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08(ウンコもオシッコも出て来ないけどジャンル的には「スカトロ」? 注意。

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 黒谷凪が言う事にゃ――、

「鳥が分かりやすいけど。動物は基本、獲ったエサを口にくわえて持ってきて自分の子供に食わせるだろ。子供はそのエサを食って、栄養と一緒に『親の味』的なもんを覚えてんじゃねえかなって」

 実際、凪のペットの犬は、凪が地面に垂らしてしまったよだれを偶然、舐めてから凪に対して従順になったらしい。事の真実は分からないが凪の知る事実としてはそうだった。その結果から凪は先の理屈を導いたのだ。

「『パブロフの犬』じゃねえけど。摺り込みとか関連付けとかっていうとなんか悪い話みたいに聞こえるかもしれないけどな。『お前にエサを与えているヤツの味だぞ、匂いだぞ。この味とか匂いの素がお前の家族だぞ』って『絆』を教え込むんだよ」

 ――というわけで。

 里見達矢は自分の「犬」である鈴木虎呼郎に対して、

「あーん」

 自分の唾をペッと吐き掛けたパンを差し出していた。「犬」ペットにペッと。

 虎呼郎は「あ、う……む。あ」とその表情を忙しなく変えながら、

「ぎゅ、牛乳を持ってこよう。そうだ。パンには牛乳だ」

 と結局は逃げるようにその場から去っていった。

「えー」と達矢は不満げに漏らす。軽く手持ち無沙汰になってしまった達矢は「……ンしょ」と二人掛けのソファに腰掛けた。初めて入った部屋、初めて座ったソファ、この角度から見る景色。初めてなのに何処か見覚えがあるような。この既視感。

 達矢は「えへへ」と微笑んだ。

 同じマンションの隣同士である里見宅と鈴木宅の間取りはおそらく同じであろう。台所がそんなに遠くにあるわけではない。冷蔵庫がどれだけ部屋の奥の奥にあるのか知らないが、どう考えても牛乳一杯をコップに注いで持って帰ってくるだけにしては掛かり過ぎていると思われるほどの時間を掛けて虎呼郎は部屋に戻ってきた。

「ああ。すまない。少年も飲むかい?」

 ローテーブルにコップを置いて、またすぐに部屋から出ていこうとしていた虎呼郎に達矢は「ううん」と首を横に振ってみせた。

「僕はいいから。おじさん。座って。座って」

 二人掛けソファに腰掛けていた達矢が自身の隣をポンポンと叩く。

「あ、ああ」と頷いた虎呼郎は達矢の隣ではなくて、ローテーブルを挟んで向かいの床にちょこんと座り込んだ。うん。普通のご飯なら向かい合って食べるものかもしれないんだけど。今日は違うから。

 達矢は無言でソファから立ち上がると、目の前のローテーブルをぐるりと回って、向かいに座っていた虎呼郎の隣に席を移した。えへへ。

「しょ、少年」と虎呼郎は狼狽うろたえるが達矢は気にしない。いや、気が付かない。

「先に牛乳?」

 達矢がコップに手を伸ばす。虎呼郎が「あ」と口を開いたときにはもう遅い。

「自分で」

「飲ませてあげる」

 相反する二人の言葉が重なった。

「いや、あの、飲ま、ええと」と顔を赤くする中年男性の隣で、

「あーん、だよ。おじさん」

 無垢な少年がニコニコと楽しそうな嬉しそうな顔をしていた。

「……これは違う。これは遊び。ごっこ遊び。ただのおままごと……」

 小さな声でぶつぶつと何か言ってから、虎呼郎は目をぎゅっと強く閉じて、小さくそっと口を開けた。

 ――もし。この時、虎呼郎が目を閉じていなかったら。二人の未来はまた別のものとなっていたのかもしれない。

 達矢は左手に持ったコップを自分の口に付けて一口、二口程度の牛乳を口に含む。床から立ち上がって、座ったままの虎呼郎よりも高い位置に自身の口を持ってくる。右の手を虎呼郎の左頬に当ててもう少しだけ上を向くように促すと、

「ん……?」

 虎呼郎は薄目を開けた。え? すぐ目の前に少年の顔があった。まるでこっそりとキスでもされようとしているかのような距離に。え? え? え? 何だこれ? と思った次の瞬間――色々な思いからカラカラに乾いてしまっていた虎呼郎の口内に、じゃばーッと白い液体が流し込まれた。わずかにだか確実に離されていた達矢と虎呼郎の唇と唇を少年の唾液混じりの牛乳が数瞬だけ繋いで、消えた。

