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【7】

旅立ちの準備

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 夢で見たあの人は、きっと近い将来の姿なのだろう。もし神様からの加護がこの身に宿っているとしたら、叡智の指輪リガルティンが見せた未来なのかもしれない。

(……あれ?もしコレが本当に正夢になるなら、私犬じゃん?)

 ふと止まる。やっぱりただの悪夢だったのかも。
 城を出てきてからまだ一日もたっていないというのに、夢にまで出てきた。でも夢見は最悪で、目覚めも牢に居た時の方が良かったと思うほどだ。
 ……誰にも言えなかった彼の古傷を乱暴に掴んでぶつけてしまった。夢で仕返しのような真似をされたのは、思っていたより自分が気にしているせいだろう。いつか謝れる日がくるのだろうか?

 ふーっと息を吐くと白く凍った。身体に熱が戻った証拠だ。輪郭を表したかと思うとすぐ消えてしまうけれど、潔い最後は少し羨ましくも思えた。
 フォルカーとの関係に未練が無いといえば嘘になる。まだ何処かでエルゼの案を飲んでおけば…と思う自分もいる。でも自分が生んだ子を…あの人と同じ髪色をした子を誰かに渡すなんて……。

「――……」

 何度もそのシーンを想像し、思う。……きっと自分には出来ない。エルゼにとっても待ちに待った赤ん坊になるのだ。約束を反故にしたらきっと傷つく。
 ……出来ることは全てした。もう自分が彼にしてあげられることは何もないのだ。側にいることも、未来を見守ることも。そう思うと、大きな仕事を一つ終えた気持ちにもなり、同時に微かに触れることすら無くなってしまった二人の未来を嫌という程実感させた。

(あ…、あのイヤリング……。片方でもあれば良かったな……)

 小さなエメラルドのイヤリング……。城から持ってこられたのは着ていたこのシャツとズボン位。せめて彼と縁がありそうなものを一つでも持ってこられたら、何かあった時に眺めて気を紛らわせることもできたかもしれない。

 両手に腕を抱き、身を震わせた。すでに陽は一番高い位置にあるというのに、頬に当たる風の冷たさは針を刺すようだ。
 こんな雪と氷の季節を迎えても、市場はいつもと変わらない賑わいを見せている。通りに沿って並ぶ露天、その屋根から吊るされた商品が白い季節に彩りを加えている。厚いコートやショールを羽織った人々がそれを眺めては、時折指を指し買い求める。ポルト達もそんな人々の中に溶け込み、時折姿を見せる衛兵の目を欺いた。

 露天に並んでいる商品にはこの季節らしい防寒具や厚い冬毛の毛皮が並んでいて、ポルトは真っ白なウサギの毛皮に目を留める。

「おじさん、このウサギはいくらですか?」
「四ヌイス…銅貨四枚だよ。買うかい?小さいから数がなきゃ飾りにしかならないが、ホラ、巾着や靴の素材にしてもいいぞ!」
「四枚かぁ……」

 ポルトは顔をしかめる。その腕を乱暴に引っ張り、店先から離す男がいた。ポルトを城から連れ出したカールトンだ。厳重な警備がされている城からは脱出出来た。しかし厳しい表情は張り付いているかのようにそのままだ。

「余計なことはするな」
「余計なことではありません。これからは自分達で路銀を稼ぐのでしょう?相場は見ておいた方が良いですよ」
「こんな露店に並べるようなものは、獲物にはならん。何のためにお前を連れてきたと思っている」
「……何の為って……?」

 あまり人目につかないよう、下を向いて歩けと指示される。
 時折カールトンは食料やこれから先に必要であろう道具を色々買い揃えていた。無言のままスライドされて渡される荷物は段々と積み上がっていき、一時間もしないうちに前が見えにくくなった。ポルトはその量を見て、この先に待つ放浪の道の長さを想像する。
 所々に枯れた雑草が張り付いているレンガ道に足音を落としながら、ポルトは口を開いた。

