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 子供の相手をしていると、その大胆さというか遠慮の無さにあてられて、どきりとしてしまう事がたまにある。

「はい。おじさんの分のグローブ。ちゃんと大人用だからね」

「あ、ああ。どうもありがとう」

 野球のグローブほどの大きさがあれば問題無く受け渡しも出来るが、

「あ。おじさん、ちょっとボール貸して」

 虎呼郎が手に持っていた野球のボールを達矢が掴もうとしたときの事だ。

「ああ。――ッと」

「え? なに? 静電気?」

「あ、いや。何でも」

 達矢はその指先で虎呼郎のてのひらを擦るようにしてボールを鷲掴みにした。

 ほんの一瞬だけ、指と指を絡ませ合って手を握る「恋人繋ぎ」のようにもなった。

 達矢にしてみれば相手の手に触れているという意識は無いのだろう。遠慮というか躊躇が無かった。物を手渡しする際、大人ならば極力、相手の手には触れないようにするものではないだろうか。マナーとまで言ってしまって良いかは分からないが。

 一昔、二昔前、一部のコンビニエンスストアでは会計時に客の手を握ってお釣りを「手渡す」というか「持たせる・握らせる」ような、酷く丁寧な接客をしていた事があったが、虎呼郎にとっては丁寧というよりも嫌がらせのように感じられていた。

 鈴木虎呼郎に潔癖症の気は無かったが、パーソナルスペースの侵害をされたような気がするのだろうか。見ず知らずのコンビニ店員に手を握られる事は、たとえ相手が可愛らしい女の子であったとしても虎呼郎にとっては不快だった。

 そう考えると「子供」というものにはパーソナルスペースが無いのだろうか。

「おじさーん」と達矢はいつも虎呼郎に抱き着いてくる。

 仰向けに倒れ込んだ虎呼郎の脇腹を枕にして眠ったりする。

 シャツをめくったナマの腹に顔面を押し付けてきたりする。

「あーん」と言って開けさせた虎呼郎の口の中に指を突っ込んできたりする。正確に言えば「パンを掴んだ指」ではあったが、パンだけを口の中に送り込むのではなくて指ごとパンを虎呼郎の口の中に深く差し入れたりするのだ。

 これらは「無邪気」の一言で片付けてしまっても良いものなのだろうか。

「……少年」

 と虎呼郎は達矢と膝を突き合わせる。

「はい。なんでしょうか」と達矢少年は真面目ぶった顔をした。

「本日は」

「おひがらもよく?」

「違います。ひとつ、真面目なお話をさせて頂きます」

「……はい」

 軽く小首を傾げながらも少年は頷いた。

「少年は、スキンシップが過多です」

「……肩でスキップ? 無理だよ……?」

 達矢は真面目に顔をしかめる。ふざけているわけではないようだった。

「スキンシップ。ええと。少年は、おじさんにベタベタと触り過ぎ、近付き過ぎだという事です」

「……ええッ? 触っちゃダメなの? え、なんで? ええ? だって。おじさんは僕の『犬』だから。犬は触るよね? 抱っこもするし。ぎゅーッてするし」

 ……「抱っこ」と「ぎゅーッ」の違いは分からないが。

「うん。『犬』なんだけど、おじさんは『おじさん』でもあるからね。基本的に『おじさん』は触ってはいけないんだよ」

「……そうなの?」と少年は寂しそうな顔をする。心苦しいが仕方がない。

「少年がおじさんにベタベタと触ると、おじさんは嫌がったり怒ったりするからね」

「え……? ……ホント? おじさんも怒る? イヤだった?」

 言ったそばから。少年はじりじりとにじり寄ってきていた。ぐぬぬぬぬ……。

 里見達矢は本当に警戒心が薄過ぎて心配になってしまう。「怒る」や「嫌がる」で済めばまだ良い方で。世の「おじさん」の中には「少年」に触られるのが「好き」だというような不埒者もいるのだ。……ヨイショと自分の事は棚に上げて。

「え? 『好き』なら触っても良いんじゃないの?」「いやいやいや……」である。まだ十歳の達矢を相手に上手い説明は出来そうになかったので、その辺りのアレコレはがっつりと省かせてもらったが、とにかく不用意な接近は「危険」だという話だ。

「このおじさんは怒らないけど。他のおじさんは怒っていないように見えても怒っていたりとか、嫌がっていないように見えても嫌がっていたりする事があるから」

 少年は「うーん……」と唸ってしまった。

「……ちょっと、むずかしいかも」

「そうかあ。まあ、簡単に言えば『おじさん』には触らないように、近付き過ぎないようにしなさいという感じかな」

 大袈裟で極端な話かもしれないが、冗談ではなく、虎呼郎で慣れてしまったせいで達矢の「抱き着く」等のハードルが下がってしまわないかと虎呼郎は心配していた。いくら無邪気な達矢でも本当に見ず知らずの人間には抱き着いたりしないだろうが、このまま虎呼郎に抱き着き続けていけば「顔見知り」程度の相手にも簡単に抱き着いてしまうようになるかもしれない。もしかしたら。すでになってしまっているのかもしれない。「犬」だ何だと言ってはいるが現実、事実は鈴木虎呼郎は里見達矢の親でも親戚でも友達でもない、ただの「隣に住んでいるおじさん」なのだ。

 達矢は、ただの「隣に住んでいるおじさん」に何度も頻繁に抱き着いているのだ。

 こんな事には慣れさせない方が良いに決まっている。

 ……もう二度と抱き着いてはもらえなくなるとしても。ここは心を鬼にすべきだ。

「うーん。わかった」と少年が頷いた。

「そうか。分かってくれたか」

 ……そうか。分かってくれたか……。

「ていうか。大丈夫だよ」

 少年が明るい声で言った。

「え……?」と虎呼郎は俯かせていた顔を上げる。

「えっと。おじさん以外の『おじさん』には触っちゃダメなんだよね? 言われなくてもおじさん以外の『おじさん』には触らないから。触ったこともないよ? 多分」

 達矢は「大丈夫」ともう一度、言った。

「僕、ベタベタするのはおじさんだけだから」

「……いや。でも。おじさんも『おじさん』だからね? 少年の『犬』で且つ『おじさん』だから。おじさんに抱き着き過ぎて少年が『おじさん』慣れしちゃうと……」

 一人称の「おじさん」と代名詞の「おじさん」と、よく分からない「おじさん」が入り交じって、おじさん、おじさん、おじさん、おじさん……。もう「おじさん」がゲシュタルト崩壊してきてしまいそうだった。

「ちょっと待って。待って。待って。よくわからない」

 うん。これは少年でなくとも言いたくなるだろう。

「よくわからないけど。僕、おじさんが『おじさん』じゃなくても『犬』じゃなくても、ベタベタしちゃうかも。触っちゃうかも」

「え……? それは……何故に?」と虎呼郎は訝しむような顔をした。

「え、だって。僕はおじさんが大スキだからだよ?」

「ふお――ッ!?」と虎呼郎は目を見開いた。その顔を見て少年が「あはははッ」と笑った。「にらめっこ? 変顔? 次は僕の番?」と達矢がはしゃぎ始める。

 ……こどもってやつはほんとうに、えんりょもちゅうちょもあったもんじゃない。


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