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【7】
【後】雪の送葬
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雪は静かに降り続く。腫れた傷跡を癒やすように、静寂の中純白の氷で世界を包んでいく。
外で話し続けていた肩には薄っすらと雪が積もり、身体は寒さで震え始める。
細く伸びた道を歩く二人の足並みはゆっくりと重いものだ。途中、城へ入る扉の前で見覚えのある姿を見つけ、クラウスが思わず声をかけた。
「ガジン!」
「……!おやおや、これは……。殿下、クラウス殿、こんな所でお会いすることになるとは……。お二人ともご機嫌麗しゅう」
寒さから逃れるように背を丸め歩いていたのは、謹慎中だった宮廷医師長のガジンだ。つい最近謹慎が解けて自由に場内を歩けるようになった。少し心もとなくなった白い髪の上に毛織の暖かい帽子をかぶり、同じ色の上着を羽織っている。
「今日は参列してくれて感謝するよ。きっと空で父も喜んでいる。貴方には家族ぐるみで世話になっていたからね」
「式の前に謹慎が解けて本当に良かった。お父上は昔から身体が丈夫な方では無かったですし……。人より早く逝くことになる可能性は十分理解していたつもりでしたが、私が思っていたよりずっと早かった……。本当に残念です」
「最後は身体の自由もきかなくなって本当に辛そうだった。今はもう苦しみを感じる身体を抜け出したんだ。楽になってると思うよ。神様には怒られてるかもしれないけどね」
「クラウス様のようなご立派なご子息を持たれて、彼は幸せでしたな。ただ……」
「?」
ガジンがクラウスの肩に皺の入った手を軽く置くと、肩に積もっていた雪を優しく払った。
「今すぐは難しいかもしれませんが…時間が空いたときでいい。一人のときでも……。ちゃんと悲しんで、心を整理する時間をお作りなさい」
「――……」
少し気まずそうに口を閉ざすクラウス。そんな彼をガジンは気遣った。
「色々あったことはわかります。しかし、貴方にとってはたった一人の父親。彼は貴方のことを深く深く愛していらっしゃった。それは紛れもない事実だ。残されたご家族は女性ばかりですし、理性的に努めようとすることは立派です。ただ……、悲しみを無理に抑え込んでは今度は貴方が倒れてしまう。そもそも貴方ご自身も身体が強い方ではないのですから」
「あぁ……。心配をかけてすまない……」
クラウスは少し辛そうに笑った。
喪主として、ダーナー家の嫡男として、悲しみに身を任せているわけにはいかない。しかし、幼い頃から世話になっているガジンの前では緊張の糸も緩んでしまうのだろう。素直に「ありがとう」と軽く頭を下げた。
「フォルカー殿下、ポルトの一件…聞きましたよ。この城からいなくなってしまうなんて本当に残念です。素直で真面目で……思いやりのある素敵な子だった」
「フォルカーから聞いたけど、君はポルトが女だって知っていたんだって?」
ガジンは確認をするようにフォルカーの顔を見る。クラウスの言葉に同調するように王子が頷くのを見て、クラウスには全て打ち明けていることを理解した。
「ええ、クラウス殿。ファールン王家は皆多くの秘密を持っておられる。ウルリヒ王も王太子時代は色々とやんちゃしたものですよ。今回もそのひとつみたいなもので、親子の血は争えないのだと微笑ましく思っておりました」
「阿呆従者の話はもういい。もう二度と会うことはないだろうからな」
「おやおや……」
ツンと突き放すようなフォルカーの言葉にガジンは首をかしげる。
「また何か喧嘩でも?」
「喧嘩というか……。珍しく女の子にフラれて機嫌が悪くなっているのさ」
「ああ、なるほど」
「いい加減なこと言うな、クラウス。ガジン、お前も納得するなっ」
「性別を偽っていたとはいえ、それ以外に相違は無かったのでしょう?すでに刑は執行され、今は自由の身と聞いておりますが……。殿下は迎えにいかれないのですか?」
「行かないっ。ガジン、お前だから言うがな、ポチが一緒に居たかったのは俺じゃねぇんだよっ。ソイツは俺なんかよりずーっとイイ男らしいぜ。ま、それが間違いだってことはすぐ思い知るだろうがなっ」
「カールトンだって」
「カールトン?ああ、ダーナー殿の従者だった……」
「クラウス、この野郎っ!スラッとバラしやがって!」
ガジンは顎に手を置きながら、黒い肌と髪を持っていたあの青年のことを思い出した。
「無口で無愛想な男でしたが……、悪い男ではないように見えました。……そうですか、ポルトはああいう男が……」
その口ぶりがフォルカーに引っかかった。ガジンは何度もダーナー公を診たことがあったが、それはカールトンが従者となる前の話。この二人に接点などあったのだろうか?
