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入試に合格し、私は都会の大学へ行くことになった。奨学金の手続きや引越しの準備で忙しい日が続いた。おばあさんのことを考えれないくらいに。
大学生活が始まり三年が経ったころには、愛想笑いを覚え、女性の扱いにも慣れた。男性が見境なく望む汚い性欲処理の世話もできるようになった。両親が喜ぶ言葉をかけることもできるようになった。高校の頃、いかに無愛想だったかが分かる。
長い長い夏の休暇、半年ぶりに帰省した。母はご馳走を用意してくれた。晩御飯を食べた後、去年急死した父の骨が埋まっている墓場へ行った。家からは歩いて二十分ほどのところだ。田舎なので街灯もほとんどなく、懐中電灯がないと前が見えない。墓場へ向かう上り坂を終えて、父の墓の場所を探すためにぐるりと懐中電灯で見渡した。すると一人の女性が墓の前で座っているのが見えた。
明かりに照らされて驚いたのか、女性はこちらに顔を向けた。その瞬間、私は涙が溢れでた。
おばあさんだ。
あの、おばあさん。
しわしわで、髪も真っ白になり、驚くほど痩せ細っていたが、間違いなくあのおばあさんだった。
生きていたんだ。
ずっとずっと前に、死んだとばかり思っていた。上京する頃にはもう諦めていた、一番会いたかった人。
気付くと私はおばあさんにかけよっていた。
「おはよう、シンちゃん」
おばあさんはニッコリと笑いながら私に声をかける。シンちゃんが誰かは分からない。そしておばあさんもきっと、私が誰かは分かっていない。
「おばあさん、何してるの」「お父さんの顔見に来たの。ここに眠っているの」
幼児のような話し方になっているのは、認知症のためだろうか。
「そうなんだ。隣に座ってもいい?」「いいよ」
おばあさんは地面をポンポンと叩き、そこに座るよう合図した。私はしゃがみ、うつむき手をあわせる。墓標の下に目をやると、深い穴が掘られていた。おばあさんの手は土でひどく汚れている。そして白くて小さいなにかを指でつまんでいた。
「おばあさん、ここ、掘ってたの?」「うん。お父さんがいないとやっぱり寂しいからね。毎日掘って、ひとつずつかけらをもらって行くの。帰るときはちゃんと埋めるから大丈夫だよ」
綺麗な笑顔。純粋な笑顔。そう、私はおばあさんの、この笑顔が好きだった。嘘ばかりの世界。人の様子を伺ってしか動けない人間。はりつけたような気持ちの悪い歪んだ笑顔で溢れるこの場所で、おばあさんだけが、毎朝わたしに澄んだ笑顔を見せてくれた。
その美しい笑顔を久し振りに見ることができた喜びで、私は涙が止まらなくなった。
「シンちゃんどうしたの。泣いてるの?いやなことあった?そういうときはね、空を見るといいよ。私にはもう真っ暗にしか見えないけれど、シンちゃんにはもっと綺麗に見えるんでしょ」
土で汚れた右手で私の背中を優しく撫でる。そして左手で夜空を指差した。
空を見上げると、都会では考えられないほど美しい星空がそこにはあった。眩しいほどに。
「ねえシンちゃん、なにか見えた?おしえて」
「すごく綺麗だよ。夏の大三角形がくっきり見える」
「すごいねえ。きれいなんだろうねえ」
「えーっと、あれ、射手座だっけ?琴座?うーん、分かんないけど、とにかく星がいっぱいだよ」
「そんなにいっぱいあるんだねえ。わたしも見たいなあ」
「今度一緒にプラネタリウムに行こうよ」
「行ってみたいわあ」
しばらく星空を眺めた後、私はおばあさんと別れて坂道を降りた。懐中電灯の元で帰路につく。
「おかえり。お父さんのお墓どこか分かった?」
「分かるよ。何回か行ってたし」
「よかった。ちゃんと手合わせてきた?」
「うん。じゃあ私お風呂入って寝るね。今日はご馳走さま。美味しかったよ」「上手が言えるようになったわね。昔の真奈美と大違い」「一言多い」
お互い笑いながら、最後におやすみと部屋を出た。お風呂に入りながら目を閉じると、先程みた美しい夜空とおばあさんの笑顔が鮮明に蘇る。四年ぶりに訪れた、私の楽しい一日を振り返りしばらく余韻に浸った。
おばあさんとプラネタリウムに行くことは叶わなかった。冬に帰省した頃にはばあさんが亡くなっていた。半年に一度の夜に行く墓参り。まず、おばあさんが眠っているであろう田辺と書かれた墓標を探して手を合わせた。
「おばあさん、冬はもっと星が綺麗に見えますよ。あれがオリオン座。おおいぬ座、こいぬ座…。おばあさんとお話がしたくて、星座のこといろいろ勉強したんだよ」
