忠犬ポチは人並みの幸せを望んでる!

Lofn Pro

文字の大きさ
上 下
159 / 170
【8】

【後】始まりの日

しおりを挟む
 鎧戸の隙間から白い光が筋状に伸び、床へと落ちている。赤々と燃える暖炉で火の粉がパチパチと跳ねてはステップを踏むように落ちていく。
 芳しく香る花も艶やかに光る装飾も無く、楽師達が奏でる情緒豊かな旋律が流れているわけでもない。
 辺境にあるさして大きくもない集落、苔生す屋根の宿にある小さくて質素な部屋に二人はいた。雪が白く森を包む季節ではあったが、部屋は真綿で包むように温かい。

 そんな中、彼の言葉を聞いたポルトは目の前の現実に一瞬気が遠くなるのを感じる。倒れ込まないように自身を支える腕を…フォルカーの腕を強く掴んだ。

 ファールン王国に伝わる聖神具リガルティン。扱うにふさわしい、古き血脈に連なる者が望めば全ての知恵を授けるという叡智の指輪。ただし、代償として肉体の一部を捧げねばならない。
 今目の前にいる王子には、身体にるべきものが無かった。色だ。ルビーレッドの髪も健康そうだった肌も雪のように白く、愛したエメラルドの瞳は深い海のような蒼色に変わっていた。
 そして熱。生きていれば誰しもが持っているそれを、彼からは感じられない。肌はどこに触れても水のように冷たい。外気で身体が冷えたというにはあまりにも違和感がある。
 
「指輪を…使った……?」

 その事実は再会の喜びを吹き飛ばし、ナイフでえぐられたような痛みを重く鋭く胸に刻む。
 衝動を押さえられず、彼の胸ぐらに掴みかかった。

「ば…馬鹿じゃないの!?死んじゃったらどうするの……!!」

 腕を前後にガクガク揺らせば、銀色の髪が流星のように流れた。
 何が贄となるのかは指輪の気分次第。首や心臓を抜かれて死んだ王もいたのだという。
 ファールンにたった一人しかいない王太子である彼のとった行動は、誰が見ても短絡的且つ愚行でしか無い。
 
「私は…!私は貴方にそんなことさせるために城を出たんじゃないっ!!」
「いてててててっ。だ・だってしょうがねぇじゃんッ!」
「しょうがなくないっ!もし何かあったら――……」
「自分でも馬鹿なことしたなってことはわかるよ!歴代の王族の中で一番の阿呆かもなっ」
「っ!」

 王子の言葉に思わず揺さぶる腕が止まり、その両手をもう一つの手が握った。
 蒼い瞳から強い視線が少女に注がれる。

「でも俺はこれっぽちの後悔もしてねぇ。もしこれが賭けだったとしても、俺は絶対に失敗しない。そう決まってんの」
「は…はぁ!?その出所不明の過剰な自信で動くのやめてくださいよ……!いい大人なんですから、少しは考えてものを――……っ」
「不明じゃねぇよ。一応・・道筋は通ってる」
「一体どこにですかっ」
「例えば指輪のせいで俺が死んだとする。でもお前、ついてくるんだろ?」
「!?」
「だから失敗のない賭けだったんだよ。俺には、な」
「あ……」
「あ?」
「アホオォォォォオオオオォォ!」

 ゴンッ!両手を握られていたポルトは額を彼の頭に勢いよくぶつける。その衝撃と痛みに互いが「おぉぉお………」と背を丸めた。

「そ・そういうのをド阿呆っていうんです!!私が…そんなことして喜ぶと思ったんですか!?こっちの努力を全部ムダにするようなことして……!!馬鹿!!馬鹿王子!!!」

 もしこの人が死んでしまったらやっぱり自分も生きていける気がしない。それでは彼の思うつぼではないか。この言葉は嬉しくて悲しくて、望んでいて望まないものだった。
 普通の人間ならきっとこんなことはしない。
 彼は身分が恵まれすぎて常識を逸脱し、度を過ぎた我儘息子に育ってしまったのだ。そうに違いない。

 押さえきれない感情を表す語彙力はなく、ポカポカと胸板を叩いては滝のように涙が止まらない。涙腺が壊れてしまったんじゃないだろうか。
 その状況を知ってか知らずか、王子は嬉しそうに表情を和らげる。