「んぼッ!? ごぼッ!?」

 虎呼郎が強く咳き込んだ。

 無数の白い雫がすぐ近くにあった達矢の顔に飛ぶ。

「わッ!?」と少年は驚いていた。中年男性は、

「す、すまないッ! ごめんッ! 悪いッ!」

 苦しそうに咳をしながらも素早く大袈裟に謝った。

 達矢は、

「……あはははッ」

 吹き出すみたいに笑ってしまった。

「下手くそだったかなあ、僕。ごめんなさい」

「いや、謝るのは俺の方で。その、下手とかでは」

「……もう一回、してもいい?」

「うあ……の、ええと」

「ちょっと量が多かったのかな。今度はもう少し減らしてみるから。おじさん。上を向いて?」

 ヤッてしまったものは仕方が無い。白に一滴でも黒を垂らしてしまったら、後からどんなに白を追加して黒を薄めようとしてみたところで二度と「白」には戻れない。一度も二度も一緒。毒を喰らわば皿までも――等々の言い訳を並べて、結局は自身の欲望を優先させてしまう人間もいるだろう。人間とは本来そういった性質の動物なのかもしれないが事、今回に限って言えば、鈴木虎呼郎は完全にその思考を停止させてしまっていた。単純に頭が働いていなかった。考えが麻痺していた。

 少年に何でそんな事をしたとか、しているとか、しようとしているとかを尋ねるという選択肢も虎呼郎の頭には存在していなかった。

 ただぼんやりと少年の行為を受け入れてしまっていた。好意ではない厚意だ。

 言われるがまま。真上を向いて口を開く。頬を膨らませた少年の顔が見える。

 少年は微笑んでいた。幼子おさなごに向けられる母親の表情に見えた。

 虎呼郎は自身が赤子にでもなったかのような錯覚に陥り掛けていた。目を閉じる。

 先程のような「じゃばーッ」ではなくて「つつーッ」と幾らか遠慮気味な勢いで、少年のすぼめられた唇から白い液体が流れ落とされる。

 きっと温度の差なんだろう。虎呼郎がいつも飲んでいる冷えた牛乳よりも甘い気がした。その「甘い」が口内に広がって、溢れ逃さんと呑み下す。喉を通り、胃の中に「甘い」が落ちた。虎呼郎の体温が上がる。汗がにじんだ。今取り込んだばかりの「甘い」が早速、虎呼郎の全身から吹き出始めてしまったかのように匂い立つ。もう……くらくらしてしまう。

「じゃあ。次はパンね」

 少年の声に「あ」と小さく呟きながら虎呼郎はまぶたを開く。

 達矢は目玉焼きのパンを手に取ると改めてもう一度、

「――ぺッ」

 と唾を吐き掛ける。

 虎呼郎は達矢のその行為を目にしながら、認めながらも何も言わなかった。言えなかった。「何かを言う」という考え自体がこの時の虎呼郎の中には無かったのだ。

 少年の唾液付きのパンを、

「はい。あーん」

 と差し出されるまま、

「あー……む」

 虎呼郎は、頂いた。召し上がった。もぐついた。食べた。食べてしまった。食べてしまい続けた。もぐもぐもぐ……と。

「あーん」とパンを一口、食べさせては残った部分に「――ペッ」と達矢は唾を吐き掛け直す。まるで熱々のお粥にふうふうと息を吹き掛けながら食べさせるが如くだ。新しく唾の付着したパンをまた「あーん」と達矢は虎呼郎に差し出す。

「あー……む。んぐんぐんぐ……」

 少年の唾液付きパンを大人しくもぐもぐと食べさせられ続けている中年男性の図は異様でしかなかったが、当の虎呼郎は半ば自我を失っていた。何も考えられなくなってしまっていた。そのパンを口に含むごと、噛み締めるごと、飲み下すごと、虎呼郎は恍惚の色を濃くしていっていた。意識が薄まる。

 その後。たっぷりと時間を掛けて「目玉焼きのパン」を食べ終えた虎呼郎に、

「まだ食べられるよね?」

 事もなげに達矢は言った。

「……え」と我に返りかけた虎呼郎に達矢は、

「お腹いっぱい?」

 と哀しげな顔を見せた。

「いや」と虎呼郎は即座に返した。そう返すしかなかった。もしかしたらこの少年はマインドコントロールの達人なのではないのだろうか。

「無理してない? 大丈夫? じゃあ、ちっちゃいやつね」

 そう言うと少年は手のひらサイズのミニクロワッサンを手に取って、まずは自分の口の中に入れた。それから「――んべッ」と吐き出した。

 上も下も横も無く全体をよだれでフルコーティングされたそれは、サクサクとしたクロワッサンの特徴を全て失ってしまっていそうなくらい表面がテロテロに光り輝いていた。虎呼郎はぶるりと大きくその身を震わせた。

「はい、あーん」

「あー……――」

 ――……嗚呼。なんて「甘い」んだ……。


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