エンペラーズ・ハイ〈断章〉

環希碧位

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陛下と殿下のかつてあったかもしれない話・邂逅編(1)

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「よぉ。お疲れさん」

 凱旋を果たした自軍の将軍が、魔皇の中でもとりわけ戦上手で知られる〈護戦神〉エリフォンの宮殿を訪れたのは、ちょうど彼の義理の弟がちょっかいを出しにくるであろう、昼下がりのことだった。

 彼らが治める〈本国〉と思想の上で対立する勢力は多く、また彼等が治める世界が順調に広くなるにつれ、抱える問題もまた多くなってきていた。
 ──剣と魔法が支配するところから始まった世界であっても、夢と希望だけで解決できることばかりではないのが世の常である。
 
 ただでさえ、不老不死で生きる実感に乏しい天魔という存在は、気に喰わない事があれば、拳を上げる事にためらいがないのだから。

「今回もいい戦いっぷりだったらしいじゃねえか。シードがベタ褒めしてたぜ」

 〈護戦神〉の労いの言葉に、殊勲章を得てもおかしくない本戦役最大の功労者は、あくまで控えめにそれを受け取った。

「いえ……彼や彼の部下が良くやってくれたおかげです」

 耳に心地良い、爽涼とした美声。
 どんな貞節な淑女であろうとも、耳元で囁かれればうっとりせずにはいられまい。この声が法撃の爆音轟く戦場で号令を発していたとは、彼の職掌を知るものでさえ、にわかに信じ難いほどだ。

「っても正直、俺もここまでお前さんが使えるとは思ってなかったぜ。実際大したもんだ。短い間にこんだけ戦績を上げりゃ、お前さんのことをとやかく言っていた奴も、実力を認めざるを得ないだろ」

 さらなる心からの賞賛にも、答える声は一片の驕りもなく謙虚である。

「ありがとうございます。
 ……それでは他に御用がなければ、これで失礼させていただきたいのですが」
「おうよ。うまいもんでも食ってゆっくり休め」

 エリフォンが申し出を横柄に応じる。
 さらりとなびく黄金色の髪。白皙の美貌にまだ少年の面影を残す、その異様に若い将校は、見事なまでに型通りな敬礼をすると、御前から静かに下がろうとした。
 が、しかし。

「ああ、セイクリッド。来てたのかい?」

 突然横から声をかけられ、足を止める。

「凱旋おめでとう。
 ああ、どこもおかしいところはないかい?何かあれば今すぐ診てあげるから、遠慮しないで言うんだよ」

 姿だけならアッシュブロンドと琥珀色の瞳が特徴的な、物腰も柔らかい美青年……〈医聖〉イグナツは、その場のホストであるエリフォンなどまったくお構いなしで、嬉々として軍服姿の若者に近づいてきた。

「我慢強いのはいいけれど、無理はいけないよ。
 ほんの小さな傷やストレスが命取りになることもあるんだからね」

 若者の身を案じるイグナツの様子は、王が臣下にするものとは思えないほど親しげである。

「だったらとっとと帰して休ませてやれよ。変態過保護魔皇」

 無視されていたエリフォンが、やや憮然とした調子で会話に割って入る。

「誰が変態ですって!?
 ……そうだ、これからお茶するつもりなんだけど、君もどう?」

 エリフォンに一声吼えた後、打って変わった優しい声で同席を誘ったイグナツであったが、若者は困惑の表情を浮かべ、申し訳なさそうに言った。

「すいません……今日はちょっと」

 イグナツは返ってきた返事にガックリ肩を落とした。

「だってよ。
 ほら、ダダこねてないで手ぇ放してやれよ。どっちがガキなんだかわかりゃしねぇ」

 言われて〈医聖〉は渋々引き下がる。
 彼の背後でエリフォンが、若者に「早く行け」と目配せすると、彼は軽く一礼して踵を返した。

「今度はきっとだよ」

 去り際、背中にかかった未練たっぷりの声に、若者は肩越しに振り返ると、微苦笑を浮かべて答えた。

「ええ、必ず。喜んでご一緒させて頂きますよ」

 軍服の長身痩躯が視界から完全に消えるのを見計らって、エリフォンは深々とため息をつき、イグナツを横目で睨んだ。

「まーったく……よけいな気を遣わせやがって。
 下手に絡まないでそっとしておいてやりゃいいんだよ。坊やはただでさえ疲れてるんだ」

 もちろんイグナツも黙ってはおらず、これに睨み返して答える。

「そう言う兄さんこそ、あの子を心配しているのなら、出陣の数を減らしてあげればいいじゃないですか。
 他に公務や教育課程も抱えているというのに……こんなに立て続いてなんて可哀相ですよ」
「今回のは俺の命令じゃないぜ。元老共の差し金だ」

 それを聞いたイグナツが、「やれやれ」といった調子で言葉をこぼす。

「戦闘能力のテスト……ってところですかね」
「よっぽど気に入らねぇらしいな。あいつに人間の血が入ってるってことがよ」

 エリフォンが吐き捨てた。
 イグナツはしみじみと、

「それでも〈全知〉の力を持ってさえいれば、ここまで苦労しなくても済んだでしょうに……不憫ですね」
「いや、違うな」

 彼の同情をエリフォンはあっさり否定した。

「そもそもあの兄貴の……〈全知神〉ダレンフィムの息子として生まれたのが、不憫な話だってもんなのさ」

        ■■■


 エリフォンが、初めてこの青年……テルゼ=フォルナー(皇位継承名・セイクリッド=ダーウェル=アフラロイド)と顔を合わせたのは、半年前に遡る。

 首座魔皇・ダレンフィム=ソルフィス=アフラロイドの正統なる後継者として、彼は遠く離れた名もない星から、父の治めるこの世界へと迎えられやって来たのであった。

(あの親にしてこの子供ありってか。まぁお綺麗に成長したもんだぜ……)

