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しおりを挟む「……え? は? ウイルス? え?」
諒は和彦とは違って、スマホやらPCやらネットやらには疎かった。急に「ウイルスが仕込まれていた」だのと聞かされても、
「え、でも。俺のスマホ、壊れてないけど。とりあえず話せてるけど。なに? これから壊れるの? スマホの中身が消えちゃう? 電話番号とか」
その「危機」を正確には捉えられていないでいた。
「……いや」
と和彦はまた諒の言葉を否定する。
「そういう類いのウイルスじゃないんだ」
「あ……そうなんだ」と諒がほっと息を吐いたのも束の間、
「……盗み見、覗き見される系だ」
たっぷりと数秒の沈黙を挟んでから続けられた和彦の言葉に諒は、
「……え? 盗み見? 覗き見? スマホのデータを? ……待って。なんかヤバいメッセージとかメモとかあったかな。無いよな。あったかな?」
また軽く慌て始める。結局、
「見られて恥ずかしいのは和彦から送られてきた画像くらいか。保存してたヤツ」
との結論には至ったものの、また、
「……違う」
和彦には否定されてしまった。
「ええ? 何さ? 今度は何が『違う』よ?」
「……盗み見、覗き見されるのはスマホのデータじゃなくて。……スマホのフロントカメラが捉えていた、この場合は諒の顔とか」
「――はあッ!?」
と諒はここ数ヶ月で一番の大声を上げてしまった。もしかしたら階下の親が注意をしにきてしまうかもしれないレベルの大声だった。
「ちょちょちょちょ……え? は? マジで? ……盗撮じゃん」
「……ごめん」
「いや。それは『ごめん』だろうけど。とりあえず。……ずっと見られてたわけ?」
「ずっとっていうか。諒が俺の送った画像を開いてる間だけ」
「いひ――ッ!?」と諒は強く息を呑んだ。
懸念していた「ずっと」ではなかったが。それよりも更に質は悪かった。
画像を開いている間という事は、つまり、諒がオナニーをしていた間という事だ。
「いやでも顔だけ。カメラの位置的に顔だけだから」と和彦は言ってくれたが、
「それ……慰めになってる? むしろ『顔以外全部』の方がマシだったんじゃあ」
諒は頭が痛くなってきてしまった。……あまりの衝撃で脳内の血管でもプチプチと切れてしまったんじゃなかろうかと半分本気で思ってしまう。
「……どの画像?」
と諒は頭の痛みを堪えながら和彦に尋ねた。
「え……?」
「――じゃなくて。ウイルスが仕込まれたのはどの画像?」
ワンチャン、ニャンチャン、ニャチャンはベトナムのリゾート都市――違う。頭がバグってるかも。1チャンス――ウイルスが仕込まれていたのが最初期の画像だったら殆ど見てもいないから、諒のオナニー中やイキ顔は盗み見も覗き見もされていないかもしれない。
和彦からの回答は、
「……ごめん」
だった。
「いや。まあ。そんなに謝られても……。……和彦が悪いわけじゃないというかさ。ネットから拾ってきた画像にウイルスが入ってたのはさ、例えば、海とか川で釣った魚をおすそ分けしたら寄生虫付きだったみたいなコトでしょ。仲介しちゃった和彦は罪悪感とか覚えるんだろうけど、別に和彦は安全安心を保証してくれる業者さんでもないんだから。和彦が責任を感じ過ぎるコトはないって」
日本語に限らず言葉とは難しいものだ。諒は暗に「多少の責任はあるぞ」と言ってしまっていた。ただ逆に「和彦は何も悪くない」などとまで言ってしまっては慰めを通り越して単なる嘘になってしまう。
何度も「ごめん」と言い重ねる和彦の重い罪悪感を全て拭い取ってやる事はきっと出来ないであろうから。せめて少しでもその重荷を軽くしてやれないかと思ったら、諒にはあんな言い方しかは出来なかった。
……諒こそは完全なる被害者だと思うのだが。何で諒が和彦を慰めているのか。
