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【小話】扉一枚

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 就寝のための身支度を調える。国のしもべの証であるサーコートも、戦士の防具であり体型を隠す為のチェーンメイルも、そして胸元に巻かれた布も外して、素肌にシャツ一枚になったポルト。

 袖をまくり白い月に照らされた細い腕を見た。同世代の仲間とは比べられない。腕だけじゃない、最近胴とウェストとの差が男のそれとは違う気がする。大きめを選んであるシャツのたるみやベルトについているナイフやポーチで上手く隠せているといいが、そろそろ胸元以外にも布を巻かなくてはいけないだろう。

 そういえばロイターに襲われた時に胸元を触られたような気がする。胸元など特にがっちりと布を巻き、その上にシャツ、チェーンメイルまであったことを考えると…

(あの人、何を触ってたことになるんだ…??) 

 ま、いいか…と身体を伸ばす。
 暖炉のおかげで部屋は暖かい。

 小さな燭台を手に部屋の片隅に立ち止まった。目の前には布に包まれた絵画の数々が並べられている。その中の一枚をじっと見つめた。エルゼに二度と触れてはいけないと言われた父の肖像画がそこにある。
 膝をつき、亡き父のために祈り手を作った。

「――――………」

 気持ちの整理がつかなくて、こうした時間は久しく作っていなかった。報告することは沢山ある。こんなことしなくても神様と一緒に見てくれていたかもしれないけれど……。もしそうなら夢の中で良い、現れてこれから自分はどうすればいいのか教えて欲しい。
 祈り手は何度も作ってきたが応える声が聞こえたことは一度もない。一方通行の思いを投げるばかりだ。

 立ち上がり、軽く膝を払う。いつ呼び出されるかわからないので、ベッドに入る前に胸元の布を巻いておかなくてはいけない。燭台をサイドテーブルに置きベッドに腰を下ろした。

 視界に主の部屋に通じる扉が映る。

「――――……」

 彼は今頃夢の中にいるだろう。その姿を思い浮かべた。……いや、姿だけじゃない。髪も輪郭も瞳も、自分に向けられた表情もはっきりと覚えている。声も、腕の強さも、胸元の温かさも、手の大きさも…頬に押しつけられた唇の柔らかさも…。思い出すと胸が圧迫されたように息苦しくなる。
 最近、二人の距離が以前のそれとは違ってきているような気がするのは、多分そのせいだ。 

 おもむろに立ち上がり、靴底を軽く擦るように歩く。二つの部屋を隔てる古い古い木製の扉は静かに閉ざされている。

 何度も触れあった。同じベッドで身体を横たえたこともあったが、ただそれだけのことしかしていない。
 何度も抱きしめられて、この身を預けた。でも女を求められたことはないし、自分も彼に男を求めたことはない。
 それはきっと、お互いの道が未来で交わることはないとわかっているからだ。

 刹那的な関係を望まないことを彼は知っている。今この状態が側にいられる最良のものなのだろう。淡く女の輪郭を現し始めたこの身体を考えれば、それも長くはもたないかもしれないけれど……。 

(もし…父様の話をしたら……)

 性別のことなど問題ではなくなるだろうし、少しは近い社会に住めるようになるかもしれない。しかし出生を考えれば、正当なものではないことは容易に想像がつく。先々王の落とし子となれば大なり小なり王家を揺るがす災いとなるだろう。そんなことは望んでいない。……それ以前に身を証明するものが何一つ残っていないのだから、話したところで信じては貰えないだろう。どこか遠い場所に厄介払いされるかもしれない。そう言う意味でもやっぱり墓場まで持って行かなくてはいけない話だ。

 目の前の扉が「開けるの?開けないの?」と問いかけてくる。
 思い、悩み、ドアノッカーに触れては離し肩を落とす。
 そんなことを繰り返すことにも飽きると、その場に座り込み扉に身体をもたれかけた。

