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【7】
旅立ちの準備~そして歴史は繰り返す(★)
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翌朝、宿屋の小さな食堂スペースにはスパイスの効いた豆スープと焼いたパンの香ばしい香りが漂っていた。
オークの木で出来た古いテーブルについて食事をしているのはカールトン。無言でスプーンを口に運んでいる。そんな彼の元へ、後から部屋を出てきたポルトが何故か淡く頬を染め、「あのぅ」ともじもじしながら近づいてきた。
それに気がついていないということは無かったカールトンだが、一切反応することは無く食事を続ける。これくらいはデフォ過ぎる対応なので、ポルトも気にしない。
「あ・あの……っ、昨日、名前を考えておけと言われたのでっ。兄様の言っていたとおりですもんね、城で使っていた名前をそのまま使うわけにはいきませんものねっ。だから、兄様の為に一生懸命考えましたっ。いくつか候補があるので、好きなものを選んでくれたらなって思いまして……っ」
「――……」
「大切なものですものね。今すぐに決めなくてもいいです。これを見てゆっくり考えてみて下さい」
そう言って、小さな手が一枚の小さな紙をテーブルに置く。
ぶふっ
スープを乗せたスプーンがカールトンの口元で小さく振動する。
「文字は書けないので絵でメモしました。左はベネディクトで……」
その言葉に口元を拭っていたカールトンの眉間に突然シワが増える。
「えっと、中央はハチ、その隣がルベルト、一番右端はミートです。今まで城でお会いした方々のお名前や、昨日、宿泊していた他のお客さんに、素敵なお名前教えて下さいって聞いてまわって……」
「……ミート……」
「美味しいお肉が一生食べられるようにという願いを込めました」
ポルトがふわりと恥ずかしそうに口元を隠す。青い瞳がそれを探してゆっくりと視線を動かす。……多分、右端に転がってる石のような丸がそれなのだろう。食われる側になった時のことがふとカールトンの頭をよぎる。
ポルト曰く、ベネディクトは大家族に囲まれて余生を過ごした隣町の大地主様のお名前。ハチは自分が「ポチ」と呼ばれていたので、似たような短い名前を考えたそうだ。ルベルトは昔ファールンの近衛隊に在籍していた剣の使い手の名を短くアレンジしたものらしい。
……余談だが、下部にある謎の集合体は花である。幸せな場所には花が似合うというポルトの乙女心がペン(暖炉から拾ってきた木炭片)を走らせたそうだ。
「………」
カールトンは食事を終わらせ、置かれたメモをそのままに席から離れる。
「あ…!兄様!これをお忘れです!」
「いらん」
「……!もうお決まりなのですね!どれですか?どの名前が気に入りましたか?私、個人的にはハチとミートあたりが親近感が湧いていいなーって思ったんですけど…っ」
食器をカウンターへ運ぶカールトン、ポルトがその後ろを子犬のようについてくる。期待と好奇心に溢れた瞳がキラキラと光を放つ。その様子を厨房の奥で見ていた店主が顔をのぞかせた。
「随分と賑やかだな。どうしたんだ?」
「――……」
ブラウンの髭の生やし、中年らしい皺を目元に刻んだ店主は食器を受け取りつつカールトンを見た。当然のようにカールトンは何も言わず、二階にある部屋へと戻っていく。残されたポルトは一人少し寂しそうにその背中を見つめた。やっぱり色が無いとわかりにくかったんだろうか……。
「坊や、喧嘩でも?」
「え……(訳:坊や違う…けどまぁいいや)。実は彼に名前を考えようと……」
口にしようとしてハッと気がつく。バレないように名前を変えるはずが、計画を話してしまったら本末転倒ではないか。
