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04_栄冠は君を輝かせる。
しおりを挟むボール遊びが禁止されていない広々とした公園の一角で、笹野君は友人達と野球のノック遊びをしていた。珍しく、その「友人達」の中にはミチタカの姿もあった。
一口にノックと言っても種類があるが何もアメリカンノックだの千本ノックだのといったハードな練習をしているのではなく、あくまでも本人達が楽しんでやっている遊びだった。
一人がノッカーとなってシンプルなフライを打ち上げたら、適当に散らばっていた残りの全員が受け手としてその打球の処理を図る。基本的には自分の近くに打ち上げられた球を追うわけだが当然、ノッカーもプロではないのだから狙い澄ました場所にばかり打ち上げられるという事は無かった。ミスだろうがわざとだろうが打球の落下予測地点の近くに誰も居ないような場合には早い者勝ちの勝負となる。また、
「こっちゼンゼン来ねえぞ、くらぁッ!」
てな場合には冗談半分、本気半分で他の人の守備範囲内に打ち上げられた打球を横取りする為に猛ダッシュをかましたりもされていた。
ノーバウンドで見事に捕球した者が次のノッカーとなってフライを打ち上げたら、またちゃんと捕球した者と交代をして受け手に回る。延々とその繰り返しという終わりの無い遊びだった。
「来いや、来いや。バッチ来いやあ」
好みは人それぞれかもしれないが大体は皆、ボールを捕る事よりも打つ事の方が好きで、ノッカー役に回るという御褒美を目当てに捕球を頑張っているようだった。
一方で野球経験と言えなくもないものは体育の授業でやったソフトボールくらいだというミチタカは折角、自分の近くに打ち上げてもらえた捕りごろの緩い球に対しても落下地点を見誤ってしまい、バンザイの格好をしたまま後ろにボールを見送って、その場にひっくり返ってしまったりや、運良くグローブに入ったかと思えばちゃんとボールを掴めずに弾いて落としてしまったりと皆の中で一人、中々の下手クソぶりを披露してしまっていた。
「だははははッ」
と大笑いで始まった周囲からの声も、繰り返されるミチタカの凡エラーに「今のは捕れただろう」とか「ちゃんと掴めよな」といった軽い怒りや呆れへと次第に変わっていった挙げ句、
「もうちょい後ろだ。後ろ。あーッ」
「両手で構えろ。うん、おしいッ」
「もう頑張れ。頑張れ。頑張れ。頑張るしかないぞ、ミチタカぁーッ」
最早、根性論にまで行き着いてしまった。
しまいにはミチタカの近辺にフライを打ち上げたノッカーに対して、
「卑怯だぞーッ」
だの、
「かわいそうだろうがーッ」
だのといった野次が飛ぶようにまでなってしまっていた。
以降、ミチタカを狙ってフライを打ち上げてはならないという暗黙の了解が出来てしまったようで、しばらくの間、ミチタカは広々とした公園の一角のその片隅でぽつねんとただただ佇み続けてしまう事となってしまった。
勿論、ミチタカの度胸と技術では他の人の上に飛んだ球を横取りになんて行けないし、行かないし。たまに「やべッ」とノッカーが漏らすような球がミチタカの頭上に打ち上げられても、颯爽と現れるヒーローのように他の誰かが飛んできてミチタカの代わりに捕球してくれるのだ。
「ミチタカ。悪い」
「悪いな。ミチタカ」
ノッカーにはデッドボールでも当ててしまったかのような態度で謝られてしまい、ミチタカの代わりにボールをキャッチしてくれた者には「横取りしちゃって」というよりは「活躍の場を提供してもらっちゃって」といった感じで、軽い挨拶のように謝られてしまった。
ミチタカはそのどちらに対しても、
「ああ。うん。大丈夫。こちらこそ」
ぐらいしか言えず、段々と所在無くなっていくというか、肩身が狭くなっていっているような思いを色濃くさせていっていた。
ところが、
「行くぞ、おらぁーッ!」
ノッカー役が笹野君に代わった途端、
「気合、入れろーッ!」
「出来る、出来る、出来るッ! 捕れる、捕れる、捕れるッ!」
「もう一丁ぉーッ!」
三球連続でミチタカの頭上に高いフライを上げられてしまった。それらは誰の目にも明らかな狙い打ちだった。
「ちょ待てよ、笹野」と友人達の一人が声を上げる。
「代わりたくないからって捕られない所に打ち続けるのは卑怯だぞ」
連続で笹野君が打ち続けている事からも分かるようにミチタカは後逸や落球を繰り返していた。情けない。恥ずかしい。申し訳ない。
「いや、狙い通りに打ち続けられる技術は凄いけどな」
皆、ミチタカの所にボールが落ちてくる事が分かっていながら、ヒーローみたいに駆け付けたりもせず、先回りをしてボールの落下予測地点を奪ってしまったりもしない理由は、