「――――…… 」

 これ以上を望むことなど贅沢なことだ。
 自分が出来ることがあるとすれば……

「――どうか……」

 扉の向こうで眠るあの人が幸せでありますように。
 小さい祈りが静かな空気に溶けた。 


━━…━━…━━…━━…━━…━━…━━…━━



 夜の闇は全てを隠すというのに、何故陽の下ですら隠れていた淡い希望に輪郭を持たせてしまうのだろう。
 扉一枚のもどかしさが神経を複雑に冴えさせる。

 あの扉が閉じてからしばらくたつ。もう寝息を立てている頃だ。眉間にいつものシワを刻んでいるかもしれない。見ている夢が楽しいものであれと願うばかりだ。
 いつか楽しいと思う心を素直に出せる刻が訪れることを、そしてその場に自分がいることを……。

「――――――……」 

 今日の振る舞いは自分でもやりすぎたと思っている。いつもの我が侭だと流してくれればそれで終わるはずだったのに……。
 彼女の鼻筋が首に当たり、それが故意にされたとわかった瞬間…強く打った鼓動に押され抱きしめる腕に思わず力が入ってしまった。しかも「帰ってこい」だなんて…いつか手放さなければならない娘に何を口走ってしまったのか。

 近づきすぎたらきっと後悔する。彼女も、そして自分も。ただでさえ今も若干後悔の念に苛まれている。

 相手が自分でなければあのまま彼女を迎え入れてやれただろう。でも他の奴の胸に飛び込むなんてことは、まだ彼女にはできない。……難しい関係だ。

 彼女の寝顔を見れば、責任感で身が引き締まったりするのだろうか?
 ……いや、そんなことはどうでも良くて…ただ顔が見たくなった。
 あの阿呆面を見たらおかしな気など起きなくなるかもしれない。

 目の前には城と同じだけの年数を重ねてきた扉が静かにたたずんでいる。おもむろにそのドアノッカーに手をのばし触れる。離してはまた手を伸ばし…軽く唇を噛む。

 結局扉は数ミリも動くことはなく、「彼女の朝は早い。こんな時間に邪魔をするのも可哀想だ」と自身をなだめて座り込んだ。

《――――……》

 その時、扉の向こうから小さく聞こえた誰かの声。
 王族が使う部屋の為に作られた扉は、小さな村の教会でも使えそうなほど頑丈なものだ。室内の話し声が漏れることなど考えにくいのだが……。耳をすまし、意識を集中させた。

《――――――…か… 》
「!」

 隣の部屋の主が扉の近くで何かしているようだ。まだ起きていたのか。

《どうか…あの人がこの先もずっと幸せでいられますように…… 》

 突然の言葉にむずがゆくなり、頬がにわかに熱を持つ。……きっとまた余計なことをごちゃごちゃと考えていたに違いない。深夜に考え事はやめろとあれほど言ってあるのに仕方のない奴だ。
 寝かしつけてやるか、目的を得た右手が扉に軽く上がる。

《いつか…いつかまた出会えた時に……》
「……?」
《笑ってお話が出来ますように。お互いの家族自慢ができますように》

 その声に、静寂に包まれた願いに、じっと耳を傾ける。 

《幸せなご家族を見送ることが出来ますように……》

 そうか。

 ……そうか。

「あの人の未来が、愛と幸せで包まれていますように…… 」

 彼女が思い浮かべているだろう光景は想像がつく。
 どうか強がりであってくれ…そう願うくらいの小さな抵抗は許されるだろうか?

「――……」

  大きなため息。身体から力が抜けたような感覚に自然と頭が下がる。

 言われなくても始めからそのつもりだった。
 わかっていたはずなのに…彼女の声は何故か胸の奥の知らない場所に深く杭を打つ。

 ―――そうか、それがお前の望みか。

 ならば叶えてやろう。
 全てお前の望むままに。


 そしてお前の言う「いつか」「出会えた時」に、泣くほど後悔すればいい。 
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