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春待ち木陰

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 杉本と関わりを持つようになってから、私の気分はじんわりとだが確実に、日々、加速度をつけて、昂揚していっていた。

 私はそんな自身の心境も含めた状況の全てを楽しんでいた。

 そしてそれは、私にしては珍しく表情にも出ていたらしい。



 たとえ私が耳を塞いでいたとしても。そんな事お構いなしに喋り続けていただろう杉本になおざりな相槌を打っていただけの私は加奈子言うところの「普段しない顔」をしていたのだそうだ。

 それは、どこでだろうか偶然、私と杉本の二人を見掛けた加奈子が「すっごい楽しそうだったから」と私に声を掛けるのをためらってしまうような表情だった。

 そしてちょうど。加奈子にそんな事を言わせた次の日。学校からの帰り道だった。

 杉本は黙っていた。

 黙っている杉本では一緒に居る理由がないのだけれど。私はそのまま、杉本の隣を歩き続けた。杉本の黙っている理由が私には分かっていた。

「知ってたのか」

 しばらくして、杉本は口を開いた。長い時間、何かを深く考え込んでいたのだろうか。それとも頭の中でたったそれだけの言葉を必死になって探していたのだろうか。いつもの口癖はなかった。

「協力は出来ないけど、応援なら出来るって、そういう事か」

 杉本は少しだけこもった声で言った。

 それは独り言のようだった。台詞の最後に疑問符は付いていなかった。だから私は何も応えなかった。

 何も応えずに。私は隣の杉本に合わせて歩く速度を少しだけ遅らせた。

「なんてぇかさ、ショックだよ。けど、なんてぇか。違うんだ。ショックなんだけどさ、そうじゃなくて」

 偶然。その日の放課後、杉本は加奈子とその恋人――葉山祐太郎が二人で居る場面に遭遇してしまった。

 トイレに入った私を、階段の踊り場で一人、待っていたときだったそうだ。二人は楽しそうにじゃれ合いながら杉本の横を通り抜けて行ったという。加奈子は、杉本と目が合うと表情だけで小さく笑ったそうだ。

「ショックはさ、ショックなんだけどさ」

「なんかさ」と言葉に詰まる杉本に、私は相槌も打たなかった。

 偶然、私たちの通う高校では一年が三階、三年が一階、そして二年生の教室が二階にあった。私は偶然、二階から一階に降りようとしたところで催して、トイレに向った。偶然、加奈子の恋人は二年生だった。私は、加奈子が毎日、放課後になると恋人をその教室まで迎えに行く事を知っていた。

「なんかさ、違うんだ」

 私の隣を歩く、杉本は言った。

「うん」

 私は応えて、杉本を見た。

 いつか思った、杉本の『足りていない話し方』のように、私だから嫌悪を感じるという事もあるのだろうが。今の杉本のうつむいた、自分の爪先に鼻の先を向けたその横顔からは、とてもじゃあないけれど好意的な印象は得られそうになかった。

「もう」

 唇をあまり動かさずに、杉本は言った。

「好きじゃなかったのかもしれない」

 そう言ってから。杉本は、チラリ、私の事を見ようとして、止めた。私は杉本を見続けていた。

 気が付いているのだろうか、杉本は。自分のその顔に。うつむいて、暗く困惑しているその表情が、私にどう見えているのか。

 私は、目を細めて、頷いてやった。

「そ」

「ああ」

 すると杉本は、間髪を容れず、低い声を上げたのだ。それと同時に、顔はうつむかせたまま、目だけで一瞬、こちらの表情をうかがった。

 私は、

(駄目。駄目だ。駄目。)

 てのひらを口許にあてがって、その指を出来るだけ、出来るだけ、伸ばし広げた。表情を隠さなければと、努力した。

 強く強く、頬と喉とに力を込めながら、

(可笑しい。)

 私は、笑いをこらえるのに努めていた。

(何を見てるの? 何が見えるの?)

 うつむいて、黙りこくって歩く杉本には今、何が見えているんだろう。どんなイメージを思い描いているんだろう。そう思うと、可笑しくて可笑しくて、しかたなかった。

 頬が、ひどく熱かったのを覚えてる。

「なんかさ」

 と。杉本は色々な事を言ってはいたが、私は聞いてはいなかった。

 風が、吹いていたのだ。

 冷たい風が、そのときの私には、とてもとても、心地良かったのだ。私は、それを感じていた。

「なんかさ」

 と杉本が言うたび、

「うん」

 と私は条件反射で頷いていた。

 杉本の台詞なんて、いちいち聞いてやる必要なんかなかった。その内容は分かっていたから。色々な言い訳だ。『加奈子に熱を上げていた自分は、嘘なんだ』『間違いなんだ』という、言い訳。

「中一ンときの話だぜ? 高校入って、同じクラスになるよか前の。七宮を最初に見たときの事、マジで覚えてんだよ。なんかさ、そんときは、自分で自分の『キモチ』ってのかな、気が付いてなかったんだけどさ。最初に見たときの事まで覚えてるなんてさ、やっぱり、そんときからもう『好き』って気持ち、あったのかもなぁってさ。なんかさ、それがすんげぇ嬉しくてさ。なんか、さ。こういうの、『運命』とか言うのかなぁ、なんてさ」

 と。あんなにも熱く、私に加奈子を語っていた杉本が、だ。今また、熱を込めて、『違うんだ』『誤解なんだ』『本当は好きじゃなかったんだ』と。私に伝えようと、伝えなければと、必死なわけだ。

「なんかさ」

「うん」

 私は、頬の辺りに強く力を込めていた。でないと今にも、大声を上げて笑い出してしまいそうだったから。

「うん。うん」

 口許に、広げた右の手をあてがったまま、私は頷き続けた。

 それは、とても可笑しな事に。少しだけ声のかすれていた私の相槌は、ともすれば涙をこらえているかのようにも聞く事が出来ただろうと思う。

「なんかさ」

 と。忙しなく黒目を泳がせながら唇を動かし続ける杉本の横顔に狙いを定めて、

(バンッ!)

 私は、声には出さずに言ってやった。

 杉本は、

「なんかさ」

 と。制服の左胸辺りを鷲掴み、うめいていた。


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