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しおりを挟む友達の家から自宅までの帰り道、里見達矢は「いいなあ。やっぱ、いいなあ、犬、可愛かったなあ」と延々、呟き続けていた。
友達の黒谷がペットに犬を飼い始めたのが今から三ヶ月ほど前の事。以降、黒谷からは毎日のように「かわいい」「可愛い」「カワイイ」という語彙力の低下した感想を聞かされ続けると同時に、スマホで撮られた大量の犬の写真を「見ろよ。もう。超ヤバい」と見せられまくられる事、二ヶ月間。元々は犬になんか興味もなかったはずなのだが、友達の影響をしっかりと受けて、すっかりと洗脳されてしまったピュアな達矢が「そんなに言うんなら」と実物の犬を見せてもらいに黒谷の家へと初めて行ったのが一ヶ月前の事だった。
「うわぁ……」
黒谷の犬との初対面時、達矢はだらしなく破顔してしまった。
写真では何度も見ていた。見慣れたのを通り越して見飽きていたと言っても過言ではなかった。それでも実際にその犬を目の前にしてしまうと、
「かわいいーッ」
達矢は大興奮してしまった。自分でも意外だったが根が素直な達矢はボンッと湧き出たその感情を隠したりや否定したりする事なく真っ直ぐに表した。
例えるならば、テレビに出ている芸能人を初めてナマで見たような感じだろうか。その芸能人のファンでも何でもなかったのに実際にお会いしてしまうと「うわ、顔が小さい」とか「思ったより背がデカいな」とか「テレビで見るよりずっと細い」とかとか、テレビの中の虚像ではない「本当のそのヒト」を知ってしまった気がするのか妙な親近感を覚えてしまったりして、興味の「き」の字も無かったはずが急にその芸能人の大ファンになってしまったりとする事があるだろう。達矢は、
「かわいい、かわいい、あ、舐めた、あはは、美味しくなかった?」
あっという間に黒谷の犬の大ファンになってしまったのだった。
しかし。どれだけ達矢が好きになろうとも可愛がろうとも懐かれようともその犬は友達のペットだった。
「いいなあ。いいなあ。いいなあ。僕も犬、飼いたいなあ」
達矢は思いを募らせる。
「マンションはペット禁止だから。無理よ」
素直な達矢だから親に却下されれば受け入れるだろう、まだ十歳の子供だからその場では諦め切れなかったとしてもすぐに飽きて忘れてしまうだろう、達矢の母親などはそのように簡単に考えていたのだが意外にも彼の「犬、飼いたい」熱は高い温度で保たれたまま、一週間が過ぎて、二週間が過ぎて、もう一ヶ月も経とうとしているというのに達矢はまだまだ飽きもせず、諦めもせずに「ねえねえねえ。犬、飼いたい。犬、飼えない? ゼッタイ? もしかしたらだけどマンションの管理人さんに聞いてみたら良いよって言ってくれるかもしれないよ?」などと言い続けていた。
はじめは友達が飼っていた犬が可愛くて可愛くて、同じ犬種が欲しかった。けれども「無理よ」と取り付く島の無かった母親に対して「じゃあ小型犬だったら?」とか「全く鳴かない犬だったら?」とか「すっごくお利口でヒトの役にも立っちゃう警察犬だったら?」などと達矢なりの譲歩に譲歩を重ねていく内にもう今では「犬」ならば本当に何でも良いと思えるところにまできてしまっていた。
牛乳運びが仕事の犬でも、閉所恐怖症らしく小さな犬小屋の中には入らずに屋根の上で寝ているような犬でも、白髪で赤い着物を着た二足歩行の犬でも何でも飼う事が出来たならば、それはもう目一杯に可愛がってあげて、きっと大好きにもなれる。
そんな事を考えていた達矢は自宅があるマンションのエレベーター内で一冊の本を拾う。その本は厚みこそ漫画雑誌の半分も無かったが、装丁は重厚な革張りで意味の分からない金具なんかも付いており、妙に豪華だった。
「なんか魔法の本みたい。魔法の本かな。もしかしたらそうかも。悪魔と契約するやつとか。あ、アイテムとかモンスターをカードにして出し入れ出来るやつかも」
期待に胸を膨らませながら開いてみたその本の中身は、流れるような毛筆の書体で書かれており確かに格好良いがその反面、非常に読み辛かった――というか達矢には全く読めていなかった。
「……ホンモノだ!」
と達矢は声に出して喜んでしまった。
しかもその「魔法の本」は、じーっと眺めていると、ところどころが何となく日本語に見えてくるという優れ物だった。スゴすぎる。
「……さなかった。……を……ってしごく……」
ゲシュタルト崩壊の逆パターン。プレグナンツの法則。いや、もっと簡単に言えば単に目か脳が慣れて平仮名の部分を読めるようになっただけではあったが達矢の感覚としてはそれは立派な「魔法」だった。
とりあえず読めるところだけを読んでみて、呪文を唱えた気分になって、
「犬! ください! 出して! 出てこーい!」
達矢は願い事を言ってみた。
数秒の沈黙。
――チーン! とタイミング良く音が鳴ってエレベーターのドアが開いた瞬間、
「来たッ!?」
と達矢は大いに期待したが当然、その向こうに犬は居なかった。出迎えてはくれていなかった。
「呪文が足りてないのかなあ。うーん。でも読めないところは頑張っても読めないんだよなあ。うーん。今の僕のレベルだとこれ以上の解読は無理なのかなあ」
短いセンテンスにも難しめの漢字が多く含まれていて一文を完璧に読み上げる事は難しかった。エレベーターから降りた達矢は廊下を歩きながら、
「……がっちりと力……く……さえられて……」
呪文の質を高く出来ないのならばその分は量でカバーだとばかりに読める文字だけを拾いながらどんどんと読み進める。画数の本当に少ない漢字は分かるようにもなってきていた。達矢が言うところの「レベル」が順調に上がってきているようにも感じられて、この機転は間違いなく大正解であったに違いないと少年には思えていた。
「……が……に入って……ギシギシ……」
とまで読み上げたところで、
「勘弁してくださいッ」
達矢の足元から声が聞こえた。びくッと達矢は一瞬、大きく驚いてしまった。
「犬と呼んでください!」
足元のかたまりがそう言った。
「え?」と達矢は改めて驚いた。さっきとは違う種類のビックリだった。
でも。犬には見えない。ニンゲンだ。上から見ても、横から見ても、人間だった。男の人だ。大人だ。でも。人間の大人がこんな格好をするだろうか。まるで土下座をしているみたいだった。
達矢は考える。
急に目の前に大人のヒトが現れた。「犬と呼んで」と言っていた。ホンモノの大人のヒトならするはずがないだろう土下座みたいな格好をしている。
コレはもう「魔法の本」から出てきたのだとしか達矢には思えなかった。
「おじさん、犬なの?」
人間の大人にしか見えないソレに直接、尋ねてみた。「おじさん」は答えた。
「……ハイ。ワタクシはアナタサマのイヌにゴザイマス……」
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