「名前??」
「あ……!えぇと……っ」
周囲を見回す。目に入ったのは棚の上に並べらた数冊の本。金色の瞳がカッと見開いた。
「ペ ン ネ ー ム を …… っ!!!」
「ペンネーム?作家さんか何かなのかい?」
「作家…え・ええ、そうなんですよ…!新人の…っ、駆け出しの…っ、ピチピチの…っ!生まれたての子鹿のような……!か・彼が旅行記を本にまとめるというので、何か素敵なペンネームをと思いまして……っ!」
何かを誤魔化すように大きな手振り身振りで説明をするポルト。店主は濡れた布巾でカウンターを吹きつつ、物珍しそうな顔で聞いている。
「ほっほー……、なるほどねぇ。厨房からたまに覗き見てたんだが、随分と気難しそうな顔をしていると思ってたんだ。作家さんだったんだねぇ。言われてみりゃ。ちょっと頭が良さそうな目元してるんなぁ」
「あ……(訳:どちらかと言うとそれは殺し屋の目です)、ハイ(訳:もうこれでいこう)、そ・そうなんです!彼、そういうことに頓着がないというか…適当で良いなんて言うから、私がいくつか候補を考えてみたんです。でもあまりお気に召さなかったみたいで……」
「作家の名前かぁ……。どんなのを考えたんだい?」
「変な名前じゃ無いです……。偉人から頂いて少しアレンジしたり、私のお気に入りのものだったり……」
切なそうにうつむき、肩を落とすポルトを見て店主が歯を見せて笑う。
「男はな、誰でも一番になりたいって思うもんさ。ひと目見ただけで印象に残るような、誰よりも格好いい男にな。名前なんつったら、その最たるものだろう。そりゃー凝ったものが欲しくなる。俺だって、この店の名前を考えるときには散々悩んだもんさ。早々簡単に思いつくものじゃねぇって」
彼の言葉は聞けば聞くほど納得できるものだった。自分だって。もしカロンに子供が生まれたら一昼夜で名前を決めたりはしないだろう。
「そ…そうだったんですね……!ごめんなさい、私、そういうことには本当に疎くて……。一夜漬けで考えようとしていました。彼からしたら失礼な真似だったのでしょうね。悪いことをしちゃったな」
「『私』?あんた女だったか。髪が短いからてっきり男かと……すまねぇな」
「あ、本当によく間違えられるので気になさらないで下さい。仕事で邪魔だったから切っただけですから」
長く美しい髪は女性の嗜みのひとつ。短い髪は出家したか、髪を金に変えた貧困者に多い。なので余程のことがなければ女性は髪を切るようなことはせず、伸ばし続けるのが普通だ。加えてポルトは幼児体型。店主が間違えるのも無理はない。
しかし彼は少し気まずそうに上を見た。昨夜は暗くてよくわからなかったが、こうしてちゃんと見れば女性を思わせる輪郭をしているではないか。もし実際髪を金に変えていたとしても、生きるためなら必要だったことなのだろう。特に今は餓死者も増える季節だ。
「あー…そうだ。俺が一緒に考えてやるよ。男が好きなものは男が一番知ってるってな!」
「よろしいのですか……っ?」
「客人も他にいねぇしな。まぁ、任せておけって」
店主が自信たっぷりにドンと胸を叩く。その力強さにポルトの瞳が再び期待でキラキラと輝いた。
◆◆◆
旅立ちの荷物をまとめ、ポルトとカールトンの二人は宿屋の扉を開く。建物の前には数頭の馬が繋げられる馬宿があり、前日手配した馬が二頭、桶で干し草を食べていた。
「栗毛の方が雌、鼻に白い模様が入ってるのが雄だ。ここの馬主は馬を育てるのが上手くてね。きっとこいつらもよく走るぞ」
「足も立派だし、良い毛艶をしています。ね、そう思うでしょ?」
馬を撫でるポルトの視線が同意を求めてカールトンへ向く。しかし彼は応えることはなく、黙って店主に代金を払った。文句が出ないということは、恐らく彼の目にも悪くは映っていないのだろう。
