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【5】
【前】お月さまは見ていた。(★)
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「……少し冷えるね」
「そうですね。…あ、ローガン様、私のローブ、お使いになられますか?」
「いや、気持ちはありがたいが、流石にこの上に着るには……」
ローガンは鎧の上から羽織っている自身のローブを指さす。ポルトの羽織っているものは下級兵士に支給されるもので、ローガンのものに比べるとただでさえ薄くて軽い。いくらなんでも身分も年齢も下の少年からそれを奪う気もないので、ローガンは丁重に断った。
「あ、そうだ。間にカロンを座らせましょう!」
「それはいいね!」
月が淡く光る中庭で、常緑の茂みに身を隠しながら二人の間にカロンを座らせる。ローガンは挨拶するように自分の手の平を黒い鼻先に近づけた。
「……」
軽くその臭いをかぎ、ふいっとカロンはそっぽを向く。
「……怒ってはいないようです!」
「……ご機嫌でもないけどね……。やっぱりまだ慣れないか……」
頬を染めつつ切なそうな面持ちのローガン。
(ローガン様かわいい……)
怒られないのを確認し、ゆっくりと白い毛皮に鼻先を埋めると「す~~~~~~~~~~~………」と犬臭で肺を満たしたす。間近に迫る魅惑のもふもふを一瞬たりとも見逃すまいと瞬きすらしていなかった。
(ローガン様こわい……)
知らない人間が愛犬にこんなことをしていたら多分殴ってる。カロンの耳は不快と緊張のせいかぺたんと伏せられていて、セクハラに耐えかね平手打ちする寸前の若い娘のようだった。……いや、多分それ。
ローガンがカロンにセクハラをしている間、ポルトは枝の隙間から中庭のサロンを見張っていた。
城から少し離れた所にある小さな小さな屋敷で、王族達がティータイムを楽しむだけに建てられたものらしい。庭には白い敷石、そして水瓶を持つ女性の石像が飾られた小さい噴水があった。季節が悪く花は咲いてはいなかったが、夕闇に植木の葉が染まりとても静かだ。ほんのりとした月明かりも、雰囲気が出てとても良い。
その周辺を硬質な靴音を響かせて闊歩しているのは近衛隊の長モリトール卿。二人の部下を連れて軽く周囲を見回すと、屋内に合図を送った。
左右に並び、頭を下げる。扉を兼ねた大きな窓から現れたのはフォルカーだ。
「ローガン様……!」
「!」
ローガンは身構えながら腰の剣に手を置き、ポルトは背から矢を抜いた。
距離は十数メートル程。その気になれば数秒で剣先を振り下ろすことが出来る。中庭に潜んでいるのはポルト達だけではない。近衛隊から数名、衛兵も含めて十人ほどがいる。庭のそこここから糸をピンと張りつめたような緊張感が感じられた。
その中心でいつもよりもラフな格好のフォルカーが屋敷の中にいる誰かに微笑んだ。何か話しかけているようだ。右手を差し出すと、恐る恐る小さな手が乗る。優しく握られたそれは優しく庭の中央へとエスコートした。
敷石の上で鳴る二人分の足音。柔らかい月明かりの下に現れたのはフォルカーと一人の女性だった。貴族の令嬢…ではない、極普通の一般人のような質素なワンピース姿。慣れない場所に落ち着かない様子が遠目からでもわかる。
「あれが例のメイドかい?」
「……はい……」
以前、フォルカー宛に手紙を渡したいと懇願したメイド。決死の覚悟で想いを告げられたのだから、誠心誠意受け止めて返事をしなければならないだろうというフォルカーの提案により、人気のない雰囲気たっぷりの夜の中庭まで彼女を呼び出すことになった。手紙の内容を隠したがっていた彼女も、この招待を快く承諾したのだという。
(よりにもよってこんな時に……!)