「逃げんな、ミチタカぁーッ!」
何故か鬼ノッカーと化している笹野君による凄まじい勢いの指名が毎度、フライとセットになっていたからであった。ちょいと意見を述べる程度で精一杯というよりもむしろ「ちょ待てよ」とおちゃらけのオブラートに包みながらではあったもののこの鬼に対して何かしらの意見を述べる事が出来た一人が大層な勇者であったと言えるのかもしれなかった。
「良く見ろ、ミチタカぁーッ!」
「動け、ミチタカぁーッ!」
「ミチタカぁーッ!」
三球連続はあっという間に六球連続となって、その六球も見る見るうちに七、八、九、十と数を増していく。
「声、出せッ! ミチタカぁッ!」
これだけミスを続けても変わらずに構い続けてくれている事に対する感謝、どうして打ち続けてくれているのだろうという疑問、これだけしてもらっているのに一度もボールが捕れていない自分が情けない、恥ずかしい、付き合ってくれている笹野君に申し訳ない、見守ってくれている他の皆にも申し訳ない、自分なんかの為に無駄な時間を使わせてしまっている、本当にゴメンナサイ、すぐに終わらせなきゃいけない、もう終わりにしないと、でも呆れられたくはなかった、出来ないまま、このままで、あ~あ、やっぱりなあと溜め息を吐かれたくはなかった、諦められたくはなかった、もう見捨てられたくはないという渇望もあって、
「ハイッ!」
振り絞られたその返事は様々な感情をごちゃまぜにした咆哮となっていた。
「ミチタカぁーッ!」
「ハイッ!」
「ミチタカぁーッ!!」
「ハイッ!!」
「ミチタカぁーッ!!!!」
「ハイッ!!!!」
もうミチタカには落ち込んでいる暇なんて一瞬すらも無くなってしまっていた。
十は二十に。二十は三十に。
衰えを知らないどころか益々と燃え盛る二人の熱血に、途中から軽くドン引いてしまっていた友人達もいつの間にかその熱過ぎる雰囲気に飲み込まれてしまっていた。
「止まって終わるな。修正あるぞ。前後左右に動けるように準備しておけッ!」
「前に行き過ぎるなッ! 最後の調整で何歩か前に出るぐらいが捕り易いぞ」
「グラブを突き出すな。スイッと受け止めろ! てのひらの正面でスイッだ!」
大応援団だ。皆も一緒に燃えていた。
「行くぞぉッ!」
「ハぁイッ!」
「ドンマイ、ドンマイ、もう一本ッ!」
そうして地獄の特訓へと様変わりしたお遊びもついに、
「と、捕れたぁーッ!」
その数、百を目前に一段落と相成った。
両手で構える、突き出さない、手首を柔らかくする、腰を落として、いつでも動き出せる準備、落下予測地点の少し手前で待ち構える、根性、気合、自分を信じる、目線をぶらさないという言葉の意味は良く分からなかったが、とりあえず、ぶらさないようにとは思っていた等々、皆からの応援は全て真に受けてはいたものの実際のところ、今のミチタカに適合していたアドバイスは何と何と何だったのか。
捕球のコツなど何も掴めてはいなかった。今回とそれまでの九十数回の何が違っていたのかも分からない。今回、フライを捕れた事はただの偶然だった可能性が非常に高いと言わざるを得ないだろう。もう一度、同じ事をしてみせろと言われてもミチタカには出来る自信なんて微塵も無かった。
それでも、これが現実だ。
今、ボールはミチタカの手の中にすっぽりと収まっていた。
「捕れた、捕れた、捕れた。笹野君。皆も。見て、ほら! 捕れたあ」
前方の笹野君を見て、後方の皆を見て、また前方を見て、後方を見てをミチタカは何度も繰り返す。
驚きの間を一瞬だけ挟んでから、
「凄えーッ!」
「やったな、ミチタカッ!」
「マジかッ!」
わあっと一斉に皆がミチタカへと向かい走り寄って来てくれた。
皆の顔が真っ赤だった。喜んでくれていた。ミチタカの事を見ていた。
颯爽とヒーローに駆け付けられるよりもずっとずっと嬉しいものだった。
ミチタカを助けてくれる為じゃない。ミチタカの事を背中に隠して、背中でミチタカに語るわけじゃない。皆がミチタカの顔を見て、目を見て、
「ナイスキャッチッ!」
「うおぉーッ!」
「やれば出来る子ッ!」
等々と言ってくれていた。
「不覚にも感動しちまったし」
「これはもう胴上げか? ミチタカを胴上げるか?」
普段の皆は口が悪かったり、自分達とは違って運動が苦手な人種の気持ちなんか理解しようともしていなかったり、ノリを重視する余りにデリカシーを盛大に欠いたりもしていたが、そもそもが完璧な性格の人間だなんてモノはこの世に実在しないし、ミチタカも含めた彼らは全員まだ十代だ。まだまだ成熟もし切ってはいなかった。