「はははっ。そーだな。俺、お前と一緒で阿呆で馬鹿だからさ、お前がいなくちゃなんか駄目っぽい」
「ち・違うでしょ!殿下はそうしようとしてないだけ!私がいなくても立派に……」
「もう、肉体関係が管理できない。城中こじれてマジでヤバい」
「こじれてるのはアンタの理性だっ!!!」
「わっはっはっはっ!」

 久しぶりに聞いた高笑い。一方、その声に安心したのか再び語彙力の無くなった少女は「アホ」と「バカ」しか言わなくなった。

「つまりな?お前がいなくなったら、ド阿呆になってまた指輪使っちゃうかもしれないわけさ」
「は!?だ・駄目ですっ」
「じゃ、どうすればいいかわかるな?」

 少女はその言葉にまたぐっと言葉を飲み込んでしまう。視線も沈み、苦しそうに唇を噛む。

「……でも…私が生きていて……しかも貴方の側にいるってことはまた……」

 つまり全てが振り出しに戻るということ。終わったと思っていた悩みのタネが再び芽を出すということだ。

「俺だって適当に言っているわけじゃない。指輪にお前の居場所だけ聞いてきたと思ったら大間違いだぞ。お前の隠していた事、心配していること…全部見てきた」
「全部……?ど・どういうことですか?」
「全部教えろって指輪に聞いたからな。やましいことを中心にだいたいは見てきた」

 「何を?」と言いかけて喉の奥にくっと飲み込んだ。
 ポルトの脳裏を走るのは胸の奥に抱き続けてきた暗く重い記憶。偽りの父への慕情。兄妹達への贖罪。哀れで卑しい亡霊のような日々。
 無知は罪なのだと誰かが言っていた。その理由は心にも身体にも刻まれている。

「い・言っておくがな!本当はお前が言い出すまで知るつもりはなかったんだぞっ。でもお前ってば俺に言う前にどっか行っちまうし。何の解決も出来ねーままだったからな。まあ、お前の居場所を聞くついでに…って所だ」
「あの廃教会…ウィンスターでのことも……?その後のことも……?」

 その問いにフォルカーは頷いた。
 指輪が見せた世界を瞼の裏に反芻すれば、彼女を守ってやれなかった悔しさ、歯がゆさが、より一層腕の力を強くさせる。
 どれも変えることは出来ない『今更』の過去。今も尚、彼女を縛り続ける鎖でもある。

「ある程度は予想していた。それでも…まぁ……お前らしいもんばかりだったな。城を出た気持ちもわかる」

 その言葉に少女は悲しい表情を浮かべ唇を噛んだ。

「俺も考えたさ。お前を側に置き続けた時のこと…そして起きるだろう問題も。考えて…考えて考えて、わかった」
「わかった……?」

 大きく頷いたフォルカー。
 生まれた瞬間から勢力闘争の中にいた。年長者達の謀略の網を今までかいくぐってきた彼はその瞳に自信をみなぎらせ、声を張る。


「細けぇことは良いんだよッッッッ!!!」


 自身の悟りを説く王子に国民を代表して少女が心からの疑問符「は?」を行使する。しかし彼にはその重みがまるで伝わっていないようで、ややウザそうにため息を一つ落とした。

「あーもうさー。全部細けぇ!結局何をどうしたって何かしら起きるもんなの!要は対処出来ればいいの!そういうもんなの!」
「ちょ…それがこの国一番の教師を付けた王太子の言うことですか!?私のこと…全部見てきたんでしょう!?この世でできる悪いことは大体コンプしてきましたみたいな奴…一緒にいて良い訳ないでしょうがっっ!酒場の酔っぱらいみたいなことシラフで言うの止めて下さいよっ!貴方はこの国の王子なんです…!責任者なんですよ……!」
「うっせー!バーカ!王子だろうがなんだろうが、どうせ後悔するなら自分の選んだ道が良い!だから俺は俺を曲げない!」
「ただの我侭でしょ!」
「そーだよ!命がけの我侭だッ!!」
「ッ」

