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しおりを挟むあの日の杉本を思い出せば、自然とクククと喉が鳴る。
本当に、面白い。
つい昨日まで、隣に並んでいたはずの杉本が、今は私の正面に立ち、私を見ているのだ。熱く、私を見ている。
つい昨日まで、加奈子を見ていたその目で、だ。
吐き気がするほど楽しかった。
私は、合唱コンクールで声を張り上げた覚えもないし、球技大会で心地良い汗を流したりもしていない。
同じ中学出身だからという理由で、杉本に話し掛けた事もない。
私は、加奈子ではない。似てもいない。
なのに、だ。杉本は今、私を見ている。
寒気がしてきそうなほど心地良かった。
『今』に至ったストーリーが、杉本には見えているのだろうか。杉本には、今、私がどう見えているのだろう。
あの日の夜遅く。月明りを招き入れただけの薄ぼんやりとした自室で。私は妄想した。うつむいて、暗く困惑している御様子の杉本の横顔。左胸を押さえてうめく、杉本の姿。茶目っ気を覚えた私は、伸ばし立てた人差し指の先に軽く尖らせた唇を寄せて、もう必要のなくなったロウソクにそうするみたいに、細く長い息を吹きかけてみた。すると。銃口からのぼる硝煙が揺れて、やがて部屋の薄闇に消えていった。
思い返せば、心地良い。
本当に、今にも笑い出してしまいそうだった。
だから私は、杉本を見ないよう、真っ直ぐに商品だけを見ていた。
杉本は、レジを打つ私の隣で、バーコードを読み終えた商品から順々に、黙々と、ビニール袋に詰めていた。
あの日から、しばらくが経っていた。
「偶然だぜ。マジでさ」
勤務時間の終了直後、更衣室までの短い距離で、杉本は言っていた。私と同じ時間帯を働いていたもう一人が、何の都合でだか急にバイトを辞めてしまい、比較的時間の空いていた自分が「偶然」オーナーに指名されたのだ、と。
そのコンビニでは通常、高校生が一人と大学生以上の『大人』一人がペアとなり、四時間一コマを二人でこなしていた。入れ替わりですれ違う事はあっても同じ高校生同士である私と杉本がペアを組んで同時間帯を働くなんて事はないはずだった。
「ふぅん」
と私が頷くと。杉本はわざとらしい咳払いを一つ、二つ、してみせた。それから、誤魔化すみたいに、
「にしても、さ」
と。杉本は口を開いた。
そこから続く次の句は、簡単に想像が出来た。
私は杉本の呼吸に合わせるようにして言ってやった。
「久し振りだよな」
「久し振り、ね」
思惑通り。杉本と私の台詞は綺麗に重なった。私と杉本は顔を見合わせて笑い合った。
いや。本当は二人とも、声を合わせるよりも前から笑っていたかも知れない。
少なくとも私は、考えるより思うよりも先に自然と笑顔になってしまっていたような、そんな気がする。
「ははっ」
「ふふ」
顔中を赤くした杉本の無邪気な笑顔を見ながら、私は本気で笑ってしまっていた。
私はこの瞬間を待っていたのだ。
それは、楽しい楽しいオモチャがやっとで自分の手許に戻ってきた瞬間だった。
厳密に言えば、手放した事も、距離のあった期間も、大きな遊び事の内に含まれていた『仕掛け』の一つなのだけれど。
このときの私は心の底から笑っていたように思う。
それこそ、加奈子には見せた事のない笑顔で。
「なんかさ」
と。杉本はやはりそのときも言っていた。
私は杉本のその口癖に懐かしさと苛立たしさの二つを同時に感じたりとした。
「マジでさ、久し振りだよな」
「そうね」
杉本の言葉に私は何の意識もせずに頷いていた。
が。すぐにそれに気が付き、
(いけない。)
と反省をする。
これからを思うとついつい浮かれてしまいそうだが。
ふと。『お預け』を食らって、荒い息遣いでよだれを垂らしながらも我慢していた犬っころが飼い主の「よし」という一言で、浅ましく餌に飛び付くだなんていう面白可笑しいイメージが私の頭に思い浮かんだのだ。
私は下唇を軽く噛み締めた。
「なんかさ」
と口を開いた杉本をよくよく見てみれば。まるで締まりのない、ひどくだらしのない顔をしていた。そうだ、以前の安永や加藤も今の杉本と同じような顔をしていた。
私も今、あんな顔をしていたのだろうか。
私は杉本の笑顔を見据えながら、
「ふぅん」
と静かに微笑んでやった。
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