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【5】
もどかしい弓
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貴族諸侯にとって、狩猟とは「糧を得るため」のものではなく娯楽的な要素が多いものであった。また、戦いの技術を磨くための訓練の場でもある。ポルト自身、獲物を追うことで弓とナイフの技術を磨き上げてきた。その効果は疑うべくもない。
冬を間近にした森の中を駆ける馬。その数二十数頭。
その中央にいるのはファールン国王であるウルリヒ。事件以来、城から出ることのなかった彼がとうとう息を詰まらせ始め、久しぶりに外の新鮮な風に吹かれに出てきたのだ。
右に息子フォルカーと左に友人でもあり重臣でもあるダーナー公、後続に数名の貴族、周囲前後左右に彼らのお供をたっぷり引き連れて獲物を探している。
(獲物…絶対逃げるよ……)
集団の先で猟犬ならぬ猟狼のシーザーとカロンを率いるポルトが渋い顔をする。
今日は久しぶりの狩り。猟犬は他にも十頭近くいる。大きい獲物用、小さい獲物用、穴から獲物を追い出す用等…目的によって犬種も様々だ。
視線を向ければローガンの頬が紅潮している。心なしか息が荒く、目つきもおかしい。夜遭遇したら間違いなく衛兵を呼ばれるタイプの人相になっている。怪しい眼光はあちらこちらに向けられているが、その先にかならずいるのは犬。この素直すぎる性格でどうやって近衛隊の試験をパスしたんだろう……。
王と王子の近衛隊だけでもかなりの人数だ。そこにダーナー公の護衛、各諸侯の従者達、そして近くにいないだけの衛兵達が怪しい人間を一人も逃すまいと見回っている。あの事件が無ければ半分くらいで済んだに違いない。アントン隊ですら護衛に招集されたくらいだ。
ただどれだけ人数を増やしても、腕の立つ兵を揃えても、近衛隊がどれだけ警戒しても…国王を襲った犯人の侵入は防げない。
(そこにいるしね……ッ!)
ダーナー公の斜め後ろにいるのは、事件の日、この森で戦った男マティアス=カールトン。ウルリヒ王襲撃の実行犯だ。しれっとした顔で馬にまたがっている姿を見ると「犯人こいつですよッ!」と大声で指をさしたくなる。
以前廟でクラウスが言っていた。「直接手を下した男と、矢の射程圏内にその男を招き入れた者がいる」と。単独犯でないのなら、ここでカールトンが捕まったとしても直後に他の誰かの手によって新たな犠牲が出る可能性がある。無計画で動くにはリスクが高い。
「どうした、ポチ?険しい顔してんな」
「あ…、いえ、その……獲物いないなーって……」
馬上のフォルカーから逃れるように、ポルトは狼達を追いかけた。
ダーナー公が馬に酔ったのは、それから一時間もしない間だった。彼も久しぶりの猟で浮かれていたらしく、体調の悪さをギリギリまで口にしなかったらしい。ただでさえ悪い顔色が更に真っ青だ。友達と遊ぶのが楽しみで具合の悪さを我慢するなんて…多分ダーナー公はお茶目な人なんだと思う。
国旗が描かれたテントがいくつか立てられ、彼はそこでしばらく横になることになった。
たき火で暖を取りながらフォルカーとウルリヒ王が休憩をし、周囲を両者の近衛隊が囲うように立つ。その様はなんとも仰々しいもので、フォルカーが「息が詰まる」と言っていた理由が少しわかるような気がした。
近衛隊の輪に入るのも気が引ける。給仕係もいるのでポルトは森を歩くことにした。
今日は久しぶりにアントン隊も一緒。知った顔を探して周囲を見てみるが、彼らは一番遠い場所の警護に充てられているらしくその姿はどこにも見えない。庶民出身者で構成されている隊だ。仕方がないだろう。
(そう遠くじゃないだろうし、探してみようかな)
人の群れから離れると森は急に静けさを取り戻す。高く響く鳥の声が聞こえ、土や草の匂いも濃くなって来る。サクサクと足元で鳴る枯葉の音を聞きながら、ポルトは深呼吸をした。
(?)
木々の隙間に、何か動く影を見つけた。
背をかがめたり起こしたりしているが…どうやら誰かが薪を拾っているらしい。きっとフォルカー達のいるテントへと運ぶのだろう。手伝いをしようと駆け出した瞬間、その足が止まった。
(――――あの男……!!)