警護は最低限の人数に抑えろという。主の性格を十分に理解しながらも、やはり苛立ちは収まりきらない。
勿論ポルトだけでなく、近衛隊全員で反対した。しかし「五月蠅い、黙って仕事しろ」と返されただけで、二人きりになった時には「おや?ポチさん、ヤキモチ?」と笑顔で聞かれ「馬っ鹿じゃないの……っ?」と髪の毛を逆立てながら返した。
「――――――……」
敵はすでに懐に入ってきているというのに、いくら知らないとはいえ人気のない屋外に見ず知らずの人間と会うなんてどうかしてる。
思い出すと蘇る苛立ち。構えていた弓を足下の土に向かって放つ。地面にぶっ刺さった弓を引き抜いてまた射る、そんなことを二三度繰り返した。自分でもわかるほど表情が凍っていた。
「………ポルト、落ち着け……」
「あの阿呆王子に一発当てたら大人しくなるんじゃないですかね……?」
「そんなに長い話しにはしないって仰っていたし、急に決まったことだし…まぁ、仕方ないさ。勝手に姿を消されたわけじゃない分、今回はまだマシだと思うことにしよう。最近お見合い話も続いて気が滅入っていらしゃったようだし、こうやって直接女性と話されるのは気晴らしになるかもしれないよ」
「お見合い??」
「あれ?知らなかったのか?」
目を丸くしたポルトは何度も頷く。城外での仕事が減り自由な時間が増えたウルリヒ王が、ダーナー公と一緒に日々送られてくる諸国の姫君達の肖像画を眺めているそうだ。選ばれた数名の肖像画を息子フォルカーに見せ、袖にされる。そしてまた新しい肖像画を前にあーでもない、こーでもないとお茶を飲む…。
最近はこれが初老を迎えた二人の楽しみになっているらしい。
「陛下……のどかですね……」
「陛下とダーナー様とはご子息のクラウス司教と殿下みたいな感じなんじゃないかな?幼馴染みだと聞くし…。殿下が君に知らせていないってことは、気に入る姫君がいなかったんだろう」
鼻を小さく鳴らしたカロンがポルトの頬をペロリと舐めた。
「……!」
先ほど怒っていたのを心配したのだろうか。丸くて可愛い瞳に見つめられると心が清められている気がする。ポルトはカロンに顔をすり寄せ、「大丈夫だよ」と軽いキスをした。
「……」
「?」
自分を見つめるローガンの視線に気がついた。
(あ……。ローガン様の前だと当てつけになっちゃうかも……)
カロンにまだ心を開かれていない彼の前では軽率な行為だったかもしれない。
「その……、こんな時に申し訳ないが……前から君に聞きたいことがあったんだ」
「え?あ、はい……。なんでしょうか?」
「君に…ご存命な双子の妹か、女兄妹はいるかい?」
「え」
眉を一瞬ひそめたポルトの表情を見て、ローガンは慌てて補足説明をした。
「以前、町の酒場で君によく似た娘を見つけたんだ。でも名前を聞く前に別れてしまって詳しくはわからないんだが……とにかく、君にとてもよく似ていたんだ」
(女装して婚活してた時のアレだ……)
二時間見つめたナッツの殻、胸パッドとの初めての逢瀬…。色々と思い出深い夜だった。犬小屋で子犬を見ていた時、偶然現れたのがローガンだった。女装をしていたのでバレずにいたと思っていたし、すでに忘れ去られていた存在になっていたかと思っていた。
「君のご家族がもう亡くなっていることは知っている。でも、もしかしたら…ってこともあるだろ?会ったことがなくても、誰かからそんな噂を聞いたことはないかい?」
「いえ、全く……」
確かに戦後、死んでいたと思っていた家族に出会えたという話は時々聞く。しかし、今回に限っては……
(それは無いッ!!)
