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第5章 遠征試験編

第九十一話 「遠征試験」

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 まだ朝霧も晴れない早朝。
 肌寒い外気に当てられて、私は自身の両腕をせわしなく摩った。
 周囲には、まだ眠そうにしている冒険者志望の試験参加者たち。
 それと、遠征の準備を整えたギルド職員と、多種の従魔に引かれた魔車が計八台。
 朝から仰々しい様子のその光景を、私は傍らから見つめて、頭のフードをさらに深く被った。
 
 今日は冒険者試験当日。
 試験会場となる遠方のエリアを目指すために、朝早くからグロッソの街の北門に、参加者たちは集合していた。
 例月通りなら、街の近くのエリアで試験が行われるのだが、『野生モンスターのレベル変動事件』を受けて、今回は『遠征試験』という形になっている。
 そのせいで昼開催が当たり前となっていた冒険者試験も、今回は朝早くの集合となった。
 参加者たちが欠伸を噛み殺しているのも無理はない。
 かくゆう私もかなりのおねむで、シャルムが起こしてくれなかったら完全に寝坊していた。
 しっかりしなければ。
 
 パンパンと自分の頬を両手で叩き、気持ちを奮い起こす。
 僅かに眠気も覚めたところで、集団の前方に一人のギルド職員が立った。
 シャルムではなく、宿舎で何度か見かけた女性職員である。
 私を連れたシャルムを初めて見たときに、落ち込んでいた人だっけ?
 彼女は至って真剣な表情で参加者を一望すると、まるでシャルムの真似をするように、引き締まった声を上げた。
 
 「それではこれより、遠征試験を開始する! 事前説明ですでに知っているとは思うが、試験会場となるエリアまでは魔車を使って行くことになる。それぞれ好きな魔車に乗り、到着まで待機してくれ。従魔が大型の者はすぐに申告するように」
 
 事前に参加登録をした参加者が全員集まったのだろうか。
 遠征試験の説明を終えると、ギルド職員たちは参加者を魔車へと案内し始めた。
 私も参加者の列に並んで、どの魔車に乗るかを決める。
 中型の従魔までは主人と同乗できるようだが、大きな従魔は専用の魔車に乗ることになるらしい。
 八台のうち二台が大型従魔用なので、それ以外の魔車に私は乗った。
 当然、知り合いはいないので、端っこの方で大人しく膝を抱える。
 小さくなっていると、からからと車輪が回り出し、いよいよ参加者たちを乗せた魔車が動き始めた。
 
 試験会場となるエリアに出発進行。
 窓から見えるグロッソの街が、次第に遠くなっていく。
 あのときのルゥたちも、こんな風に魔車から私たちを見ていたのかな。
 今頃はテイマーズストリートに着いて、用事を済ませていることだろう。
 私は魔車の中で、知人と一緒に乗り込んで楽しくお喋りしている人たちをぼぉーっと眺めながら、人知れず思った。
 私も早く冒険者になり、彼らに追いつかなければならない。
 そのために今できること。
 それは、変装用としてルゥたちが買ってくれたフードを目深まで被り、足りなかった睡眠を補うことだった。
 
 
 
△△△
 
 
 
 魔車に揺られること数時間。
 昼休憩を挟んで、さらに魔車に揺られること数時間を経て、私たちはようやくキャンプ場にたどり着いた。
 気が付けば空は真っ暗。ここで一泊してから、試験開始となるようだ。
 試験会場となるエリアは、キャンプ場の少し奥にある。
 まるでエリア自体を隠すように広がる”岩壁”の向こう側にあるようで、残念ながらここからは見えない。
 谷のようになった一本道を抜けることで、試験エリアに入れるようだ。
 まあ、エリア目前のキャンプ場が、一面柔らかい砂場になっていることから、どんなエリアか大体想像がつくけど。
 
 なんて可愛らしくないことを思いながら、私は女性キャンプの方で休みをとった。
 火を囲んで、配給された食糧をお喋りしながら摘まむ参加者たちを、私は傍らから眺める。
 意外なことに、女性の参加者もそれなりに多い。
 その隣にいる従魔も、ふわふわもふもふとした可愛らしいものではなく、中型の昆虫種やごつごつとした悪魔種のモンスターまでいる。
 普段スライムを帽子のように頭に乗っけて、ゆるゆるとした笑みを浮かべているあの少年が、この逞しい女性テイマーたちを見たら驚愕するに違いない。
 逆に彼女たちがあの少年を見たら、一斉に取り囲んでからかってしまうんじゃないだろうか。
 そんな益体もないことを考えていると、ギルド職員用のテントから誰かが出てくるのが見えた。
 暗い空の下、僅かに赤い髪がちらついたのを見て、私はそちらに歩み寄っていく。
 手頃な岩に腰掛けて、砂場に目を落とす職員さんの前まで行くと、彼女もこちらに気づいて顔を上げた。
 私はなんでもないように問いかける。
 
 「試験内容は、明日発表されるんだね」
 
 するとシャルムは、いつものクールな表情で頷き返してくれた。
 
 「あぁ。一応、エリアの入口を監視してはいるが、夜中の間に先行し、試験内容を済ませてしまう者がいないとも限らないからな。念のために試験内容は明日発表ということになっている」
 
 ……なるほど。
 時間がある今のうちに試験内容を発表しないのは、そのためだったのか。
 一つの疑問を解消すると、私はシャルムの隣に腰掛ける。
 配給された小さなパンを懐から取り出し、それを控えめにかじり始めた。
 その様子を見て、今度は彼女が問いかけてくる。
 