おばあさんのお墓からなかなか離れられず、その日は父のお墓に手を合わせられなかったので、翌朝再度あの坂を登った。今度は父の墓はすぐに見つけられた。ここも思い出の所だから。父の骨があった場所に手を合わせながら、墓標の下の土に目をやる。何度も掘り起こされ、そこだけまだ少し柔らかい土に触れ、私はふんわり微笑んだ。
大学生活が始まり三年が経ったころには、愛想笑いを覚え、女性の扱いにも慣れた。男性が見境なく望む汚い性欲処理の世話もできるようになった。両親が喜ぶ言葉をかけることもできるようになった。高校の頃、いかに無愛想だったかが分かる。
長い長い夏の休暇、半年ぶりに帰省した。母はご馳走を用意してくれた。晩御飯を食べた後、去年急死した父の骨が埋まっている墓場へ行った。家からは歩いて二十分ほどのところだ。田舎なので街灯もほとんどなく、懐中電灯がないと前が見えない。墓場へ向かう上り坂を終えて、父の墓の場所を探すためにぐるりと懐中電灯で見渡した。すると一人の女性が墓の前で座っているのが見えた。
明かりに照らされて驚いたのか、女性はこちらに顔を向けた。その瞬間、私は涙が溢れでた。
おばあさんだ。
あの、おばあさん。
しわしわで、髪も真っ白になり、驚くほど痩せ細っていたが、間違いなくあのおばあさんだった。
生きていたんだ。
ずっとずっと前に、死んだとばかり思っていた。上京する頃にはもう諦めていた、一番会いたかった人。
気付くと私はおばあさんにかけよっていた。
「おはよう、シンちゃん」
おばあさんはニッコリと笑いながら私に声をかける。シンちゃんが誰かは分からない。そしておばあさんもきっと、私が誰かは分かっていない。
「おばあさん、何してるの」「お父さんの顔見に来たの。ここに眠っているの」
幼児のような話し方になっているのは、認知症のためだろうか。
「そうなんだ。隣に座ってもいい?」「いいよ」
おばあさんは地面をポンポンと叩き、そこに座るよう合図した。私はしゃがみ、うつむき手をあわせる。墓標の下に目をやると、深い穴が掘られていた。おばあさんの手は土でひどく汚れている。そして白くて小さいなにかを指でつまんでいた。
「おばあさん、ここ、掘ってたの?」「うん。お父さんがいないとやっぱり寂しいからね。毎日掘って、ひとつずつかけらをもらって行くの。帰るときはちゃんと埋めるから大丈夫だよ」
綺麗な笑顔。純粋な笑顔。そう、私はおばあさんの、この笑顔が好きだった。嘘ばかりの世界。人の様子を伺ってしか動けない人間。はりつけたような気持ちの悪い歪んだ笑顔で溢れるこの場所で、おばあさんだけが、毎朝わたしに澄んだ笑顔を見せてくれた。
その美しい笑顔を久し振りに見ることができた喜びで、私は涙が止まらなくなった。
「シンちゃんどうしたの。泣いてるの?いやなことあった?そういうときはね、空を見るといいよ。私にはもう真っ暗にしか見えないけれど、シンちゃんにはもっと綺麗に見えるんでしょ」
土で汚れた右手で私の背中を優しく撫でる。そして左手で夜空を指差した。
空を見上げると、都会では考えられないほど美しい星空がそこにはあった。眩しいほどに。
「ねえシンちゃん、なにか見えた?おしえて」
「すごく綺麗だよ。夏の大三角形がくっきり見える」
「すごいねえ。きれいなんだろうねえ」
「えーっと、あれ、射手座だっけ?琴座?うーん、分かんないけど、とにかく星がいっぱいだよ」
「そんなにいっぱいあるんだねえ。わたしも見たいなあ」
「今度一緒にプラネタリウムに行こうよ」
「行ってみたいわあ」
しばらく星空を眺めた後、私はおばあさんと別れて坂道を降りた。懐中電灯の元で帰路につく。
「おかえり。お父さんのお墓どこか分かった?」
「分かるよ。何回か行ってたし」
「よかった。ちゃんと手合わせてきた?」
「うん。じゃあ私お風呂入って寝るね。今日はご馳走さま。美味しかったよ」「上手が言えるようになったわね。昔の真奈美と大違い」「一言多い」
お互い笑いながら、最後におやすみと部屋を出た。お風呂に入りながら目を閉じると、先程みた美しい夜空とおばあさんの笑顔が鮮明に蘇る。四年ぶりに訪れた、私の楽しい一日を振り返りしばらく余韻に浸った。
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「おばあさん、冬はもっと星が綺麗に見えますよ。あれがオリオン座。おおいぬ座、こいぬ座…。おばあさんとお話がしたくて、星座のこといろいろ勉強したんだよ」
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