国王を襲撃した犯人だけでなくその謎の女も城内で闊歩してますよ…とはとても言えない。
「姉や妹もいましたが私とはそこまで似てはいません。多分縁もゆかりもない方だと思いますよ?」
「そ…そうか。君とは関係の無い方だったんだな」
少し表情を曇らせたローガン。
「すまない、変なことを聞いてしまって」
「いえ、お気になさらないで下さい。…あの、そのお方に何かご用でもあるのですか?」
「えっ!?」
「ぇ?」
思いの外大きな反応が来たことに驚くポルト。
「なんとなく…その…思い詰めたような雰囲気がして……」
「い・いや、そんなことはないよ。酒場に子犬が生まれたというので見に行ったら彼女がいて、もしかしたら話しが合うんじゃないかなって思ってたんだ」
「ああ、なるほど。そうだったんですか」
「これはナンパです」と言われたから、違うことが目的かと思っていた。犬の話だけだったら、お茶の一杯くらいは付き合ってあげてもよかったかもしれない。
「衣服に毛が付くことを嫌がる者もいるし、純血種でないと価値がないような扱いをする者もいる。あそこの犬達は混血種だし、出産後の母犬は母乳を与えるから痩せて毛並みが悪くなっていることも多い。以前茶会で出会った令嬢は、産まれた猟犬の子犬の方が可愛いと言っていた。美しい物に囲まれて生活をしているご婦人方だし仕方ないのかもしれないが、賛同はしかねる。だって、本当なら立派に子供を育てている良き母の証だろ?新しい天使を生み出してくれた存在だし。酒場で会ったお嬢さんは……母犬に触れる手も見つめる瞳も優しかった。触り方も慣れていたし…きっと、本当に犬が好きな方なんだろう」
「…………」
「私にはきつい物言いをされていたが、彼女は心根の優しい女性だ。間違いない。きっと突然見知らぬ男に話し掛けられて驚いてしまったんだ」
そりゃ驚きましたよ、色んな意味で。
それにしても見ている所が細かい。いっそ犬と結婚すればいいのに。
彼にとってそれだけ「犬好き同士」に対する欲求が強いのだろう。ペットロスで胸にぽっかり開いてしまった穴を、誰かと埋めようとしているのかもしれない。
「あ・謝りたいなと…思っている。直接。だから、その…もう一度お会い出来ればと、思っているんだ」
(確かに私も、犬嫌いの人とは結婚するの大変かも……)
ポルトは少し考えた。
「あの、ローガン様、少しお側に行ってもよろしいですか?」
「?ああ、構わないけれど…何だい?」
周囲を見て、今のところ問題がないことを確認する。カロンも大人しい。
矢筒に矢をしまうと、ポルトはローガンに歩み寄った。
「失礼します」
「うん。……って、え…っ!?何…!?」
ローガンの胸下を狙って、ぎゅっとしがみついたのだ。
「ローガン様、落ち着いて下さい。とても仲の良いフリをするんです」
「っ??」
「カロン、見て!私たち、とーっても仲良しだよ。だからお前も嫌がらなくても大丈夫だよ」
「ポ・ポルト??」
目を白黒させる彼はひとまず置いておいて、ポルトはカロンに呼びかける。
「犬は飼い主に親切な人を見分けます。ローガン様、私ととっても仲の良いカンジにして下さい。その姿をカロンに見せてやるんです!」
「!」
名前を呼ばれ、カロンは不思議そうにこちらをじーっと見つめている。
ローガンは慌てながらも考えた。ただの猟犬ならこれから先も仲良くなれる機会は多々あるだろう。しかしこの狼は……。
「……っ」
「肩の力を抜いて、リラックスして下さい」
金色の瞳。まん丸で熱い使命感に燃えている。
「――――……っ……。わ・わかった」
意を決したローガンが、片手でポルトの腰、もう片方の手で丸い後頭部を抱き寄せた。
「……っ」
「カロン、見て…っ!ほら…っ、私達すっごい仲良し!」
「そ・そうそう…ッ!な・仲間だ…っ」
「あ~、私、この人好きだな~好きだな~~っ。ホラ、カロン、ちゃんと見て!」
「っ!」
「……ローガン様??」
