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【7】
【前】雪の葬送(★)
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指輪消失の一件は、詳細が公にされることはなかった。
限られた者達には「聖神具が関係しているから」という説明がされたが、本当の所を言えば、友の死を犯罪者という名で汚したくなかったウルリヒが「せめて最期は静かに送ってやりたい」と願ってのこと……。
少年時代からウルリヒに仕えてきた従者のフォンラントは、ダーナー公の裏切りを怒りを堪えきれない様子で受け止めていた。珍しく声を荒げて「厳しく罰するべきだ」と訴えたが、王はその意見に耳を貸すことは無く、最後まで意思が揺らぐことも無かった。
この冬初めての雪が降る。
白い結晶が舞い落ちる中、葬儀は近親者のみが参加したものとなり、場所もウルム大聖堂の敷地内にある小教会で……王位継承権を持つ者とは思えない程シンプルに行われた。
喪主は息子のクラウス。大聖堂での仕事をこなしながらの父親の看病、そしてその死、明らかになった罪。笑顔は見せるものの、体力的にも精神的にも疲弊しているのはフォルカーにもわかった。
葬儀の帰り、城へと向かう道すがらでフォルカーはクラウスを見つける。彼はいつもの笑顔で「やあ」と返事をしたが、やはり顔色はあまり良くない。
「……ちゃんと寝てるか?お前の母上も心配してたぞ」
「父上の葬儀が終われば一段落だ。後で妹達への遺産がどうのこうのって話もあるんだろうけど…まぁ、少しゆっくりさせてもらうよ」
そしてしばらく黙り込んで風に舞う木の葉を見つめる。
「……フォルカー、俺は陛下にお願いをして今度こそ王位継承権を放棄させてもらうつもりだ」
「――……。それは陛下も嫌がるんじゃないのか?最初に出家する時陛下に願い出て聞き入れて貰えなかったじゃねぇか」
「妹達の嫁ぎ先を決めて……全てが片づいたら神職の世界に一生身を置こうと……そう思っている。贖罪といえば響きは良いかもしれないが、俺にはそれが一番だと思う」
「――…………」
「全部父親のせいにして…自分には関係ないと言えるほど図太くは生きられないんでね」
「……雪、でかくなったな」
気がつくと、式が始まる時に比べて綿のように膨れた雪が落ちてくるようになっていた。
式場から伸びる石造りの歩道にもあちらこちらに雪が積もりはじめている。厚い雲に覆われている空は、夜の訪れを早めていた。
「こんなに皆に迷惑をかけてまで……父上は一体何を知りたかったんだろうね。病を根絶する方法か、万病の薬なのか、はたまた神の降臨か……」
「延命を望むなら、もっと早くに指輪を手に入れていただろう。病を根絶する方法か……。あの方なら考えそうだな」
ウルリヒ王はフォルカーにだけ「恐らくクラウスのことだろう」と言っていた。自分の命よりも大切なものなんてそう多くはない。
ダーナー公は政略結婚だったとはいえ、夫妻は互いを深く想い合っていた。それを知っているウルリヒは『愛する女が産んだ一人息子だぞ。愛おしいに決まっている』、そう言って息子を強く抱きしめた。
ダーナー公もこうして息子を強く腕に抱きたかっただろうに……。
リィ…ン リィ…ン
夜が深くなってから聞こえることが多い鈴の音。今日は少し早い。
(…………)
どこかで彼女に繋がっているだろう空を見上げた。
白雪が舞い散る空は薄暗く、見透かされるのを拒んでいるようだ。
「そういえば彼女、どうしてるだろうな……?」
ふいにクラウスが姿を消した少女の話をはじめる。
「これ、指輪のせいなんだろ?鈴のような音が聞こえる」
「……?お前にも聞こえるのか?」
「ああ。音はかなり小さいが確かに聞こえるよ。特にこんな静かな場所ではね。指輪が消えた日から急に聞こえるようになってさ。最初は耳鳴りかと思ってたけど、父上に話してみたらリガルティンが…指輪が鳴らす音だと教えてくれた。力を使うことが出来る者なら、能力によって強弱は出るけど聞こえるみたいだね。父上はシュテファーニア様の時にも同じ音を聞いたと言っていた」
「そうか……」
父王からこの鈴の音に関して何一つ聞かされてはいない。過去に同じ経験しているのなら、この音でポルトが女だということ、そして彼女との間に何があったのかすぐにわかっただろう。
(だから俺に黙って、とっとと捕まえちまったんだな……)
相変わらず仕事が早い父親だ。
「彼女にも悪いことをした……。さもそれが当然だと言うように、辛い選択をさせてしまった」
クラウスの言葉にフォルカーが「何を?」と問うような目をする。
「お前のことを諦めてくれ、と。それがこの国の、そして自分自身の為だって…そう言ったんだ」
「いつの話だ?」
「彼女が消える前日にね。あのまま彼女が鞭に打たれたとして、得になる人間なんかいないだろう。なんとか出来ないかと思ったけれど……。まぁ、俺が出る幕は無かったみたいだけどね」
「――……」
「お前だって拷問官が呼ばれたこと知ってたんだろ?だからあの日、陛下に逆らって北塔へ行ったんだ。誰に聞いた?」
「俺はね、女のピンチには神の啓示がおりるようになってるんだよ」
「……あ、そ」
「すげぇだろ」
「はいはい、そうだね」
拷問官が呼ばれた当日の朝、王子の部屋の扉を一人の男がノックした。
やけに深刻そうな顔をして北塔で行われることを告白したのはローガンだった。勿論口止めをされていた身ではあった。しかし、ポルトの身に何かあってからでは遅いと、処罰覚悟で報告してくれたのだ。
「私の力ではどうすることもできない」、そう言った彼は悔しさを以上の深い何かを噛み締めているようだった。
その直後、北棟へ走ったことは言うまでもない。
「……確かに彼女は生まれこそ不明確だ。ただね…今の俺には彼女を責めることが出来ないよ。身分こそ他に引けを取りはしないが、今はこんな有様だ。……彼女は良い子だよ。気の毒なくらい、ね」
「――……」
クラウスの言う「気の毒」が何を意味するのか、聞こうとは思わなかった。
「牢に現れた不審者に連れ去られたっていうのは本当かい?」
「ああ。あいつは使用人連中に可愛がられたみたいだからな。近衛隊はあの状況を危惧した奴が連れ去って行ったんじゃねぇかって言っていた。父上にも一応話してはある」
「で、陛下はなんと?」
「恐らく指輪を狙った犯行組織の者だろう、と。ポルトがもし仲間であれば救出が目的、そうでなければ殺されるだろうってな」
確かに実行した本人であるカールトンがポルトを連れて行った。我が父親ながら素晴らしい推理である。
ポルトさえ死んでしまえば襲撃の目撃者はいなくなる。カールトンは北塔でポルトを人質に使った為止めを刺せなかった…ということならば、どちらの可能性もあり得る。
「事件について聴取は終わっている。処罰も済んだ。つまり、今のあいつはどこにでいる一般市民だ。これ以上何の情報も持たない庶民がどこでどうなろうと、王が手を下す案件ではないってさ」
刑罰は思っていたより軽いものだった。息子に黙って従者を捕らえたこと、そしてダーナー公の件を伏せた詫びのつもりだろうとフォルカーは察する。
「連れ去った犯人の捜索は一応するとは言っていたが…あの調子じゃどこまで本気なのやら……」
「え?じゃあ、もう感知しないってこと?」
「忘れろってことだろうな」
その淡々とした口調にクラウスは淡いエメラルドの瞳を動かした。
「――……お前はそれで良いのかい?」
「……ファールンから出ていくように言ったのは俺だ。もしあいつが王家の末端に在る者だとしても、あの髪色じゃ割合も極僅かなものだろうし、今更そんな連中に出てこられても面倒なだけだ。いなくなってくれて清々する。ま、予想外だったのは、俺が謹慎することになったことくらいか。数日のことだし、外は寒いし…、ま、部屋で大人しくしてるさ」
自分の言葉ですら本心からのものなのかどうかわからない。胸の中にある黒い蟠りを新雪の白さで埋められればどれだけ楽だろう。
今回の騒動、恐らく一番大きな山は越えた。謹慎は良い骨休めになるだろう…そう思うことにした。
クラウスが風でめくれた法衣を直すと曇った空を見上げた。
「……泣きそうな男二人に今日の天気は似合いだな。厚い雲に覆われて光も見えず、流せぬ滴が雪になる。悲しみは時間が癒すと言うが…積もった雪は溶けるまえにかさを増すばかりだ。乾くにはまだ随分とかかりそうだ」
「別に俺は……」
最後の日にあの牢で起きたこと全てを父王に言うつもりはない。興味を失ったのなら丁度いい。これは彼女への手切れ金であり、そしてこれ以上関わることを拒む自分自身の決意でもあった。
「ずっと側に居た人間が居なくなったんだ。お前も寂しいだろ?」
「よせよ。あいつはお前達が思ってるような奴じゃない。本当は俺のことも鬱陶しいとかそんなふうにしか考えてなかったんだとさ」
「え…?そんなわけ……」
「本人から直接聞いた。何とも思ってなかったんだってさ」
リィ……ン リィ……ン
鈴の音がその言葉に反応するように響く。
フォルカーはもう一度「何とも、な」と自分に言い聞かせるように口にした。
「王妃様の時はどんな条件で鳴ったのか最後までわからなかったらしいね。彼女はどうなの?」
「さぁな」
てっきり自分を想い、姿を請う時に鳴るものだと思っていた。
しかし、彼女の言葉が本当ならば別の理由ということになる。フォルカーには「空腹の時」としか思い浮かばない。
「お前、この音平気なのか?彼女が命にかかわる程危ない時に鳴るものなんだろう?」
その質問にフォルカー目を細める。
「まぁ…お前には教えておいてやるよ。不審者が連れ去ったことになっちゃいるが、あいつは今カールトンと一緒にいる。あいつの剣の腕は本物だ。何かあっても連中でなんとかするだろ」
「え…っ?カールトン?お前、さっき使用人の連中だとか犯罪組織だとか言ってたくせに……」
「俺は近衛隊と父上の意見を言っただけだ。誤解すんなよ」
ツンと顔を背けるフォルカー。クラウスは不機嫌そうに「全く…」と小さく口を尖らせる。
「カールトン……。彼、父が亡くなる直前に辞めちゃってたみたいなんだよね。てっきり父上の死期を悟って次の就職先に行ったのかと思ったら……。なんだ、あの娘と一緒なのか。そういえば、ポルトが随分と懐いてたみたいだし、彼も心配だったとか?」
そういう点では使用人の連中が連れて行った…と言う説も間違いではない。
「ははっ。懐いてるどころか、あいつら兄妹らしいぞ」
「え?嘘だろ。全然似てないぞ。それじゃ、カールトンもレフリガルト王の御子って言うのか?ファールン国内にいるっていうのに、王家の要素が全く出て無いじゃないか」
「俺もそう思う。でもあいつら曰く、そういうことらしい。ままごとごっこでもやってんじゃねーの?」
「うーん……、ウルリヒ王の血統が第一位になっている現状だと、指輪から排除されてしまい一族の力を失った別の血統……とか?もしくは指輪の力が効かない理由か何かあるとか……。あぁ、また研究内容が増えた」
クラウスは少し考え込むと白い息を吐く。
「――……。もし彼らの父親が本当にレフリガルト王だとして…子供は出来るのかな?もし彼らに正当な王の血が流れているなら……」
ずっと独り身を貫いていきそうなカールトンはともかく、ポルトは自分の家族が欲しいと言っていた。場合によっては東の聖域に行かねば叶わない可能性もある。
「さぁな。どーでも良いだろ、そんなもん。俺達には関係ない」
独房の時とは違う。一人でいるわけでも、暗い場所に閉じこめられているわけでもない。なのに幼子が泣くように鈴の音は鳴りやまない。
音色に抗うようにフォルカーは言葉を続けた。
「ポチは……ポルトは俺たちみたいな人間が大嫌いだってさ。自分たちで始めた喧嘩で関係ない人間達を傷つけるから」
「……あれ?彼女、志願兵じゃなかった?」
「あ!そうだよ、忘れてた!!くっそ!志願してきたくせに、なんで俺があんなこと言われなきゃ……」
――『焼け野原を彷徨い歩いているくらいなら軍に身を置いた方がいいかと思って……。そこにいれば、なんとか配給は受けられますから……』
彼女の言葉を思い出し、大きくため息をついた。
その言葉すら嘘かもしれないのだ、気に病む必要など無い。もうひとりの自分がそう言って理性を保とうとする。
確かに戦を決断し、彼女が身の回りの全てを無くしてしまう切っ掛けを作ったのは、国軍の指揮権を持つ国王、そして賛同した自分。でもそれは、この地の支配者として然るべき対応をしただけのこと。
たとえ、視線をそらすこと無く叫んだ彼女の言葉が、自分が知らない…もしくは目を瞑って来たものだとしても。
名も無き一兵の見てきた、生々しくて、痛烈で、暴力的な程に真っ直ぐで、嘘の欠片のない世界だったとしても。
「彼女が王家を恨んでいるのなら、王権奪取に戻ってくるかもしれないよ。その時お前は、彼女を討てるかい?」
クラウスのその質問は、
「当たり前だ」
今のフォルカーには考えるまでもないものだった。
限られた者達には「聖神具が関係しているから」という説明がされたが、本当の所を言えば、友の死を犯罪者という名で汚したくなかったウルリヒが「せめて最期は静かに送ってやりたい」と願ってのこと……。
少年時代からウルリヒに仕えてきた従者のフォンラントは、ダーナー公の裏切りを怒りを堪えきれない様子で受け止めていた。珍しく声を荒げて「厳しく罰するべきだ」と訴えたが、王はその意見に耳を貸すことは無く、最後まで意思が揺らぐことも無かった。
この冬初めての雪が降る。
白い結晶が舞い落ちる中、葬儀は近親者のみが参加したものとなり、場所もウルム大聖堂の敷地内にある小教会で……王位継承権を持つ者とは思えない程シンプルに行われた。
喪主は息子のクラウス。大聖堂での仕事をこなしながらの父親の看病、そしてその死、明らかになった罪。笑顔は見せるものの、体力的にも精神的にも疲弊しているのはフォルカーにもわかった。
葬儀の帰り、城へと向かう道すがらでフォルカーはクラウスを見つける。彼はいつもの笑顔で「やあ」と返事をしたが、やはり顔色はあまり良くない。
「……ちゃんと寝てるか?お前の母上も心配してたぞ」
「父上の葬儀が終われば一段落だ。後で妹達への遺産がどうのこうのって話もあるんだろうけど…まぁ、少しゆっくりさせてもらうよ」
そしてしばらく黙り込んで風に舞う木の葉を見つめる。
「……フォルカー、俺は陛下にお願いをして今度こそ王位継承権を放棄させてもらうつもりだ」
「――……。それは陛下も嫌がるんじゃないのか?最初に出家する時陛下に願い出て聞き入れて貰えなかったじゃねぇか」
「妹達の嫁ぎ先を決めて……全てが片づいたら神職の世界に一生身を置こうと……そう思っている。贖罪といえば響きは良いかもしれないが、俺にはそれが一番だと思う」
「――…………」
「全部父親のせいにして…自分には関係ないと言えるほど図太くは生きられないんでね」
「……雪、でかくなったな」
気がつくと、式が始まる時に比べて綿のように膨れた雪が落ちてくるようになっていた。
式場から伸びる石造りの歩道にもあちらこちらに雪が積もりはじめている。厚い雲に覆われている空は、夜の訪れを早めていた。
「こんなに皆に迷惑をかけてまで……父上は一体何を知りたかったんだろうね。病を根絶する方法か、万病の薬なのか、はたまた神の降臨か……」
「延命を望むなら、もっと早くに指輪を手に入れていただろう。病を根絶する方法か……。あの方なら考えそうだな」
ウルリヒ王はフォルカーにだけ「恐らくクラウスのことだろう」と言っていた。自分の命よりも大切なものなんてそう多くはない。
ダーナー公は政略結婚だったとはいえ、夫妻は互いを深く想い合っていた。それを知っているウルリヒは『愛する女が産んだ一人息子だぞ。愛おしいに決まっている』、そう言って息子を強く抱きしめた。
ダーナー公もこうして息子を強く腕に抱きたかっただろうに……。
リィ…ン リィ…ン
夜が深くなってから聞こえることが多い鈴の音。今日は少し早い。
(…………)
どこかで彼女に繋がっているだろう空を見上げた。
白雪が舞い散る空は薄暗く、見透かされるのを拒んでいるようだ。
「そういえば彼女、どうしてるだろうな……?」
ふいにクラウスが姿を消した少女の話をはじめる。
「これ、指輪のせいなんだろ?鈴のような音が聞こえる」
「……?お前にも聞こえるのか?」
「ああ。音はかなり小さいが確かに聞こえるよ。特にこんな静かな場所ではね。指輪が消えた日から急に聞こえるようになってさ。最初は耳鳴りかと思ってたけど、父上に話してみたらリガルティンが…指輪が鳴らす音だと教えてくれた。力を使うことが出来る者なら、能力によって強弱は出るけど聞こえるみたいだね。父上はシュテファーニア様の時にも同じ音を聞いたと言っていた」
「そうか……」
父王からこの鈴の音に関して何一つ聞かされてはいない。過去に同じ経験しているのなら、この音でポルトが女だということ、そして彼女との間に何があったのかすぐにわかっただろう。
(だから俺に黙って、とっとと捕まえちまったんだな……)
相変わらず仕事が早い父親だ。
「彼女にも悪いことをした……。さもそれが当然だと言うように、辛い選択をさせてしまった」
クラウスの言葉にフォルカーが「何を?」と問うような目をする。
「お前のことを諦めてくれ、と。それがこの国の、そして自分自身の為だって…そう言ったんだ」
「いつの話だ?」
「彼女が消える前日にね。あのまま彼女が鞭に打たれたとして、得になる人間なんかいないだろう。なんとか出来ないかと思ったけれど……。まぁ、俺が出る幕は無かったみたいだけどね」
「――……」
「お前だって拷問官が呼ばれたこと知ってたんだろ?だからあの日、陛下に逆らって北塔へ行ったんだ。誰に聞いた?」
「俺はね、女のピンチには神の啓示がおりるようになってるんだよ」
「……あ、そ」
「すげぇだろ」
「はいはい、そうだね」
拷問官が呼ばれた当日の朝、王子の部屋の扉を一人の男がノックした。
やけに深刻そうな顔をして北塔で行われることを告白したのはローガンだった。勿論口止めをされていた身ではあった。しかし、ポルトの身に何かあってからでは遅いと、処罰覚悟で報告してくれたのだ。
「私の力ではどうすることもできない」、そう言った彼は悔しさを以上の深い何かを噛み締めているようだった。
その直後、北棟へ走ったことは言うまでもない。
「……確かに彼女は生まれこそ不明確だ。ただね…今の俺には彼女を責めることが出来ないよ。身分こそ他に引けを取りはしないが、今はこんな有様だ。……彼女は良い子だよ。気の毒なくらい、ね」
「――……」
クラウスの言う「気の毒」が何を意味するのか、聞こうとは思わなかった。
「牢に現れた不審者に連れ去られたっていうのは本当かい?」
「ああ。あいつは使用人連中に可愛がられたみたいだからな。近衛隊はあの状況を危惧した奴が連れ去って行ったんじゃねぇかって言っていた。父上にも一応話してはある」
「で、陛下はなんと?」
「恐らく指輪を狙った犯行組織の者だろう、と。ポルトがもし仲間であれば救出が目的、そうでなければ殺されるだろうってな」
確かに実行した本人であるカールトンがポルトを連れて行った。我が父親ながら素晴らしい推理である。
ポルトさえ死んでしまえば襲撃の目撃者はいなくなる。カールトンは北塔でポルトを人質に使った為止めを刺せなかった…ということならば、どちらの可能性もあり得る。
「事件について聴取は終わっている。処罰も済んだ。つまり、今のあいつはどこにでいる一般市民だ。これ以上何の情報も持たない庶民がどこでどうなろうと、王が手を下す案件ではないってさ」
刑罰は思っていたより軽いものだった。息子に黙って従者を捕らえたこと、そしてダーナー公の件を伏せた詫びのつもりだろうとフォルカーは察する。
「連れ去った犯人の捜索は一応するとは言っていたが…あの調子じゃどこまで本気なのやら……」
「え?じゃあ、もう感知しないってこと?」
「忘れろってことだろうな」
その淡々とした口調にクラウスは淡いエメラルドの瞳を動かした。
「――……お前はそれで良いのかい?」
「……ファールンから出ていくように言ったのは俺だ。もしあいつが王家の末端に在る者だとしても、あの髪色じゃ割合も極僅かなものだろうし、今更そんな連中に出てこられても面倒なだけだ。いなくなってくれて清々する。ま、予想外だったのは、俺が謹慎することになったことくらいか。数日のことだし、外は寒いし…、ま、部屋で大人しくしてるさ」
自分の言葉ですら本心からのものなのかどうかわからない。胸の中にある黒い蟠りを新雪の白さで埋められればどれだけ楽だろう。
今回の騒動、恐らく一番大きな山は越えた。謹慎は良い骨休めになるだろう…そう思うことにした。
クラウスが風でめくれた法衣を直すと曇った空を見上げた。
「……泣きそうな男二人に今日の天気は似合いだな。厚い雲に覆われて光も見えず、流せぬ滴が雪になる。悲しみは時間が癒すと言うが…積もった雪は溶けるまえにかさを増すばかりだ。乾くにはまだ随分とかかりそうだ」
「別に俺は……」
最後の日にあの牢で起きたこと全てを父王に言うつもりはない。興味を失ったのなら丁度いい。これは彼女への手切れ金であり、そしてこれ以上関わることを拒む自分自身の決意でもあった。
「ずっと側に居た人間が居なくなったんだ。お前も寂しいだろ?」
「よせよ。あいつはお前達が思ってるような奴じゃない。本当は俺のことも鬱陶しいとかそんなふうにしか考えてなかったんだとさ」
「え…?そんなわけ……」
「本人から直接聞いた。何とも思ってなかったんだってさ」
リィ……ン リィ……ン
鈴の音がその言葉に反応するように響く。
フォルカーはもう一度「何とも、な」と自分に言い聞かせるように口にした。
「王妃様の時はどんな条件で鳴ったのか最後までわからなかったらしいね。彼女はどうなの?」
「さぁな」
てっきり自分を想い、姿を請う時に鳴るものだと思っていた。
しかし、彼女の言葉が本当ならば別の理由ということになる。フォルカーには「空腹の時」としか思い浮かばない。
「お前、この音平気なのか?彼女が命にかかわる程危ない時に鳴るものなんだろう?」
その質問にフォルカー目を細める。
「まぁ…お前には教えておいてやるよ。不審者が連れ去ったことになっちゃいるが、あいつは今カールトンと一緒にいる。あいつの剣の腕は本物だ。何かあっても連中でなんとかするだろ」
「え…っ?カールトン?お前、さっき使用人の連中だとか犯罪組織だとか言ってたくせに……」
「俺は近衛隊と父上の意見を言っただけだ。誤解すんなよ」
ツンと顔を背けるフォルカー。クラウスは不機嫌そうに「全く…」と小さく口を尖らせる。
「カールトン……。彼、父が亡くなる直前に辞めちゃってたみたいなんだよね。てっきり父上の死期を悟って次の就職先に行ったのかと思ったら……。なんだ、あの娘と一緒なのか。そういえば、ポルトが随分と懐いてたみたいだし、彼も心配だったとか?」
そういう点では使用人の連中が連れて行った…と言う説も間違いではない。
「ははっ。懐いてるどころか、あいつら兄妹らしいぞ」
「え?嘘だろ。全然似てないぞ。それじゃ、カールトンもレフリガルト王の御子って言うのか?ファールン国内にいるっていうのに、王家の要素が全く出て無いじゃないか」
「俺もそう思う。でもあいつら曰く、そういうことらしい。ままごとごっこでもやってんじゃねーの?」
「うーん……、ウルリヒ王の血統が第一位になっている現状だと、指輪から排除されてしまい一族の力を失った別の血統……とか?もしくは指輪の力が効かない理由か何かあるとか……。あぁ、また研究内容が増えた」
クラウスは少し考え込むと白い息を吐く。
「――……。もし彼らの父親が本当にレフリガルト王だとして…子供は出来るのかな?もし彼らに正当な王の血が流れているなら……」
ずっと独り身を貫いていきそうなカールトンはともかく、ポルトは自分の家族が欲しいと言っていた。場合によっては東の聖域に行かねば叶わない可能性もある。
「さぁな。どーでも良いだろ、そんなもん。俺達には関係ない」
独房の時とは違う。一人でいるわけでも、暗い場所に閉じこめられているわけでもない。なのに幼子が泣くように鈴の音は鳴りやまない。
音色に抗うようにフォルカーは言葉を続けた。
「ポチは……ポルトは俺たちみたいな人間が大嫌いだってさ。自分たちで始めた喧嘩で関係ない人間達を傷つけるから」
「……あれ?彼女、志願兵じゃなかった?」
「あ!そうだよ、忘れてた!!くっそ!志願してきたくせに、なんで俺があんなこと言われなきゃ……」
――『焼け野原を彷徨い歩いているくらいなら軍に身を置いた方がいいかと思って……。そこにいれば、なんとか配給は受けられますから……』
彼女の言葉を思い出し、大きくため息をついた。
その言葉すら嘘かもしれないのだ、気に病む必要など無い。もうひとりの自分がそう言って理性を保とうとする。
確かに戦を決断し、彼女が身の回りの全てを無くしてしまう切っ掛けを作ったのは、国軍の指揮権を持つ国王、そして賛同した自分。でもそれは、この地の支配者として然るべき対応をしただけのこと。
たとえ、視線をそらすこと無く叫んだ彼女の言葉が、自分が知らない…もしくは目を瞑って来たものだとしても。
名も無き一兵の見てきた、生々しくて、痛烈で、暴力的な程に真っ直ぐで、嘘の欠片のない世界だったとしても。
「彼女が王家を恨んでいるのなら、王権奪取に戻ってくるかもしれないよ。その時お前は、彼女を討てるかい?」
クラウスのその質問は、
「当たり前だ」
今のフォルカーには考えるまでもないものだった。
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