5 / 31
05「姉妹、一晩会わざれば」
しおりを挟む――朝。昨日で春の長期休暇が終わり、本日から学院が再開される。
学院は「学院」であって固有の名詞は無かった。
古く王族によって設立され、現在は国が管理、経営をしている公的な機関である。
授業には座学と実技の二種類があり、座学では主に貴族社会に通ずる常識を学び、実技では魔力に関する全ての事を実践形式で身に付けさせられる。
学院の座学は知識を深めるというよりも貴族間の共通認識を図る為にあった。こういった行為は失礼にあたるだとか、こういった態度は敬っている証であるとかを学ぶのだ。簡単に言えば、毒見役の使用人に対して「主人よりも先に食べるとは何事か」と間違った怒りを理不尽にぶつけてしまったりしないようにといった勉強だった。
学年別に分かれて順に学び進める座学とは違って、実技は年齢も身分も度外視した習熟度別授業となる。何故ならば「魔力自体は全ての人間が有しているがそれを自由に操れる者はそう多くない」からであった。多少でもすでに魔力を操れる者やその素質を認められた者は魔力行使の上達を目的に、そうでない大多数はいつか訪れるかもしれない非常事態時に自身の魔力を暴走させないよう、教師の魔力に触れて体を慣れさせるといった荒療治に近い方法で学ぶ。厳しい授業だった。……もしかしたら精神鍛錬の意味合いもあるのかもしれない。
就学の対象となる生徒は貴族の子息・息女で十二歳になった年から十七歳になる年までの五年間が在籍の期間となる。
例外的に交流のある諸外国から留学生が招かれる事もあるが、それも他国の貴族であって平民が学院に通う事はなかった。
クラウディウスのように平民から見出された聖女候補は、聖女と認定された場合、必然的に王家を始めとする上級貴族社会との関わりが深くなる為、学院での座学講習は必須となっていた。重要であった。
その為、平民から見出された聖女候補は、見出した貴族が養子に迎えるという形で責任を持ってこの学院に通わせる事が習わしとなっていた。
だからと言って「養子だから聖女候補」と短絡的に決め付けられてしまうわけでもなかった。
聖女云々とは無関係に子供が居ない貴族が他家の子供を養子に迎える事自体はよくある話で、クラウディウスがアムレート公爵家に迎えられた養子という事は聖女候補なのだなと即座に連想される事はなかった。
実子のテルマェイチが居るなかで新たに養子を迎えるという行為も、それが男児であれば跡継ぎ候補であろうと思われるだけ、また女児ならば養子とした後で他家へと嫁がせる事でそちらとの縁を深めようという政略結婚的な観点から、それもまたよくある話と思われるだけであろう。
半年前に公爵家の養子となったばかりで貴族社会の常識にはまだまだ疎いであろうクラウディウスでも講習が主の座学では悪目立ちのしようもないであろうから、残る実技の授業で聖属性の魔力を暴発させる等して耳目を集めたりさえしなければ彼女が聖女候補だと思われてしまう事はないだろう。
「――そうね」
テルマは頷いた。パジャマから学院の制服へとロウセンに着替えさせられながら。
「クラウディウスには申し訳ないけれども入学式では少しだけ力を抑えてもらって。実技の授業はわたくしと同じものを受けられるようにして。授業ではわたくしがフォローをするようにすれば」
聖女候補だとバレて、聖女だと認められて、慣例として王族に嫁いだところ、実は男性であったとバレて、それはもう大騒ぎになって、その責任をアムレート公爵家が取るというような事にはならないで済む――はずだ。
「学院に向かう前に。まずはクラウディウスと話をしましょう」
そう呟いて自室を出たテルマだったが、
「お姉さまっ。お体の具合はいかがですか? あ、おはようございますっ」
姉の起床を廊下で待ち構えていたらしきクラウディウスと顔を合わせるや否や、
「クラウ――ッ!?」
朝の挨拶を返す事も忘れて一歩、二歩、三歩と後ずさってしまった。
「――ロウセン」
あたかも風呂上がりのように顔を上気させて額に汗までにじませていたテルマに声を掛けられたロウセンがそっと開け止めていたドアを閉める。間に一枚の華美な板を挟んでこちらにテルマとロウセン、あちらにクラウディウスと分かれてしまった。――クラウディウスの斜め後ろにはきちんと彼女の専属メイドであるキルテンの姿もあったがテルマの目には全く入っていなかった。
「あれ? お姉さま? お忘れ物ですか?」
閉じられたドアの向こうから困惑気味なクラウディウスの声が届く。
「ご、ごめんなさいね。クラウディウス。少し……待って。いえ。あの、先に食堂へ行っていてくださると……」
しどろもどろにテルマは応える。普段のテルマからは考えられぬというか、彼女があろうと心掛けている理想の「姉」像からは掛け離れた対応となってしまっていた。
しかもその声は出している本人が思っている以上に弱々しくて、華美なだけで防音機能は無いはずのドア一枚にほとんど阻まれてしまっていたのだった。
「えっ? なんですかっ? お姉さまっ?」
「あ……その……ええと……」
忙しなく目を泳がせて、大きく動揺してしまっている主人に代わり、
「――キルテン」
ロウセンが声を上げた。張り上げたような大声ではなかったがドア一枚くらいなら間にあろうとも全く問題にならないような非常に通る声だった。
「テルマお嬢様は遅れて参ります。クラウディウス様をお先に食堂へお連れして貰えますか」
語尾に疑問符は付いていなかった。丁寧な口調ではあったがそれは先輩メイドから後輩メイドへの指図であった。すぐに、
「承知しました。お先にお連れ致します」
ドアの向こうからキルテンの返事が届いた。こちらもまた良く通った声だった。