甲冑の上からも、何故か彼の身体が強ばっているのがわかった。抱きついた時にどこかぶつけてしまったのかもしれない。様子を伺うために見上げようとしたが…何故か彼はそれを嫌がった。首筋に顔を埋めるように強くポルトを抱きしめる。
「ちょっと待ってくれ……。今、顔は見ないでくれ……」
「???」
しばらくそのままローガンは固まっていた。
ポルトは何があったのか全くわからずに「どこか痛いのですか?大丈夫ですか?」と気遣うが返事はない。
草陰に隠れた虫がコロコロと鳴いている。夜風は冬の匂いを含み始めて少し冷たかったが、大きな身体が風除けになってくれているおかげで暖かかった。
「あまり長い時間このままではお仕事が……」
「あ・うん!そうだな…っ!」
何かに弾かれるように身体を離したローガン。二人して茂みの隙間からフォルカー達を覗く。
話はクライマックスを迎えているらしく、涙に濡れた少女をフォルカーが優しく抱きしめいた。
(あ。あれ、この前私にもやったやつ)
「泣いてる女性は飛び込んできても良い」と言っていたが、ものの例えとかあの場限りの慰めの言葉とかではなく、本当に女子なら誰でも良いらしい。あの夜、感極まって泣いてしまった事を考えると、なんとも複雑な心境である。
幸い他に問題が起きている様子もなく、ポルトとローガンは顔を見合わせた。
「っ」
「????」
ローガンは顔を背け、ポルトは小首をかしげる。
「もしかして私、ローガン様の足踏んでましたか?」
「いや、違うんだ。そういうアレじゃなくて……その……」
「?????」
中庭を見つめながらローガンは何か言葉を探している。多分視線は向けているものの、フォルカー達を見てはいないだろう。
「……フォルカー殿下に聞いたんだが、今婚活頑張っているんだって?」
「?…はい、もう私も適齢期ですし。でも最近は忙しくて全然それどころじゃなかったですけど」
「そうか、殿下も伏せっていらっしゃったしね」
彼の口元から笑みがこぼれるが、何故こんな話しを急に始めたのだろう。今日の彼はいつもと違うような気がする。
「俺も……」
「?」
「俺も頑張ってみるよ、婚活」
「はいっ、どちらが先にお相手を見つけるか楽しみですね……!」
目をきらきらとさせるポルトに、ローガンは少し困り顔で頷いた。
「そうですね。…あ、ローガン様、私のローブ、お使いになられますか?」
「いや、気持ちはありがたいが、流石にこの上に着るには……」
ローガンは鎧の上から羽織っている自身のローブを指さす。ポルトの羽織っているものは下級兵士に支給されるもので、ローガンのものに比べるとただでさえ薄くて軽い。いくらなんでも身分も年齢も下の少年からそれを奪う気もないので、ローガンは丁重に断った。
「あ、そうだ。間にカロンを座らせましょう!」
「それはいいね!」
月が淡く光る中庭で、常緑の茂みに身を隠しながら二人の間にカロンを座らせる。ローガンは挨拶するように自分の手の平を黒い鼻先に近づけた。
「……」
軽くその臭いをかぎ、ふいっとカロンはそっぽを向く。
「……怒ってはいないようです!」
「……ご機嫌でもないけどね……。やっぱりまだ慣れないか……」
頬を染めつつ切なそうな面持ちのローガン。
(ローガン様かわいい……)
怒られないのを確認し、ゆっくりと白い毛皮に鼻先を埋めると「す~~~~~~~~~~~………」と犬臭で肺を満たしたす。間近に迫る魅惑のもふもふを一瞬たりとも見逃すまいと瞬きすらしていなかった。
(ローガン様こわい……)
知らない人間が愛犬にこんなことをしていたら多分殴ってる。カロンの耳は不快と緊張のせいかぺたんと伏せられていて、セクハラに耐えかね平手打ちする寸前の若い娘のようだった。……いや、多分それ。
ローガンがカロンにセクハラをしている間、ポルトは枝の隙間から中庭のサロンを見張っていた。
城から少し離れた所にある小さな小さな屋敷で、王族達がティータイムを楽しむだけに建てられたものらしい。庭には白い敷石、そして水瓶を持つ女性の石像が飾られた小さい噴水があった。季節が悪く花は咲いてはいなかったが、夕闇に植木の葉が染まりとても静かだ。ほんのりとした月明かりも、雰囲気が出てとても良い。
