いもした。
 とにかく今は疲れた。

「俺は一度寝る」

 難しい顔で黙り込んだ妹を残して離れようとした、その足を彼女の声が止める。

「もし過去がそうだとしても……!」
「?」

 一歩踏み出した足がカールトンの背を追う。そして先程小さな命を取りあげた彼女の手が、兄の上着をぎゅっと掴んだ。

「もし疎まれて…憎まれながら生まれてきてしまったとしても……っ。それから先の未来まで全部そうなってしまうなんてことは決まってない、少なくとも私はそう思います……!」
「下らん。誰がどんな風に産まれて死んでいったとしても、ただそれだけのことだ。俺には関係ないことだし良いとも悪いとも思いはしない。ただ今のお前は夢見がちな方へ取りすぎる」
「……っ……」
「お前が言っているのは『偶然』を掴んだ一握りの連中のことだ。その言葉が全てなら、何故野盗や俺のような仕事をする人間がいる。現実から目をそらすような言葉は不快でしか無い」

 軽く身体をひねれば手から服は外れた。この娘との問答は疲れる。部屋へ戻ろうとしたが、またその背中はぎゅうっと力強く抱きしめた。今度は後ろから胸へと回された手がまるで小さな子供のように上着の布を掴んでいる。

「それでも……、それでも私は……生きることを諦めなくて良かった。貴方が生まれてきてくれて良かった。幸せだって…出会えて良かったって今も思ってます……!例え母様がどんな風に思っていたとしても……!」

 丸い額を押し付け、服で声が口籠もりながらも妹は言葉を続けた。

「これから出会う人々の中にも、きっとそう思ってくれる人がいます。私が保証します……!だって兄様…思ってたより優しいもん!」
「――……」

 「は?」とでも言うようにわかりやすく眉間に皺を寄せるカールトン。変化を察したポルトがさらに言葉を続ける。

「城で捕まっていた時、面倒なこと嫌いなのにどうして私を迎えに来てくれたのですか…?昨日も、手伝わないっていったくせに結局助けに来てくれた。あれで何人の住民が助かったと思いますか?しかもその後出産の立会いまでして……」
「それはあの女とのやり取りで、やむを得なくしたことだ……っ。それに俺はあの時扉の前に立っていただけで、何もしていない…っ。もう疲れている。部屋に戻らせろ」

 振り払おうとしたが、ポルトは腕に力を入れたまま離れない。

「切っ掛けはやむを得ないことだったのかもしれないけれど、いつもと違う風を…兄様も感じたでしょ?これからは今までと違う…綺麗な景色をもっと見られまよ。今日の朝日みたいに……っ」
「っ……」

 その言葉には少し…思うことはあった。
 すっかり夜の気配を消した空が新しい一日の始まりを告げている。風は氷の匂いを含ませ、これからもまだ続く白い世界を包み込んでいる。

「私、今日を一生忘れないから。寂しくなったら思い出すから……」
「――……」
「一緒にいてくれてありがとう、兄様……」

 背中で聞こえる嗚咽。落ちる雫の理由は皆目見当もつかない。
 どんなに綺麗事を並べた所で現実は変わらない。彼女の言葉に賛同などする気は微塵も無かったが――……。
 今日の朝日は影すら白く染めるようだった。
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