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過剰に摂取した酒と食べ物は美琴をトイレへ閉じ込めた。せっかくの休日の大半をかたくるしいトイレで過ごす羽目になり気分が下がったが、昨晩のことを思い出しては嬉しそうにニヤけている。ぽっこりと出た腹を見ても、以前より嫌悪感はなかった。
いつも休日はエステやネイル、ショッピングへ行くのだが、この週末はどこにも行かずボーっと過ごした。化粧もせず、ポテトチップスを食べながらアニメ鑑賞とゲーム実況動画をひたすら見た。元カレには内緒にしていたし、付き合っている間は見ていなかったが、実はドラマよりもこういった映像を観ることの方が好きだった。
「あははは!!」
一人で部屋に籠っているときに、美琴が声を出して笑うなんてことは今までなかった。気が楽で、自由で、とても楽しい。こんなに生きている気分になったのはいつぶりだろうか。なのにどうしてか涙が止まらなかった。
また月曜日が来る。顔を洗い鏡を見ると、目の前には一重の女性が映っている。顎には赤い吹き出物ができていた。不細工なことこの上ないが、表情はどこか吹っ切れた様子で明るい。充分な食事を摂ったおかげかこけていた頬もふっくらとしており、ズボラをしてたっぷり寝たためかクマも薄くなっていた。美琴は適当に化粧水と乳液を顔に塗りたくり、給料の大半を吸い取られていたデパコスが入った箱を床に投げつけた。床に散らばったコスメを蹴り飛ばし、美琴は化粧もしないまま皺だらけのスーツで家を出た。
「え…美琴さん…?」
出社した美琴に社員が騒然とした。いつもと全く違う顔と雰囲気にすぐに彼女とは認識できなかった。席に座りやっと美琴だと気付いた彼らは、隣にいる人にコソコソと耳打ちをする。
「え?あれほんとに美琴さん?うそでしょ」
「スッピンだよなあれ…?うわー…化粧取ったら別人じゃん…」
「しかも服しわくちゃだし…ってうわ…朝からチョコ食ってる。あの美琴さんが」
「なにがあったんだよ…」
「素顔見たくなかったわー…。ショックでか…」
すっかり別人の美琴に、ほとんど全員が苦い表情を浮かべていた。あの美人でいつもキッチリしていてキラキラ輝いていた美琴が、すっかり落ちぶれたと思った。後輩だけが、美琴の姿を見てもいつもと変わらない態度で接してくれた。
仕事が残っているにもかかわらず、美琴は空が暗くなる前に会社を出た。いつもの駅のひとつ前で降り、鼻歌を歌いながら長い階段を上る。
誰のためでもない。私のための人生。めんどくさい化粧もしなくていい。好きなものを好きなだけ食べてもいい。好きな本を読んで、好きなアニメを見るの。楽しい。人生ってこんなに楽しかったんだ。
この二日で体重が2キロも増えた。しかし美琴の体は軽やかだ。階段だって駆け上がる。長い髪をなびかせ、短いまつげを乗せた瞼は生き生きとまばたきをする。踊るように階段をのぼる彼女とすれ違ったある青年は思わず振り返った。彼女の全身から漏れるしあわせにすっかり目を奪われる。
(なんてキラキラした人なんだろう)
美琴は階段をのぼりきる。これ以上ない笑顔を赤く染まった空に向けた。
もう誰にも縛られない。わたしはわたしの好きなように生きるの。
長い階段の向こうには公園があった。子どもたちはもう帰って誰もいない。美琴は遊具の間を縫って走り、町が一望できる高台の淵に立った。マスクを外し深く息を吸うと、新鮮で冷たい空気が美琴の中に入って来る。息を吐くと、今まで溜めこんでいた不満が出て行った気がした。
トン、と軽い足取りで美琴は一歩踏み出した。地面がなくなり彼女の体は落下する。
「あ、生きてる」
今まで自分を殺して生きてきた。虚飾に囚われ、他人の望むままの自分を演じてきた彼女は死んでいるも同然だった。社会の歯車に組み込まれた人形は、生きている意味をとっくに見失っていた。
歯車は砕け散り、倫理が吹き出しコンクリートを赤く染めた。それらから解放された彼女ははじめてしあわせを感じ、日が暮れ行く空の下で自由となる。
いつも休日はエステやネイル、ショッピングへ行くのだが、この週末はどこにも行かずボーっと過ごした。化粧もせず、ポテトチップスを食べながらアニメ鑑賞とゲーム実況動画をひたすら見た。元カレには内緒にしていたし、付き合っている間は見ていなかったが、実はドラマよりもこういった映像を観ることの方が好きだった。
「あははは!!」
一人で部屋に籠っているときに、美琴が声を出して笑うなんてことは今までなかった。気が楽で、自由で、とても楽しい。こんなに生きている気分になったのはいつぶりだろうか。なのにどうしてか涙が止まらなかった。
また月曜日が来る。顔を洗い鏡を見ると、目の前には一重の女性が映っている。顎には赤い吹き出物ができていた。不細工なことこの上ないが、表情はどこか吹っ切れた様子で明るい。充分な食事を摂ったおかげかこけていた頬もふっくらとしており、ズボラをしてたっぷり寝たためかクマも薄くなっていた。美琴は適当に化粧水と乳液を顔に塗りたくり、給料の大半を吸い取られていたデパコスが入った箱を床に投げつけた。床に散らばったコスメを蹴り飛ばし、美琴は化粧もしないまま皺だらけのスーツで家を出た。
「え…美琴さん…?」
出社した美琴に社員が騒然とした。いつもと全く違う顔と雰囲気にすぐに彼女とは認識できなかった。席に座りやっと美琴だと気付いた彼らは、隣にいる人にコソコソと耳打ちをする。
「え?あれほんとに美琴さん?うそでしょ」
「スッピンだよなあれ…?うわー…化粧取ったら別人じゃん…」
「しかも服しわくちゃだし…ってうわ…朝からチョコ食ってる。あの美琴さんが」
「なにがあったんだよ…」
「素顔見たくなかったわー…。ショックでか…」
すっかり別人の美琴に、ほとんど全員が苦い表情を浮かべていた。あの美人でいつもキッチリしていてキラキラ輝いていた美琴が、すっかり落ちぶれたと思った。後輩だけが、美琴の姿を見てもいつもと変わらない態度で接してくれた。
仕事が残っているにもかかわらず、美琴は空が暗くなる前に会社を出た。いつもの駅のひとつ前で降り、鼻歌を歌いながら長い階段を上る。
誰のためでもない。私のための人生。めんどくさい化粧もしなくていい。好きなものを好きなだけ食べてもいい。好きな本を読んで、好きなアニメを見るの。楽しい。人生ってこんなに楽しかったんだ。
この二日で体重が2キロも増えた。しかし美琴の体は軽やかだ。階段だって駆け上がる。長い髪をなびかせ、短いまつげを乗せた瞼は生き生きとまばたきをする。踊るように階段をのぼる彼女とすれ違ったある青年は思わず振り返った。彼女の全身から漏れるしあわせにすっかり目を奪われる。
(なんてキラキラした人なんだろう)
美琴は階段をのぼりきる。これ以上ない笑顔を赤く染まった空に向けた。
もう誰にも縛られない。わたしはわたしの好きなように生きるの。
長い階段の向こうには公園があった。子どもたちはもう帰って誰もいない。美琴は遊具の間を縫って走り、町が一望できる高台の淵に立った。マスクを外し深く息を吸うと、新鮮で冷たい空気が美琴の中に入って来る。息を吐くと、今まで溜めこんでいた不満が出て行った気がした。
トン、と軽い足取りで美琴は一歩踏み出した。地面がなくなり彼女の体は落下する。
「あ、生きてる」
今まで自分を殺して生きてきた。虚飾に囚われ、他人の望むままの自分を演じてきた彼女は死んでいるも同然だった。社会の歯車に組み込まれた人形は、生きている意味をとっくに見失っていた。
歯車は砕け散り、倫理が吹き出しコンクリートを赤く染めた。それらから解放された彼女ははじめてしあわせを感じ、日が暮れ行く空の下で自由となる。
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