「カールトン様、これからどこへ向かうのですか?」
「黙っていろ」
「ウィンスターへ…戻るのですか?」

 北国スキュラドとの国境近くにある廃村ウィンスター。振り返るが彼は相変わらず無表情のまま。さっさと歩け、というように背中を剣の柄で押された。見る人が見たら奴隷と主人に間違われそうだ。

 その日は周囲を気にしながらの買い物で終わった。日が傾き、空に道標星とその仲間が輝き始める頃、小さな宿屋に部屋をとる。
 外観こそ極普通の建物だったが、扉を開けばそこは暗く、やけに大きな牛の頭の骨やどこかの戦場で拾ってきたような錆びた剣が飾られている不思議な場所だった。柄の赤黒い汚れがサビなのか血が乾き固まったものなのかよくわからない。一言で言ってしまえば『怪しい』。まともな接客をする店なのかどうかすら疑問になるほど重い空気が肌にまとわりついてくる。

 カールトンがこの場所で荷物を下ろすことに、ポルトは少なからず驚きを隠せなかった。いくら不気味だとしても宿は宿。今日はてっきり野宿でもするのかと思っていたのに……。その理由は部屋に荷物を置いた直後、カールトン自身が口にした。

「お前は北牢にいたせいで体力が落ちている。今夜一晩でなんとかしろ。明日からは宿はとらんぞ」
「は・はいっ、カールトン様っ」
「――……」
「……?何か?」
「その名はもうやめろ。お前だって、その名を使う必要はもう無いだろう」

 『ポルト=ツィックラー』も『マティアス=カールトン』もそれぞれの目的の為に使われていただけのもの。城を後にした今、その役目はもう終了している。

「でも……」
「どこかで聞かれて足がついたら面倒だ。名が欲しいなら新しいものを考えろ」
「え?じゃあ、貴方のことは……」
「適当に呼べ」

 そう言い残し彼は何処かへと行ってしまった。自身の身体だって万全ではないだろうに、なんとも落ち着きのない男である。こちらは聞きたいことがまだあるというのに……。

 一人になったポルトは、宿屋の主人に頼んで井戸のある場所まで案内して貰った。
 しばらく野宿ということは今度いつ身体を洗えるかわからない。ただでさえ牢での生活のせいで身体は汚れていた。カールトンが部屋に置いていった荷物の中には新しい服が入っていて、それを着るように言われている。着る前に身体を洗うことにしたのだ。
 汲み上げた水を木桶に移す。水面がゆらりゆらりと揺れている。その様は見るからに冷たそうで気は全く進まない。かといって、部屋には湯を沸かす鍋も排水する設備も無い。
 大衆用の風呂が何処かにあるかもしれないが、恐らくカールトンはそれの利用を許してはくれないだろう。
 ここは思いきって……やるしかない。 

「っ!」

 服を着たまま頭から水をかぶり、「ぅぎぃぃぃいいっっ」という謎の悲鳴をあげながら、身体と一緒に服もこすって洗濯してやった。そういえばアントン隊にいた時も、誰かが居て服を脱げない時は「洗濯もできて一石二鳥」と身体を洗っていたっけ。どんなことでも、経験とは役に立つものである。

 修行僧のような行水を終えると、大慌てで部屋に駆け戻る。濡れた服を脱ぎ椅子にかけ、自分はタオルを一枚羽織り暖炉の前ですっかり冷たくなった身体を温めた。
 カールトンはまだ出かけたまま。もしかしたら自分が部屋にいるのが落ち着かないのかもしれない。

「私が寝たら帰ってくるつもりなかな……」

 かさばる荷物はここにおいて、自分は別の部屋をとった可能性もあるけれど。
 オレンジ色の炎に包まれてパチパチと跳ねる木の皮を見ていると、ついこの間までいたあの場所を思い出す。
 この部屋の四倍はある私室、壁にはいつもたっぷりの薪が積まれた暖炉があった。金色の火かき棒で掻き混ぜれば火の勢いも増す。よくそこで、あの人の為にお湯を沸かしたり食事を温めたりした。

(殿下、今頃何してるんだろ……)
 
 夕食はもう済んだだろうか?夜は王様と親子二人で食事をとることも多い。きっと心配事が消えて、陛下も愛息子と落ち着いた時間を過ごしたことだろう。
 シーザーとカロンは…きっとローガンがなんとかしてくれる。彼らを見放すような真似は国が滅びる直前でもしないと思う。
 ……そういえば彼は、牢から出た後に一緒に旅をしてくれると言ってくれたみたいだが…あれは狼達も一緒にということだったのだろうか?そもそも、何故彼はそんなことを言い始めたのだろう。手錠をかけたことを気にして償いの気持ちでしてくれたことだったとか……?