 全身を視線で一撫でした後、エリフォンは思わずため息を漏らした。
 陽光を弾き、艶やかに輝く豪奢な金髪。白磁のごとき麗貌の中に納まった、大粒の宝石を思わせる紫紺の瞳が、真っ直ぐエリフォンを見つめている。

 そんな青年の瞳に映るエリフォン自身、極めて端正な顔立ちの持ち主なのであるが、いかんせんその豪放磊落な立ち振る舞いと語り口のせいか、こと「色気」というものに関しては、目の前の青年の足元にも及ばない。
 淡紅色の髪を膝に届く程長い三つ編みにしている、年齢は二十歳前後、長身の野性的な美青年──という風貌を持つ偉大な皇は、何故か女受けより男受けの方が良い、というのが悩みの種である。

(身体の線も細えし……女って言えば女、男と言われてはいそうですか、って感じだな)

 しかしだからと言って、「女々しい」という言葉は不思議と連想されなかった。優しげな面差しの中にも、秘めたる強靭な精神力が感じ取られるせいだろう。

(でなけりゃ最前線で戦い続けてはこれなかったか……当然といえば当然だ)

 故郷で最年少にして最高位の導師となった彼は、わずか三歳で初陣を踏んで以来(人間社会では当然その実年齢は伏せられていた)、土着魔族との戦いにおいて数々の武勇伝を築き上げ、今や生まれた星においては、知らぬ者はいない英雄として人々の間に記憶されているという。

 当人はというと、そのことについてはさほどの感慨はなさそうであったが、『人間として』人々の営みを守るため、その剣を振るってきたことについては、並々ならぬ誇りを抱いているようであった。

(だからそんな目で〈天魔〉の俺を見るんだな……)

 納得すると、エリフォンは笑顔で手を差し出した。

「お前が産まれたばっかりの時、一応会っているんだが、さすがに覚えちゃいないだろ。
 エリフォン=スザック=アフラロイド。お前の親父の弟だ。よろしくな」
「よろしく……エリフォン叔父様」

 挨拶を受けたエリフォンの笑顔が、瞬間的に引きつった。

「お・に・い・さ・ん・だッ!
 見た目はてめぇと大差ないだろうが。今度そう言ったらはっ倒すぞ」

 ジト目で睨まれた青年は、すぐ訂正した。

「わかりました。エリフォン兄さん」
「よろしい」

 鷹揚に頷く彼の耳に、抑えた笑い声が聞こえてきた。

「何だよ。今の話はそんな笑いをとるとこじゃねぇぞ」

 咎めるエリフォンに、彼は慌てて謝った。

「ごめんなさい。
 いえ、あなたのような方でもそういうことって気にするんだな、って思ったら何か可笑しくなってしまって……」
「ふーん。
 お前の世界じゃどうだったか知らねぇが、ここの天魔は、多分お前が考えてるよりずっと普通の連中だぜ。
 人間と同じと思って接してやりゃそれでいい」
「人間と同じ……ですか」
「そうそう。
 これからここで暮らしてっといっそ愉快なくらい幻想壊れまくるぜ。だからそんなに緊張すんな。
うまくやっていけるさ。お互いに」

 器用にウインクするエリフォンに、一見兄弟にしか見えない甥は、ここで初めてニッコリ笑った。まるで春の日差しのような、明るく温かい笑顔だった。


        ■■■


(……そういやあれ以来、アイツのあんな顔見たことないな)

 ミルクを入れた紅茶を、ティースプーンでぐるぐるかき混ぜながら、エリフォンは思った。

「……本当に大丈夫でしょうかね。あの子」

 紅茶を一口すすった後、イグナツがぽつりと言う。

「あんだけの実力があるんだ。そう簡単にゃくたばらないさ」

 エリフォンはカップを手に取ると、一気に中身を飲み干した。

「そういうのじゃなくて……内面的な問題ですよ。
 あの子見た目はしっかりしてますけど、確かまだ十にもなってないはずです」
「向こうの数え方で七歳、こっちで五歳だっけかな?」

 エリフォンは改めて自分で言って驚いた。
(まだ本当にガキじゃねぇか……)

「どちらにしろ、人間としては、やっと就学年齢に届くかどうかといった程度の、まだ甘えたい盛りの子供です。
 それがいきなり住み慣れた世界からこんな異界に放り出されて、あまつさえ過酷な任務に就かされるなんて……情緒面に破綻をきたさなければいいのですが」

 イグナツはカップを受け皿に返すと、ため息をついた。
 このあたりは腐っても医者の元締めというところだろうか。

「つまりあれだ。天魔としての知能や魔力の成長に、人間の心が追いついていかないと。そういうことを言いたいわけか。お前は」
「ええ。どこかで捌け口を作ってあげないと……本人が知らないうちに自分を追い詰めていきかねないような気がして。
 あの子は出来過ぎてるほど〈いい子〉だから」
「なるほどねぇ……」

 確かにあの兄の血筋なら、イグナツの言うことも杞憂とは言い切れないかもしれない。
 エリフォンはお茶受けの菓子に手を伸ばしながら、また思慮に耽るのであった。
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