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 修学旅行だという事で無駄にテンションが上がっているのか、木下孝太郎から和泉綾人が受けた昨日今日のいじめ行為はいつも以上にしつこかった。ねちっこかった。

 普段なら「朝勃ち!」を無視すればそれで済んでいたところが今朝の孝太郎は「抜いてくれ」などと重ねてきていた。昨日の昼食時には、綾人がまだ半分も食べていなかった鴨汁そばを取り上げられてしまっただけではなく孝太郎の食べ残しのカツ丼を食わされたりもした。結局、全ては食い切れないくせに他人の物を奪うだなんて最悪だ。自分の腹に入り切る量かどうかも分からないだなんて、頭が悪過ぎる。

 無駄に気分が盛り上がってしまっているのだろう。馬鹿が。

 そもそも「好きに組んで良し」とされた六人班に綾人の事を引き入れている時点で奴らの性格の悪さは露呈していた。素直に仲が良い連中で固まれば良いものを。孝太郎達はクラスで五人だけのはぐれものグループではなかった。善良なクラスメートらから爪弾きされているわけではなかった。むしろその逆だ。綾人などを入れなくとも他に誰だって何人だって引き込む事の出来るようなクラスノニンキモノ達だろうに。

 底意地の悪い孝太郎達から逃れる為には綾人がさっさと別の班へと入ってしまえれば良かったのだろうが「いじめられっ子」である綾人の事を好き好んで受け入れてくれる、ましてや向こうから誘ってくれるような奇特な人間はこのクラスには一人も居なかった。残念ながらとは思えない。まあ当たり前の事だろうなと綾人も思う。そんな物好きは絶対に居るわけがないとまでは思わなくても、居ない事の方が当然なのだ。

 綾人の事をいじめているのが木下孝太郎を始めとしたクラスノニンキモノ達であったせいもあるのだろうが班決めの際、綾人と目が合った、合ってしまったカワイソウなクラスメートらは皆、気不味げに顔を背けたり、何か言いたげな苦笑いを浮かべたりとしていた。それは綾人のちっぽけな希望的観測かもしれないが、クラスメートの皆は和泉綾人自体を嫌がっているというよりはまるで木下孝太郎に遠慮でもしているかのようだった。少しばかり萎縮してしまっているようにも見る事が出来た。

「話ってなんだよ?」

 夜中に起こされて、まだ頭が回っていないのか、綾人に促されるまま素直にホテルの外にまで連れてこられてしまっていた孝太郎にはいつもの覇気がまるで無かった。もしかしたら寝ぼけてでもいるのか、妙に弱々しいというか、どこかおどおどとしているようにも見えた。

 和泉綾人の知っている「木下孝太郎」は、いつもの仲間が近くに一人も居ないからといって急に気が小さくなるような人間ではないはずなのだが、そんな孝太郎のそのような態度に綾人も背中をひと押しされてしまったのかもしれない。

 踏み止まる事は出来なかった。

 もしも、孝太郎が起きなければ。寝ぼけ眼の孝太郎が綾人の言葉になど従わず、ホテルの部屋から出てこなければ。普段通りの強気な態度で「何だよ」と突っ掛かってきていれば。綾人も大人しく引き下がっていたかもしれない。いや、どうだろう。

 分からない。全ては「もしも」だ。

 今、この場所にある現実は綾人から逸している目を更に泳がせている孝太郎とその横顔をじっと見据える綾人の二人だった。

 おかしな絵だった。これではどちらが「いじめっ子」で「いじめられっ子」なのか分からない。

 ああ。そうか。今、自分は「いじめっ子」なのだ。

 目の前に居る木下孝太郎こそが「いじめられっ子」なのだ。

「おい。綾人。何か言えよ。何だよ」

 孝太郎のその怯えているかのような態度を、綾人は「何故」と思わなかった。その不自然を自然と呑み込んでいた。何も考えず腑に落としていた。納得していた。

 何故ならばその現実は綾人が望んでいたものだから。

 多少の不自然は見逃してしまう。無意識に。誰だってそうだろう。人間ならば。

 自分に都合の良いように理解してしまう。

 和泉綾人は今夜、この場所で木下孝太郎をいじめる。その為に彼を連れ出した。仕返しだ。綾人の固い決意が雰囲気として醸し出されていた事でターゲットの孝太郎を怖気付かせたのだという事ならば一応の説明も付く。何にせよ、今の綾人にとっては好都合だった。この現状に大満足だった。綾人には「何故」と考える必要が無かった。