その周辺を硬質な靴音を響かせて闊歩しているのは近衛隊の長モリトール卿。二人の部下を連れて軽く周囲を見回すと、屋内に合図を送った。
左右に並び、頭を下げる。扉を兼ねた大きな窓から現れたのはフォルカーだ。
「ローガン様……!」
「!」
ローガンは身構えながら腰の剣に手を置き、ポルトは背から矢を抜いた。
距離は十数メートル程。その気になれば数秒で剣先を振り下ろすことが出来る。中庭に潜んでいるのはポルト達だけではない。近衛隊から数名、衛兵も含めて十人ほどがいる。庭のそこここから糸をピンと張りつめたような緊張感が感じられた。
その中心でいつもよりもラフな格好のフォルカーが屋敷の中にいる誰かに微笑んだ。何か話しかけているようだ。右手を差し出すと、恐る恐る小さな手が乗る。優しく握られたそれは優しく庭の中央へとエスコートした。
敷石の上で鳴る二人分の足音。柔らかい月明かりの下に現れたのはフォルカーと一人の女性だった。貴族の令嬢…ではない、極普通の一般人のような質素なワンピース姿。慣れない場所に落ち着かない様子が遠目からでもわかる。
「あれが例のメイドかい?」
「……はい……」
以前、フォルカー宛に手紙を渡したいと懇願したメイド。決死の覚悟で想いを告げられたのだから、誠心誠意受け止めて返事をしなければならないだろうというフォルカーの提案により、人気のない雰囲気たっぷりの夜の中庭まで彼女を呼び出すことになった。手紙の内容を隠したがっていた彼女も、この招待を快く承諾したのだという。
(よりにもよってこんな時に……!)
警護は最低限の人数に抑えろという。主の性格を十分に理解しながらも、やはり苛立ちは収まりきらない。
勿論ポルトだけでなく、近衛隊全員で反対した。しかし「五月蠅い、黙って仕事しろ」と返されただけで、二人きりになった時には「おや?ポチさん、ヤキモチ?」と笑顔で聞かれ「馬っ鹿じゃないの……っ?」と髪の毛を逆立てながら返した。
「――――――……」
敵はすでに懐に入ってきているというのに、いくら知らないとはいえ人気のない屋外に見ず知らずの人間と会うなんてどうかしてる。
思い出すと蘇る苛立ち。構えていた弓を足下の土に向かって放つ。地面にぶっ刺さった弓を引き抜いてまた射る、そんなことを二三度繰り返した。自分でもわかるほど表情が凍っていた。
「………ポルト、落ち着け……」
「あの阿呆王子に一発当てたら大人しくなるんじゃないですかね……?」
「そんなに長い話しにはしないって仰っていたし、急に決まったことだし…まぁ、仕方ないさ。勝手に姿を消されたわけじゃない分、今回はまだマシだと思うことにしよう。最近お見合い話も続いて気が滅入っていらしゃったようだし、こうやって直接女性と話されるのは気晴らしになるかもしれないよ」
「お見合い??」
「あれ?知らなかったのか?」
目を丸くしたポルトは何度も頷く。城外での仕事が減り自由な時間が増えたウルリヒ王が、ダーナー公と一緒に日々送られてくる諸国の姫君達の肖像画を眺めているそうだ。選ばれた数名の肖像画を息子フォルカーに見せ、袖にされる。そしてまた新しい肖像画を前にあーでもない、こーでもないとお茶を飲む…。
最近はこれが初老を迎えた二人の楽しみになっているらしい。
「陛下……のどかですね……」
「陛下とダーナー様とはご子息のクラウス司教と殿下みたいな感じなんじゃないかな?幼馴染みだと聞くし…。殿下が君に知らせていないってことは、気に入る姫君がいなかったんだろう」
鼻を小さく鳴らしたカロンがポルトの頬をペロリと舐めた。
「……!」
先ほど怒っていたのを心配したのだろうか。丸くて可愛い瞳に見つめられると心が清められている気がする。ポルトはカロンに顔をすり寄せ、「大丈夫だよ」と軽いキスをした。
「……」
「?」
自分を見つめるローガンの視線に気がついた。
(あ……。ローガン様の前だと当てつけになっちゃうかも……)
カロンにまだ心を開かれていない彼の前では軽率な行為だったかもしれない。
