忠犬ポチは人並みの幸せを望んでる!

Lofn Pro

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【5】

静かな夜(★)

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 大きな窓を開けば大きく広がる星空。白く輝く月を見上げた緑の瞳が瞬く。
 冬になればもっと空気が澄んでもっと沢山の星が顔を出すことだろう。

 夜目は効かない方ではないが、それでも子供の頃よりも見える数が減ったような気がする。夜遊びのせいか、はたまた夜まで仕事をする時間が増えたせいか……。
 前者は減った。しかし後者は…今後も改善することはないだろう。
 父ももう若くはない。行く行くは自分がこの国全ての責任を背負うのだから、弱音を吐くわけにもいかない。
 ふっと息を吐けば淡く白くなる。

「殿下、そろそろ中へ戻られては?何処で誰が狙っているともわかりませんし…お身体も冷えますよ」
「そうだな。また風邪引いて、クソ不味い薬を飲むのは嫌だし」

 部屋に戻るなりポルトは寝間着を持ってきたが、フォルカーは首を横に振る。それなら…と炎が揺れる暖炉へと促した。
 少し冷えた両手を伸ばすと、フォルカーもそれに続く。

「寝る前に何か飲み物をお持ちしましょうか?ワインなどはいかがですか?身体も温まりますよ」
「いや、いい。お前も今日は疲れただろ。先に寝て良いぞ。着替えは俺一人でも出来る。」

 ポルトは少し考えて「いえ、もう少しここにいます」と答えた。
 視線の先で揺れるオレンジ色の炎と黒く燃える木。王子の部屋の暖炉は大きくて立派で、他の部屋のものより温まる気がする。
 ベッドに入るまで彼の身体が冷えなければいいのだが……。

「あの殿下…。日中聞かせて頂いたお話なんですけど…」
「どの?」
「家臣が特別なものとか見返りと求めてるっていう……」
「ああ、アレね。それがどうした?」
「私は殿下のお側におりますけど…そういうのは必要ないですから。それを…お伝えしたいと思って……」
「お前はそもそも給金に色つけてやってるだろ」
「お・お給料の話ではなくてですねっ」

 彼の言葉の中で思うことがあった。
 彼自身はもう気にしていないと言うが、どうしてもこれだけは言っておきたい。

「殿下絡みの問題は複雑なものも多くて、私には解決出来ないかもしれません。でも、お話を聞くことは出来ます。だから…」
「うん」
「少し疲れたな、辛いなって思ったら…寄りかかって下さい」
「あん?」
「そ・そのっ、立ち寝する時も棒が一本あるとないとじゃ全然違いますので……っ。私、そんな棒になれたらいいなって……」

 不思議そうな表情に変わる主の姿に少し歯切れが悪くなる。

「ふーん。お前、従者になったり犬になったり棒になったり…色々大変だな」
「そう言われると身もふたもないのですけれど」

 フォルカーの半ば冷めた視線にふと我に返る。
 彼は立ち寝をするくらいならその場をサボる。むしろ自分たちよりもフワフワなベッドで毎日眠っているわけで、万が一にも棒は使わない。それは肉体的な意味でもメンタル的な意味でも当てはまるだろう。

 もう少しマシなたとえ話があっただろうに、自分が何を言っているのかわからなくなってきた。伝えたい気持ちはあるのに、言葉にならないのがもどかしい。

「手はもう大丈夫なのか?」
「手?どこにも怪我はしてな……」
「そうじゃなくて。俺が触っても、もう平気なのか?」

 無意識に彼の瞳を見た。どことなく真剣な表情にぱちくりと瞬きをして…はっと息を飲む。そして自分の右手をサーコートでゴシゴシと拭き、フォルカーの指先をきゅっと掴んだ。

「!」
「は・はい!もう大丈夫です…!もともと殿下のお世話をさせて頂くのには支障はありませんでしたし!ご心配…おかけしましたっ!」
「今まで通りになったって…そう考えて良いんだな?」

 フォルカーが逆にポルトの手を握り返す。指の間に自身のそれを絡めるように入れ、ぎゅっと力を入れた。



「っ」
「……これ、怖いか?」

 ポルトは首を横に振る。
 彼はきっと試しているのだ。どれくらいの距離がとれるのか、それは自分の思うものと同じなのだろうか。
 きっと…きっとこの温かい手の内側で色んなことを考えている。

「――……」

 淡く頬が熱を持つ。
 例えば…今胸の中に飛び込んだら、彼は喜んでくれるだろうか?
 でもあそこは泣いている時しか入っちゃいけない場所だ。涙は狼達にすっかり舐め取られている。
 もう片方の手で彼の手を繋いでみようか?…でもそのはずみで今繋いでる手が外れてしまったらどうしよう。

 浮かんでは消える案。こんな時皆は…例えば“普通の女の子”ならどうするんだろう……?

「浮かない顔だな」
「っ」
「俺はお前に無理をさせたいわけじゃない。嫌ならそう言えばいい」

 繋いでいた手の上を、もう片方の彼の手がポンポンと跳ねる。
 「ありがとな」、そう言って彼は手を離した。

「――……!」

 部屋を出て行く彼の後ろ姿が揺れて、風ではない何かがこの背を押した。
 足が床石を蹴る。

「殿下っ!!」
「っ!?」

 振り向いた主人にタックルした。
 正確に言うとセミのように飛びついて抱きしめた。どうせ全力でかかっても倒れない男だ。背中に回した手が上着を握りしめ沢山の皺を作り、両足は野山を駆け回る筋力を存分に発揮する。
 そして、

「ぅににににににいぃぃいぃぃぃぃ~~~っっ!」

 唸るような声と共に思いっきり顔をこすりつけた。 

「い・痛ぇっ!こら…!ポチやめろッ!!てめーのデコで骨がゴリゴリ言ってるからっ!てか服伸びるからせめて自分で立て!チェーンメイルが重いッ!!」
「ぁ……」

  怒られたので止める。しかめっ面で悔しそうに唇を噛んだまま降りたが手は離さなかった。きっと今の顔のまま離れたら、また無理してるって思われる。だったら意地でも離れてやらない。

「……やれやれ、本当に大丈夫そうですネ。ポルトサン?」

 大きな両手が頭を挟むように掴み、わしゃわしゃと金髪を揉む。そしてゆっくり耳元に移動すると親指が曲線をなぞるように動いた。

「っ」

 時に強く時に優しく指先が何度も行き来する。背筋にまで伝わるくすぐったさに思わず肩をすくめてしまった。片方ならまだしも両方からやられると逃げ場がない。
 「そろそろやめて」、そういうように視線を上げると、エメラルドグリーンの瞳が沈んでいた。

「殿下……?」
「……一番最初に相談されるもんだとばかり思ってた」
「?」
「ロイターのこと。まさか報告だけとは思わなかった」

 口をへの字に曲げた彼はわかりやすく不機嫌になる。

「飛びついてくるくせに。死んでもついてくるとか言ってたくせに。薬だって口移しするくせに。俺だからサラッと流してるけど他の連中だったら絶対勘違いしてるからな。つーか男装してる分、二重に勘違いされるからなっ」
「ごごごめんなさ…って、薬は殿下が我が侭言って飲まないからで……っ」
「――……。あのさ……俺、ずっと聞きたいことがあったんだけど……」 
「え?」

 そう切り出したものの、フォルカーは何も言わずそのまましばらく黙っている。視線を合わさず宙を見つめる瞳は、どこか落ち着かない。
 その感情は自分もよく知るものだ。
 風が窓を押しカタカタと音を鳴らす。それが止んだ頃、彼は胸の内を言葉にした。

「……俺には『頼れ』とか言っておいて、なんでお前は俺に頼ってくれない?」
「……っ?」
「いつもそうだよな。それで一人で勝手にピンチになったりしてんじゃねーか。……なぁ、俺じゃ信用できねぇってことか?俺ってそんなに頼りない?」
「そんなこと一度だって思ったことないですよっ。今回だって…こっちが心配しちゃうくらいやり返してくださいましたし……!」
「――……」
「突然どうしちゃったんですか?もしかしてまた風邪をひかれたんですか?」

 ポルトはフォルカーの額に手を置く。確かに少し熱い気もするが病の熱というほどのものではない。

「……酔ってる?」
「酔ってない!」

 従者の言葉を即座に否定する。確かに他の女子相手なら雑談の中で「他の者に頼るなんて寂しいね」なんて軽口を言う程度で終わることだろう。
 柄でもないことを言っていることは、彼自身よくわかっていた。

「そりゃ最近は仕事が忙しくてあんまり構ってやれてなかったかもしれねぇけど…」

 少女の手を握りしめたまま、その細い肩に頭を置いたフォルカー。
 小さく「なんで」と繰り返す。

「……どうせお前の事だから『迷惑かけるから』とかそんなこと考えたんだろ。じゃー…お前はどうなんだよ。俺の様子が見るからにおかしいのに、聞いても『大丈夫』って嘘つかれてさ。それでも平気なわけ?『あー、そうですか』ってすんなり納得すんの?」
「………。そんなことないですけど……でも……」
「言えよ。お前いつもそうやって最後濁すだろ。ちゃんと最後まで言ってくれ」
「……」
「俺の…一体何が駄目だった?」

 ポルトは奥歯を噛み、そして思い出した。ロイターと共に入った森の風景を、そして彼の顔を。「笑顔」というにはあまりにも汚れたそれが近づき、この身が理不尽にねじ伏せられたことを。
 小さな身体が震えた。

「……大人の男の人の手が…少し怖かったんです」
「――……」
「女の人も時々そうですけど、やっぱり男の人は力が違いますし…すぐ怒鳴って殴ろうとする。その辺にいるごろつきも、管理下におかれているはずの兵士も、人の上にいる貴族も同じです。もう子供じゃないし、そんなこと今更なのに……。あんな風に力で押さえられて、抵抗も出来なくて…『ああ、やっぱり怖いな』って…そう思いました」

 頭に触れそうになる手が次の瞬間拳になるかもしれない。髪を撫でる指がいつ毛束を掴み上げるかもしれない。向けられた笑顔が、いつ狂気を帯びるとも……。
 王子がそんなことするわけない。でも瞬きの瞬間、暗くなった視界の中で虚像が見えるのだ。……いや、見えると言うより感じるといった方がいいのかもしれない。
 頭でわかっていても身体が言うことをきかず、その影響は目に見える形で現れてしまった。フォルカーにも随分と迷惑をかけた。

「お前が悪いってことぁねーし、ある程度は仕方ねぇなって思ってたけどさ……」
「……」
「…一番近くにいたの…俺じゃん……」
「っ」

 小さく、力のない声音。予想していなかった拗ねた表情に、何故か心臓がぎゅーっと締められた。それでも血を送り出そうとする鼓動がドラムのように打つ。

「ぁ……、そのっ…っ……」

 頬が熱い。こんな時、どんな顔をすればいい?
 そういえば今まで人を側に置かなかった。初めて従者として置いたのが自分だ。そんな相手に拒まれたとしたら…彼の心中を察するに余りある。
 肩には彼の額が置かれたまま。ポルトはその首元に腕を伸ばしてぎゅっと抱きしめた。

「殿下はエロいし変態だし時々もの凄く怠けるし、めちゃくちゃ逃げ足早いですけど…、私に何かしてくれる時はいつも全力で…すごく心強い。アントン隊長と同じくらい頼れる…優しい大人の男の人です…!」
「おい。褒める時は素直に褒めろ。あと他の男を並べるな」

 苛立ち気味の声に少したじろぎ、モニョモニョする口元で言い直す。 

「……殿下が一番素敵です」
「それでいい」
「あの……」
「あん?」
「……私に時間をくれたんですよね?」
「――……」
「私のこと、待っていてくれてくださったんですよね。ありがとうございます」

 少し頬を染めたフォルカーがむすっとした表情をそのままに、少女の身体を引き寄せ、ふわりと抱きしめた。
 最初は様子を伺うように弱かった腕の力も、ポルトが子猫のように鼻先を首筋に軽くこすらせるとすぐにきつくなる。

「心配したぞ……。もう…本当に大丈夫なんだよな?」
「……はいっ」

 耳元でフォルカーが何かを唱え始めた。どこかで聞いたことのあるその言葉は、以前クラウスが病気にならないようにと神様にお祈りをしてくれた時のものと同じ。フォルカーもポルトの胸元で聖紋を指で記し額に優しいキスをした。…だけでなく、ついでにとばかりに両頬に何度もキスを落とした。

「うんっっ!?!?!?!?」
「クラウスだけじゃない、俺だって簡単なまじないくらいは出来る」
「司教様の時と違いますよね…!?」
「俺とクラウスが同じ位置っていうのはおかしいだろ」
「な・何の位置ですかっ」
「どうせロイターにもされてんだろっ?俺が上から……っ」
「また上書きの話して…っ。そんなのとっくの昔にカロン達が……」
「人間の男以外はノーカン!」
「な……っ」

 大真面目で、同時に恥ずかしさを必死に堪えた顔で、フォルカーは語気を強めた。

「ヤ な の !」
「は…?」
「そもそも!お前は俺が城まで拾ってきたの!だから俺が飼い主なの!俺のもんなの!」

 両手でポルトの頬を覆うフォルカー。ぐいっと自分の顔を見つめさせる。

「もう今回みたいに黙って指くわえたまま見てんのはごめんだ!お前ももっと自覚しろっ!何かあったら『俺の所』に帰ってこい!」
「――!!」
「おい、返事はどうしたっ?わかったら返事するんだろっ?」

 今日も理不尽な理由で怒られている。でも真っ直ぐすぎる感情をぶつけられて全身がくすぐったくなるほど嬉しい。
 この人は我が侭だ。きっと臣下が思うとおりに動かないと嫌なんだろう。……何故かそんな言い訳くさい理由をつけて、胸の奥の何かをぎゅうっと押さえる。
 でも抗う気は起きなくて、返事は彼が求めるとおりにした。

「……はい、殿下」

 胸が絞められているように苦しい。知らない感情だ。
 はっきりすれば今までの自分ではいられないような気がして少し怖い。覗いてはいけない泉が出来たようだ。

「……よし。わかればいい」

 挟んでいた両頬を軽く揉み、押し上げられた頬で細くなった金色の瞳。
 その様を満足そうに見つめ、フォルカーはもう一度少女を自分の腕の中に収めた。

 この国の平均身長を楽々と越えるフォルカーに比べ、ポルトの背は子供のようだ。チェーンメイルをしてやっと一人前かと思える程の華奢な身体を、その存在を確かめるかのように抱きしめる。
 鼻先を髪に埋めれば覚えのある香り…いや、どこかで覚えのある花の香りが混じっている。森を走ってきたのだろう。
 一度肺を満たしゆっくりと吐く。安堵のため息だった。
 
「良かった……」

 空気に溶けそうなほど小さい声。

「!」
「おかえり、ポチ」

 大きく目を開いたポルト。少し前の自分ならきっと何処かで複雑な思いを抱いていたことだろう。でも今は違う。

 両手を彼の胸元に置き、その心音を聞くように頬を寄せた。
 軽く身を預ければ応えるように強くなる腕の力。まるで会話をしているかのようだ。
 徐々に境界が無くなっていく体温につられ、言葉がこぼれた。

「――……ただいま」

 彼は知らないのだ。
 その一言がどんなに深く胸を満たしたのかを。
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