 「まさか、その試験内容をこっそり聞きに来たというわけでもあるまい」
 
 「ち、違う!」
 
 そんなずるいことをするわけがない。普通にシャルムとお喋りしに来ただけだ。
 思わず全力で否定した後に、シャルムの頬が嫌な角度で上がっているのを見て、冗談で言ったのだとわかる。
 お得意の【からかい】スキルが発動した。
 まったくこの人は……なんて思いながら、私はちびちびとパンをかじる。
 するとまたしてもシャルムは、悪戯な笑みを浮かべて、キャンプ場の中心を窺いながら聞いてきた。
 
 「君も仲間に入ってきたらどうだ? 今のうちにパーティーメンバーを見つけておいた方が得だぞ」
 
 「い、いい。仲良くするの、難しいから」
 
 とは言うものの、過去の試験内容の資料を読み漁ったことにより、協力して試験に臨んだ方が合格率がいいと理解している。
 魔車の中にいる間や、途中で立ち寄った村で参加者と仲良くできなかったのは痛いところだ。
 遠征試験と言うだけあって、最初の魔車選びから今回の冒険者試験は始まっていたのだろう。
 まあ、初めからわかっていたとしても、対人スキル皆無の私では、あの輪の中に入ることは叶わなかっただろう。
 
 「だから話し相手を探して、私のところに来たのか? それでも別に構わないが、一応君と私は試験参加者と試験官という関係になっている。あまり親しくしているところを見られると、不正を疑われたり、彼女らと仲良くするのがさらに難しくなってしまうぞ」
 
 悪戯な笑みから一転、心配そうな表情で言うシャルムに、私は打てば響くような返答をした。
 
 「不正なんてしてないし、仲良くするのはもう諦めてるから別にいい」
 
 他人にどう思われようと、それが事実なのだから。
 そう素直な答えを口にすると、赤髪のお姉さんは呆れ気味に「そうか」と呟いた。
 そんな彼女に対して、こちらからも聞きたいことがある。
 
 「そういうシャルムは、テントの中に戻らないの?」
 
 「んっ? どういう意味だ?」
 
 「いや……職員の人たちと、仲良くしないのかなって」
 
 私はちらりと職員用のテントを一瞥する。
 僅かに灯りが漏れたそこからは、参加者たちほどではないにしろ、愉快な笑い声が響いていた。
 シャルムはあそこには混ざらないのか、という意味の質問をしたのだが、彼女はまったく別の方を向いて答えた。
 
 「宿舎での生活を見てきてわかっているとは思うが、私はあまり皆から好かれていない」
 
 「えっ? そ、そう?」
 
 「あぁ。宿舎ではほとんど声を掛けられず、仕事中もそれ以外のことで会話をするのは滅多にない。先ほども、レッドアイを試験エリアの最終チェックに向かわせて、テントの中に戻ったら、途端に職員たちの笑いが途絶えたのだ。急にそわそわし始めて、妙な視線を向けられるし……」
 
 「……」
 
 私は人知れず、呆れた表情でパンをかじった。
 私は知っている。このクールなギルド受付嬢さんが、仲間たちから絶大な支持を得ていることを。
 男性のみならず、宿舎にいる女性職員たちにまで、憧れ以上の気持ちを抱かれていることを。
 宿舎で数日間も過ごしたのだ。嫌でも目に付いてしまう。
 この人たぶん、みんなから向けられている羨望の眼差しを、畏怖されているのだと勘違いしている。
 恥ずかしくて声を掛けづらいだけで、距離を置かれているのだと悪い方向に思い込んでいる。
 ルゥも大概だけど、シャルムも相当鈍感さんだ。
 
 まったくこの人は……と、先ほどと同じ呟きを心中で漏らしながら、パンを口まで運んだ。
 しかしいつの間にかそれは手元からなくなっており、きっちりお腹に収められたようだった。
 満腹になった私は、夜空を見上げながら控えめに欠伸を漏らす。
 どうやらその様子を見られていたようで、シャルムが言った。
 
 「明日も早い。試験に備えてもう寝た方がいいと思うぞ。特に君は今朝方、試験当日だというのに布団に張り付いて起きなかったからな」
 
 「そ、それは…………ごめんなさい」
 
 言い訳の余地もなく、私は頭を下げる。
 そのままお喋りはお開きとなり、シャルムと一緒に岩から腰を上げた。
 するとその瞬間、男性キャンプの方から何やら騒がしい声が聞こえてくる。
 その声にシャルムは首を傾げ、目を細めて遠方を窺った。
 
 「何かトラブルでもあったのか?」
 
 釣られて私も視線を振る。
 ここからではよくわからない。
 しかし声を聞くかぎり、参加者同士による喧嘩だと思われる。
 冒険者ギルドでも度々こういう騒ぎ声は耳にしているので、程なくして私とシャルムは悟った。
 となれば、私たちがやることは自ずと決まってくる。
 
 「ああいうのは関わらない方が正解。ここで大人しく見守ろう」
 
 「いや、私にそれを言うのか。そういうわけにもいかないだろう」
 
 さすがに試験官の彼女は、このことを無視はできないようだ。
 呆れた様子で男性用キャンプに向かっていくと、その彼女の背中姿を最後に、私はテントの中に引っ込んだ。
 シャルムが仲裁に入るなら、すぐに騒ぎは治まることだろう。
 その勇姿を見届けたいのは山々だが、彼女から早く寝るようにと言われてしまった。
 仕方なく私は寝る準備を整えて、誰よりも早く寝床についた。
 
 ……明日は頑張ろう。
 
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