「それで…これから何処へ?」
「さぁな」
「北はやめておきな、そんな薄着じゃすぐに凍え死んじまう。あそこに行くにはトナカイの毛皮で出来た服を何枚か用意しないとな。それにあの辺は内乱から逃れた国民が野盗になっちまってるって話だ。旅人だと思ったら強盗だった…なんて話も聞くくらいだぞ」
「――……」
カールトンは店主の話を聞き流しながら荷物を馬の背に積む。ポルトも膨れ上がったリュックを馬の背に積み、軍で習った技術で縄を縛っていく。こうした作業は以前から何度も経験しているので、パンを捏ねたり刺繍をするよりも遥かに簡単だった。その様を店主が見つめる。
「あんたら、ただの農民って感じじゃなさそうだな。特にそっちの兄ちゃん。アンタはそこいらの農夫よりも良い体つきをしている。もしかして本当に北に行くつもりか……?」
「――……」
淡々と作業を続けるカールトンに、店主は片方の口角をくっと上げる。
「まぁ…野盗くらいでどうこうなるような男じゃないか……。そうだろ?『氷晶の亡霊王』」
「?」
「ハ……ッ!ご主人、いけません…!その名前を口にしテは……!!」
店主の言葉に何故かわざとらしいほど過剰に反応するポルト。言葉までどこか辿々しい。
意味ありげな笑みを浮かべたまま店主はゆっくり一歩ずつカールトンに歩み寄る。
「――……音もなく現れ、慈悲の欠片もなく敵を討ち滅ぼすという伝説の戦士。氷のような青い瞳、凍った表情からその名がついたのがこの名前さ。この辺りじゃ知らない奴ぁいないぜ……。アンタ…そうなんだろ?俺ァ外から来た人間を何人も見てきた。この目を見くびってもらっちゃ困るぜ。なぁ?氷晶の亡霊王、アンタはその張本人だ……!」
「何を言っている」
人差し指を前に出し、ビシッとポーズを決めた店主のテンション……。それに違和感しか無いカールトン。しかしポルトは怯えた様子で両腕を抱き、ふるふると(わざとらしく)震える。
「ファールンの歩兵隊でも噂がありまシタ……。たった一騎で千騎の血を流すとも言われてイる戦士……。普通の人間には見えない騎士…亡霊達を従えテいるトモ……。いつしかツイた名が✟暗黒堕天騎士団✟団長…それが『氷晶の亡霊王』……!!」
「………」
カールトンは無表情のまま立っている。
「あまりの強さから敵だけではなく味方すら滅ぼしてしまう存在。例えるなら滅亡ノ黒き神……!人々に恐れられ、名を口にすることすら恐れられ拒まれているというノニ……!店主……!貴方は命を捨てるおつもりなのですカ!?」
「フ……ッ、死ぬ前に本物の『氷晶の亡霊王』が見られたんだ。俺ァ、後悔なんてないぜ……!冥土の良い土産にならァ」
「っ!?」
ポルトがカールトンの足元に跪いて祈り手を作った。
「『氷晶の亡霊王』!彼は我々に宿と食事を与えてくれまシタ…!どうぞお許しを……!御慈悲を!」
口にしてはいけない名前をやたら連呼する二人。カールトンは朝の食堂で起きた一連のことを思い出し……
「……………」
急速に心が無になった。
何も言わず、早々に馬の背にまたがると、力強く手綱を引く。
一切何も無かったかのように走り去った。
「「あっ!!」」
驚いたのは残された二人。
「お嬢ちゃん、追え!!『氷晶の亡霊王』が行っちまう!ありゃきっと、気分が『氷晶の亡霊王』になっちまってるんだ!思わず馬で駆け出すほどこの名前が気に入ったってこった!!」
「はい…!!素敵なお名前、ありがとうございました!それではご主人!!お身体に気をつけて……!良き春をお迎え下さい!」
小さい身体をひらりと舞わせ手綱を引くと、馬は前足を持ち上げて高く嘶いた。頭を返し、カールトンが走っていた方向に定めると一気に駆け出す。