「別に」

「何だよ。別にって。何か用事があって」

「殺そうとまでは思ってないから」

「はあ?」とこちらを向いた孝太郎は大きくその目を見張っていた。

 暴力は振るわない。暴力は振るわれてこなかったから。

 綾人はただ、やられた事をやり返すだけだ。積もり積もった精神的なダメージを、まとめてお返しするだけだ。

 綾人はふと昔に読んだ小説の一文を思い出す。目には目を、歯には歯を。過激な意味に取られがちな言葉だが本来は「やられた事をやり返しなさい」というフラットな思想なのだという。過剰防衛ならぬ「過剰な仕返し」は控えなさいという、一般的なイメージである「やられたら、やり返せ!」とは反対の意味合いが強い法律だったらしい。その小説家の創作かもしれないが。

 やられた事をやり返すだけ。正当な仕返しだ。その理屈で罪悪感も随分と薄れる。

 綾人が傷付けられた分だけ、孝太郎の尊厳も傷付ける。ただ単に同じ行為を仕返すだけでは意味を成さない。何しろ相手は木下孝太郎だ。十六、七歳の思春期にありながら、同い年のクラスメートら五十人以上を前に平気で自身の性器を露出させられるような人間に、綾人がされて傷付いた行為をそのまま仕返したとしても何も感じてはもらえないかもしれない。少なくとも同じだけのダメージは与えられないだろう。

 もっと。もっとだ。同じ行為ではなくて、同じだけのダメージを与えたい。このような考えから生まれる過剰な仕返しを抑える為の同害同復法だったのだろうが、綾人は敢えてハンムラビ法典に背く。

 この時にもまた綾人は立ち止まる事が出来なかった。

 不意に蘇った昔の記憶は「良心」とも言い換えられたのかもしれない。

「良心」の存在を思い出しながらも綾人はその闇に向かって歩みを進める。

 綾人は「…………」と無言のまま一歩、二歩、三歩、孝太郎との距離を詰めた。

「な、んだよ」と身をこわばらせた孝太郎の胸を綾人はぐっと強めに押し込んだ。先に足は引っ掛けてあったからそれだけで簡単に孝太郎は「おわッ」と尻餅をついた。

 怪我をさせたかったわけではなかった。孝太郎を地面に転がす事が目的だった。



 大きなホテルの裏側だった。従業員用の勝手口らしき簡素なドアがあって、エアコンの室外機も幾つか並んでいた。その室外機も客室の数ほどは無かったのでおそらくは調理場や事務室やスタッフルームなんかと繋がっているものだろう。

 綾人の頭は冴えていた。

 近くに街灯は無くて、半分程度の大きさの月の明かりと向こうの方にあった街灯から弱まった光がわずかに届いているだけ。ひと気も満足な明かりも無い場所で綾人は地面に転がされた孝太郎を見下ろしていた。見下していた。見下げていた。

「痛、くはなかったけど。何すんだよ」

 強がりなのか馬鹿正直なのか。地面に尻を付けたまま孝太郎は、綾人に問うような視線を向けていた。怒ってはいないようだった。

 今までいじめ続けていた相手に転ばされては逆上でもするかとも思っていたが、そうはならなかった。意外と我慢しているのか、それとも何も感じていないのか。

 膝を曲げて綾人は孝太郎に手を伸ばした。

「ああ。サンキュ」と何を勘違いしたのか孝太郎も手を伸ばしてきた。

 綾人はその手を避けるみたいにして孝太郎の腰に触れる。

「な、ば、別に抱き起こされなくても」

 また何か別の勘違いを起こしていた孝太郎の言動は完全に無視をして、綾人は彼のズボンに手を掛けた。強く握って引き下ろす。

「うわッ」と孝太郎が大きめの声を上げた。叫び声ではなかったが、それでも確かな悲鳴だった。
 
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