「その……、こんな時に申し訳ないが……前から君に聞きたいことがあったんだ」
「え?あ、はい……。なんでしょうか?」
「君に…ご存命な双子の妹か、女兄妹はいるかい?」
「え」
眉を一瞬ひそめたポルトの表情を見て、ローガンは慌てて補足説明をした。
「以前、町の酒場で君によく似た娘を見つけたんだ。でも名前を聞く前に別れてしまって詳しくはわからないんだが……とにかく、君にとてもよく似ていたんだ」
(女装して婚活してた時のアレだ……)
二時間見つめたナッツの殻、胸パッドとの初めての逢瀬…。色々と思い出深い夜だった。犬小屋で子犬を見ていた時、偶然現れたのがローガンだった。女装をしていたのでバレずにいたと思っていたし、すでに忘れ去られていた存在になっていたかと思っていた。
「君のご家族がもう亡くなっていることは知っている。でも、もしかしたら…ってこともあるだろ?会ったことがなくても、誰かからそんな噂を聞いたことはないかい?」
「いえ、全く……」
確かに戦後、死んでいたと思っていた家族に出会えたという話は時々聞く。しかし、今回に限っては……
(それは無いッ!!)
国王を襲撃した犯人だけでなくその謎の女も城内で闊歩してますよ…とはとても言えない。
「姉や妹もいましたが私とはそこまで似てはいません。多分縁もゆかりもない方だと思いますよ?」
「そ…そうか。君とは関係の無い方だったんだな」
少し表情を曇らせたローガン。
「すまない、変なことを聞いてしまって」
「いえ、お気になさらないで下さい。…あの、そのお方に何かご用でもあるのですか?」
「えっ!?」
「ぇ?」
思いの外大きな反応が来たことに驚くポルト。
「なんとなく…その…思い詰めたような雰囲気がして……」
「い・いや、そんなことはないよ。酒場に子犬が生まれたというので見に行ったら彼女がいて、もしかしたら話しが合うんじゃないかなって思ってたんだ」
「ああ、なるほど。そうだったんですか」
「これはナンパです」と言われたから、違うことが目的かと思っていた。犬の話だけだったら、お茶の一杯くらいは付き合ってあげてもよかったかもしれない。
「衣服に毛が付くことを嫌がる者もいるし、純血種でないと価値がないような扱いをする者もいる。あそこの犬達は混血種だし、出産後の母犬は母乳を与えるから痩せて毛並みが悪くなっていることも多い。以前茶会で出会った令嬢は、産まれた猟犬の子犬の方が可愛いと言っていた。美しい物に囲まれて生活をしているご婦人方だし仕方ないのかもしれないが、賛同はしかねる。だって、本当なら立派に子供を育てている良き母の証だろ?新しい天使を生み出してくれた存在だし。酒場で会ったお嬢さんは……母犬に触れる手も見つめる瞳も優しかった。触り方も慣れていたし…きっと、本当に犬が好きな方なんだろう」
「…………」
「私にはきつい物言いをされていたが、彼女は心根の優しい女性だ。間違いない。きっと突然見知らぬ男に話し掛けられて驚いてしまったんだ」
そりゃ驚きましたよ、色んな意味で。
それにしても見ている所が細かい。いっそ犬と結婚すればいいのに。
彼にとってそれだけ「犬好き同士」に対する欲求が強いのだろう。ペットロスで胸にぽっかり開いてしまった穴を、誰かと埋めようとしているのかもしれない。
「あ・謝りたいなと…思っている。直接。だから、その…もう一度お会い出来ればと、思っているんだ」
(確かに私も、犬嫌いの人とは結婚するの大変かも……)
ポルトは少し考えた。
「あの、ローガン様、少しお側に行ってもよろしいですか?」
「?ああ、構わないけれど…何だい?」
周囲を見て、今のところ問題がないことを確認する。カロンも大人しい。
矢筒に矢をしまうと、ポルトはローガンに歩み寄った。
「失礼します」
「うん。……って、え…っ!?何…!?」
ローガンの胸下を狙って、ぎゅっとしがみついたのだ。
「ローガン様、落ち着いて下さい。とても仲の良いフリをするんです」
「っ??」
「カロン、見て!私たち、とーっても仲良しだよ。だからお前も嫌がらなくても大丈夫だよ」