答えはただ、和彦が俯いているから――だ。映像が無くても声だけで分かる。
完全に逆の立場だったなら和彦も諒を慰めてくれていただろう。二人にとって落ち込みと慰めの役割分担は早いもの勝ちみたいなものだった。
「まあなあ。画像が画像っていうか。著作権法違反とか盗撮っぽいのとか無修正とかそんな画像ばっかりだったからなあ。これが金を払って正規に買った電子写真集とかだったらこんなコトにはなってなかっただろうなって思うとさ。悪いコトは出来ないってコトだよねえ――とか、タッカンしたようなコトを言ってみちゃったりして」
諒は「ははは……」と小さく笑った。
和彦は、
「……全部だ」
何の脈絡も無さそうな一言を急にぼそりと呟いた。
「え? ぜんぶ? 何が?」
「……さっきの答え。どの画像にウイルスが仕込まれていたのか。――全部だ」
「は……? ……全部ッ!? まじで? ……こわッ。ネットのエロ画像、こわッ」
和彦の言葉に諒は大きく驚いた。身震いもした。だが……それだけだった。
諒と和彦の言葉を合わせると「ネットで拾ってきた画像の全てにウイルスが仕込まれていた。その画像は多種多様で枚数は50以上もある」という事になってしまうが。多少なりともネットを利用している人間からすれば、それは流石にありえないと言わざるをえないような話だった。
ネットに疎過ぎた諒にはイマイチ、ピンと来ていないのかもしれないが「釣り」で例えれば、あちらこちらの海やら川やら湖やらで釣ってきた色々な魚の全てに偶然、同じ寄生虫が住み着いていたと言っているようなものだった。ありえない。
「俺は俺として。和彦の方は大丈夫なの? そんな画像、拾ってきちゃって」
「…………」と和彦は答えなかった。……和彦も和彦で大変なのかなと諒は勝手に解釈をしてしまった。
「はあ……」と息を吐く。
「……良いよもう。しょうがないよ」
諒は言った。自分に言い聞かせる意味も含めて。
「時間は巻き戻せないし。もう。深く考えない」
諒は言ってやった。落ち込み続ける和彦を慰める意味でも。
「ネット上に俺の顔が超出回って、超有名になっちゃったら整形でもするわ」
半分以上は冗談だった。ほんの少しだけ本気だった。
何度も言うが諒はネット云々に疎い。盗み見、覗き見をされていた事は気持ち悪いし嫌ではあったが、あくまでも諒の気持ちの問題で、大変に気分は害されたものの物理的な危害を加えられたわけではない、金銭的な被害もない、諒がその「気持ち」を呑み込みさえすれば、呑み込みさえ出来れば、何も起きていないと同じだ――と諒はそこまで深刻には捉えていなかった。捉える事が出来ていなかった。
「……流出も拡散もされないから。その心配はしなくて良い」
和彦が言った。
「そうなの?」
「リアルタイムで見られてただけでデータは保存されてないから」
「ほお。そういうの分かるんだ。なに、仕込まれてたウイルスの分析とか解析とか、そういう事したの? 凄いね」
と諒は素直に感心をしてしまった。下手な慰めの為に和彦が嘘を言っているのかもしれないとは考えなかった。ましてや――、
「そのウイルスを仕込んだのも諒を盗み見てたのも俺だからな」
そのような「答え」は全くの想定外だった。冗談九割で「もしかして」とも思っていなかった。
「……はい?」
と掠れた声が絞り出された。今夜、何度目の驚きだろうか。諒はもう驚くのにも疲れてきてしまっていた。
「ごめ――」
「いやいやいや。ちょっと待って。その『ごめん』は、さっきまでの『ごめん』とは意味が違ってくるよ。待って待って待って。気軽には受け取れない」
諒は、
「ちょっと整理させて」
と和彦の謝罪を遮った。
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