「カールトンを知っているのか?お前、ずっと家で謹慎してたはずじゃ……」
「おや?ポルトが連れてきたからてっきり殿下はご存知だと」
「ポチが???」
「おやおや??」
驚いた顔で見合う。
ガジンは以前ポルトが気を失ったカールトンを家まで連れて来たことを話した。カールトンは殆ど無傷だったが、ポルトの方は酷い打ち身と大きなたんこぶを頭に作っていた、と。そして翌日の早朝には二人別々に城へ戻って行ったそうだ。
その時期を聞き、フォルカーは一枚の始末書を思い出す。
(……風呂場壊してたアレか。あいつら…本当に何やってたんだ?)
仲睦まじいと思えるような行動で柱や床石が欠損するものなのだろうか?とてつもなく変態的なプレイをしていたとか??状況から考えれば盛大な喧嘩をした…というのが一番無理のない推理だろうけれど……。
「ポルトは随分とカールトンにかまっているように見えました。友人にも恋人にも見えて、それでいてどれも違う……。そんな印象でしたなぁ。今思えば、ポルトの片思いがそう見せていたのかもしれません。あぁ、片思いと言えば…ひとつ、心当たりがありますな……」
「なんだ?」
「個人的な話なので、どうか他の皆様にはご内密に」
そう前置きしたガジン。二人は不思議そうに首を傾げつつも頷く。
「ポルトが連れてきた時、カールトンを診察しました。何処かに怪我がないか、傷ついている内臓はないだろうかと詳しくね。真新しい傷は無かったが…彼の背中には多くの古い傷跡がありましてね。剣で出来たものに混じっていたのが…例えば激しい折檻の後のような裂傷……。普通の家畜でもあんな傷はつかんでしょう」
「折檻?」
モリトール卿に勝るとも劣らないと思われる鉄仮面を持つあの男。第三者に傷をつけられるとしたら……?フォルカーは「…ふむ」と思案する。
「カールトンは見るからに異国人といった風貌をしている。何処かで突然異教徒狩りに襲われてもおかしくはない位だ。異教徒や奴隷を示すような焼印でも見つけたのか?」
世界中がファールンと同じように白き神を崇拝しているわけではない。禁域の森に住むという「森の司祭」達は自然や古い木を神としていると聞くし、遠い南の国では蛇と太陽を崇拝している国もあるとか……。
民族の数だけ神も異なるという考えができる者は良い。しかし、この世には「異教徒は悪魔の使いだ」と考え、目を覆いたくなるような残忍な行為に走る者達もいる。
「確かに火傷の跡もありました。しかしそれは普通の…偶発的な原因だと思われるもので、焼印のような故意に行われた類のものはひとつも……」
「捕虜になった経験のある元軍人や傭兵という可能性もある。カールトンは元々剣の腕を買われて父が雇っていたくらいだしね」
クラウスの言葉にガジンが頷いた。
「だからこれはあくまで医者としての私的な見解です。カールトンは極度に感情を表に出さない。見知らぬ相手には無関心、もしくは敵意しか持たない…そんな男です。その原因が先天的なものなのか、後天的なものなのかはわかりません。……でもポルトには何か感じるものがあったのかと……」
「ふぅん、ポチがねぇ……。軍人のせいか?」
そういえばポルトは一生懸命自分の好物であるは蜂蜜ミルクをあの男に運んでいた。慣れない野良犬を慣らすために餌付けでもしているようだ…と考えたところで、ふと気がつく。
(あー、そういや俺もポチにやってたわ)
なるほど、お手本は自分であったかと良くも悪くも納得する。
ポルトとカールトンの仲を疑う人間は少なくなく、特にその手の話が大好きなメイド達からは特別好奇な目で見られていたこともしばしば……。この城はそういった意味でもカールトンには居辛い場所になっていただろう。
「以前、私の助手が北塔に捕らえられていた時、彼女の世話になりました。内緒の手土産を作るために寝る間も惜しんで働いてくれた。彼女にとっては、少し包帯を巻いて貰っただけの男のはずなんですけどね。『何故そんなに頑張るのかね?』と訪ねたら、『一人きりは寂しいでしょう?』と言ってましたよ。……お二人は黒い指の話はご存知で?」
「黒い指?なんだ、それは?」
「ああ、民間に伝わる御伽話みたいなものだよ。死に直面した者が、その恐怖から黒き神を自身の内に招き入れて、地獄に引き込まれるように精神をやられてしまうってやつだね。野盗に襲撃された村の住民や戦場から帰った兵士達にも多く見られる現象さ。……心がね、辛さに耐えきれず壊れてしまうんだ。中には元の人格がわからないくらい狂ってしまう者もいる」
時々「悪霊が憑いた」と教会へ運ばれてくる者もいる程で、クラウスも話し合いの場に同席したことがあった。そういえばフォルカーの近衛隊にいるモリトール卿も、ポルトに悪霊が憑いているかもしれないと相談に来ていたことを思い出す。
「医者の私から見れば、あれは黒き神のせいでもなんでもない。人は過度なストレスを与えられると精神的に参ってしまうものです。肉体にまで影響が出ることもあります。顔や身体に麻痺が起きたり、物が喉を通らなくなってしまったり、当たり前のようにある感覚が消えてしまったり……」
「つまりカールトンがそうだと?」
「恐らく。ポルトは戦場やそれに近い場所で似た症状が出ている者達をたくさん見ていたのでしょう。だから、何故カールトンがそうなってしまったのか、おおよその見当がついた。……放っておけなかったのではないかと、そう思います。私の助手にした時のようにね」
ガジンの言葉をフォルカーはじっと聞いていた。ポルトならありえる話だ。そして新たに湧き上がる苛立ちに嘲笑した。
「なんだ?じゃぁ、百人の兵士が黒い指に捕まったら、ポチは百人の男を渡り歩くってか?連中の為に心と身体の慰めになるっつーのかよ?そりゃスゲー話だな」
「焼くなよ、みっともない」
「焼いてねぇっ」
王太子にこんな口がきけるのは、父親である王を覗いてクラウスくらいだろう。
憎まれ口を叩かれる理由はフォルカー自身わからないわけではない。
仮にカールトンが本当に心にも身体にも傷があったとして、それを労ろうとする気持ちは悪いものではなく、むしろ褒められるべきなのかもしれない。
しかし、その為に啖呵を切られたこちらの身にもなって欲しい。百歩譲って監獄での問答が演技だったとしても、彼女にだけ打ち明けた自分の古傷をネタにされた。あの言われ方は結構傷ついた。それは許されるのか?
あれだけ目をかけてやったと言うのに、彼女の中ではカールトンよりも格下ということなのだろうか?
(いけ好かねぇ者同士、仲良くどうにでもなれってーの。俺の知ったことか……!)
交換日記にカールトンらしき姿は無かった。それはあの男への想いを隠していたせいで、実は描かれた『笑顔』もこちらを油断させる演技なのかもしれない。
……邪推と言われても仕方ない。しかし、考えれば考えるほど納得ができず、苛立つ胸を抑えるのが精一杯だった。
外で話し続けていた肩には薄っすらと雪が積もり、身体は寒さで震え始める。
細く伸びた道を歩く二人の足並みはゆっくりと重いものだ。途中、城へ入る扉の前で見覚えのある姿を見つけ、クラウスが思わず声をかけた。
「ガジン!」
「……!おやおや、これは……。殿下、クラウス殿、こんな所でお会いすることになるとは……。お二人ともご機嫌麗しゅう」
寒さから逃れるように背を丸め歩いていたのは、謹慎中だった宮廷医師長のガジンだ。つい最近謹慎が解けて自由に場内を歩けるようになった。少し心もとなくなった白い髪の上に毛織の暖かい帽子をかぶり、同じ色の上着を羽織っている。
「今日は参列してくれて感謝するよ。きっと空で父も喜んでいる。貴方には家族ぐるみで世話になっていたからね」
「式の前に謹慎が解けて本当に良かった。お父上は昔から身体が丈夫な方では無かったですし……。人より早く逝くことになる可能性は十分理解していたつもりでしたが、私が思っていたよりずっと早かった……。本当に残念です」
「最後は身体の自由もきかなくなって本当に辛そうだった。今はもう苦しみを感じる身体を抜け出したんだ。楽になってると思うよ。神様には怒られてるかもしれないけどね」
「クラウス様のようなご立派なご子息を持たれて、彼は幸せでしたな。ただ……」
「?」
ガジンがクラウスの肩に皺の入った手を軽く置くと、肩に積もっていた雪を優しく払った。
「今すぐは難しいかもしれませんが…時間が空いたときでいい。一人のときでも……。ちゃんと悲しんで、心を整理する時間をお作りなさい」
「――……」
少し気まずそうに口を閉ざすクラウス。そんな彼をガジンは気遣った。
「色々あったことはわかります。しかし、貴方にとってはたった一人の父親。彼は貴方のことを深く深く愛していらっしゃった。それは紛れもない事実だ。残されたご家族は女性ばかりですし、理性的に努めようとすることは立派です。ただ……、悲しみを無理に抑え込んでは今度は貴方が倒れてしまう。そもそも貴方ご自身も身体が強い方ではないのですから」
「あぁ……。心配をかけてすまない……」
クラウスは少し辛そうに笑った。
喪主として、ダーナー家の嫡男として、悲しみに身を任せているわけにはいかない。しかし、幼い頃から世話になっているガジンの前では緊張の糸も緩んでしまうのだろう。素直に「ありがとう」と軽く頭を下げた。
「フォルカー殿下、ポルトの一件…聞きましたよ。この城からいなくなってしまうなんて本当に残念です。素直で真面目で……思いやりのある素敵な子だった」
「フォルカーから聞いたけど、君はポルトが女だって知っていたんだって?」
ガジンは確認をするようにフォルカーの顔を見る。クラウスの言葉に同調するように王子が頷くのを見て、クラウスには全て打ち明けていることを理解した。
「ええ、クラウス殿。ファールン王家は皆多くの秘密を持っておられる。ウルリヒ王も王太子時代は色々とやんちゃしたものですよ。今回もそのひとつみたいなもので、親子の血は争えないのだと微笑ましく思っておりました」
「阿呆従者の話はもういい。もう二度と会うことはないだろうからな」
「おやおや……」
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「また何か喧嘩でも?」
「喧嘩というか……。珍しく女の子にフラれて機嫌が悪くなっているのさ」
「ああ、なるほど」
「いい加減なこと言うな、クラウス。ガジン、お前も納得するなっ」
「性別を偽っていたとはいえ、それ以外に相違は無かったのでしょう?すでに刑は執行され、今は自由の身と聞いておりますが……。殿下は迎えにいかれないのですか?」
「行かないっ。ガジン、お前だから言うがな、ポチが一緒に居たかったのは俺じゃねぇんだよっ。ソイツは俺なんかよりずーっとイイ男らしいぜ。ま、それが間違いだってことはすぐ思い知るだろうがなっ」
「カールトンだって」
「カールトン?ああ、ダーナー殿の従者だった……」
「クラウス、この野郎っ!スラッとバラしやがって!」
ガジンは顎に手を置きながら、黒い肌と髪を持っていたあの青年のことを思い出した。
「無口で無愛想な男でしたが……、悪い男ではないように見えました。……そうですか、ポルトはああいう男が……」
その口ぶりがフォルカーに引っかかった。ガジンは何度もダーナー公を診たことがあったが、それはカールトンが従者となる前の話。この二人に接点などあったのだろうか?
「カールトンを知っているのか?お前、ずっと家で謹慎してたはずじゃ……」
「おや?ポルトが連れてきたからてっきり殿下はご存知だと」
「ポチが???」
「おやおや??」
驚いた顔で見合う。
ガジンは以前ポルトが気を失ったカールトンを家まで連れて来たことを話した。カールトンは殆ど無傷だったが、ポルトの方は酷い打ち身と大きなたんこぶを頭に作っていた、と。そして翌日の早朝には二人別々に城へ戻って行ったそうだ。
その時期を聞き、フォルカーは一枚の始末書を思い出す。
(……風呂場壊してたアレか。あいつら…本当に何やってたんだ?)
仲睦まじいと思えるような行動で柱や床石が欠損するものなのだろうか?とてつもなく変態的なプレイをしていたとか??状況から考えれば盛大な喧嘩をした…というのが一番無理のない推理だろうけれど……。
「ポルトは随分とカールトンにかまっているように見えました。友人にも恋人にも見えて、それでいてどれも違う……。そんな印象でしたなぁ。今思えば、ポルトの片思いがそう見せていたのかもしれません。あぁ、片思いと言えば…ひとつ、心当たりがありますな……」
「なんだ?」
「個人的な話なので、どうか他の皆様にはご内密に」
そう前置きしたガジン。二人は不思議そうに首を傾げつつも頷く。
「ポルトが連れてきた時、カールトンを診察しました。何処かに怪我がないか、傷ついている内臓はないだろうかと詳しくね。真新しい傷は無かったが…彼の背中には多くの古い傷跡がありましてね。剣で出来たものに混じっていたのが…例えば激しい折檻の後のような裂傷……。普通の家畜でもあんな傷はつかんでしょう」
「折檻?」
モリトール卿に勝るとも劣らないと思われる鉄仮面を持つあの男。第三者に傷をつけられるとしたら……?フォルカーは「…ふむ」と思案する。
「カールトンは見るからに異国人といった風貌をしている。何処かで突然異教徒狩りに襲われてもおかしくはない位だ。異教徒や奴隷を示すような焼印でも見つけたのか?」
世界中がファールンと同じように白き神を崇拝しているわけではない。禁域の森に住むという「森の司祭」達は自然や古い木を神としていると聞くし、遠い南の国では蛇と太陽を崇拝している国もあるとか……。
民族の数だけ神も異なるという考えができる者は良い。しかし、この世には「異教徒は悪魔の使いだ」と考え、目を覆いたくなるような残忍な行為に走る者達もいる。
「確かに火傷の跡もありました。しかしそれは普通の…偶発的な原因だと思われるもので、焼印のような故意に行われた類のものはひとつも……」
「捕虜になった経験のある元軍人や傭兵という可能性もある。カールトンは元々剣の腕を買われて父が雇っていたくらいだしね」
クラウスの言葉にガジンが頷いた。
「だからこれはあくまで医者としての私的な見解です。カールトンは極度に感情を表に出さない。見知らぬ相手には無関心、もしくは敵意しか持たない…そんな男です。その原因が先天的なものなのか、後天的なものなのかはわかりません。……でもポルトには何か感じるものがあったのかと……」
「ふぅん、ポチがねぇ……。軍人のせいか?」
そういえばポルトは一生懸命自分の好物であるは蜂蜜ミルクをあの男に運んでいた。慣れない野良犬を慣らすために餌付けでもしているようだ…と考えたところで、ふと気がつく。
(あー、そういや俺もポチにやってたわ)
なるほど、お手本は自分であったかと良くも悪くも納得する。
ポルトとカールトンの仲を疑う人間は少なくなく、特にその手の話が大好きなメイド達からは特別好奇な目で見られていたこともしばしば……。この城はそういった意味でもカールトンには居辛い場所になっていただろう。
「以前、私の助手が北塔に捕らえられていた時、彼女の世話になりました。内緒の手土産を作るために寝る間も惜しんで働いてくれた。彼女にとっては、少し包帯を巻いて貰っただけの男のはずなんですけどね。『何故そんなに頑張るのかね?』と訪ねたら、『一人きりは寂しいでしょう?』と言ってましたよ。……お二人は黒い指の話はご存知で?」
「黒い指?なんだ、それは?」
「ああ、民間に伝わる御伽話みたいなものだよ。死に直面した者が、その恐怖から黒き神を自身の内に招き入れて、地獄に引き込まれるように精神をやられてしまうってやつだね。野盗に襲撃された村の住民や戦場から帰った兵士達にも多く見られる現象さ。……心がね、辛さに耐えきれず壊れてしまうんだ。中には元の人格がわからないくらい狂ってしまう者もいる」
時々「悪霊が憑いた」と教会へ運ばれてくる者もいる程で、クラウスも話し合いの場に同席したことがあった。そういえばフォルカーの近衛隊にいるモリトール卿も、ポルトに悪霊が憑いているかもしれないと相談に来ていたことを思い出す。
「医者の私から見れば、あれは黒き神のせいでもなんでもない。人は過度なストレスを与えられると精神的に参ってしまうものです。肉体にまで影響が出ることもあります。顔や身体に麻痺が起きたり、物が喉を通らなくなってしまったり、当たり前のようにある感覚が消えてしまったり……」
「つまりカールトンがそうだと?」
「恐らく。ポルトは戦場やそれに近い場所で似た症状が出ている者達をたくさん見ていたのでしょう。だから、何故カールトンがそうなってしまったのか、おおよその見当がついた。……放っておけなかったのではないかと、そう思います。私の助手にした時のようにね」
ガジンの言葉をフォルカーはじっと聞いていた。ポルトならありえる話だ。そして新たに湧き上がる苛立ちに嘲笑した。
「なんだ?じゃぁ、百人の兵士が黒い指に捕まったら、ポチは百人の男を渡り歩くってか?連中の為に心と身体の慰めになるっつーのかよ?そりゃスゲー話だな」
「焼くなよ、みっともない」
「焼いてねぇっ」
王太子にこんな口がきけるのは、父親である王を覗いてクラウスくらいだろう。
憎まれ口を叩かれる理由はフォルカー自身わからないわけではない。
仮にカールトンが本当に心にも身体にも傷があったとして、それを労ろうとする気持ちは悪いものではなく、むしろ褒められるべきなのかもしれない。
しかし、その為に啖呵を切られたこちらの身にもなって欲しい。百歩譲って監獄での問答が演技だったとしても、彼女にだけ打ち明けた自分の古傷をネタにされた。あの言われ方は結構傷ついた。それは許されるのか?
あれだけ目をかけてやったと言うのに、彼女の中ではカールトンよりも格下ということなのだろうか?
(いけ好かねぇ者同士、仲良くどうにでもなれってーの。俺の知ったことか……!)
交換日記にカールトンらしき姿は無かった。それはあの男への想いを隠していたせいで、実は描かれた『笑顔』もこちらを油断させる演技なのかもしれない。
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