 城ではたくさんの人に世話になった。皆に別れの挨拶ができなかったことは少し残念に思う。

「私、一生懸命…頑張ったよ」

 炎が眩しく揺れている。誰に言うでもなく、小さくそうこぼした。
 この方法がベストなものだったのかどうかはわからない。それでも、大切な人達の傍にあった犯罪者危ないものはこれで遠ざけられたんじゃないだろうか。
 そのことが神様に認められたのかどうかは知らないが、今日は一日町の中を歩いてきたのに特に衛兵が増えたという感じはしなかった。半ば連れ去られた形とはいえ、脱獄と言われても仕方ない。手配がかかり、憲兵達が血眼になって探しに来る可能性も考えたが……

 ――『二度と我が国に足を踏み入れるな……!』

 ふっと思い出したフォルカーからの最後の言葉。……きっと、それが自分に下された処分なのだろう。
 あの時、北塔で彼は見たこともない表情をしていた。この世で一番醜いものを見るように自分を拒絶した。

 でも、これで…これで良かったのだ。
 他人から強いられず、彼自身がそう望むように…自らの手で飼い犬を離す必要があったのだから。
 目元が熱を持ち、視界が淡くじわりとにじみ……慌てて目元を拭った。

(あぶないあぶない……っ)

 指輪に認められた花嫁リガルティアは、命を落とす一番の原因になるものに出くわした時に、指輪の守護者である王一族に鈴の音を鳴らして危機を知らせるのだという。防犯装置のようだ。

(寂しくなったら鈴が鳴るって何……!?寂しくて死んじゃうとか…!ウサギで聞いたことあるやつじゃん!しかもデマだったやつじゃん!私…デマよりデマみたいなことになってるじゃん……ッ!!)

 まさかそんな理由でそんなことになってしまうなんて思いもしなかった。どんな乙女体質だよ!と自身に入れるツッコミが止まらない。
 彼の姿を思い浮かべると、甘く穏やかな記憶と共に締め付ける痛みも訪れる。これが紐を引くように鈴を鳴らすのかもしれない。あの人のことは考えちゃ駄目だ。

 この国に留まる理由は全て捨ててきた。
 これからは王子ではなく、カールトンを支えて生きていくのだ。
 ガジンの家で治療を受けた日、ベッドで眠っていた彼は随分とうなされていた。汗がじわりとにじみ出る程の悪夢…それには自分も覚えがある。きっとあの黒い影に囚われているのだろう。

(私にはシーザーとカロン、アントン隊長や隊の皆、ローガン様やガジン様……それに殿下もいてくれた。でもあの人には…誰もいなかったんだ。ずっと…ずっとずっと……)

 きっと余計なお世話だと言われる。

 ――「誰もがお前と同じ生き方を望んでると思うのか?」
 
 彼の言葉を思い出すと胸が痛い。
 今更近所のおばさんと和気あいあいと世間話をするような生活する様は想像できないけれど、お金を貰って誰かを傷つけるような仕事ことは続けてほしくない。
 それが強欲だと、我儘だといわれても……。
 自分も一歩間違えれば、きっと同じ様な道を歩んでいた。陽のあたる場所に出てこられたのは皆のおかげだ。

「そうだ、名前……!名前を考えよう……!」

 適当に呼べとは言われていたけれど、それでは勿体無い。子供が親から貰う初めてのプレゼント…それが名前だと聞いたことがある。
 ならば、新しい命をもう一度始める気持ちで考えよう。
 世界にひとつだけの、あの人の為の名前を。
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