「お待ちくださぁああい!!!『氷晶の亡霊王』様ぁぁあああーーーーー!!!!」
そう叫びながら疾走する馬は、しばらく近所で噂になったのだという。
ポルト達はその日、二日かかる距離を一日で駆け抜けた。
オークの木で出来た古いテーブルについて食事をしているのはカールトン。無言でスプーンを口に運んでいる。そんな彼の元へ、後から部屋を出てきたポルトが何故か淡く頬を染め、「あのぅ」ともじもじしながら近づいてきた。
それに気がついていないということは無かったカールトンだが、一切反応することは無く食事を続ける。これくらいはデフォ過ぎる対応なので、ポルトも気にしない。
「あ・あの……っ、昨日、名前を考えておけと言われたのでっ。兄様の言っていたとおりですもんね、城で使っていた名前をそのまま使うわけにはいきませんものねっ。だから、兄様の為に一生懸命考えましたっ。いくつか候補があるので、好きなものを選んでくれたらなって思いまして……っ」
「――……」
「大切なものですものね。今すぐに決めなくてもいいです。これを見てゆっくり考えてみて下さい」
そう言って、小さな手が一枚の小さな紙をテーブルに置く。
ぶふっ
スープを乗せたスプーンがカールトンの口元で小さく振動する。
「文字は書けないので絵でメモしました。左はベネディクトで……」
その言葉に口元を拭っていたカールトンの眉間に突然シワが増える。
「えっと、中央はハチ、その隣がルベルト、一番右端はミートです。今まで城でお会いした方々のお名前や、昨日、宿泊していた他のお客さんに、素敵なお名前教えて下さいって聞いてまわって……」
「……ミート……」
「美味しいお肉が一生食べられるようにという願いを込めました」
ポルトがふわりと恥ずかしそうに口元を隠す。青い瞳がそれを探してゆっくりと視線を動かす。……多分、右端に転がってる石のような丸がそれなのだろう。食われる側になった時のことがふとカールトンの頭をよぎる。
ポルト曰く、ベネディクトは大家族に囲まれて余生を過ごした隣町の大地主様のお名前。ハチは自分が「ポチ」と呼ばれていたので、似たような短い名前を考えたそうだ。ルベルトは昔ファールンの近衛隊に在籍していた剣の使い手の名を短くアレンジしたものらしい。
……余談だが、下部にある謎の集合体は花である。幸せな場所には花が似合うというポルトの乙女心がペン(暖炉から拾ってきた木炭片)を走らせたそうだ。
「………」
カールトンは食事を終わらせ、置かれたメモをそのままに席から離れる。
「あ…!兄様!これをお忘れです!」
「いらん」
「……!もうお決まりなのですね!どれですか?どの名前が気に入りましたか?私、個人的にはハチとミートあたりが親近感が湧いていいなーって思ったんですけど…っ」
食器をカウンターへ運ぶカールトン、ポルトがその後ろを子犬のようについてくる。期待と好奇心に溢れた瞳がキラキラと光を放つ。その様子を厨房の奥で見ていた店主が顔をのぞかせた。
「随分と賑やかだな。どうしたんだ?」
「――……」
ブラウンの髭の生やし、中年らしい皺を目元に刻んだ店主は食器を受け取りつつカールトンを見た。当然のようにカールトンは何も言わず、二階にある部屋へと戻っていく。残されたポルトは一人少し寂しそうにその背中を見つめた。やっぱり色が無いとわかりにくかったんだろうか……。
「坊や、喧嘩でも?」
「え……(訳:坊や違う…けどまぁいいや)。実は彼に名前を考えようと……」
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「名前??」
「あ……!えぇと……っ」
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「ペ ン ネ ー ム を …… っ!!!」