このヒトはこういう人間なのだとそのキャラクターを決め付けてしまうには早計が過ぎていた。皆とミチタカの間に微妙な距離があるような無いような気がしないでもない事は事実であったが、それはただの現状であって未来永劫、変わる事の無い決定事項ではなかった。
逆の言い方をすればミチタカにしたって自分とは違った軽々と運動の出来る人達の気持ちなんて理解しようともしてこなかった。今日だって笹野君の誘いながら一度は断ったところを半ば強引に連れて来られて、笹野君が昔に使っていたという柔らかいグローブを押し付けられたのだ。
どうしてだろうと思った。やっぱり、来なければ良かったのかもしれないと後悔もしてしまった。何をしているんだろうと考えたりもした。でも、
「なッ?」
と白い歯を見せた笹野君にミチタカは考えるよりも思うよりも早く、
「楽しいーッ!」
と大声で答えていた。
遊びのルールに基づいて次のノッカー役となったミチタカは、
「あっぶねえッ」
「こわッ」
「殺す気かッ」
高く打ち上げるフライではなく、ピッチャー返しが如き、鋭いライナー性の打球を繰り返し打ち続けていた。
野球経験の殆ど無いというミチタカはバットコントロールが全く出来ずにトスしたボールを真横から打ち抜く事が精一杯のようで、手首を柔らかくしたりや胸を反らすなどしてバットの角度を下から入れたりだとか、ボールの下を打つなんて事も出来ていなかった。
「ああ、もう。ゴルフみたいに打て。もしくはバドミントンの下からサーブだ」
「ぎゃーッ」
「それでも真っ直ぐ飛んで来るのは一種の才能だな。使う場面の分からん才能だが」
皆、飛んでくるボールを捕るよりも避ける事に気を割かなければいけないような状況の中、それでもそれを楽しんでいるような節はあった。
「俺、このボールを捕ったらあの子に告白するんだ」
「あ、悪い。あの子に昨日、告白されたんで。俺が付き合う事になったから」
「もうコロせッ! 俺にぶつけろッ! 全力でッ!」
事実なんだかネタなんだか分かりづらい迫真の遣り取りを見せられてしまったミチタカは、
「あの、もう交代しようか?」
おずおずと言い出してしまったが、
「駄目だッ」
皆は首を横に振る。
「ミチタカがあれだけ頑張ったんだから」
「今度は俺らの番だ」
「おしッ」と皆が気合を入れ直す。
これは格好良く決まったかと感心しながら見ていると「ていうか、笹野ッ」とその熱い気合の矛先は思いも寄らなかった方へと向けられてしまった。
「あそこまでやらせたお前が責任を持ってミチタカの殺人打球を捕れよなッ」
「そうだそうだ。ヤッちゃったからには最後まで責任を持て」
「おい。お前らの番は何処にいった?」というツッコミが喉まで出掛かったが確かにまあ、奴らの言う事にも一理はあるのか。
苦笑いを噛んで深い息を吐き出した笹野君は、それから、きりりと表情を引き締め直して、ミチタカの事を見た。
「しゃあねえ。ミチタカ。こっちに打て」
「て言われても。どこにボールが行くか分からなくて」
「ああ。じゃあ、そうだな。俺の方を向いて、俺だけを見て打ってみろ」
「うええッ?」とミチタカは過剰に驚いていた。そこまで難しい事を言ったつもりはなかったのだが、感じ方には個人差がありますか。
腰を落として構える。さあ来いとばかりに笹野君はミチタカを強く見た。
ミチタカと目が合う。
ミチタカは左手でトスを上げるとわたわたと慌てた様子でバックスイングの動作に入った。その直後、
「やっぱ、無理ッ!」
ミチタカは何故か両目をぎゅっと強くつむった。そしてそのまま渾身の力を込めたフルスイングをしてくれた。
「なんでやねんッ!」と誰かが叫んだ。今日、集まっていた友人達の中に関西出身の人間は居ないはずだったのだが不思議な出来事には不思議な出来事が重なるのか。
カキーンッ! とミチタカの振ったバットはこの日一番の良い音を鳴らした。
バンッ! とすぐにまた今度は笹野君の手元から良い音が鳴り響いた。
「おおおおぉーッ!」と友人達が声を上げる中、これが「恐る恐る」かといった感じでゆっくりとつむっていた目を開けたミチタカに、
「任せろ」
笹野君はグラブに収められたボールを見せ付けてやった。
「…………ッ」
ぼそりと何かを呟いて、ミチタカはその場にへたり込んでしまった。気が抜けたのだろう。やらせたのは笹野君だが、捕る為に打つ事にミチタカは頑張り過ぎていた。
「お疲れ」と囁かれた笹野君の一言は、
「何でお前が倒れてんねんッ!」
同じタイミングで発せられた怒声が被って、完全に掻き消されてしまっていた。
さっきから。誰だ、このエセ関西弁。
笹野君はぎろりと辺りを見回してみたが残念ながら犯人を特定するまでには至らなかった。
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