カールトンだ。思わず物陰に身を隠した。
ダーナー公がテントで休んでいる間、医者でも身の回りの世話係でも無い庶民出身者の彼は、テント外での雑用を頼まれたのだろう。
(今なら…まだこっちにも気が付いていない……)
しかも抱えるように持っている木のせいで彼の片手はふさがっている。
突然訪れたチャンスに喉がごくりと鳴った。
フォルカーには黙ってきたので、ここに自分がいることは誰も知らない。もしバレたとしても狩りの最中で起こった事故なら、「獲物と間違えた」という言い訳も可能だ。実際、要人暗殺の機会としてはさして珍しいものでもない。
――――――どうする?
仕留めれば確実に悪の芽は一つ減る。しかも誰かを傷つける前に。あの約束も無くなるし、共犯者は後でフォルカーだけに事情を説明をすれば何か策を練ってくれるに違いない。
正面から勝負して敵う相手ではなかったが、今なら………。
息を殺し、背負っていた弓を構える。ギリギリッと弦が鳴り、つがえる指の肉に食い込んでいく。
狙いを定め、獲物を見つめた。
「ギッ」
ふいに頭上で野鳥が一羽、空へと舞い上がった。
カールトンもそれに気がつき、空を飛ぶ影を目で追う。
「――――――……」
物陰に隠れたまま、じわりと額に汗を滲ませるポルト。
じりじりと身体にまとわりつく緊張感。何故か指は弦を離そうとしない。
カールトンが地面を踏みしめる音がひとつ、またひとつと増えていく。時々小枝がポキンと折れた音が響く。
「……っ……」
構えた矢尻の先は何度もあの男への軌道を捕らえたが、その使命を果たすことはなく、しばらくするとゆっくりと地面に下ろされる。
戦場では何度も敵に向かって矢を放った。今更人を射ることになんの躊躇いがあるというのだろうか。自分はあの男のせいで生死の境を彷徨ったというのに……。そう自分を奮い立たせるが思う程の効果はない。
ここで彼を討たなかったことを後悔する時が来るかも知れない。
もう一度弓をつがえようとしたが手に力は入らず、がっくりと肩を落とした。
やがて用事を終えたカールトンがテントへと戻っていく。
耳の奥で煩わしいほど鳴る鼓動。自分の影が地面の上でゆらりと動いた気がした。
冬を間近にした森の中を駆ける馬。その数二十数頭。
その中央にいるのはファールン国王であるウルリヒ。事件以来、城から出ることのなかった彼がとうとう息を詰まらせ始め、久しぶりに外の新鮮な風に吹かれに出てきたのだ。
右に息子フォルカーと左に友人でもあり重臣でもあるダーナー公、後続に数名の貴族、周囲前後左右に彼らのお供をたっぷり引き連れて獲物を探している。
(獲物…絶対逃げるよ……)
集団の先で猟犬ならぬ猟狼のシーザーとカロンを率いるポルトが渋い顔をする。
今日は久しぶりの狩り。猟犬は他にも十頭近くいる。大きい獲物用、小さい獲物用、穴から獲物を追い出す用等…目的によって犬種も様々だ。
視線を向ければローガンの頬が紅潮している。心なしか息が荒く、目つきもおかしい。夜遭遇したら間違いなく衛兵を呼ばれるタイプの人相になっている。怪しい眼光はあちらこちらに向けられているが、その先にかならずいるのは犬。この素直すぎる性格でどうやって近衛隊の試験をパスしたんだろう……。
王と王子の近衛隊だけでもかなりの人数だ。そこにダーナー公の護衛、各諸侯の従者達、そして近くにいないだけの衛兵達が怪しい人間を一人も逃すまいと見回っている。あの事件が無ければ半分くらいで済んだに違いない。アントン隊ですら護衛に招集されたくらいだ。
ただどれだけ人数を増やしても、腕の立つ兵を揃えても、近衛隊がどれだけ警戒しても…国王を襲った犯人の侵入は防げない。
(そこにいるしね……ッ!)
ダーナー公の斜め後ろにいるのは、事件の日、この森で戦った男マティアス=カールトン。ウルリヒ王襲撃の実行犯だ。しれっとした顔で馬にまたがっている姿を見ると「犯人こいつですよッ!」と大声で指をさしたくなる。
以前廟でクラウスが言っていた。「直接手を下した男と、矢の射程圏内にその男を招き入れた者がいる」と。単独犯でないのなら、ここでカールトンが捕まったとしても直後に他の誰かの手によって新たな犠牲が出る可能性がある。無計画で動くにはリスクが高い。
「どうした、ポチ?険しい顔してんな」
「あ…、いえ、その……獲物いないなーって……」
馬上のフォルカーから逃れるように、ポルトは狼達を追いかけた。
ダーナー公が馬に酔ったのは、それから一時間もしない間だった。彼も久しぶりの猟で浮かれていたらしく、体調の悪さをギリギリまで口にしなかったらしい。ただでさえ悪い顔色が更に真っ青だ。友達と遊ぶのが楽しみで具合の悪さを我慢するなんて…多分ダーナー公はお茶目な人なんだと思う。
国旗が描かれたテントがいくつか立てられ、彼はそこでしばらく横になることになった。
たき火で暖を取りながらフォルカーとウルリヒ王が休憩をし、周囲を両者の近衛隊が囲うように立つ。その様はなんとも仰々しいもので、フォルカーが「息が詰まる」と言っていた理由が少しわかるような気がした。
近衛隊の輪に入るのも気が引ける。給仕係もいるのでポルトは森を歩くことにした。
今日は久しぶりにアントン隊も一緒。知った顔を探して周囲を見てみるが、彼らは一番遠い場所の警護に充てられているらしくその姿はどこにも見えない。庶民出身者で構成されている隊だ。仕方がないだろう。
(そう遠くじゃないだろうし、探してみようかな)
人の群れから離れると森は急に静けさを取り戻す。高く響く鳥の声が聞こえ、土や草の匂いも濃くなって来る。サクサクと足元で鳴る枯葉の音を聞きながら、ポルトは深呼吸をした。
(?)
木々の隙間に、何か動く影を見つけた。
背をかがめたり起こしたりしているが…どうやら誰かが薪を拾っているらしい。きっとフォルカー達のいるテントへと運ぶのだろう。手伝いをしようと駆け出した瞬間、その足が止まった。
(――――あの男……!!)
カールトンだ。思わず物陰に身を隠した。
ダーナー公がテントで休んでいる間、医者でも身の回りの世話係でも無い庶民出身者の彼は、テント外での雑用を頼まれたのだろう。
(今なら…まだこっちにも気が付いていない……)
しかも抱えるように持っている木のせいで彼の片手はふさがっている。
突然訪れたチャンスに喉がごくりと鳴った。
フォルカーには黙ってきたので、ここに自分がいることは誰も知らない。もしバレたとしても狩りの最中で起こった事故なら、「獲物と間違えた」という言い訳も可能だ。実際、要人暗殺の機会としてはさして珍しいものでもない。
――――――どうする?
仕留めれば確実に悪の芽は一つ減る。しかも誰かを傷つける前に。あの約束も無くなるし、共犯者は後でフォルカーだけに事情を説明をすれば何か策を練ってくれるに違いない。
正面から勝負して敵う相手ではなかったが、今なら………。
息を殺し、背負っていた弓を構える。ギリギリッと弦が鳴り、つがえる指の肉に食い込んでいく。
狙いを定め、獲物を見つめた。
「ギッ」
ふいに頭上で野鳥が一羽、空へと舞い上がった。
カールトンもそれに気がつき、空を飛ぶ影を目で追う。
「――――――……」
物陰に隠れたまま、じわりと額に汗を滲ませるポルト。
じりじりと身体にまとわりつく緊張感。何故か指は弦を離そうとしない。
カールトンが地面を踏みしめる音がひとつ、またひとつと増えていく。時々小枝がポキンと折れた音が響く。
「……っ……」
構えた矢尻の先は何度もあの男への軌道を捕らえたが、その使命を果たすことはなく、しばらくするとゆっくりと地面に下ろされる。
戦場では何度も敵に向かって矢を放った。今更人を射ることになんの躊躇いがあるというのだろうか。自分はあの男のせいで生死の境を彷徨ったというのに……。そう自分を奮い立たせるが思う程の効果はない。
ここで彼を討たなかったことを後悔する時が来るかも知れない。
もう一度弓をつがえようとしたが手に力は入らず、がっくりと肩を落とした。
やがて用事を終えたカールトンがテントへと戻っていく。
耳の奥で煩わしいほど鳴る鼓動。自分の影が地面の上でゆらりと動いた気がした。
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