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第04話
しおりを挟む全国的な強豪校でもなければ、伝統ある名門校でもないこの野球部では部内の上下関係も練習の量や内容も、それほどに厳しいものではなかった。
校庭にあるグラウンドもサッカー部や陸上部との共有である為、毎度、必ず、一年生が先に整備をしておいてから二年生も含めた全部員での練習が始まるというような事もなかった。
「いっち」「おーい」
「にい」「おーい」
「さん」「おーい」
今現在、一年生だけで校庭の外周をランニングしている理由は、学年別のウォーミングアップでもなければ、何かのペナルティでもなくて、単純に二年生達の全員がまだ部活に来られていないからだった。
今月末に予定されている修学旅行に関して、学年集会が開かれているらしい。
「声が小せえ」「おぉーいッ」
新体制で副主将を任された一年生の鈴木彬は、顧問の教師や新主将の和泉光助を始めとした先輩方からの期待に応えようと日々、頑張ってはいたが、その先輩方の目が完全に無いはずの今日はまた一段と張り切っていた。責任感の強い男だ。
ランニングを終えて、
「キャッチボール、始めんぞお」「おーいッ」
二人一組に別れ始めた一年生達の中で一人だけ、おろおろと急に動きの鈍くなった者が居た。一ノ瀬夏純だ。周囲が夏純をハブいているわけではないのだが、どうも、ちょいちょいと彼は一人だけ浮いてしまっているようなところがあった。
何してんだか。今だって、何も考えずにただ近くに居る奴に声を掛けて、もしも断られたなら、また別の奴に声を掛け直せば良いだけなのに、右の人間に声を掛けようとして止めて、左の人間に声を掛けようとして止めてと、一ノ瀬夏純はまさに右往左往としていた。
「沢村」「おーい」
夏純を見兼ねた新副主将は、
「一ノ瀬の相手、してやってくれっか」「おーい」
こっそりと助け舟を出してやる事にした。一ノ瀬夏純と沢村雅則なら、足して二で割って、ちょうど良い人間が出来上がるかもしれないなどとも鈴木彬は考えたのだが、不意に気が付いてしまった。
「少ないの反対は?」「多い」
「英語で『Cover』。中身が見えないように被せる物と言えば?」「覆い」
「『TCK』こと『東京シティ競馬』とは、ナニ競馬場の愛称?」「大井」
この舟、沈むかな。
軽く頭を抱えながら、鈴木は、
「ふざけてねえで。さっさと行って来い」
追い払うみたいに沢村を送り出した。
「おーい」「ッせえぞ。もう。沢村ぁッ」
良くも悪くも、悪くも悪くも悪くも馬鹿な沢村雅則だったが、そういった馬鹿の方が案外、人付き合いというものには向いていたりとするものだ。
「一ノ瀬」
沢村に声を掛けられた夏純は「はいッ」と必要以上に勢い良く振り向いてしまった。なんか、恥ずかしい。赤面しながら、
「えっと。なに?」
後ずさるみたいに半歩、下がってしまった夏純に対して、
「キャッチボールすんべ」
沢村は無遠慮な大股で一歩、踏み込んで来た。
「え。あ、うん」と驚きのあまり、夏純は良く考えもせずに返事をしてしまったが、改めて、うん。キャッチボールなら大丈夫だ。
ボールの握り方から、投げ方、投げる位置、重心移動や「大きく」といった意識の部分まで、キャッチボールには大事な基礎が詰まっているからと、そのやり方は三浦一太郎にしっかりと教えてもらっていた。勿論、捕り方に関しても同じくだ。
キャッチボールなら夏純にも出来る。出来ているはずだ。多分。
「何だよ」
ボールと共に沢村から投げ掛けられた言葉に夏純は一瞬、びくりとはしてしまったが、
「な、何が?」
大丈夫だ。そのボールを取り損ねたりはしなかった。投げ返す。
夏純の投げたボールをキャッチしながら、沢村は、
「投げられんじゃん。一ノ瀬。捕れんじゃん」
楽しそうに驚いていた。
「キャッチボールくらい」と投げられたボールを捕って、夏純は「出来るよ」と投げ返す。
ちょっとだけ、ぶっきらぼうな感じになってしまっていたかもしれない理由は、ただの照れ隠しだった。
「いや。凄え。凄え」
沢村の口調や表情から、彼が嫌味や何かで言っているのではないという事はすぐに分かった。単純に褒めてもらった気がしてしまった。嬉しい。自分が褒められた事も勿論、そうなのだが、三浦に教えてもらったキャッチボールを褒められた事で、延いては三浦先輩の事を褒められているような気分にもなってしまったのだった。
夏純の抱いていた沢村雅則の印象は「下品」の一言で、どちらかと言うと苦手というか、好きではないというか、そんな感じだった。
「野球、知らないで入ったけどさ」
「おう。珍しかったよな」
「もう何ヶ月、野球部に居ると思ってんだよ」
「すぐに辞めるかと思ったけどなあ」
「えー。酷い」
「ははは。だから凄いって言ってんだろ。一ノ瀬は凄いなあ」
それが、たったの一回のキャッチボールで、今更ながら「嫌い」という単語を使う事をためらってしまうくらいには、その心を開いてしまっていた。一ノ瀬夏純本人にはそんな自覚など無かったが。
「翔吾先輩が『一ノ瀬はマネージャー志望だ』とか言ってたから」
「はあ?」
「スコアブックの書き方とか、そういうのばっかり、やってんのかと」
「やってないよッ。もうッ。何なんだよ、あのヒトはッ」
「だはははッ。何だよ。一ノ瀬、翔吾先輩にイジメられてんのかよ」
「知らないよ」
夏純は「でも」と真剣な顔付きで言ってやった。
「俺、大山先輩を越えるつもりだから」
所詮は初心者の戯言だ。不快に思う者も居れば、大笑いする者も居るだろう。
だが、沢村雅則は、
「マジか」
と目を丸くした後、
「凄えな」
呆れでもあざけりでもなく、素直に感心してくれた。
「翔吾先輩越えかあ。じゃあ、頑張らないとだなあ」と応援までしてくれた。
「ああ。ありがと。頑張る」
夏純が沢村に好感を抱いたように、沢村も沢村で夏純に何かを感じてくれたようで、この時以降、沢村は、用事も無いのに声を掛けてくれるようになった。内容の無いような話をよくするようになった。他の部員達との会話や馬鹿騒ぎにちょこちょこと夏純の事を巻き込むようになった。それは計算というよりも、結果的にそうなっただけなのかもしれないが、沢村雅則は夏純の事を、皆の輪の中に入りやすいような形で上手に誘い続けてくれた。
それにより、一ノ瀬夏純がどういう人間なのか、その人となりが徐々にだが確実に野球部内、特に沢村や夏純と同じ一年生達には認知されていく事となった。
夏純にしても、一年生で唯一の野球初心者だったという事実から来る、引け目というのか、勝手に感じてしまっていた他の皆との距離が、何だか、近くなったような気がしていた。
ただ、それにしても、夏純がいまだに慣れる事が出来ていないのが、
「フルーツポンチを逆さまにすると?」
「『こぼれる』だろ」
「残念。『チンポツールフ』でした!」
「『ツールフ』って何だよッ」
夏純以外の全員が大笑いの下ネタだった。
「略して『チンツー』! つまりは『チンチン』!」
「略すなッ。つまらすなッ」
何がそんなに面白いんだろう。眉間にシワこそ寄せてはいないが、夏純はきょとんと小首を傾げた。
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