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しおりを挟む黒板の上にある丸い形の掛け時計を見る。それから、途端ににぎやかになりだしたクラスメートたちから顔を背けるみたいにして私は窓の外へと視線を流した。
私たち一年生の教室は三階にあった。太陽が少しだけ近くに見える。そんなわけはなかった。空は遠い。
空は青く晴れていた。
私は校庭を見下ろした。
なんて名前の木だろうか。校庭沿いに並べられている裸の木々が風に吹かれてその枝先を揺らしていた。
白い光を降り注がれていながら、どうしてだろう。そこはとても寒そうに見えた。
窓の外を眺めながら、私は手探りで弁当箱を鞄から抜き出していた。のんびりと。昼休みは長い。
すぐ隣からやら。向こうの方からやら。ほぼ絶え間なく誰かしらの笑い声が聞こえてくる。昼休みの教室内はにぎやかだった。
そんな楽しげな空間から私の居る窓際の席へと。誰かが荒い足取りで近付いてくる気配を感じた。私はそれに気が付いていないフリで外を眺め続けた。
「『ゴメンナサイ』って」
荒い足取りの気配は私の席のすぐそばで立ち止まると言った。
「本当なの?」
それは聞き慣れた声だった。
私はのんびりと窓の外に向けていた顔を彼女――加奈子に向ける。
「ん」
と私が唇を閉じたまま音だけで、どうとでもとれる反応を示してやると。加奈子はぐいと顔を近付けてきた。
私はそのまま。顔も引かず目も逸らさずに加奈子を見返した。
睨んでいるような。困っているような。笑ってはいない顔で加奈子は私を見つめていた。とても近い距離で。まるで『にらめっこ』みたい。
私はといえば、
(まあるい、目。)
ただ加奈子を見ていた。
(赤ん坊みたい。低くて、小さな鼻。)
不思議だった。見慣れているはずの加奈子の顔なのに、見れば見るほど新鮮に感じられた。
マシュマロみたいに柔らかそうというよりかは、ふくらませた風船みたいに張りのある頬は健康的にピンク色。唇は少し厚めで、ぷっくりと可愛らしい。
見慣れた漢字を見続けているといつのまにか見慣れない『絵』や『記号』に見えてくるあの感覚に似ていた。
(面白い。)
だから私としてはこのままいつまででも飽きる事なく加奈子を見続けてもいられそうだったのだけれど、
「まったく、もう」
と。加奈子は小さく呟いて、折り曲げていた腰を元に戻してしまった。すぐ近くにあった加奈子の顔が遠く向こうへ離れてしまった。
(あ~あ。)
いつもの距離で見る加奈子の顔は、やっぱり見慣れた加奈子の顔をしていた。今はもう睨んでいるようにも困っているようにも見えなかった。
『にらめっこ』を仕掛けてきたはずの加奈子に先にさっさと勝負を降りられてしまった哀しい私は、小首を傾げて、
「んー?」
と、高い音を漏らしてやった。喉で鳴らすのではなくて鼻から抜いた感じで。それから私はのんびりと机の上に出していた弁当箱を開けにかかる。
けれども。加奈子には私の『分からないフリ』は通用しなかった。
「んー、じゃないの」
加奈子はまるで小さな子供に向って言い聞かせるみたいに言った。
「『杉本君なら大丈夫』って、あたし、ずっと、杉本君に言ってたんだから。『フラれた』ぁって、あたし、泣かれちゃったんだからね」
私はのんびりと弁当箱のふたを開けながらも自然と眉の辺りにしわが寄っているのを感じていた。
「『泣かれた』」
「そうよ」
加奈子は溜め息を吐くみたいにして言った。
「あんた、どんな断り方したのよ。凄かったんだからね、もう」
低くて、弱々しい、加奈子らしからぬその声を聞きながら私は思った。
(話半分としても泣いたのは事実、か。それも加奈子の前で。)
また一つ、私は杉本を嫌いになった。とはいっても、もとから杉本の事は少しも好きではなかったのだけれど。
「『お前がさ、大丈夫だって言うから告白したんだぜ』」
と。加奈子は突然、芝居がかった低い声で喋り出した。
「『もう一緒に帰ったりも出来ない。バイト先でも気不味いし。これなら前のままの方が良かった』」
多分、杉本の真似なんだろう。加奈子は、早口に大声ではない程度の声でわめいていた。
そのモノマネは、もしかしたら似ているのだろうか。そう思い、私は本物の杉本の喋り方を思い出してみようと意識してみた。
のだけれど。私の印象に残っている杉本と今、目の前にある加奈子はどうにも重ならなかった。
(つまらない。)
だから私は、
「杉本に怒鳴られたわけ?」
と。いかにも興味なさそうに言い捨ててやった。
すると、思った通り。
「違うわよ」
いつもの口調に戻った加奈子は、
「だからぁ」
と。大きな溜め息を一つ、間に挟んで続けた。
「泣かれたの。杉本君にさ」
そんな加奈子の呟きを、私は、弁当に箸を伸ばしながらで聞いていた。もちろん、ただ聞いていただけ。相槌の一つも返さない。
私は別に、加奈子に話の先を催促したわけではなかったのだ。ただ杉本の真似だかなんだか知らないけれど、私と私の弁当に向って、次々と唾を飛ばしてくる加奈子の盛り上がりについてはいけず。これならまだ普段の加奈子の方がいくらかマシだと思い口を挟んだだけの事だった。
杉本の話なんて、特別に聞きたくない話題というわけですらもなく、興味も関心もまるでなかった。
「杉本君さ」
加奈子が言った。静かな声だった。
久し振りに聞いた気がする、あまり加奈子らしくないその声につられてか。私は、手許の弁当箱に向けていた顔を起こして、加奈子を見た。
「可哀相だったよ」
そう口にした加奈子は、元々は可愛らしい丸い目を、どうしてか悲しげに細めていた。
まるで、今にも泣き出してしまいそうな。加奈子は、そんな顔をしていた。そんな目で私を見ていた。
(『情けなかった』の間違いじゃなくて?)
私は半ば反射的にそう思ってしまったけれど。加奈子の事だ。きっと本当に『可哀相』だと思ったのだろう。加奈子ならきっとそう思う。そう思うだろうと私は思う。
加奈子とは中学の一年で同じクラスになったのが始まりだった。
初めはただの三十何人と居たクラスメートたちの内の一人としか認識していなかった。それがちょっとしたきっかけで話すようになると、それからはすぐに笑い合うようになり、じゃれ合うようになり、成績に差があってもこうして同じ高校に通うまでにもなった加奈子の事だ。これまで、私服でのお付き合いは指折り数えるほどしかなかったけれど。制服を着込んでの付き合いも四年目ともなればそれなりには分かる。分かっている、つもりだ。
なにより。加奈子は、加藤のときだって、安永のときだって、
「可哀相だよ」
と。今と同じように、あまり加奈子らしくない声で、そんな事を言っていた覚えがあった。
「杉本君と、あんなにさ、仲良さそうだったのに」
加奈子は言った。
咎めるような口調ならまだ良かった。
けれども加奈子はやっぱり、ただただ悲しそうに口にする。
「あたし、てっきり、あんたも杉本君が好きなんだって思ってた」
「別に」
私は、見るとなしに弁当を眺めながらで加奈子に応えた。
「普通にしてたつもりだけど」
私の答えの何が気に入らなかったのだろう。加奈子は、少しだけ感情的に声を荒らげた。
「もうっ」
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