「ペンネーム?作家さんか何かなのかい?」
「作家…え・ええ、そうなんですよ…!新人の…っ、駆け出しの…っ、ピチピチの…っ!生まれたての子鹿のような……!か・彼が旅行記を本にまとめるというので、何か素敵なペンネームをと思いまして……っ!」
何かを誤魔化すように大きな手振り身振りで説明をするポルト。店主は濡れた布巾でカウンターを吹きつつ、物珍しそうな顔で聞いている。
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「あ……(訳:どちらかと言うとそれは殺し屋の目です)、ハイ(訳:もうこれでいこう)、そ・そうなんです!彼、そういうことに頓着がないというか…適当で良いなんて言うから、私がいくつか候補を考えてみたんです。でもあまりお気に召さなかったみたいで……」
「作家の名前かぁ……。どんなのを考えたんだい?」
「変な名前じゃ無いです……。偉人から頂いて少しアレンジしたり、私のお気に入りのものだったり……」
切なそうにうつむき、肩を落とすポルトを見て店主が歯を見せて笑う。
「男はな、誰でも一番になりたいって思うもんさ。ひと目見ただけで印象に残るような、誰よりも格好いい男にな。名前なんつったら、その最たるものだろう。そりゃー凝ったものが欲しくなる。俺だって、この店の名前を考えるときには散々悩んだもんさ。早々簡単に思いつくものじゃねぇって」
彼の言葉は聞けば聞くほど納得できるものだった。自分だって。もしカロンに子供が生まれたら一昼夜で名前を決めたりはしないだろう。
「そ…そうだったんですね……!ごめんなさい、私、そういうことには本当に疎くて……。一夜漬けで考えようとしていました。彼からしたら失礼な真似だったのでしょうね。悪いことをしちゃったな」
「『私』?あんた女だったか。髪が短いからてっきり男かと……すまねぇな」
「あ、本当によく間違えられるので気になさらないで下さい。仕事で邪魔だったから切っただけですから」
長く美しい髪は女性の嗜みのひとつ。短い髪は出家したか、髪を金に変えた貧困者に多い。なので余程のことがなければ女性は髪を切るようなことはせず、伸ばし続けるのが普通だ。加えてポルトは幼児体型。店主が間違えるのも無理はない。
しかし彼は少し気まずそうに上を見た。昨夜は暗くてよくわからなかったが、こうしてちゃんと見れば女性を思わせる輪郭をしているではないか。もし実際髪を金に変えていたとしても、生きるためなら必要だったことなのだろう。特に今は餓死者も増える季節だ。
「あー…そうだ。俺が一緒に考えてやるよ。男が好きなものは男が一番知ってるってな!」
「よろしいのですか……っ?」
「客人も他にいねぇしな。まぁ、任せておけって」
店主が自信たっぷりにドンと胸を叩く。その力強さにポルトの瞳が再び期待でキラキラと輝いた。
◆◆◆
旅立ちの荷物をまとめ、ポルトとカールトンの二人は宿屋の扉を開く。建物の前には数頭の馬が繋げられる馬宿があり、前日手配した馬が二頭、桶で干し草を食べていた。
「栗毛の方が雌、鼻に白い模様が入ってるのが雄だ。ここの馬主は馬を育てるのが上手くてね。きっとこいつらもよく走るぞ」
「足も立派だし、良い毛艶をしています。ね、そう思うでしょ?」
馬を撫でるポルトの視線が同意を求めてカールトンへ向く。しかし彼は応えることはなく、黙って店主に代金を払った。文句が出ないということは、恐らく彼の目にも悪くは映っていないのだろう。
「それで…これから何処へ?」
「さぁな」
「北はやめておきな、そんな薄着じゃすぐに凍え死んじまう。あそこに行くにはトナカイの毛皮で出来た服を何枚か用意しないとな。それにあの辺は内乱から逃れた国民が野盗になっちまってるって話だ。旅人だと思ったら強盗だった…なんて話も聞くくらいだぞ」
「――……」
カールトンは店主の話を聞き流しながら荷物を馬の背に積む。ポルトも膨れ上がったリュックを馬の背に積み、軍で習った技術で縄を縛っていく。こうした作業は以前から何度も経験しているので、パンを捏ねたり刺繍をするよりも遥かに簡単だった。その様を店主が見つめる。
「あんたら、ただの農民って感じじゃなさそうだな。特にそっちの兄ちゃん。アンタはそこいらの農夫よりも良い体つきをしている。もしかして本当に北に行くつもりか……?」
「――……」
淡々と作業を続けるカールトンに、店主は片方の口角をくっと上げる。
「まぁ…野盗くらいでどうこうなるような男じゃないか……。そうだろ?『氷晶の亡霊王』」
「?」
「ハ……ッ!ご主人、いけません…!その名前を口にしテは……!!」
店主の言葉に何故かわざとらしいほど過剰に反応するポルト。言葉までどこか辿々しい。
意味ありげな笑みを浮かべたまま店主はゆっくり一歩ずつカールトンに歩み寄る。
「――……音もなく現れ、慈悲の欠片もなく敵を討ち滅ぼすという伝説の戦士。氷のような青い瞳、凍った表情からその名がついたのがこの名前さ。この辺りじゃ知らない奴ぁいないぜ……。アンタ…そうなんだろ?俺ァ外から来た人間を何人も見てきた。この目を見くびってもらっちゃ困るぜ。なぁ?氷晶の亡霊王、アンタはその張本人だ……!」
「何を言っている」
人差し指を前に出し、ビシッとポーズを決めた店主のテンション……。それに違和感しか無いカールトン。しかしポルトは怯えた様子で両腕を抱き、ふるふると(わざとらしく)震える。
「ファールンの歩兵隊でも噂がありまシタ……。たった一騎で千騎の血を流すとも言われてイる戦士……。普通の人間には見えない騎士…亡霊達を従えテいるトモ……。いつしかツイた名が✟暗黒堕天騎士団✟団長…それが『氷晶の亡霊王』……!!」
「………」
カールトンは無表情のまま立っている。
「あまりの強さから敵だけではなく味方すら滅ぼしてしまう存在。例えるなら滅亡ノ黒き神……!人々に恐れられ、名を口にすることすら恐れられ拒まれているというノニ……!店主……!貴方は命を捨てるおつもりなのですカ!?」
「フ……ッ、死ぬ前に本物の『氷晶の亡霊王』が見られたんだ。俺ァ、後悔なんてないぜ……!冥土の良い土産にならァ」
「っ!?」
ポルトがカールトンの足元に跪いて祈り手を作った。
「『氷晶の亡霊王』!彼は我々に宿と食事を与えてくれまシタ…!どうぞお許しを……!御慈悲を!」
口にしてはいけない名前をやたら連呼する二人。カールトンは朝の食堂で起きた一連のことを思い出し……
「……………」
急速に心が無になった。
何も言わず、早々に馬の背にまたがると、力強く手綱を引く。
一切何も無かったかのように走り去った。
「「あっ!!」」
驚いたのは残された二人。
「お嬢ちゃん、追え!!『氷晶の亡霊王』が行っちまう!ありゃきっと、気分が『氷晶の亡霊王』になっちまってるんだ!思わず馬で駆け出すほどこの名前が気に入ったってこった!!」
「はい…!!素敵なお名前、ありがとうございました!それではご主人!!お身体に気をつけて……!良き春をお迎え下さい!」
小さい身体をひらりと舞わせ手綱を引くと、馬は前足を持ち上げて高く嘶いた。頭を返し、カールトンが走っていた方向に定めると一気に駆け出す。
「お待ちくださぁああい!!!『氷晶の亡霊王』様ぁぁあああーーーーー!!!!」
そう叫びながら疾走する馬は、しばらく近所で噂になったのだという。
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