「ポ・ポルト??」
目を白黒させる彼はひとまず置いておいて、ポルトはカロンに呼びかける。
「犬は飼い主に親切な人を見分けます。ローガン様、私ととっても仲の良いカンジにして下さい。その姿をカロンに見せてやるんです!」
「!」
名前を呼ばれ、カロンは不思議そうにこちらをじーっと見つめている。
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「……っ」
「肩の力を抜いて、リラックスして下さい」
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「――――……っ……。わ・わかった」
意を決したローガンが、片手でポルトの腰、もう片方の手で丸い後頭部を抱き寄せた。
「……っ」
「カロン、見て…っ!ほら…っ、私達すっごい仲良し!」
「そ・そうそう…ッ!な・仲間だ…っ」
「あ~、私、この人好きだな~好きだな~~っ。ホラ、カロン、ちゃんと見て!」
「っ!」
「……ローガン様??」
甲冑の上からも、何故か彼の身体が強ばっているのがわかった。抱きついた時にどこかぶつけてしまったのかもしれない。様子を伺うために見上げようとしたが…何故か彼はそれを嫌がった。首筋に顔を埋めるように強くポルトを抱きしめる。
「ちょっと待ってくれ……。今、顔は見ないでくれ……」
「???」
しばらくそのままローガンは固まっていた。
ポルトは何があったのか全くわからずに「どこか痛いのですか?大丈夫ですか?」と気遣うが返事はない。
草陰に隠れた虫がコロコロと鳴いている。夜風は冬の匂いを含み始めて少し冷たかったが、大きな身体が風除けになってくれているおかげで暖かかった。
「あまり長い時間このままではお仕事が……」
「あ・うん!そうだな…っ!」
何かに弾かれるように身体を離したローガン。二人して茂みの隙間からフォルカー達を覗く。
話はクライマックスを迎えているらしく、涙に濡れた少女をフォルカーが優しく抱きしめいた。
(あ。あれ、この前私にもやったやつ)
「泣いてる女性は飛び込んできても良い」と言っていたが、ものの例えとかあの場限りの慰めの言葉とかではなく、本当に女子なら誰でも良いらしい。あの夜、感極まって泣いてしまった事を考えると、なんとも複雑な心境である。
幸い他に問題が起きている様子もなく、ポルトとローガンは顔を見合わせた。
「っ」
「????」
ローガンは顔を背け、ポルトは小首をかしげる。
「もしかして私、ローガン様の足踏んでましたか?」
「いや、違うんだ。そういうアレじゃなくて……その……」
「?????」
中庭を見つめながらローガンは何か言葉を探している。多分視線は向けているものの、フォルカー達を見てはいないだろう。
「……フォルカー殿下に聞いたんだが、今婚活頑張っているんだって?」
「?…はい、もう私も適齢期ですし。でも最近は忙しくて全然それどころじゃなかったですけど」
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「俺も……」
「?」
「俺も頑張ってみるよ、婚活」
「はいっ、どちらが先にお相手を見つけるか楽しみですね……!」
目をきらきらとさせるポルトに、ローガンは少し困り顔で頷いた。
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公務のほとんどを丸投げにする宣言をして、正妃になるはずのアンドレイナ・サンドリーニを蹴落とし正妃の座に就いたベネッタ・ルニッチは高笑いした。王太子は彼女を第二妃として迎えると宣言したのである。
もちろん、そんな事は罷りならないと王は反対したのだが、その言葉を退けて彼女は同意をしてしまう。
屈辱的なことを敢えて受け入れたアンドレイナの真意とは……
*表紙絵自作
訳ありな家庭教師と公爵の執着
ゆきむらさり
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