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23「あられやこんこ」

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 名前も知らない他の子達を乗せたソリを引きながら全力で駆け回るおじさんの姿を達矢は最初、鼻高々の自慢気で見守ってくれていた。笑顔だった。

 その笑顔がどの段階からしぼんでしまっていたのか、乗客の多さに忙殺されていた虎呼郎が気付いた時にはもうすっかりと少年はつまらなそうな顔をしていた。

 それでも。

「――良し。分かった。もう幾らでも来なさい御子様方ッ。本日、犬ぞり大開放だ。おじさんはリミッター解除して全力で暴れまくってやるぜいッ!」

 などと大見得を切って引き受けてしまった手前、途中で投げ出すわけにもいかず、夕刻に迫るまでの長い時間、虎呼郎は実質的に達矢の事を放って置いて他の子供達の相手をしまくってしまった。そうするしかなかった――と言わせてほしい。

 そして夕暮れ。時間切れ。結局、公園では殆ど達矢の相手を出来ぬまま、虎呼郎は少年と二人で帰路につく。

 マンションの廊下にまで戻ってきた。虎呼郎の部屋と少年の自宅は同じ階の隣同士であった。今降りたエレベーターから数えると虎呼郎の部屋よりも先に少年の自宅が現れる。その部屋を目前に虎呼郎が、

「あー……お疲れ様。風邪とか引かないようにちゃんと」

 と言っている間に少年は、たたた……と足早に自宅へと入っていってしまった。

 無言ではなかった。何か「もごもご」と発していた事は感じ取れたが、その音量は酷く小さくて虎呼郎の耳には届いていなかった。

「……拗ねられちゃったかな」

 と虎呼郎は苦笑いよりも少しだけ柔らかい困り笑顔を拵える。

 公園からの帰り道も少年は言葉少なだった。何かを考えているようだった。

「ふぅ」と軽く息を吐きながら自分の部屋に入った虎呼郎が、振り返って玄関の鍵を掛けようとしたところに、ばたばたばた――ッと騒がしい足音が聞こえてきた。

 ガチャッ! とやや乱暴にドアノブが回される。

「復活が早いな」と今度は苦笑した虎呼郎の予想通り、

「おじさんっ!」

 開かれたドアの向こうから勢い良く現れたのは達矢少年だった。ただ――、

「ん? 何だ? 『それ』は」

 まるでムササビかモモンガのように。軽く両手を広げた少年はまるで厚手のマントでも羽織っているかのように見えた。

 入り込んだ玄関口でテキトウに靴を脱ぎ捨てた少年は、

「ちょ、ちょ、ちょ――ッ?」

 驚き戸惑う虎呼郎の胸にぐいぐいと自身を押し当て、自分の体ごと虎呼郎を部屋の中へと押し込んだ。そして、

「――おじさんは僕の?」

 数時間前にもされた問答が今一度、蒸し返される。

 虎呼郎の腹にぐりぐりとおでこを擦り付けてくる少年がどんな顔をしていたのかは分からない。見えない。ただその声色は少し――。

「い……『犬』だな」

 虎呼郎が答えた。数時間前には「正解」だった「答え」なのだが、

「そうなんだけど。そうなんだけど」

 今の少年が望む「応え」ではなかったようだった。

「えー……と」と虎呼郎は困ってしまう。

 結果として。公園では少年を放り出して他の子供達とばかり遊んでしまった。疎外感を覚えてしまった少年は純朴な子供らしく虎呼郎に「友達」だとか「親友」だとかといった「言葉」を――二人の関係に確かな「名前」を求めたのだろうか。

「少年と『犬』」などという冗談じみた関係ではなくて。もっとちゃんと現実的な。

「少年……」

 虎呼郎はその目を細める。

 現実的に考えるならば。虎呼郎と達矢の関係は「同じマンションの同じ階に住んでいるお隣さん同士」であり、また「それだけ」であった。

 虎呼郎は少年を「親友」とも「友達」とも思えない。

 ただの「お隣さん」だ。もっと言ってしまえば「他人」だ。

 目一杯に譲歩しても「冗談じみた関係」が精々だった。

「おじさんは『犬』じゃないよ。今日だけ……。今日だけはね……――」

 少年は言った。虎呼郎は耳を塞ぐ代わりに目をつむる。

「――おじさんは『猫』だからっ!」

「……は?」

 虎呼郎は閉ざしていたまぶたを大きく開いた。その目をまんまるにする。

「ね……『猫』?」

「そうっ!」と達矢は顔を上げた。少年は明らかに興奮していた。顔中、真っ赤だ。

「だ、大丈夫か? 少年。自分が今何を言っているか、分かっているか?」

「熱でもあるんじゃないか? 公園は寒かったもんな」と虎呼郎は本気で心配をしてしまったが、少年は虎呼郎の心配には応えずに大きな声で歌い出す。

「あられやこんこっ。ねーこはっ?」

「え? え? え?」と困惑しながらも虎呼郎は、

「猫は……ええと。あー……『こたつで丸くなる』?」

 律儀に答える。すると少年は「正解!」とばかりにまた叫んだ。

「僕、こたつっ!」

 そして少年は虎呼郎の胸を押す。強く押す。押し込む。ぐいぐいぐい。

「あぶ、あぶ、あぶっ――とと」

 虎呼郎はその場で崩れ落ちた。倒れ込む。

 少年が虎呼郎を押し倒したがっている事に気が付いて、押し倒されてあげたのだ。

「えへへ」

 床に背を付けた虎呼郎の真上で少年が笑った。

 ……なるほど。少年が背負っていた「マント」は「掛け布団」か。

 小さめの掛け布団だった。普段、少年がベッドで使っている掛け布団だろうか。

 掛け布団を背に乗せて、膝とてのひらの四足を床に付けている今の少年のその姿は「こたつ」っぽくなくもなかった。

「丸くなって。おじさん。丸くなって。丸くなって」

 少年が言う。

「ええ?」

「おじさんは『猫』だからっ! 今日だけ『猫』なのっ!」

「う、うーん……」

「友達」だの「親友」だのと言われてしまえば否定するしかなかった虎呼郎だったが「猫」だなどと言われてしまうと……真面目に否定をする必要は無いように思えた。

「おじさんはっ! 『猫』っ!」

 少年のその「まるで必死」な勢いにも押されて、

「ええと……はいはい」

 と虎呼郎は長い手足を出来るだけ縮めてみた。

 それでも覆い被さってきていた少年の体は勿論、少年が背負っていた小さめの掛け布団にも隠れ切れるほど小さくはなれなかったが。……いや。ちょっと待て。

「ねーこは、こたつでまるくなるーっ!」

 少年は無邪気に歌っているが、この状況――上から順に布団・少年・虎呼郎・床はマズいんじゃないか……?

「こたつ」だ「猫」だの主観を除いて客観的に見れば「布団を背負って虎呼郎を押し倒している少年」もしくは「布団の中で少年を胸に乗せている虎呼郎」だ。

「しょ、少年。あの、ちょっと……」

「ダメだよっ! おじさんは今『猫』なんだから。『猫』は『こたつ』で丸くなってなきゃっ!」

「いや……その……少年?」

 達矢に「ダメっ!」と両手、両膝でホールドされてしまった虎呼郎は、

「ぐ……ぬぬぬ……」

 密着する少年の高い体温に熱せられてその顔を赤く染める。額に汗を浮かべた。

 ぼそり、

「……本物のこたつ以上だ」

 虎呼郎は喘いだ。


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