 ウルリヒ王の言う通り、本来なら出会うはずもない二人だった。奇跡にも近い可能性を手繰り寄せて、今、共にいる。この出会いに意味が無いわけなんてない。

「違う声で起こされるのも、変に静かな部屋も、暖炉の火が入らねぇ隣の物置も、犬がしょぼくれててるのも…もう嫌なんだよ……!」
「でも……っ」
「俺はこれからもっと強くなる。だからお前も強くなれ。守りたいものを守れるように、もっと強く。お前なら出来る。俺はそう確信した……!だから迎えに来た!」
「っ!」

 金色の瞳が大きく丸く見開く。

「一緒に帰るんだ……!」

 語気は強いまま。彼の揺るぎない決意を表している。
 何度も同じ問答を繰り返し、そして今も諦めの文字などまるで知らないかのように決断を迫ってくる。
 ポルトはぎっと奥歯を噛んだ。

「で…も……っ」

 王子の言葉に自分でもわかるほど引きずられている。
 決死の思いで断ち切った縁が再び結ばれようとしている。
 強引に引き寄せられて、ぶつけられている感情のまま繋がれてしまうのだろう。
 抗わなければと思う自分と、このまま自由を奪われたいと願う自分が葛藤する。

「絶対に……絶対に後悔しますよ……っ。絶対に絶対に絶対に……!!」

 これが今出来る最後の抵抗。
 口から出た言葉とは裏腹に、もう一人の自分が「どうかこの選択に後悔をしないで」と胸の奥で泣いている。いつか未来で「お前がいなければ良かった、なんて思わないで」、と顔を覆い肩を震わせている。
 涙で濡らしてしまった胸板を押し返す力はもう残っていない。

「後悔ならもうしてる」

 そんな少女の思いを知ってか知らずか、小さな身体を強く抱きしめたフォルカーは、口元にふっと笑みを浮かべた。

「お前を手放した時に、死ぬほどな」

しおりを挟む
感想 59

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

永遠の誓いを立てましょう、あなたへの想いを思い出すことは決してないと……

矢野りと
恋愛
ある日突然、私はすべてを失った。 『もう君はいりません、アリスミ・カロック』 恋人は表情を変えることなく、別れの言葉を告げてきた。彼の隣にいた私の親友は、申し訳なさそうな顔を作ることすらせず笑っていた。 恋人も親友も一度に失った私に待っていたのは、さらなる残酷な仕打ちだった。 『八等級魔術師アリスミ・カロック。異動を命じる』 『えっ……』 任期途中での異動辞令は前例がない。最上位の魔術師である元恋人が裏で動いた結果なのは容易に察せられた。 私にそれを拒絶する力は勿論なく、一生懸命に築いてきた居場所さえも呆気なく奪われた。 それから二年が経った頃、立ち直った私の前に再び彼が現れる。 ――二度と交わらないはずだった運命の歯車が、また動き出した……。 ※このお話の設定は架空のものです。 ※お話があわない時はブラウザバックでお願いします(_ _)

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました

さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。 私との約束なんかなかったかのように… それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。 そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね… 分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

「君を愛するつもりはない」と言ったら、泣いて喜ばれた

菱田もな
恋愛
完璧令嬢と名高い公爵家の一人娘シャーロットとの婚約が決まった第二皇子オズワルド。しかし、これは政略結婚で、婚約にもシャーロット自身にも全く興味がない。初めての顔合わせの場で「悪いが、君を愛するつもりはない」とはっきり告げたオズワルドに、シャーロットはなぜか歓喜の涙を浮かべて…? ※他サイトでも掲載中しております。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

わたしを捨てた騎士様の末路

夜桜
恋愛
 令嬢エレナは、騎士フレンと婚約を交わしていた。  ある日、フレンはエレナに婚約破棄を言い渡す。その意外な理由にエレナは冷静に対処した。フレンの行動は全て筒抜けだったのだ。 ※連載

貴妃エレーナ

無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」 後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。 「急に、どうされたのですか?」 「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」 「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」 そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。 どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。 けれど、もう安心してほしい。 私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。 だから… 「陛下…!大変です、内乱が…」 え…? ーーーーーーーーーーーーー ここは、どこ? さっきまで内乱が… 「エレーナ?」 陛下…? でも若いわ。 バッと自分の顔を触る。 するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。 懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!

処理中です...