「――というわけですので。さあ。参りましょうか。クラウディウス様」
キルテンは年下の先輩メイドから指図された事自体には特に何か感じるという事も無い様子で、望まれた仕事を素直に遂行する。
「あ、あのっ。お先に食堂でっ、お待ちしてますっ」
ドア越しの大声が徐々に遠ざかっていく。キルテンに文字通り背中を押されながらも声を張り上げたりとしているのだろうか。……淑女らしからぬ行動だった。
「ふふ」とテルマは思わず笑ってしまった。
クラウディウスはクラウディウスだった。
昨夜の風呂場では、顔を合わせてほどなくテルマが気を失ってしまったせいで交流らしい交流は皆無だったが、昨日までと比べると今朝のクラウディウスは明らかに積極的であった――空回りしてしまっている感は強かったが。
「親睦をより深める為に」とテルマが企てた「裸の付き合い」大作戦はどうやら完全なる失敗には終わらなかったようである。それがテルマの望んだカタチやベクトルであるかどうかはさておき、とりあえずポジティブな効果はあったようだった。
「見たわよね、ロウセン。凄い変わり様だわ。遠慮ばかりだったあの子が……部屋に押し掛ける勢いだったわ」
「クロウディア様にしてみれば、テルマ様は昨夜に倒れられたままですから。心配をしてくださったようですね」
「ええ。ええ。クロウディアは元から優しい子よ。でも前までだったら幾ら心配でも部屋の前までは来ないでしょう?」
「それは……そうだったかもしれませんね」
ロウセンが同意してくれた。
「んふふ」とテルマは満足気にほくそ笑む。
「『男子、三日会わざれば刮目して見よ』なんて故事成語もあるけれど。別に男性に限らず人間なんてキッカケさえあれば一晩で劇的に変わってしまうものよね」
額の汗はすでに引いていたが顔はまだ赤い。誰かと比べるものでもないがこちらも決して淑女らしくはない早口で、更に言えば知識をひけらかすような物言いも下品で褒められたものではなかった。
「そう思わない? ねえ? ロウセン?」
テルマェイチ・アムレート様は妙に興奮されていた。妙に。そのお姿を前に、
「キッカケさえあれば一晩で……――確かに。そのようですね」
ロウセンは目を伏せて、静かに答えた。
0
お気に入りに追加
27
あなたにおすすめの小説
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
お兄様、冷血貴公子じゃなかったんですか?~7歳から始める第二の聖女人生~
みつまめ つぼみ
ファンタジー
17歳で偽りの聖女として処刑された記憶を持つ7歳の女の子が、今度こそ世界を救うためにエルメーテ公爵家に引き取られて人生をやり直します。
記憶では冷血貴公子と呼ばれていた公爵令息は、義妹である主人公一筋。
そんな義兄に戸惑いながらも甘える日々。
「お兄様? シスコンもほどほどにしてくださいね?」
恋愛ポンコツと冷血貴公子の、コミカルでシリアスな救世物語開幕!
婚約破棄されなかった者たち
ましゅぺちーの
恋愛
とある学園にて、高位貴族の令息五人を虜にした一人の男爵令嬢がいた。
令息たちは全員が男爵令嬢に本気だったが、結局彼女が選んだのはその中で最も地位の高い第一王子だった。
第一王子は許嫁であった公爵令嬢との婚約を破棄し、男爵令嬢と結婚。
公爵令嬢は嫌がらせの罪を追及され修道院送りとなった。
一方、選ばれなかった四人は当然それぞれの婚約者と結婚することとなった。
その中の一人、侯爵令嬢のシェリルは早々に夫であるアーノルドから「愛することは無い」と宣言されてしまい……。
ヒロインがハッピーエンドを迎えたその後の話。
投獄された聖女は祈るのをやめ、自由を満喫している。
七辻ゆゆ
ファンタジー
「偽聖女リーリエ、おまえとの婚約を破棄する。衛兵、偽聖女を地下牢に入れよ!」
リーリエは喜んだ。
「じゆ……、じゆう……自由だわ……!」
もう教会で一日中祈り続けなくてもいいのだ。
強制力がなくなった世界に残されたものは
りりん
ファンタジー
一人の令嬢が処刑によってこの世を去った
令嬢を虐げていた者達、処刑に狂喜乱舞した者達、そして最愛の娘であったはずの令嬢を冷たく切り捨てた家族達
世界の強制力が解けたその瞬間、その世界はどうなるのか
その世界を狂わせたものは
運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。
ぽんぽこ狸
恋愛
気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。
その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。
だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。
しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。
五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。
異世界に落ちたら若返りました。
アマネ
ファンタジー
榊原 チヨ、87歳。
夫との2人暮らし。
何の変化もないけど、ゆっくりとした心安らぐ時間。
そんな普通の幸せが側にあるような生活を送ってきたのにーーー
気がついたら知らない場所!?
しかもなんかやたらと若返ってない!?
なんで!?
そんなおばあちゃんのお話です。
更新は出来れば毎日したいのですが、物語の時間は割とゆっくり進むかもしれません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる