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【6】
覚悟
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冬の寒さを肌に当たる風で感じる。小さな針を刺されているような痛みを感じながら、白い息を吐いた。こんな寒さの中、あの少年は火もない暗い独房で過ごしているかと思うと胸が押しつぶされるようだ。
左手に持ったランタンが揺れ、オレンジ色の灯りが霜の降りた地面と革のブーツを淡く照らしている。
目的地に付くと辺りを見回した。
周囲には茂みが多くあり、右手にはウルム大聖堂に繋がる回廊の壁が見える。頭上は葉の落ちた枝が囲っていて、こんな深夜は人気などまるでない。夜の闇は深くそして虫の声ひとつしない静寂に染まっていた。
「ようこそ、エーヘル卿」
「!」
突然背後から声。振り返ると今まで誰もいなかった場所に一人の男が立っていた。
「貴方が…司教の使い……?」
「いかにも」
生成りのローブとフードを深くかぶり、その表情は全く見えない。
壁の一部である柱の陰にでも隠れていたのだろうか?しかしこんな静かな場所で物音一つ立てること無く……。
訝しみを隠せず半歩身を引いた。
「卿のことはダーナー司教から伺っておリます」
「……司教はどうされたのだ?私は彼だからこそ書簡を送ったのだ。名も顔も明かさない者相手に話すことはない」
「そんな内容だったかラこそ、彼は私を使わさレたのです。囚人を国外へ連レ出そうだなんて、ね」
「……っ……」
「だから伺っていると言ったでしょう。ここは冷えます。羽織をまとっていルとは言え、いつまでもいられるものじゃあリませんしね。無駄話はこれくラいにして本題に入リましょうか」
男は身動きひとつすることなくこちらを見据えている。
声の感じからして若い男ではない。俊敏さで言えば若い自分の方が有利かもしれないが、向こうもその気になれば一度で詰められる間合いだ。それに気になるのは彼の所作は不自然なほど音がないこと……。明らかにどこかで訓練を受けている。何故司教はこの者を使わされたのだろう。
「……北国スキュラドにお知り合いがいらっしゃると?」
それも書簡に書いた内容だ。ローガンは少し考えるように間をおいて口を開く。
「――……。画商だ。そこからよく絵を買っている。今スキュラドは国民の暴動が続いて芸術に目を向ける貴族は減っているそうでな。今後も優先的に利用すると伝えたら、しばらく匿ってくれる約束をしてくれた」
「ほぅ、親族でもない方なのですね。信頼出来るお相手なので?」
「縁浅い相手に頼めるようなことでもない。……これは私の一存。家族や親類に迷惑をかけるつもりはないからな。それに、まともに政府が機能していない今のスキュラドなら、旅人が数人紛れ込んだ所で気にする者もいないだろう。まあ、その分治安は悪くなっているだろうが…このままファールンにいるよりはマシだ」
「……エーヘル家といえば、美術品の取り扱いに長けた名のある一族。卿は長兄ではないとはいえ、お家柄と財はなかなかのものと伺っております、しかも門戸狭き王太子の近衛隊『白獅子騎士団』に入隊までなされるとは……。いやはや、天晴としか言いようのない。それなのに、あの者の為に全てをお捨てになルと?」
「全て…か……」
その問いにローガンは視線を外した。
ここまで育ててくれた両親や祖父母を、共に育った兄妹を…家族を心から愛している。このファールンも。だから騎士になった。好き好んで誰が捨てるものか。
「尋問官に聞いた。遅くても明後日には…尋問方法が変わる」
「はい」
「……!貴方はそのことも知っているのか?」
「正教会に贖罪の祈りを執り行える神父を用意しておくようにとの通達がありました。ダーナー司教が確認したところ、拷問官が城へ呼ばれたと。わざわざ呼ばれた位の低い神父、そして拷問官……。ここ最近で思いつく対象者など多くな無いですよ」
「……!」
「あの者、牢へ入ってからというもの事件については何も語ってはいないそうです。王子の手前、王も遠慮して様子を見ていたようですが…そろそろ限界なのでしょうな」
その言葉にローガンは奥歯を噛んだ。
進まぬ捜査に城の皆が辟易としていることは知っている。先祖代々守り続けてきた指輪の消失ともなれば、王がこの件に入れ込むのも仕方のないことだ。それは…わかっている。……しかし、もしこのままポルトを見捨て、獄中で死を迎えたとしたら…きっと自分は王家を恨む反乱分子になってしまうだろう。
「あ…あの子が一体何をしたというのだ……!まだ犯人だと決まったわけではないのに!推測だけで何故王はそんなことを……!」
「王の御心はわかリません。しかしフォルカー王子があレだけ執着していルとなると、その存在が面倒であルことに間違いないでしょう。時期も悪かったのです。重臣が倒れ指輪まで無くなった、その時期に身元のわからぬ者が違法に紛れているとわかれば……疑わざるを得ない。王かラしたらこれは、捜査も進み、好まぬ王子のお相手を葬るチャンスでもあルのです」
淡々と語る男に違和感を覚えたローガン。男に問う。
「……指輪の件は一部の限られた者にしか伝わっていないはず。一体貴方はどこまで何をご存知なのか。どこか力ある役職に就かれているのか?」
「私の素性がお知りになりたいので?よして下さい。残念ですが、私は男を相手にする趣味はありませんので」
「な……っ!?」
棘のある物言いに苛つきを感じながらも、ぐっと堪える。
「ダーナー司教はあの者が国外へ行く案には賛成していらっしゃいます。しかし、脱獄のような形で強引に連れ出すことには難色を示しておられる」
「では犯してもいない罪の為に拷問を受けろと言うのか……!」
「え?」
「『え?』って…何を呆けたことを……!ポルトが指輪を盗んだという証拠はないし、わからなくて問題になっているのは彼の出身地だけだろうっ?」
「おやおや……」
「……な・なんだ……っ」
「なるほど…」という口ぶりで、初めて男が腕を動かした。
「……卿はご存知なかったのですね。ということは、冗談でなく、本当に貴方は男を相手にする方だったのか……」
「こんな時に何を言っている……!」
「ご心配されなくとも大丈夫ですよ。わが祖国にもそういった習慣はありますし。ま、私にはわからない趣味ではありますけどね」
「貴方は一体なんの話をしに来たのだ……!ふざけているのなら私はこれで失礼する!」
「落ち着きなさい、若者よ。短気は損気ですぞ。この知らせが幸と出るか不幸と出るかはわかりませんが、一応貴方にもお伝えしておきましょう」
その改まった声音にローガンが眉をひそめる。
「あの者、フォルカー殿下の従者ポルトは……『女』です」
「……!?!?」
男の突然の告白に頭を強く打たれたような衝撃が走る。
「お…んな……?」
「つまり、男しか入隊を許されない軍務に身をおいた時点ですでに法を犯しているのですよ。国外まで一緒にお逃げになると仰っているから、てっきりご存知なのかと……。ああ、きっと司教は面白がって私に伝えなかったのですね。相変わらずいたずら好きな方だ」
男が目をやると、ローガンの手が心なしか小さく震えている。思っていたよりショックを受けているようだ。
「……ポルトが……お…女……」
「信じられないのもわかりますが、彼女は……」
「いや!わかる!!とてつもなくわかる!!わかりすぎる……っっ!!」
食い気味に声を張る。そして「はぁぁぁぁぁ~~~……」と深い深いため息を付くと大きく肩を落とした。
「……どうりで殿下が執着されるはずだ………」
「卿はあの者が女性でもお気持ちは変わらないので?」
ははは…という小さな笑いを浮かべ、「変わるわけない」と答える。むしろ大きな障害が一つ取り払われた気分だ。
酒場で見た姿は変装ではなく、むしろ本来の姿だったのだという事実に激しく納得する。
(可愛いはずだよ…!似合ってるはずだよ……!!くそ……!!)
本当に「ポルト」という人間を想っていたのなら、男だろうが女だろうが関係ないはずだ。そんなつまらないことにこだわっていないで、ちょっと遠回りな犬(狼)の散歩にでも誘っておけば良かった。
……頭を抱えるようにローガンは激しく後悔をする。
「………続けても?」
「………どぉぞ…‥…」
はんなりと心配げな声にやっとの返答。
「ご決意が変わらないのなら、今後の話をしないといけませんからね」
「……そうだな。それで、司教はなんと?」
「然るべき処罰を受けさせ、正当な手続きを経て出た方が、その後の生活もしやすいだろうと仰っておりました。身分に関しては以前貴方が司教にお伝えになった件が役に立つだろうと」
「ポルトが記憶している地理の情報だな」
「村のあったウィンスターを中心に周辺地域に詳しい者を司教が探しておられます」
クラウスはウルム大聖堂でも貴族使用人関係なく話を聞き、相談を受ける。それは奉仕活動のため町へ降りても同じことだった。
尊き身分を自ら捨て人々の幸せを祈る司教。その手を土や埃で汚す作業にも前向きで、そのへんの役職者よりもずっと下々に寄り添う生活をしている。何よりあの優しい声と笑顔の前では警戒心など風に吹かれて消えてしまう。
そんな彼には身分を問わず知り合い、協力者が多くいた。
「彼の人脈を使えばすぐに見つかることでしょう。ポルトの言葉に偽りがないか確かめることができれば、恐らく容疑は晴れるかと」
「そうか……。良かった……。ダーナー司教への信頼は皆厚いからな。彼が連れてきた証人ならば、きっと問題ないだろう。司教にはなんと礼を言ったら良いか……」
「安堵している所申し訳ありませんが、貴方はその後やってもらわねばならないことがありましてね」
「やらなくてはならないこと……?」
「はい。むしろ司教はそちらの方が重要とお考えです」
「どいういうことだ?」
「身元が明らかになった所で女であることには変わりない。その件については処罰を受けることになるでしょう。どんな状況で城から出ることになるかはわかりません」
「――……」
その最後の言葉が胸に刺さる。やはり無傷では出ては来られないのか。
「しかし、ゆっくり養生させる暇はありません。貴方には彼女を連れてすぐ国外へ出ていただきたい」
「……?容疑が晴れたのなら、国外へ出る必要は無いのではないか?しかも、何故急を要する?」
「思い出して下さい。指輪が無くなった日のことを」
「指輪が無くなった日……?」
確かフォルカー王子に連れられて指輪の間に入った。昔話を聞いて出てきたと言っていたが……
「……!」
その意味に気がついたローガンが彼の顔を見る。
「……近衛隊入隊時、ファールン王族が執り行う儀式について学ぶ機会がある。そこで王族は婚姻前に神聖具の前で誓いを立てると聞いた。実際に私は見たことがないが…まさか殿下は……」
「………」
男は一度だけ頷いた。
今までポルトを男だと思っていたので、そっちの方向にはまるで意識を向けていなかったが……なるほど。司教はポルト捕獲のその先を危惧しているのだ。ローガンの表情がぎゅっと引き締まる。
「――司教は殿下とポルトの仲をお認めになっていないのだな」
理由など聞くまでもない。
王子もそれをわかっていて、あんな時間に隠れるようにポルトを連れて行ったのだろう。
「ポルトは…どう思っているんだ?」
「あの者の意思は関係あリません。言わずとも理由はおわかリでしょう」
「……そうだな……」
もしポルトにその意志があったとしても、それを叶えることは絶望的だ。
ローガンはため息を付いて男を見た。
「国外に連れて行けとは…そういうことか」
「はい。あの者が獄中で死ぬというシナリオは簡単です。王も賛同してくれるでしょう。しかしファールン国内でファールン民の手によってそれが成されるのは、王子への影響を考えると得策ではないと」
「………そうだな。捕らえられただけでも殿下はかなり荒れてしまわれたからな」
「そこで貴方の出番です」
「!」
男がゆっくりと近づいてくる。
「国外へ…手の届かない場所へ連れて行けと…そういうことだな?」
「いえ、それだけでは足りません」
「私に何をしろと?」
「あの者を決して離してはいけません。多少力づくになっても子を作って頂きたい。そレが出来ない時は……あの者の命を断つように」
「――は…!?」
それは思いもよらない言葉。一瞬何を言ったのか理解できないほど頭が混乱し、ローガンはもう一度聞き直した。
「今…なんと?あ…貴方は私にポルトを討てとそう言ったのか……?」
男は感情を出さないまま、彼の動揺を受け止める。
「司教は貴方があの者と懇意にしていたことは知っています。そして卿がそこに特別な感情を抱いていルことも……」
二人の関係を直接知らない男でもローガンの憤りは予想できていた。彼を波立たせないように落ち着いた声音で話す。
「フォルカー殿下には次期ファールン王として、果たさねばならない義務があリます。あの者が子も産まず生きていルことを知レば…彼は諦めない。選ばレた花嫁は一人いれば十分です」
「し…しかし…私にはそんなこと出来るわけない……!ポルトを…あの子を俺が……殺すだなんて……!」
ポルトの顔が次々とまぶたに浮かぶ。
フォルカー王子に比べたら一緒に過ごした時間なんてほんの少しのことだろう。それでも…それでもあの者を想う気持ちは王子に負ける気はしない。それなのに……
「卿に無理なラば、私…もしくは仲間が向かいます」
「ダーナー司教は…このことをご存知なのか?」
その問いに、男は黙って頷いた。
「その場の勢いで行動し面倒事を起こす……。殿下は母君によく似ていらっしゃル。あの娘も指輪に関わらずにいればまだ穏やかな生活を送レただろうに……」
ローガンは黙り込みぐっと拳を握る。
この男の言うとおりだ。ポルトが誰のものにもなっていないことを知れば、きっと王子はなりふり構わず動くだろう。自分だってそうする。城に連れ帰った後、どんな未来が待っているかも考えずに……。
「これはあくまで最悪のケースです。ここを離レた君があの者と生きル場合のね。だからといって必ずしもそうなルと決まったわけではあリません」
「……」
「司教はこうも仰っていた。『ポルトはかけられた情を無下にするような子じゃない。誠意を持って接していればきっとわかってくれる時がくると思う』と……」
「――……」
「要は、命がけで惚れさせろということですな」
ローガンは表情が曇ったままだ。
「男子たるもの腹を決めねばならぬ時がある」
「――……」
「騎士としてこのまま主君への忠義を貫くもよし、家も名も…全てを捨て、男として女子を愛し、その生を最期まで見届けるもよし」
「お…俺は……」
「さ、エーヘル卿。ご決断を」
左手に持ったランタンが揺れ、オレンジ色の灯りが霜の降りた地面と革のブーツを淡く照らしている。
目的地に付くと辺りを見回した。
周囲には茂みが多くあり、右手にはウルム大聖堂に繋がる回廊の壁が見える。頭上は葉の落ちた枝が囲っていて、こんな深夜は人気などまるでない。夜の闇は深くそして虫の声ひとつしない静寂に染まっていた。
「ようこそ、エーヘル卿」
「!」
突然背後から声。振り返ると今まで誰もいなかった場所に一人の男が立っていた。
「貴方が…司教の使い……?」
「いかにも」
生成りのローブとフードを深くかぶり、その表情は全く見えない。
壁の一部である柱の陰にでも隠れていたのだろうか?しかしこんな静かな場所で物音一つ立てること無く……。
訝しみを隠せず半歩身を引いた。
「卿のことはダーナー司教から伺っておリます」
「……司教はどうされたのだ?私は彼だからこそ書簡を送ったのだ。名も顔も明かさない者相手に話すことはない」
「そんな内容だったかラこそ、彼は私を使わさレたのです。囚人を国外へ連レ出そうだなんて、ね」
「……っ……」
「だから伺っていると言ったでしょう。ここは冷えます。羽織をまとっていルとは言え、いつまでもいられるものじゃあリませんしね。無駄話はこれくラいにして本題に入リましょうか」
男は身動きひとつすることなくこちらを見据えている。
声の感じからして若い男ではない。俊敏さで言えば若い自分の方が有利かもしれないが、向こうもその気になれば一度で詰められる間合いだ。それに気になるのは彼の所作は不自然なほど音がないこと……。明らかにどこかで訓練を受けている。何故司教はこの者を使わされたのだろう。
「……北国スキュラドにお知り合いがいらっしゃると?」
それも書簡に書いた内容だ。ローガンは少し考えるように間をおいて口を開く。
「――……。画商だ。そこからよく絵を買っている。今スキュラドは国民の暴動が続いて芸術に目を向ける貴族は減っているそうでな。今後も優先的に利用すると伝えたら、しばらく匿ってくれる約束をしてくれた」
「ほぅ、親族でもない方なのですね。信頼出来るお相手なので?」
「縁浅い相手に頼めるようなことでもない。……これは私の一存。家族や親類に迷惑をかけるつもりはないからな。それに、まともに政府が機能していない今のスキュラドなら、旅人が数人紛れ込んだ所で気にする者もいないだろう。まあ、その分治安は悪くなっているだろうが…このままファールンにいるよりはマシだ」
「……エーヘル家といえば、美術品の取り扱いに長けた名のある一族。卿は長兄ではないとはいえ、お家柄と財はなかなかのものと伺っております、しかも門戸狭き王太子の近衛隊『白獅子騎士団』に入隊までなされるとは……。いやはや、天晴としか言いようのない。それなのに、あの者の為に全てをお捨てになルと?」
「全て…か……」
その問いにローガンは視線を外した。
ここまで育ててくれた両親や祖父母を、共に育った兄妹を…家族を心から愛している。このファールンも。だから騎士になった。好き好んで誰が捨てるものか。
「尋問官に聞いた。遅くても明後日には…尋問方法が変わる」
「はい」
「……!貴方はそのことも知っているのか?」
「正教会に贖罪の祈りを執り行える神父を用意しておくようにとの通達がありました。ダーナー司教が確認したところ、拷問官が城へ呼ばれたと。わざわざ呼ばれた位の低い神父、そして拷問官……。ここ最近で思いつく対象者など多くな無いですよ」
「……!」
「あの者、牢へ入ってからというもの事件については何も語ってはいないそうです。王子の手前、王も遠慮して様子を見ていたようですが…そろそろ限界なのでしょうな」
その言葉にローガンは奥歯を噛んだ。
進まぬ捜査に城の皆が辟易としていることは知っている。先祖代々守り続けてきた指輪の消失ともなれば、王がこの件に入れ込むのも仕方のないことだ。それは…わかっている。……しかし、もしこのままポルトを見捨て、獄中で死を迎えたとしたら…きっと自分は王家を恨む反乱分子になってしまうだろう。
「あ…あの子が一体何をしたというのだ……!まだ犯人だと決まったわけではないのに!推測だけで何故王はそんなことを……!」
「王の御心はわかリません。しかしフォルカー王子があレだけ執着していルとなると、その存在が面倒であルことに間違いないでしょう。時期も悪かったのです。重臣が倒れ指輪まで無くなった、その時期に身元のわからぬ者が違法に紛れているとわかれば……疑わざるを得ない。王かラしたらこれは、捜査も進み、好まぬ王子のお相手を葬るチャンスでもあルのです」
淡々と語る男に違和感を覚えたローガン。男に問う。
「……指輪の件は一部の限られた者にしか伝わっていないはず。一体貴方はどこまで何をご存知なのか。どこか力ある役職に就かれているのか?」
「私の素性がお知りになりたいので?よして下さい。残念ですが、私は男を相手にする趣味はありませんので」
「な……っ!?」
棘のある物言いに苛つきを感じながらも、ぐっと堪える。
「ダーナー司教はあの者が国外へ行く案には賛成していらっしゃいます。しかし、脱獄のような形で強引に連れ出すことには難色を示しておられる」
「では犯してもいない罪の為に拷問を受けろと言うのか……!」
「え?」
「『え?』って…何を呆けたことを……!ポルトが指輪を盗んだという証拠はないし、わからなくて問題になっているのは彼の出身地だけだろうっ?」
「おやおや……」
「……な・なんだ……っ」
「なるほど…」という口ぶりで、初めて男が腕を動かした。
「……卿はご存知なかったのですね。ということは、冗談でなく、本当に貴方は男を相手にする方だったのか……」
「こんな時に何を言っている……!」
「ご心配されなくとも大丈夫ですよ。わが祖国にもそういった習慣はありますし。ま、私にはわからない趣味ではありますけどね」
「貴方は一体なんの話をしに来たのだ……!ふざけているのなら私はこれで失礼する!」
「落ち着きなさい、若者よ。短気は損気ですぞ。この知らせが幸と出るか不幸と出るかはわかりませんが、一応貴方にもお伝えしておきましょう」
その改まった声音にローガンが眉をひそめる。
「あの者、フォルカー殿下の従者ポルトは……『女』です」
「……!?!?」
男の突然の告白に頭を強く打たれたような衝撃が走る。
「お…んな……?」
「つまり、男しか入隊を許されない軍務に身をおいた時点ですでに法を犯しているのですよ。国外まで一緒にお逃げになると仰っているから、てっきりご存知なのかと……。ああ、きっと司教は面白がって私に伝えなかったのですね。相変わらずいたずら好きな方だ」
男が目をやると、ローガンの手が心なしか小さく震えている。思っていたよりショックを受けているようだ。
「……ポルトが……お…女……」
「信じられないのもわかりますが、彼女は……」
「いや!わかる!!とてつもなくわかる!!わかりすぎる……っっ!!」
食い気味に声を張る。そして「はぁぁぁぁぁ~~~……」と深い深いため息を付くと大きく肩を落とした。
「……どうりで殿下が執着されるはずだ………」
「卿はあの者が女性でもお気持ちは変わらないので?」
ははは…という小さな笑いを浮かべ、「変わるわけない」と答える。むしろ大きな障害が一つ取り払われた気分だ。
酒場で見た姿は変装ではなく、むしろ本来の姿だったのだという事実に激しく納得する。
(可愛いはずだよ…!似合ってるはずだよ……!!くそ……!!)
本当に「ポルト」という人間を想っていたのなら、男だろうが女だろうが関係ないはずだ。そんなつまらないことにこだわっていないで、ちょっと遠回りな犬(狼)の散歩にでも誘っておけば良かった。
……頭を抱えるようにローガンは激しく後悔をする。
「………続けても?」
「………どぉぞ…‥…」
はんなりと心配げな声にやっとの返答。
「ご決意が変わらないのなら、今後の話をしないといけませんからね」
「……そうだな。それで、司教はなんと?」
「然るべき処罰を受けさせ、正当な手続きを経て出た方が、その後の生活もしやすいだろうと仰っておりました。身分に関しては以前貴方が司教にお伝えになった件が役に立つだろうと」
「ポルトが記憶している地理の情報だな」
「村のあったウィンスターを中心に周辺地域に詳しい者を司教が探しておられます」
クラウスはウルム大聖堂でも貴族使用人関係なく話を聞き、相談を受ける。それは奉仕活動のため町へ降りても同じことだった。
尊き身分を自ら捨て人々の幸せを祈る司教。その手を土や埃で汚す作業にも前向きで、そのへんの役職者よりもずっと下々に寄り添う生活をしている。何よりあの優しい声と笑顔の前では警戒心など風に吹かれて消えてしまう。
そんな彼には身分を問わず知り合い、協力者が多くいた。
「彼の人脈を使えばすぐに見つかることでしょう。ポルトの言葉に偽りがないか確かめることができれば、恐らく容疑は晴れるかと」
「そうか……。良かった……。ダーナー司教への信頼は皆厚いからな。彼が連れてきた証人ならば、きっと問題ないだろう。司教にはなんと礼を言ったら良いか……」
「安堵している所申し訳ありませんが、貴方はその後やってもらわねばならないことがありましてね」
「やらなくてはならないこと……?」
「はい。むしろ司教はそちらの方が重要とお考えです」
「どいういうことだ?」
「身元が明らかになった所で女であることには変わりない。その件については処罰を受けることになるでしょう。どんな状況で城から出ることになるかはわかりません」
「――……」
その最後の言葉が胸に刺さる。やはり無傷では出ては来られないのか。
「しかし、ゆっくり養生させる暇はありません。貴方には彼女を連れてすぐ国外へ出ていただきたい」
「……?容疑が晴れたのなら、国外へ出る必要は無いのではないか?しかも、何故急を要する?」
「思い出して下さい。指輪が無くなった日のことを」
「指輪が無くなった日……?」
確かフォルカー王子に連れられて指輪の間に入った。昔話を聞いて出てきたと言っていたが……
「……!」
その意味に気がついたローガンが彼の顔を見る。
「……近衛隊入隊時、ファールン王族が執り行う儀式について学ぶ機会がある。そこで王族は婚姻前に神聖具の前で誓いを立てると聞いた。実際に私は見たことがないが…まさか殿下は……」
「………」
男は一度だけ頷いた。
今までポルトを男だと思っていたので、そっちの方向にはまるで意識を向けていなかったが……なるほど。司教はポルト捕獲のその先を危惧しているのだ。ローガンの表情がぎゅっと引き締まる。
「――司教は殿下とポルトの仲をお認めになっていないのだな」
理由など聞くまでもない。
王子もそれをわかっていて、あんな時間に隠れるようにポルトを連れて行ったのだろう。
「ポルトは…どう思っているんだ?」
「あの者の意思は関係あリません。言わずとも理由はおわかリでしょう」
「……そうだな……」
もしポルトにその意志があったとしても、それを叶えることは絶望的だ。
ローガンはため息を付いて男を見た。
「国外に連れて行けとは…そういうことか」
「はい。あの者が獄中で死ぬというシナリオは簡単です。王も賛同してくれるでしょう。しかしファールン国内でファールン民の手によってそれが成されるのは、王子への影響を考えると得策ではないと」
「………そうだな。捕らえられただけでも殿下はかなり荒れてしまわれたからな」
「そこで貴方の出番です」
「!」
男がゆっくりと近づいてくる。
「国外へ…手の届かない場所へ連れて行けと…そういうことだな?」
「いえ、それだけでは足りません」
「私に何をしろと?」
「あの者を決して離してはいけません。多少力づくになっても子を作って頂きたい。そレが出来ない時は……あの者の命を断つように」
「――は…!?」
それは思いもよらない言葉。一瞬何を言ったのか理解できないほど頭が混乱し、ローガンはもう一度聞き直した。
「今…なんと?あ…貴方は私にポルトを討てとそう言ったのか……?」
男は感情を出さないまま、彼の動揺を受け止める。
「司教は貴方があの者と懇意にしていたことは知っています。そして卿がそこに特別な感情を抱いていルことも……」
二人の関係を直接知らない男でもローガンの憤りは予想できていた。彼を波立たせないように落ち着いた声音で話す。
「フォルカー殿下には次期ファールン王として、果たさねばならない義務があリます。あの者が子も産まず生きていルことを知レば…彼は諦めない。選ばレた花嫁は一人いれば十分です」
「し…しかし…私にはそんなこと出来るわけない……!ポルトを…あの子を俺が……殺すだなんて……!」
ポルトの顔が次々とまぶたに浮かぶ。
フォルカー王子に比べたら一緒に過ごした時間なんてほんの少しのことだろう。それでも…それでもあの者を想う気持ちは王子に負ける気はしない。それなのに……
「卿に無理なラば、私…もしくは仲間が向かいます」
「ダーナー司教は…このことをご存知なのか?」
その問いに、男は黙って頷いた。
「その場の勢いで行動し面倒事を起こす……。殿下は母君によく似ていらっしゃル。あの娘も指輪に関わらずにいればまだ穏やかな生活を送レただろうに……」
ローガンは黙り込みぐっと拳を握る。
この男の言うとおりだ。ポルトが誰のものにもなっていないことを知れば、きっと王子はなりふり構わず動くだろう。自分だってそうする。城に連れ帰った後、どんな未来が待っているかも考えずに……。
「これはあくまで最悪のケースです。ここを離レた君があの者と生きル場合のね。だからといって必ずしもそうなルと決まったわけではあリません」
「……」
「司教はこうも仰っていた。『ポルトはかけられた情を無下にするような子じゃない。誠意を持って接していればきっとわかってくれる時がくると思う』と……」
「――……」
「要は、命がけで惚れさせろということですな」
ローガンは表情が曇ったままだ。
「男子たるもの腹を決めねばならぬ時がある」
「――……」
「騎士としてこのまま主君への忠義を貫くもよし、家も名も…全てを捨て、男として女子を愛し、その生を最期まで見届けるもよし」
「お…俺は……」
「さ、エーヘル卿。ご決断を」
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